七話
両親がいる。...笑ってる?下を向くと、ご飯がある。お母さんが作った生姜焼き。千切りキャベツも一緒にある。そうか、僕はこれが好きだったんだ。
幸せだったし、これからも幸せなんだろうなとか、舐めたことを思っていた。
場面が変わる。
学校だ。普通の、何ともない学校生活だ。部活はやってなかったから、同じ帰宅部の友達と帰宅するのが日常だった。
それから、一ヶ月そこらが経ったある日。
健也はリビングでテレビを見ていた。その時にはお父さんは新聞を見ていて、お母さんは友達とランチに行くと、家にはいなかった。
ふと、台所から物音がした。何だと思って、台所を見に行く。
台所に行くと、なんとなくお皿が目に入った。透明な、ガラス製の簡素なお皿。
それに、何かが反射して、写っている。知らない人影。
ドス。
自分の下腹部を見る。ツーーっと、血が流れていた。ナイフを触って、自分に何が起きたのか、異変を感じた箇所に目を落とす。そして、思い知る。
刺された。刺された刺された刺された。
訳が分からなくて、しどろもどろに後ろに退ける。
ナイフが自分から来たような、意味の分からない事態を逡巡する。
だけど、痛くなかった。何ともなくて、健也は周りを見る。
父が鬼気迫った形相で、健也を揺すった。それじゃ意味がない事に気付いたのか、どこかに電話を掛け出した。
ふと、刺されているのに、何故自分はこんなに冷静なんだろうと思った。
そして、異変に気付いたのだ。健也は自分を見下ろしていて、父の背後には、男がーーー
◯
「!!!....はぁ、はぁ」
目が覚めた。
思い出した。思い出したんだ。全て思い出した。
「はっ...はっ...」
健也は頭を整理しようと、息を整える。
整えて、考える。それでも、分からない。ましてや、健也の記憶には、将真という男は現れなかった。生前に会わなかったという事なのだろうが、それでは将真がごめんなさいと言っていた意味が分からない。
でも、分かったことはあった。
「あの同居人は、お母さんだったんだな...」
そのことを知って、涙が出そうになる、でも、心とは裏腹に、目からは何も出ない。何故だろう、壊れてしまったのかな、などと、慌てて自分の身体を触ろうとした。
「あ...あれ?」
自分の身体を見ると同時に、場所に目が言った。そこは予想していた場所とは異なっていて、自分がベッドの上にいないことに気が付いた。周りを見ると、ベッドは前にある。
ベッドの上には健也がいた。
おかしい。戻った筈なのに、なんでいるんだ?今の健也は、記憶も、身体も取り戻して、ベッドの上に居るはずなのに。
いや、そんなの一つしかない。
「もしかして、また、幽体離脱...?」
健也は驚いた。こんなことがあるんだなと。もう自分は現実ではない、みたいな世界にいるんだなと。
こんなに都合の良い事は無いと喜んだ。
◯
「良いの?京香。置いてきちゃって」
「言ったでしょ。後で諸々話せば良いって。今は良いの」
京香達三人は、エントランスから外へ出て、歩き出す。
「...でも、健也君は、納得しないと思う、よ?」
「それでも良いのよ。どっちみち、今ここで話したら、あの子、ついていくとか言い出すかも知れない。万一の為に、話せないわよ」
「そうじゃな。京香の言う通りじゃよ」
幽体離脱というのは、何かの拍子に、魂が抜け落ちてしまうこと。極小数ではあるが、これは体質で起こりやすい者がいる。
命の危険は、線。身体と霊体が繋がれている線を切られてしまうことだ。尤も、線の視える人間は稀も稀。そんな事が起こる可能性は皆無、とされている。
と同時に、幽体離脱は一度身体に戻ると身体に固着され、二度も同じ対象に発生することは過去に例が無い。故に、健也はもう霊体になることは出来ない。三人はそう高を括っていた。
後であった事を話せば良い。健也は納得しないだろうが、それでも、少しでも殺される危険性がある場所になんて行かせられない。めでたしめでたしだ。
車に乗って、岩野真はアクセルを踏む。そのまま、病院を出る。
◯
「いない...」
何故いないのか。京香達はどこにいったのか。トイレ?3人共全員?そんな訳がない。
答えは決まっている。健也を置いていった、ということだ。おそらく、決めていたんだろう。三人ははなから、ここで健也と別れるつもりだったのだろう。
