第22話 幕間・昼に出る男(ガスパール視点)
手紙と、召喚状は、同じ日に来た。
手紙が、朝。召喚状が、昼。俺は、両方、寝ている時刻に受け取った。バティストが、寝台の横に置いた。バティストは、王都から戻って、また、口が少なくなっている。
手紙は、短かった。
事実だけだった。審理の日付。報告書。伯爵の主張。生垣、泥、馬の毛、庭師。十日後。召喚状が行く。
それだけ。
来なくていい、とは、書いてなかった。
来てください、とも。
署名は、レオニー。それだけ。
俺は、それを、三度読んだ。
一度目は、事実を読んだ。二度目は、書いてないことを読んだ。三度目は、署名だけ読んだ。
あの人は、頼まなかった。
門で、一度、頼んだ。昼に、来てください、と。あの人が、俺に、何かを頼んだのは、梳き櫛と、それだけだ。二度は、頼まない人だ。頼まれることに慣れていない人は、頼むことにも慣れていない。だから、一度で、全部だ。
俺は、考える、と答えた。
考える時間は、五か月、あった。実際に考えたのは、たぶん、あの人が街道の先に消えたのを見送った、あの朝から、ずっとだ。考えていない時間が、なかった。眠れない男は、考える。それが、病気だ。
召喚状は、長かった。
王室婚姻監督院。第二十七条。申立人ベルヴュー伯爵夫人レオニー。被申立人ベルヴュー伯爵フェリクス。伯爵の主張。夫人が夜、ラランド子爵の元へ通っていた疑い。子爵の出頭を求める。十日後。正午。
正午。
俺が、寝ている時刻だ。
夜、俺は、草地を歩いた。
ゲリゾンが、ついてきた。仔馬は、もう、仔馬ではない。半年で、肩が、俺の腰まで来た。母馬の腹の下から出て、俺の後ろを歩く。夜に。
「昼だ」
と、俺は、ゲリゾンに言った。
「昼の王都だ。俺は、五年、昼の街に入っていない。父の葬儀のあとから。昼の街は、音が多い。人が多い。光が多い。俺は、光が苦手だ。夜襲の夜、月がなかった。それから、光のある所で、目が、忙しい。忙しい目は、疲れる。疲れると、考える。考えると――いや、それは、お前に言うことじゃない」
ゲリゾンは、何も言わなかった。当然だ。
「俺の口は、夜の口だ。夜に、馬と、桶と、柵と、あの人に、喋る口だ。昼に、白い部屋で、監督官とか、伯爵とか、そういう人間に、通じるのか。分からん。通じなかったら、あの人は、不貞、という名を着せられる。俺の口のせいで。……つまり」
つまり、の先を、俺は、ゲリゾンの前で、しばらく、探した。
「つまり、行かない理由は、俺の昼だ。俺の昼は、俺の物だ。俺の物を、あの人のために使う。それが、貸す、ということだ。あの人は、返しに来る、と言った。俺は、貸す、と言った。貸すものが、夜だけだと、誰が決めた。俺だ。俺が、決めた。……なら、俺が、変える」
言ってから、俺は、自分の言葉を聞いた。
長かった。いつもの、途中で人が寝る長さだった。ゲリゾンは、寝なかった。馬は、立って寝る。寝ていたかもしれない。分からん。
厩に戻って、台帳を、出した。
種付けと出産の台帳。父の代から、一頭も欠かさず。
ゲリゾンの頁を、開いた。
『立会い バティスト(病欠)、レオニー(隣家)
所要 四十分』
俺は、それを、証拠だと思って書いたのではない。
台帳は、事実だ。誰が、いつ、どれだけ、そこにいたか。騎兵の馬を売る家は、これを付ける。誰も読まない。読まれるために付けるのではない。
あの人が、伯爵の慈善の報告書を持って出た話を、バティストから聞いた。伯爵が、自分の名で印刷した言葉を。読まれるために印刷したものが、読まれる場所で、読まれた。
なら、読まれるために書かなかったものが、読まれても、いい。事実は、事実だ。
俺は、台帳を、油布で包んだ。
明け方、俺は、眠らなかった。
