十五話
「ーーーな」
声がした気がした。聞き覚えのある、馴染みのある声。
前を見れば、首が飛んでいた。妹の夫だ。それはひらひらと、宙を舞って居間中を侵食していく。
何かを考えている暇などない。これは異常事態だ。即座に妻と目配せをして、京香を抱き抱え、居間を出た。後ろにあるのは、凄惨な悲鳴。お構い無しに居間から離れる。
「...はっ...はっ」
背後から悲鳴が止んだ。代わりに、どうしようもない嫌悪感が、怒涛に押し寄せてくる。
庭へ出る。頭が混乱して、とにもかくにも逃げろという信号に従って足を上げてきたのが災いしたか、無駄に広い屋敷が災いしたか、おそらく両方だろう。いや、例え出口に出たとしたって、この運命は変えられなかった。
腕の中にいる京香が、少し動いた。それまで、真矢の腕に引っ掴んで固まっていたのに、何かを視つけたのか。
背後を視た。
「真由子!!」
抱き抱えていた京香を妻に任せて、真矢はその場に止まった。妻は勇敢で、それでいて誰よりも娘を愛している。このまま走って、こいつから逃げ仰せるまで、時間を稼ぐ。
「....何してんだよ、あんた!!!」
目の前には、正真正銘、真矢の叔父がいた。正確には、叔父の霊。何がどうなって、どうしてこんな事になったのかは知らない。知るわけがない。分かりたくもない。叔父が、姉を殺して、その旦那を殺して、子供を殺して、そして、真矢達を殺そうとしているなんて。
「皆殺し..」
何を言っているのか。そう思ったのも束の間に、刀が横一線に真矢の首元目掛けてやって来る。
「ただでは逝かない」
ーーは。
「帷は..」
ぐわんぐわんと、次元が歪むような感覚と共に、目の前の目まぐるしく回り続ける景色が遠くなっていく。意識が、遠くなっていく。
「私の、もの」
ーーーそうだ。京香は。逃げたか。逃げれたか。こんな、箸にも棒にもかからない時間で、霊から、この霊から逃げるなんてこと、出来るのか。ああ、逃げてくれ。お願いだ。生きて、生きてくれ。
もし、追いつかれてしまったら、俺のようにあっさりと、首を切断されてしまうのか。
そんなこと。
そんなこと、させない。
京香は、俺が守る。
◯
気付いた時には、目の前にいる老人の霊が消えかかっていた。
京香は。
周りを見ると、京香が一人ぽつんと、地べたに伏せていた。だが、顔はこちらを凝視している。
京香は、俺が守る。霊では、駄目だ。
老人の霊が消えると、目の前に男がいるのが見えた。男は真矢と背丈が似通っていて、霊力も備わっている。
真矢はすかさず、男に近寄った。男はぽかんとするように、こちらを視ている。
「お前の身体を寄越せ。でなければ、お前の大事なものを、壊す」
男は奥にいる男と女を見た。そこで理解した。この男は、あの二人が大事なのだと。
男は青くなった顔で、真矢に喋りかける。
「し、真矢。どういうことだ。お前は...」
刀を上げた。刀は誰も持っていないのに、空中をゆらゆらと舞っている。そこで、男は理解したのか。
「それで良い」
◯
「叔父さん!将真君と叔母さんだよ!」
声高に、どこか嬉々とした京香に起こされ、深夜玄関へ赴くと、先の男と女がいた。真矢を見ると、男は青くなり、女は必死の形相となって相見えた。
京香に留守を任せて、二人についていく事にした。京香がどこかそうして欲しかったように見えたからだ。
ふと、女は止まる。そして、「ふう」と、息を吐かせてこちらを見た。
「これ、見て」
ポケットから出したのは、写真だった。その上に、マッキーで何か書いてある。
「これは?」
「あなたと身長、体重が似ている人。そして、霊力がある」
「それで?」
返答を間違えたのか、女はわなわなと震え出し、やがて半狂乱に叫び出した。
「ここに住所があるの!!!ねえ!!夫を返して!返して!!!」
「何故俺がそんなことをする必要があるんだ?」
「いいから返してよ!!ここに憑代があるんだから、夫でなくたっていいじゃない!!!」
「たとえ憑代であっても、乗っ奪れるかなんて分からない。話はそれで終わりか。では、もう俺は帰るぞ」
二人の顔など興味が無かった。一瞥すらしないで、真矢は帰路に帰る。
「っ...!」
背後から衝撃が来た。見れば、女が何かを投げたらしい。それに当たって、一瞬、気が遠くなった。
やばい、と、気を強く持って踏ん張る。体から出かけた霊体は、すんでの所で耐えた。耐えたが、体から霊体が出ている。そこを狙って、男が拳を繰り出すのが見えた。
この二人は、自分を殺そうとしている。そう理解すると、真矢は決めた。
「仕方がない」
女の服を浮かせた。男は霊力を纏っていたので、持ち上げることが出来ないが、女を浮かせられるのならそんなことどうでもいいことだ。
女を男に向かわせる。男は反応する間もなく、女と衝突した。
グキッ
という音がすると、女と男の二人は、地面に倒れ、固まった。
「ーーんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
まだ息があった男が何かを言っているが、真矢にとってそれはどうでもよく、今度は一瞥して、帰路に着こうとする。
しかし、憑代はそれを許さない。
「あ....ぁぁあぁああああああ!!!」
脳の髄から這い出てくるように、何かが溢れ出す。蠢いて、蠢いて、訴えているのか。
許さない。許さない。絶対に、お前を許さない。
怒り。何とも知れない怒りが真矢の中を暴れ回る。このままでは、飲まれる。
フラフラと、強い意志を必死に制して、京香が待つあの家に戻る。その間も、それは叫び続ける。許さない。許さない。許さない。
ふと、気がついた。死体を見ないように、それを探し出す。あった。写真だ。
ポルターガイストで写真を浮かせて、手元に手繰り寄せる。そこに写っているのは、真矢と似た身形の男だった。その上に、住所が書いてある。多分、男の住所だ。
この男を乗っ奪らなければ。
◯
いた。
あいつ。あの男。真矢と似た身形、そして霊力を持っている。この男を乗っ奪ることが出来れば、このどうしようもない程湧き出てくる一人の男の怒りは無くなるだろう。
乗っ奪るには、似た身形、霊力、この条件が必要だ。満たしている。満たしているのだが、あの男は視ることが出来ないようだった。霊を視ることが出来ないのなら、先のように、脅して奪うことが出来ない。
ならば、別の方法を使えば良い。男に入った事を認識されなければいい。その為には、男がそれ以外考えられない、という状況を作ればいい。乗っ奪る際の異物感を感じさせなければいい。
体を捨てた。もうこの体は必要がない。男の体はぺたんと眠ったように、車の中で固まった。
家をすり抜け、中に入ると、案の定、男が二人いた。目標の男と、その息子だ。
キッチンに目を向けた。それに集中すると。キッチンが音を立て、開いた。
音に気が付いたのか、男の息子が確認しようとキッチンに向かう。
真矢はそこからナイフを出した。それは浮かんで、空中を揺らめいている。
男の息子がキッチンの近くにまで寄ると、真矢はナイフに集中する。すると、ナイフが男の息子の腹に突き刺さる。
そこからは、実に簡単だった。
男の体に向かって、中に入った。そんな異物感も気付かなかったのか、すんなりと体の主導権を握ることが出来た。
これで、京香の元へ戻れる。