そうはさせないぞ。
エントランス出口をすり抜けて、駐車場を見渡す。
どこだ、どこにいる。
注意深く、周りをじっくりと、間違いが無いように見る。車をどこに停めたのか、忘れてしまったのである。なので、右から左へ、ゆっくりと。
いた。岩野真に似合わない、青い軽自動車。あれだ。それはもう動いている。直行しても間に合わない。どうするか。今すぐあそこに行って確かめなくてはならない。将真のことも、自分のことも。
健也は入り口に突っ走った。ショートカットで入り口に行けばギリギリまだ間に合う。と、思う。間に合ってくれ。
「おおおおおおお!!!」
目的の車は入り口に差し掛かる。それに呼応するように、健也も足のギアを上げる。爆速だ。これ以上全力で走ったことがないくらい、爆速だ。もちろん霊なので、疲れるということはない。疲労を気にせず走り続けられる。霊体万歳だ。
車窓からみぞれが、こちらを見てギョッとしている。今気付いたのか。遅いぞ、もう。
車目掛けて、満を辞して前にジャンプする。疲労も感覚も、無い無い尽くしの霊体だが、心はある。心が全力であれば、身体も全力なのだ。
「うおおおおおお!!!」
走る車の窓にゆく。
車窓にダイレクトですり抜けて、間一髪、意識を変える。感覚的に、ドン!と音のするようなけたたましいぶつかりを、車内の後部座席で鳴り響かせる。
「きゃ!」やら「ぬ!?」やら、やかましいびっくり声を聞く。どうやら間に合ったらしいことに少し感傷的に浸ってから、京香に目を向ける。
因みに、この時の体制は、後部座席の端で、頭を下に、背中を窓に、足を天井に、まるで糊で張り付いているようだ。目を向ける、というよりは、必然的に目が合ったのだ。
健也は、顔を京香の膝の上に乗りながら、いう。
「なんで置いていくんですか。京香さん」
京香はとても嫌そうな顔をしてーー当たり前だ。急に車窓から飛び入って来て、その上自分の膝の上に青年男の顔が乗り、何で置いていくんですか、なんて。ーーいった。
「気持ち悪い」
◯
「気持ち悪い」
気持ち悪い、確かに京香はそういった。普段なら傷つく。普段なら傷ついたこの言葉も、今の健也にはなんの傷にもならない。ただ今は、言いたい事を言うだけだ。
「勝手に置いていくあなた達の方が、よっぽど気持ち悪いですよ」
「いいえ、あなたの方が気持ち悪い」
「いえ、絶対にあなた達のほうがきもいです」
「きもい」「きもい」
健也はいつもとあるまじきムキさで、京香に楯突く。きもい、きもい、と、よくわからない押し問答の末、岩野真が遮る。
「いやはや、驚いた。どういうことじゃ」
岩野真が信じられないというような顔で聞いてきた。
「...分からないです。身体に入ったと思ったら、すぐに戻ってしまいました」
ふむ、と悩む素振りを見せながら、岩野真ハンドルを握っている。
「記憶は...戻ったんだろうな。お主の顔が大人びている。...記憶を取り戻した衝撃か...?」
またもやふむ、と、岩野真は独り言のように呟く。今の健也は少しハイになっているので、岩野真にもお小言を言ってやろうと、軽い決意を漲らせた時、京香が健也を持ち上げた。
「いつまでその格好でいる訳?前に座って」
京香は健也を持ち上げて、組み立てるように前の座席に座らせた。少しシュールだ。
「...て、あ、あれ?健也君、戻って来ちゃったけど、良いの?」
と、みぞれが焦り出した。だから言ったじゃないか。もう遅いと。
「全部話してください。僕は自分の身に起きた事を、知りたいんです。それに、将真のことだって!」
「...分かった。全部話すわ。聞かれた事全部」
つい熱くなってしまったことに気が付き、ごほんと、少し間を置いて、それから息を整えて、いう。
「僕の身に起きたことについて。将真のことも、あなた達のことも、洗いざらい教えて下さい」
「記憶を取り戻して、今分かっていることは何?」
「...ええと、あまりよく分かっていないです。ただ、僕は誰かに殺されかけて、幽体離脱、をしてしまったことだけ、です」
そう、と、京香は居住まいを正す。
「あなたのことを話すには、先に私の話をした方が良いわね」
京香は息を吐いて、思い出すように、ぽつぽつと話し出した。信じられないような、地獄のような過去を。




