三話
昼休みが終わる10分前に、クラスに戻る。いつもやっていた筈のすり抜けを新鮮な気持ちでやり切ると、将真は驚いた様子でこちらを見ている。いつもは授業までギリギリで来るのに、とでも言いたげだ。
「どうしたよ。いつもはギリギリに来るのに」
「...ああ、ちょっとね」
予想していた返答と全く同じなことにも気付かずに、健也はどこか上の空だった。それもその筈、あんなことがあったのでは無理もないだろう。
将真は不思議がりながらも、特段気にしてもいないようだ。
悪霊。
なんて、考えられない。
「お前は、僕を殺したのか」
健也はその文言を、まるで他人事のように、口から発せられた。
つい、言ってしまった。冗談まじりに言ってしまった。我慢ならなかった。
どこかで、将真は霊ではあっても、悪霊なんぞという、世間でいう危険なものでは無いと、たかを括っていたのだ。
「ごめんなさい」
その時、全身が総毛だった。
ごめんなさい。
その言葉というより、声の発し方だ。どこか平坦で、まるで心がないような。
怖い。将真なのに、友達なのに、恐怖が全身に巡ってくる。
「ごめんなさい」
同じ言葉を発した。以前とまるで様子が違う。健也のあの言葉を皮切りに、突然違う人間になったかのように。
「おい...将真?」
「ごめんなさい」
また、ごめんなさい。
「な、何がだよ...おい、しっかりしろよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
これは、ありふれた光景なのだろうか。
将真を軸とするように、机は浮かび、椅子も、チョークの破片だって、教室内のものが疎らに浮かんでいた。
健也は、唖然とするしかなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなかさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
まるで、機械だ。
足が震える。ここから逃げたい。
怖いのを押し留めて、なんとか言葉を紡ごうとするが、声が出ない。ごめんなさいって、なんだよ、意味が分からない。一体、何を謝ってるんだよ。
ーー「将真とやらは、悪霊じゃ」
ーーー「もとい、霊というのはいわば生前の執念だ」
先程言われた言葉を思い出す。
そんな訳、ないじゃないか。将真が、僕を殺して。
いや、違う。
健也は首を振って、とにかく足を踏ん張る。
何かを言わなければ。
「と、取り敢えず。その連呼と、物浮かべるの、辞めてくれないか...?」
健也は震える声でいった。駄目も承知でいった。
すると、あろうことか、声は止み、机も椅子も、チョークの破片も、すべてが、音を立てて落ちていく。
「どうしたよ。いつもはギリギリに来るのに」
そうして、当の将真は、先の言葉を同じ調子で、同じ顔でいった。
◯
自覚してみると、自分がやっていたことを振り返ることが出来る。そしてその感想は、何をやっていたんだろう、だ。
筆箱や教科書を持っていないのも、ドアの擦り抜けも、机の張り紙も、考えてみれば、いや、考えなくても分かる。おかしいのだ。
「良かった。来てくれて」
いまだって、こんな風に車の中に乗っているのも、全てがおかしいのだ。
「...はい」
健也は、渋々と言った感じで返事する。先程の将真のことといい、もう信じるしかない。ヒステリックに嘘とも言えない程には、真実なのだ。
後部座席には右から、将真、健也、京香といった並びで、運転席に岩野真、その隣にはみぞれという構図だ。隣に知らない人、ましてや年齢もさして変わらない女子というのは、健也にとっては緊張の対象だった。
まあ、今の事態もあってか、緊張に割く脳の割合は残っていなかったので、何事も無く話せるのは、もしかしたら健也にとっての一番の幸運だったかもしれない。
「もう、信じます」
その時、車に戻った時に言われたことを思い出して、気を付けながら喋る。
ーー「あなたが将真君に言えばなんとでもなる話だけれど、出来るだけ霊の類の話は避けて欲しいの。暴走する可能性があるから」
あの時のようになるかもしれない。もちろん、健也が止めれば将真は止まるだろうが、もうあんな気分はこりごりだった。慌てて、話を変える。
「これから、どこに行くんですか?」
「ああ、これから儂らの泊まるホテルへ行く。まずはそこで、必要な事を教えちゃる」
岩野真が、不的な笑みを浮かべながらいった。




