五話
翌日、健也達はホテルを出て、外に出る。霊体なので健也には寝る必要がないのだが、いざ目を瞑ってみると、意外にも時間は早く経つものだ。些かの寝覚めを体験した後には、すぐに出発の準備は整われている。
これから健也は、己の身体に戻りにいく。そう考えると、ふわふわとした感覚に襲われる。
そのまま駐車場に着いて、車を捉えた時だった。
「待て」
岩野真が、右手を広げて健也達を止める。
「なにかあるの?」と、京香。みぞれは、少し後退り、怯えている。
その時、こちらを見る、不審な男がいた。不審というのは失礼かもしれないが、明らかにこちらを見ていた。無精髭を生やし、痩せぎすの男。目は髪で覆われていて、よく見えない。
すると男は、大きな声で、悲しげな声で叫んだ。
「将真ぁ!お前は、節鳥健也を見殺しにした!」
何を言ったのか、聞き取れなかった。いや、細かく言うと、聞き取れてはいた。健也はその言葉を上手く処理できなかった。つまり、健也にとって不都合な言葉だったのだ。ようやっと理解すると、何故この男は自分達の名前を知っているのか。という、なんとも暢気なことを思った。しかしその暢気は、岩野真の、怒声のような声に掻き消された。
「みぞれぇ!隠れとれ!」
「.....うん!」
すぐさま岩野真は走り寄る。その瞬間、岩野真の体に、禍々しい、靄のようなものが覆った。少し遅れて京香も同じように、体に靄を覆う。
それと同時くらいに、男は再び大声で、何かを叫ぶ。
「お前は、見殺しにしたんだ!何も出来ず、見殺しにして、そして殺された!お前は、許されない!節鳥健也は、お前を許さない!」
その時、ゾクゾクと、恐怖が電流みたいに流れ出した。恐怖の先は、車だ。つまり、将真。
将真はいつの間にか、外に出ていた。
「ーーーなさい」
遠くて、言葉までは聞こえない。怖い、と同時に、将真の方へと、じりじりと歩み寄った。
健也はこの時、慢心していた。今までの将真から、自分が止めればなんとでもなる、なんて、驕りがあったのだ。
「ーーんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
また、将真の平坦な、心がないような、機械的な声が、健也の霊体に直撃する。
「将真ぁ!止めろ!」
その言葉は聞こえなかったのか、いや、聞こえていた筈だ。だが、将真は健也の言葉を無視した。
車が浮いた。将真の目の先の車が、頭を上に出して、不自由に浮いている。
「ごごごごごめめめめめめめめめめ」
将真が段々と、壊れていく。
「健也!遠くにいくんじゃ!」
岩野真の怒声が響いても、健也は歩みを止めない。
「将真ぁ!今すぐ止めるんだ!車を降ろせ!」
将真は声を聞き取ったのか、視線を健也に向けた。
良かった。これで止められるーーー
「ごごごごめめめめめめめめごごごごめめ」
すると、声と同時に、浮いた車が健也目掛けて突進する。
「むぅっっ!!!」
ドォン!!
間一髪、車が直撃する前に、岩野真が健也を手に取り、引っ張ったので、助かった。
「誰なのよ、あの男!」
京香が将真に走り寄り、黒い手袋をした右手で、将真目掛けて拳を繰り出した。
その行動は読まれていたのか、将真は後退り、あっさりと避けられる。
「...一体誰だ。あの男は」
岩野真が声を漏らした方向を見ると、あの、痩せぎすの男が、将真に近づく。
「ごごごごめめめめ」
それに気づいたや否や、男の服が胸を中心に飛び出して、空中に浮かんだ。
「...させない!」
京香が素早く拳を繰り出すが、遅かった。
男は上がり、上がり、上がりきったところで、勢いよく下に直下した。
ぐしゃ、というような音が響いた。頭から、勢いよくコンクリートに直撃して、血が吹き出した。
「....っっ!」
コンクリート一面に。他の車にも、岩野真、京香にだって、血が撒き散らされた。
吐きたい。吐きたいのに、吐けない。この霊体は、なんと不自由なことか。
ボワぁっと、背後から音がする。振り返ると、車が激しい炎を上げている。
将真は今どうなっているのか、視界を正面に戻した。
「....あっ」
京香の、黒い手袋を付けた右手が、将真の胴体を貫通していた。




