第286話 簡易翻訳機
天空都市の中央には、巨大な白い神殿がそびえていた。
その最奥で、天使族の長が玉座に腰を下ろしている。白銀の翼、黄金の装飾、そして威厳ある佇まい。
(やっぱり偉い人だったか)とカイルは内心で呟いた。
リヒトが一歩前へ進み出て、恭しく頭を下げる。そして古代語で会話を始めた。長も頷きながら、穏やかな表情で言葉を返す。しかし、カイルたちには何を話しているのかまったく分からない。
「さっぱり分からない……」とナルサがぼやき、キキも「完全にお手上げね」と肩をすくめた。
母は「リヒトちゃんを信じるしかないわね」と苦笑いを浮かべる。
その頃、飛行船の中では、ミーナが一人、演算装置の前に座っていた。
「小型護衛ゴーレム、音声受信開始」
実は、カイルが家族へ配った小型護衛ゴーレムには、通信機能がひそかに搭載されていた。神殿で交わされる会話は、リアルタイムで飛行船へと送られてきていたのだ。「古代語データ収集中……単語照合……文法解析……」
ミーナは膨大な演算を高速で処理していく。そして数十分後、「解析率、七十二パーセント。実用可能と判断します」
工房スペースに移ったミーナは、さっそく小さな魔導具を作り始めた。魔石、小型魔法陣、音声変換装置。
それらを組み合わせ、やがて完成したのは、手のひらサイズの魔導具だった。
「簡易翻訳機、完成しました」
ミーナはすぐに神殿へと向かい、カイルたちのもとへ駆けつけた。「失礼します」
「できたか!」とカイルが目を輝かせる。
ミーナは頷きつつも、「完全ではありません。ですが、会話内容は理解できるはずです」と付け加えた。
翻訳機を起動すると、淡い光とともにブゥン……という音が響いた。古代語の音声が、次の瞬間には共通語へと変換されていく。
「おぉ……」と全員が声を漏らした。
「分かる!」とナルサが目を丸くし、キキも「凄い……」と呟く。
母は「こんな短時間で?」と驚き、ヒカリは「ミーナ、すごい」と素直に感心した。
リーナも「これならお話できる!」とはしゃいでいる。
カイルは思わず笑った。「流石、ミーナだ」
ミーナは少し照れくさそうに、「ありがとうございます。ただ、まだ誤訳する可能性がありますので、ご注意ください」と付け加えた。
翻訳機からは、リヒトと天使族の長の会話が流れてくる。
「……遠き地より来た者よ」
「私達に敵意はありません」
「それは理解している」
翻訳機は、二人の言葉をしっかりと伝えていた。カイルたちは、ようやく天空都市の住人たちの言葉を理解できるようになったのだ。
そして、長が続けて放った一言が、カイルたちを驚かせることになる。
「地上の民が、この都市へ辿り着いたのは……数千年ぶりだ」
神殿の空気が、静かに張り詰めた。天空都市に隠された歴史が、今まさに語られようとしていた。




