三話 優しい先生
「じゃあ、もう一問だけやってみようか」
星奈さんが新しい問題を書いてくれる。
さっき教えてもらったばかりの内容だ。
気合を入れて頑張らなくては。
「えっと……」
私は細く尖った鉛筆を改めて握り直した。
『2x+4=10』
天秤。
左右は同じ。
まずは四を反対側へ……。
「……六」
小さく独り言を呟きながら私は計算を黙々と進める。
「それで、二で割るから……」
私は恐る恐る答えを書いた。
x=3
「……できた」
自分でも少し驚いた。
「うん。正解」
星奈さんが少し嬉しそうに微笑む。
「スゴいね」
「ほ、本当ですか?」
「本当」
たった一問。
それだけなのに、胸の奥が少し、あったかくなった。
「じゃあ次は、この問題だよ」
「はい!」
さっきよりも少しだけ自信を持って鉛筆を動かす。
でも。
『4x−7=13』
「あっ……」
また止まった。
七をどうするんだっけ。
頭の中で天秤を思い浮かべるけれど、急に自信がなくなる。
どうしよう。
「ご、ごめんなさい……」
「謝らなくていいよ」
星奈さんは笑いながらノートをこちらへ寄せた。
「どこまで分かった?」
「えっと……四があることは分かります」
「うん」
「七もあります」
「うん」
「でも、その後が分からなくなりました……」
「なるほど」
星奈さんは少し考えてから言った。
「月岡さんって、途中まではちゃんと考えてるんだよね」
「え?」
「分からなくなった瞬間に全部諦めちゃうだけで、最初はちゃんと見てる」
そんなこと、考えたこともなかった。
星奈さんの観察力はスゴいなと感心した。
「そう……なんでしょうか」
「うん。だから頭が悪いわけじゃないよ」
その言葉に、思わずうつむいていた顔を上げた。
「本当に頭が悪い人は、考えようともしないからね。」
「でも月岡さんは、『どうしたらいいんだろう』ってずっと考えてる。」
「だから、教えればちゃんとできるようになるよ」
胸がじんわりと熱くなる。
そんなふうに言ってもらえたのは初めてだった。
今までは、
「もっと頑張りなさい」
「ちゃんと覚えて」
そう言われることばかりだったから。
気づいたら、
「……ありがとうございます」
自然と笑顔になっていた。
「でも、まだ先生って感じはしないな」
「え?」
「同級生なんだから、そんなにかしこまらなくてもいいよ」
「で、でも……」
「『星奈』でいいから。そのかわり、私も陽葵って呼んでいい?」
「私が名前で呼ばれるぶんには良いのですが、星奈⋯ちゃんでも良いですか?」
少し照れながら私は名前を呼ぶ。
「うん。いいよ」
「……あの」
「なあに?」
「星奈ちゃんって、教えるの上手ですね」
私がそう言うと、星奈さんは少しだけ目を丸くした。
「そう、かな」
「はい。先生より分かりやすいです」
「それは先生の前では言わないであげてね」
くすっと笑う星奈さん。
美しくて可愛らしいthe女の子って感じだ。
つられて私も笑ってしまう。
さっきまでシンと静かだった広い教室に、小さな笑い声が響いた。
その帰り道。
「今日はここまでにしようか」
「ありがとうございました!」
私は深く頭を下げる。
「また明日」
「はい!」
星奈さんは手を軽く振って夕焼け色に染まった廊下を歩いていく。
その後ろ姿を見送りながら、私は思った。
不思議な人だな。
静かなのに、一緒にいるとすごく安心する。
優しいのに、甘やかすだけじゃない。
そして何より——。
「また明日」
その一言が、こんなにも楽しみになるなんて。
私は知らなかった―――。




