第14話 改革反対派は、仕事をしない
第14話 改革反対派は、仕事をしない
王城の大会議室には、昼食を終えたばかりの重臣たちが集まっていた。窓は閉め切られ、暖炉には太い薪が何本もくべられているため、室内には炭火と香油と肉料理の匂いが残っている。長机の上には飲みかけの葡萄酒、皮を半分だけむいた林檎、誰かが置き忘れた革手袋まで並んでいた。
改革反対派の中心に座るベルトラン侯爵は、濃紫色の礼服の腹を窮屈そうに緩めた。昼食に鴨の丸焼きと茸のパイを食べたばかりで、胸元につけた金の鎖が息をするたびに上下している。その隣ではバーノン伯爵が銀色の爪楊枝を使い、歯の間に挟まった肉を取りながら書類へ目を通していた。
「有給休暇などという制度ができてから、王宮の者は怠けるようになった」
ベルトラン侯爵は、机へ置かれた改革報告書を指先で叩いた。報告書には、職員の平均勤務時間、休暇取得率、離職者数が記されている。改革前より処理件数が増え、間違いは減っていたが、侯爵はその数字を読まず、休暇取得日数の欄だけに赤い線を引いていた。
「先週も、財務局の文官が休暇を取ったため、私の問い合わせに対する返事が翌日になりました。これでは国政が滞ります」
ウェルズ子爵は、黄色い上着の袖についた菓子の粉を払いながら同意した。問い合わせの内容は、妻が注文した首飾りへ輸入税がかかるかという私的な質問だった。しかし本人は、伯爵夫人が建国祭へ間に合わなければ外交問題になると主張している。
「成果報酬も問題です。平民出身の文官が、伯爵家の次男より高い報酬を受け取るなど、身分秩序を乱します」
「まったくだ。高貴な血には、それだけで価値がある」
「我々の時代には、休暇などなくとも国は動いていた!」
侯爵が拳を机へ振り下ろすと、残っていた葡萄酒が杯からこぼれた。赤い染みが白い会議資料へ広がったが、彼は自分で拭こうとしない。壁際に控えていた若い侍女が急いで布巾を持ってきて、侯爵の袖を汚さないよう身をかがめた。
「おい、紙まで濡れているではないか。新しいものを用意しろ」
「ただいまお持ちいたします」
「早くしなさい。近頃の侍女は、指示をされなければ何もできん」
侍女は頭を下げ、濡れた資料を抱えて退室した。彼女の青い制服の袖口は擦り切れ、右手には洗剤で荒れた小さな傷がいくつもある。ベルトラン侯爵はその手を見ることもなく、用意された葡萄酒の残りを飲み干した。
大会議室の扉が開き、アイリスとレナードが入ってきた。アイリスは銀灰色の髪を後ろでまとめ、黒に近い濃紺の実務用ドレスを着ている。レナードは国王の正装である黒い上着に金の飾緒をつけていたが、午後の執務が残っているため、儀礼用の重い外套は身につけていなかった。
「陛下。王妃殿下。我々は王宮改革の撤回を求めます」
ベルトラン侯爵は立ち上がり、三枚の要望書を差し出した。アイリスは受け取る前に、侯爵の手元から葡萄酒の匂いがすることに気づいた。彼女は要望書を一枚ずつ読み、休暇制度の廃止、成果報酬の撤回、身分による役職任用の復活という三項目を確認した。
「理由をお聞かせください」
「先ほども申し上げたとおり、休暇は怠惰を生みます。働ける者が働けばよいのです」
「休まず働いているのは、誰でしょう」
「我々です。国のために何十年も身を捧げてきた重臣たちです」
「承知しました。それでは、勤務記録を確認いたしましょう」
アイリスが振り返ると、エマと四人の文官が木製の台車を押して入ってきた。台車には革表紙の記録簿が何十冊も積まれ、重みで車輪が低い音を立てている。一番上の帳簿には厨房から飛んだらしい油の染みがあり、別の帳簿からは乾燥した花びらが一枚はみ出していた。
「これは、何ですかな?」
「過去十年分の王宮勤務記録です。皆様がどれほど休まず国へ尽くしてきたのか、確認するために用意しました」
「十年分も調べる必要はなかろう」
「身を捧げてこられた記録です。遠慮なさらずご覧ください」
アイリスは最初の記録簿を開いた。そこには会議の開始時間、出席者、退席時間、決裁者が細かく書かれている。古い紙から乾いた埃の匂いが立ち、バーノン伯爵は鼻を押さえて顔を背けた。