いつもなら、眠る時刻だ。眠らずに、灰色の馬に鞍を載せた。バティストが、厩の扉のところに、立っていた。
「子爵」
「行く」
「昼だぞ」
「知っている」
「わしも」
「お前は、残れ。厩を。ゲリゾンを」
バティストは、帽子を、少し、上げた。
それが、この男の、全部だ。
街道に出たとき、太陽が、丘の上に出た。
俺は、目を、細めた。
五年、この光を、正面から見ていない。眩しい、というより、痛い。目が、忙しい。街道の、石の一つ一つ、木の葉の一枚一枚、光を返す物が、全部、目に入ってくる。夜は、こうではない。夜は、灯りの周りだけが、世界だ。
あの人は、この光を、馬の上で、初めて見たと言った。
目が痛くて、涙が出た、と。使ったものは、痛む、と。
俺の目も、痛かった。涙は、出なかった。出なかったが、痛かった。俺の目は、五年、使っていなかった。昼に。
一日目は、ひどかった。
二日目は、もっと、ひどかった。
俺は、夜、宿で眠れなかった。当然だ。真夜中から明け方まで、眠れない。だから、夜のうちに、馬を進めた。夜の街道は、俺の物だ。昼に休んで、夜に進んだ。それで、三日の道を、二日と半分で、来た。
王都の壁が、見えたのは、四日目の朝だった。
召喚の、六日前だった。
壁を、通った。
音が、来た。
あの人が、手紙に書いていない音だ。あの人は、事実しか書かない。音は、事実ではない。事実ではないものが、耳に、全部、入ってきた。車輪。蹄。声。鐘。俺の知らない音。隊の野営の音より、多い。野営は、夜、静かだった。あの夜、以外は。
ヴィダルの厩に、灰色の馬を預けた。
厩の頭が、俺を見て、「子爵……昼に」と言った。俺は、「昼だ」と答えた。それ以上、言わなかった。口が、いつもより、少なかった。昼の口は、少ないらしい。それは、良いことかもしれない。
モーヴが、いた。
奥の馬房で。俺を見て、耳を、一つ、動かした。俺は、首に、手を置いた。三日、あの人を運んだ首。
「返してもらいに来たわけじゃない」
と、俺は、モーヴに言った。
「返すのは、あの人だ。俺は、別の用だ」
監督院は、白い石だった。
柱が、六本。俺は、数えなかった。あの人なら、数えただろう。
廊下は、長かった。
窓が、多い。光が、床に、四角く、並んでいる。俺は、その四角の間を、歩いた。長靴の音が、した。俺の音だ。昼の音だ。
廊下の先に、人が、二人、立っていた。
窓のそばに。
一人は、侍女だ。ポーレット。名は、覚えている。
もう一人は。
立っていた。
寄りかからずに。
暗い緑の、乗馬服。長靴。日に焼けた顔。髪が、少し、光で、茶色に見えた。夜の草地では、髪の色は、分からなかった。
あの人は、窓の外を見て、侍女に、何か言っていた。短く。事実を。
俺は、止まった。
口が、動かなかった。
三十年で、初めてだ。俺の口は、動く。眠れない夜、焚き火の前、厩、桶の前、ゲリゾンの前。動かなかったことがない。それが、病気だ。
今、白い廊下で、光の四角の間で、俺の口は、動かなかった。
言うことが、なかったのではない。多すぎた。多すぎる言葉は、一度に、口を通らない。俺は、それを、初めて知った。俺の口は、いつも、一つずつ、順に、通していたのだ。今、順が、なかった。
あの人が、振り返った。
俺を、見た。
夜の草地で、五か月、俺を見た目で。ただ、昼の光の中で。
あの人の顔に、何かが、通った。俺は、それが何か、分からなかった。分からないことは、考える。考えると――いや、今は、いい。
「昼に」
と、あの人は、言った。
「来ましたね」
俺は、口を、開けた。
出たのは、一語だった。
「……ひどい」
あの人は、笑った。
声が出た。白い廊下に、それは、少し、響いた。夜の草地で、転んで、仰向けで、笑った声と、同じ声だった。ただ、昼だった。
「知っています」
と、あの人は言った。




