55 顔も知らなかった隣人
適当に流しながらアイリーンを室内に押し込む。
青年がぱたんと扉を閉めると、自然と溜息が零れた。
「…はあ」
「…はあ」
図らずも青年と溜息が重なった。そのあとすぐ青年は顔を上げ、身振りですぐ近くのテーブルを示す。
「座ってくれ」
「え、ええ…」
「はいよ」
アイリーンは戸惑いがちに、私は雑に頷いて、席につく。そして改めて、室内を見渡す。
ウチと左右対称なだけで間取りは同じはずだが、雰囲気はずいぶん違った。
ソファーではなくシンプルなテーブル。テーブルと同じ木製の椅子にはクッションなども置かれていないが、座面が絶妙な曲線を描いているので直接座っても痛くない。
内装はいたってシンプル、質実剛健。奥側の間仕切りの向こう側が非常に気になる。
アイリーンはこの家の住民が宝石職人だと言った。つまり、ルークと呼ばれた彼が職人ということだ。奥には工房があるに違いない。
そわ、と腰を浮かせたところで、目の前にティーカップが置かれた。
「あ、ありがと」
「ああ」
中身は紅茶、それもウチの近所で買える、安くて味はそこそこの茶葉だった。まあここに住んでれば買うよね、とちょっと嬉しくなる。
…いや、喜んでる場合じゃないんだけどね。
自分で自分に突っ込んで顔を上げると、同じようにティーカップを置いたアイリーンが、不審そうな顔で私と青年を交互に見た。
「──で、どういうこと?」
「いやそれはこっちの台詞なんだけど」
言いつつ青年を見上げる。青年は私の隣の椅子に腰かけ、私を見て軽く首を傾げた。
「お前とアイリーンの関係は?」
「共立学校時代からの親友で取引相手、私が狩人やってるってことも知ってる」
「…ならいいか」
気の抜けた声で呟き、青年がサングラスを外した。
あらわになった紫紺の瞳に、アイリーンが目を見張る。
「──俺の本名は、ルーカス・ブレット・クレメンティ。セラフィナ・アッカルドの婚約者だ」
そう、青年はルーカスだった。
気付かないはずがない。声が同じだし、態度も同じだし、目元を隠したくらいで誤魔化せるわけがないのだ、この超絶美形は。
…貴族、それもこの街のトップの息子が、どうしてこんな平民向けの借家に住んでるのかは、ちょっと問い質したいところだけど。領主が「ルーカスは大丈夫だろうか」とかわざわざ私に訊いてきたのって、そもそもルーカスが家に帰ってないからか。そういうことか。オイ。
ルーカスの名前を聞いて、ヒュッとアイリーンが息を呑んだ。
そして何を思ったか無言で立ち上がり、テーブルを回りこんで近付いて来て、何故か私の肩をガシッと掴む。
「ちょっと! お相手がこんな美形だなんて聞いてないわよ!?」
「そこ!?」
がっくんがっくん揺さぶられながら、私は思わず叫んだ。
夏の一件の後、アイリーンには婚約者ができたとだけ伝えていた。領主館の騒ぎのことや狩人の仕事のことなどは詳しく話せなかったので、本当にそれだけ。
でも、アイリーンは根掘り葉掘り聞くでもなく、「貴女が自分で選んだ相手なのね?」とだけ確認して、あとは素直に祝福してくれた。
──のだが、これは一体どういうことか。何故私は今、責められているのだろうか。納得がいかない。
「アイリーン、ちょっ、落ち着いて…!」
視界が前後に揺れて気持ち悪い。私が何とか言葉を絞り出すと、アイリーンはようやく動きを止めた。肺の空気を全部吐き出すような深い深い溜息をつき、元の席に戻る。
「──つまり、あなたたちお互いに、隣が婚約者の家だって気付いてなかったわけ? どういう経緯よ」
態度がものすごく投げ遣りだ。クレメンティと名乗った時点でルーカスが貴族だと気付いているはずだが、貴族向けの対応をする気はないらしい。
まあアイリーンの口ぶりからして結構長い付き合いみたいだし、今更態度を改めるのも…ってところだろうか。
…何故だろう、何かモヤッとする。
「私は気付いてなかった」
胸中の違和感を無視してアイリーンの問いに答え、でも、と私はルーカスを見遣った。
「ルーカスは知ってたはずだよね? 夏にウチに来たし」
魔力枯渇で動けなくなった私の入院準備のため、ルーカスは狩人管理事務所からウチまで、私を運んでくれた。
あの時のルーカスの不自然な反応の意味が、ようやく分かった。
それまで顔もろくに知らなかった狩人の同僚が実は隣に住んでたなんて、そりゃあ動揺もするだろう。
…あれ? 隣人がルーカスってことは、黒板の主もルーカスってことで…私、ルーカスと雑談してたってこと?
