56 ルーカスの依頼
数秒後、ゴホンと咳払いが聞こえ、私は肩を跳ねさせる。
何も問題ないはずなのに、何か滅茶苦茶緊張する…!
「…お前な。そんなに身構えるな」
「へ」
振り返ると、ルーカスは苦笑していた。私と違って動揺の欠片もないように見える。
「いきなり取って食ったりはしない。お前がそういうことに全く耐性がないのは分かってるしな」
指摘されて、喉の奥でうぐうと変な声が出た。
生まれてこの方、恋愛関係の出来事と恐ろしく縁遠い人生だったことは認める。前世の記憶と合わせても──まあ前世で私が何をしていたのかはほとんど憶えていないのだが──色恋沙汰の『色』の字すら縁がなかった。多分。
私にとっては、ルーカスが初めてなのだ。
あっさり見抜かれて悔しいような、分かってもらえて嬉しいような。
自分の感情を持て余して内心悶えながら立ち尽くしていると、ルーカスが私を手招いた。
「天藍メノウのペンの理想のサイズを教えてくれ。──実物を見比べた方がいいな」
そうして案内されたのは、衝立で区切られた奥の一角。
その光景を見て、動揺が吹っ飛んだ。
「うわあ……!」
大きな作業机の横には、グラインダー──高速回転する円形の金属板の研磨装置と、ベルトが縦に通された装置。どちらも水を流しながら使うためか、排水溝を備えた防水パンの上に置かれている。
その横の壁には、ハンマーやタガネなどの破砕道具が整然と吊るされていた。多分、その下のレンガの囲いの中で石を砕くのだろう。
作業机は奥側に棚がくっついているタイプで、作業中だったのか、白い粉が入った瓶とガラス板が置かれている。瓶には数字が書かれているから、多分中身は粉状の研磨剤だ。
棚の最下段、机の天板と同じ高さには、ガラス板が縦置きされ、等間隔にずらりと並んでいる。
そのすぐ上の段には、番号順に整列した、白い粉が詰まった瓶。いかにもルーカスらしい、几帳面な整頓っぷりだ。
「すごい…これ全部ルーカスの?」
グラインダーなどは魔法道具。どう考えてもプロ仕様の高級品だ。
ルーカスは曖昧に首を横に振った。
「母方の親戚から譲り受けた。道楽で宝石研磨をしてたんだが、目と身体がついていけなくなったから貰ってくれと言われてな」
宝石研磨が道楽とは。流石お貴族様、やることが違う。
「じゃあ研磨技術もその人から?」
「ああ」
ルーカスの口から身内の話を聞けるのが、ちょっと嬉しい。
しかし本人は気恥ずかしかったのか、ルーカスは机上棚の一番上の引き出しを開け、ペンや、ペンに近い形状の工具っぽいものを取り出した。それを机の上に並べて、
「この中で一番握りやすそうなものを選んでくれ。それを元にサイズを決める」
「…ルーカス、何かものすごく慣れてない?」
「俺もたまに工具をオーダーすることがあるからな」
ルーカスは肩を竦めた。注文する立場になったことがあるから、必要なことが分かるということか。
触ってみて確かめろと言われて、私は工具に手を伸ばす。
あれこれと試して、一番しっくりきたのは革が巻かれた細身のものだった。軸の太さが緩やかに変化していて、ペンのように持つと驚くほど手に馴染む。
「この形が一番いい感じ」
私が言うと、ルーカスはそれを手に取り、ふむ、と呻く。
「…素材に天藍メノウを使うってことは、魔力を通す前提だな? そうなると革は巻けないから、削り出しでこの形状を再現するしかないか…」
呟きが完全に玄人のそれだ。
「先端形状は、メモに書いてある通りでいいんだな?」
「うん。先端は可能な限り尖らせて、先端に向けて螺旋状に細い溝を彫ってほしい」
「溝の本数は?」
「等間隔に4本」
「螺旋の巻きは?」
「大体──」
ウィッカに教えられた内容を、改めて口頭で伝える。渡したメモに注釈を書き加えるその筆跡を見て、私は思い出した。
確かにこの字、あの黒板に書いてあったのと癖が同じだ。
「──よし。じゃあこれで──…何だ?」
手元をじーっと見ていたら、ルーカスに胡乱な目を向けられた。
「いや、ルーカスってやっぱり黒板の人だったんだなって」
正直に思っていたことを口にすると、ルーカスはぴたりと動きを止めた後、静かに顔を背けた。
「…幻滅したか?」
「へ? なんで?」
「……俺の字、女っぽいだろ」
確かに、ルーカスの字は筆記体──この国では女性に多い書き方だ。
…まさか、それがコンプレックスなのだろうか。
私は腰に手を当てて、即座に答えた。
「幻滅する要素がどこにあるのさ。それを言ったら、私なんて完全に『男文字』だよ? 文字だけじゃ性別が全く分からないってよく言われるくらいなんだから」
私の書く文字は、一つ一つが独立していてゴシック体のように角張っている。字を教えてくれた孤児院のスタッフがそういう字を書く人だったから、多分その影響だ。
共立学校時代はよく「文字だけ男だ」とからかわれたが、それに引け目を感じたことはない。
なおからかってきた相手に関しては、そいつのノートに赤ペンで誤字脱字の指摘修正を入れまくり、「他人の字を批判するのはまともな文章を書けるようになってからにしろ」と叩き潰しておいた。