「ベルトラン侯爵。昨年度、予定された会議は百八十二回。そのうち遅刻が六十七回、欠席が四十一回、昼食後の早退が五十三回です」
「領地の仕事もあるのだ。王宮だけが職務ではない」
「早退理由には、観劇、狩猟、仕立屋との面談とあります」
「貴族には社交も必要だ」
「狩猟場で雉を追うことが、どの外交に役立ったのでしょう」
会議室の端で、誰かが咳払いをした。ベルトラン侯爵は顔を赤くし、腹の前で金鎖を握った。アイリスは反論を待たず、次の帳簿へ手を伸ばした。
「バーノン伯爵。十年間で提出された決裁書は二千四百八十七件。そのうち、ご自身で内容を確認した記録があるものは三百十二件です」
「部下を信頼し、任せていたのだ」
「その部下が成果報酬を受け取ることには、反対なさるのですね」
「私の指導があったからこそ、部下は働けたのだ」
「昨年、伯爵の執務室にいた下級文官六名のうち、四名が過労で倒れています。面会記録によれば、伯爵が病室を訪ねた回数はゼロです」
「医師に任せたのだ。病気は私の専門ではない」
アイリスは帳簿を閉じ、別の薄い冊子を取り出した。そこには侍女、衛兵、下級文官、騎士たちの勤務時間が記録されている。暖炉掃除を担当する侍女は月に二日しか休まず、夜勤の衛兵は交代要員が足りないため、二十四時間続けて門へ立つこともあった。
「皆様の時代にも、国は動いていました。ですが、皆様が休まなかったからではありません」
「では、誰が動かしていたと言うのだ」
「会議の一時間前に部屋を整えた侍女です。皆様が帰宅したあとに議事録を作った文官です。夜会で余った料理を立ったまま食べ、夜通し門を守った騎士です」
アイリスは、葡萄酒で汚れた資料を片づけていた若い侍女へ目を向けた。彼女は新しい書類をそろえたあと、誰にも気づかれないよう机の脚についた泥まで拭いている。昼食をまだ取っていないのか、動くたびに前掛けのポケットから固い黒パンがのぞいていた。
「そして、皆様が提出しなかった書類を作り直し、先送りした決裁を引き受けていた歴代の王妃たちです」
「王妃が国へ尽くすのは当然でしょう」
「ならば、重臣が国へ尽くすのも当然です。身分を理由に高い報酬を受け取るなら、それに見合う仕事をなさってください」
ウェルズ子爵が椅子を引き、勢いよく立ち上がった。黄色い上着の裾が卓上の林檎へ当たり、半分だけ皮をむかれた実が床へ落ちる。子爵は拾おうともせず、アイリスへ指を向けた。
「王妃殿下は、我々を無能とおっしゃるのか!」
「いいえ。まだ確認しておりません」
「これ以上、何を確認するのです?」
「旧制度が優れているとおっしゃる皆様に、実際に運営していただきます」
アイリスは一週間分の王宮運営計画書を机へ置いた。参加者は改革反対派の重臣十二名。補佐役を務めていた下級文官には休暇を与え、業務分担表も成果報酬も使わず、改革前と同じ制度で仕事を進めてもらう。
「我々だけで、王宮を運営しろと?」
「昔はそれで国が動いていたと、先ほどおっしゃいました」
「王妃殿下は何をなさるのです?」
「制度比較のため、視察と記録を担当します。決裁には関与いたしません」
「よかろう。一週間もあれば、改革など不要だと証明してみせる」
ベルトラン侯爵が胸を張ると、アイリスは参加同意書を差し出した。侯爵はろくに読まず署名し、バーノン伯爵とウェルズ子爵も続いた。レナードは上座で書類を確認したあと、国王印を押した。
「一度署名すれば、途中で条件は変えられない。よいな?」
「もちろんでございます、陛下」
「開始は、来週の月曜日午前八時だ」
「八時ですか。少々早いですな」
「王妃は毎朝五時から働いていた」
レナードの一言で、反対派の口が閉じた。アイリスは昼休みを知らせる小型魔道具を確認すると、書類をエマへ預けた。葡萄酒の染みを片づけた侍女には、食堂へ行くよう声をかけてから会議室を出た。
一週間後の月曜日、午前八時。王宮の中央執務室には、改革反対派の重臣が三人しか集まっていなかった。机には外交会談の日程表、食料備蓄の報告書、騎士団の補給申請が積まれ、その横には朝食用の豆のスープが湯気を立てていた。
「侯爵閣下たちは、まだですか?」