遅れてその事実に気付き、耳が熱くなる。顔も知らないはずの人だから気軽にやり取りしてたのに、何か滅茶苦茶恥ずかしいな…!?
「…俺が知ったのはその時だ。それまでは知らなかった」
ルーカスが眉を寄せて呟く。アイリーンが呆れ顔になった。
「その時話せばよかったじゃない。何で今まで隠してたのよ」
「……話すタイミングが見つからなかった」
「あー…まあねぇ。忙しいし」
私は思わず苦笑いになる。
まともに話ができるのなんて狩人の待機時間くらいなのだ。プライベートな話題など口にできるわけがない。私だって、魔鉱細工師だということをルーカスに伝えられていない。
「交際も仮婚約もすっ飛ばしていきなり婚約したんだから、ちょっとくらいプライベートの時間確保しなさいよ」
「…」
「ははは…」
ついこの間、同じように「ちゃんと二人で話す時間を作れ」とパイソンとウルフに説教されたばかりだ。笑うしかない。
思い切り目を泳がせていると、ぱん、とアイリーンが手を打った。
「──ま、そういうことは後で何とかしなさいな。で、ルーク──じゃなかった、ルーカス、ここからは仕事の話よ」
この超絶美形を真正面から見据えて顔色一つ変えないのは、流石高級宝飾品店の副店長である。
アイリーンが真顔になると、ルーカスも表情を整えた。
「オーダーか。珍しいな」
「ええ。──この前貴方の依頼で発注した天藍メノウの原石、大きいのが手に入ったんだけど、それで作ってほしいものがあるの」
「…作ってほしい、もの?」
普通の宝石研磨の依頼ではないと気付いたようだ。アイリーンに目で促され、私はルーカスの前にメモを差し出す。
「天藍メノウで、ペンみたいなものを作ってほしい」
「……何に使うんだ?」
ルーカスが困惑気味に首を傾げた。疑問に思うのももっともだ。私だって、宝石で道具を作るなんて想像もしていなかった。
「ミスリル銀に刻印を入れるのに使う。私は、魔鉱細工師だから」
私が言うと、ルーカスは一瞬軽く目を見張り、その後すぐになるほどなと呟いた。
「魔法金属の鉱石にやたら目の色を変えていたのは、そのせいか」
「そういうこと」
狩人が狩るデモンは、倒すとミスリル銀やオリハルコンといった魔法金属の鉱石を落とすことがある。
私は、それと引き換えに貰える割引券を使って、狩人管理事務所で魔法金属のインゴットを購入している。ルーカスはそれを何度も見ているから、長年の謎が解けたという感じなのだろう。
私が頷くと、ルーカスはメモに視線を戻した。
「希望のサイズは?」
「引き受けてくれるの!?」
「…まあ、注文した天藍メノウ自体、削ってみたかっただけで、用途を決めてたわけじゃないからな」
天藍メノウは大変な高級品なのだが。削ってみたかっただけって、ちょっとした興味で費やす金の桁が違う…。
私がマジかよと呻いていると、アイリーンが苦笑して立ち上がった。
「そういうことなら、後は2人で詳細を詰めて頂戴。天藍メノウは今日中に届けさせるわ」
もう帰る気らしい。アイリーンは私とルーカスを交互に見遣り、にやりと笑った。
「婚約者のいる女性が独身男性と2人きりなんて外聞が悪いけど、相手が婚約者本人なら何の問題もないものね。どうぞ、2人でごゆっくり」
言われて気付く。アイリーンが帰ったら、婚約者の自宅にお呼ばれてしているのと同じ状況になるのだと。
「え? ちょ、アイリーン!?」
「じゃ、私は忙しいから! セラ、後で話聞かせなさいよ!」
私が顔を赤くして立ち上がった時には、アイリーンは既に出口の近くにいた。
キラキラした目でグッと親指を立てるポーズを取った後、扉を開き素早く出て行く。
「…え……」
「…」
パタンと扉が閉まり、何とも言えない、微妙な沈黙が落ちた。
とてもイイ仕事をするアイリーン。いいぞもっとやれ。