「ルーカスの字は読みやすいし、綺麗だと思うよ。…まあ見た目のイメージで『黒板の人』が女の人だと思ってたことは否定しないけど。ルーカスだって、私の字を見て相手は男だと思ってたんじゃない?」
「…まあ否定はしない」
ルーカスが曖昧に頷いたので、私は笑って肩を竦める。
「じゃ、お互いさまってことで」
「…そうだな」
そんなやり取りを挟みつつ天藍メノウの注文を終えると、私たちはテーブルに戻る。
話題は、お互いが作っている物に移った。
「最近、やっと売り上げがあって。今は指輪に石を入れるのと、内側に文字を入れるのを練習してるところ」
「それで天藍メノウのペン、か」
「そうそう」
「…どう使うのか、全く想像がつかないが」
「だよねぇ。私もウィッカから概要を聞いただけで、どんな風に使うのかは全く知らない」
「ウィッカが師匠なのか…先は長そうだな」
「私もそう思う」
遠い目をするルーカスに同意しながらも、ちょっとにやにやしてしまう。
魔鉱細工師であることはアイリーン以外には秘密にしてきたし、そのアイリーンにも技術的なことは話せないから、こうして気兼ねなく話題にできるのは正直新鮮で、楽しい。
「ルーカスは、アイリーンのところに研磨した宝石を卸してるんだよね? どんな石を扱ってるの?」
「まあ本業ではなく趣味レベルだが…見るか?」
絶対趣味レベルじゃないと思うけど。
「見たい!」
私は思い切り身を乗り出した。
だって宝石だ。しかも、宝飾品に使われる前の裸石。魔鉱細工師としても、光モノに目がない一般人としても、見たいに決まってる。
「…分かった」
ルーカスは少々気圧されたように頷き、作業机の棚から平べったい木箱を2つ取り出してテーブルに並べた。
「まず、こっちが比較的大粒のものだ。これがルビー、ブラックスピネル、サファイア、ヒスイ、アクアマリン──」
「ふおお…」
碁盤の目に区切られた箱の中、宝石を指し示すルーカスの手を目で追いながら、思わず奇声を上げる。
素人でも分かる高級宝石がずらり。そのカットも、つるりとしたカボションカットから光を最大限取り入れるブリリアントカットまで、多種多様だ。
それに見惚れていると、ルーカスがもう一つの木箱を開けた。そちらは、今見ている箱よりさらに一段、細かく区切られている。
「こっちはメレストーン──小粒のやつだな。同形状同品質のものを複数作ることが多い。大粒のものを作った余りから加工するのが大半だが、そもそも大きな原石が手に入らない珍しい宝石種もある」
これとかな、とルーカスが示したのは、一つだけあった紫紺の宝石。ごくごく小さなラウンドカットの粒は、他の宝石にはない不思議な存在感がある。
「タンザナイト?」
「そうだ」
ルーカスはいつになく楽しそうだ。多分ルーカスも、こうして気楽に話せる職人仲間はいないのだろう。
話自体も興味深いが、何よりルーカスの初めての職人仲間になれた気がして、ちょっと嬉しい。
…それにしても、タンザナイトの色味はやはりルーカスの目の色に似ている。ルーカスの目の方がもっと深い色をしているけど。
「──ところで一つ、頼みがある」
「何?」
ルーカスがタンザナイトを白い絹布の上に置いた。さらに、茶色掛かった金色っぽい石も取り出す。そちらも、箱の中には一つしかないものだった。
布の上で輝く2つの宝石は、サイズ、カット共に、全く同じ。
「この2つの石を使って、何でもいいからペアアクセサリーを作ってほしい」
「こっちの石は…トパーズ?」
「インペリアルトパーズだ」
微妙にルーカスの声が硬い。緊張しているのかと首を傾げた私は、改めて2つの石を眺め──気付いた。
紫紺と茶金の宝石。ルーカスの目の色は紫紺、私の目の色は茶金。
つまりそれを使って作るペアアクセサリーは──ルーカスと私の、婚約の証だ。
頬を赤くして固まる私から目を逸らし、ルーカスがぼそりと呟く。
「…本当は、石だけ自分で用意して、アイリーンのところで最近売りにしている魔鉱細工職人に頼むつもりだったんだ」
よく見ると、ルーカスの耳が赤い。
「お前が、その魔鉱細工職人なんだろう?」
「ええと…多分。他に同業者がいなければ」
他にもいるという話は聞かないから、十中八九私だとは思う。
けど売りにしてるって何だ。アイリーンからそんな話聞いてないぞ。
色んな意味で動揺していると、ルーカスが再びこちらを見た。
「なら、頼む。──それが完成したら、俺の実家に顔を見せに行こう」
「あ…」
そういうことか。
突然かつ半ば強引な婚約だったから、せめて家に挨拶に行くまでに婚約のアクセサリーは用意したい。ルーカスはそう思っていたのだろう。
お互い多忙で、なかなか込み入った話をする暇はなかったが、ルーカスはちゃんと考えてくれていたのだ。…完全に受け身で流れに身を任せていた私と違って。
少々、いやかなり罪悪感を覚えつつ、私は笑顔で頷いた。
「分かった、任せといて」
余裕がある風を装っているルーカスですが、『48 ルーカスという人間』の内容を踏まえて深読みすると結構ニヨニヨできるんじゃないかと。
ええ。そんな感じです。若いのでね。