記録係として参加したアイリスは、灰色の簡素なドレスを着て、部屋の隅に座っていた。膝の上には観察記録用の帳面があるが、仕事を手伝うための魔導ペンケースは持っていない。エマは隣の小机で編み物をし、冬に備えて濃緑色の靴下を作っていた。
「ベルトラン侯爵は、馬車の車輪が壊れたそうです」
「バーノン伯爵は、朝食後に胃の具合が悪くなったと」
「ウェルズ子爵からは、何の連絡もありません」
午前九時半、バーノン伯爵が青い礼服で現れた。髪には香油がたっぷり塗られ、歩くたびに薔薇の甘い匂いが広がる。手には朝食の残りらしい砂糖菓子の包みを持ち、会議室へ入ってからも一つずつ口へ運んでいた。
「全員そろっていないのに、始められるわけがないだろう」
「定刻を過ぎています。出席者だけで始めてはいかがですか?」
アイリスが尋ねると、伯爵は顔をしかめた。旧制度では、会議の開始は最も身分の高い出席者を待つ慣習がある。ベルトラン侯爵が到着しなければ、誰も議長席へ座れなかった。
「侯爵を差し置いて始めれば、礼を欠く」
「では、待つのですね」
「王妃殿下から、侯爵へ連絡していただけませんか?」
「私は視察担当です」
正午を過ぎても、ベルトラン侯爵は現れなかった。豆のスープは冷え、表面に白い脂が固まっている。重臣たちは空腹を訴え、厨房から昼食を運ばせたが、食事を始めた直後に侯爵が到着した。
「馬車の修理に時間がかかった。なぜ会議を始めていない?」
「侯爵閣下をお待ちしていたのです」
「急ぎの案件があるなら、始めればよかったではないか」
「旧制度では、身分の高い方を待つ決まりでございます」
「そのような細かい慣例にこだわるな」
結局、午前八時開始の会議が始まったのは午後二時だった。さらに侯爵が議題の順番へ口を出し、伯爵が席順の変更を求めたため、最初の決裁に入ったのは午後四時である。外交会談の日時を決めた頃には、予定より六時間遅れていた。
「一日目、会議開始が六時間遅延、と」
アイリスが帳面へ記録すると、ベルトラン侯爵は聞こえないふりをした。エマは片方の靴下を編み終え、毛糸の端を小さな鋏で切る。重臣たちは日没と同時に帰宅し、積まれた書類の大半は翌日へ持ち越された。
二日目の朝、最初に問題となったのは、冬季予算書の紛失だった。昨日まで机の中央にあったはずなのに、革表紙の冊子が見つからない。重臣たちは机の抽斗や書類棚を調べたが、古い招待状と乾いたインク瓶ばかりが出てきた。
「誰が最後に持っていた?」
「バーノン伯爵です。昨日、予算額を確認しておられました」
「私は侯爵へ渡した」
「受け取っておらん」
「では、机へ置きました」
「どの机だ?」
「この辺りです」
バーノン伯爵が指さした机には、別の書類が膝の高さまで積まれていた。改革後なら、受付番号ごとに棚へ収め、移動させた者の名前も記録する。しかし旧制度では、身分の高い者がどこへ置いても、下級文官があとから探して整理していた。
「王妃殿下。予算書がどこにあるか、ご存じでしょう」
「私は昨日から、あの椅子を動いておりません」
「普段なら、王妃殿下が管理している書類です」
「今週の責任者は皆様です」
「見つからなければ、北部の冬季手当が支払えないのですよ」
「ですから、お探しください」
昼を過ぎても予算書は見つからなかった。重臣たちは昼食に魚の香草焼きを頼んだが、誰が捜索を続けるかで言い争っている間に料理は冷めた。白身魚の上に載せたバターが固まり、切り分けるたびに皿の上でぼろぼろと崩れた。
予算書を見つけたのは、夕方になってからだった。ウェルズ子爵が持ち帰った菓子の箱の下に敷かれ、蜂蜜が表紙へ染み込んでいたのである。子爵は菓子箱を誰が置いたのか分からないと言い張ったが、箱には妻から彼へ宛てた手紙が結ばれていた。
「二日目、予算書紛失により決裁七時間遅延。原因は、保管担当者の未設定、と」
「いちいち声に出さずともよいでしょう」
「皆様にも確認していただく必要がありますので」
アイリスが記録を続ける横で、エマは編み上げた靴下を足へ当てて長さを確かめていた。つま先が少し長かったらしく、一度ほどいて編み直している。反対派の重臣たちは、その慎重さを少しでも見習えばよかったが、疲れ切った顔で書類を机へ投げ出した。
三日目、王宮運営は完全に止まった。外交局は隣国の使節団を迎える時間の決裁を求め、騎士団は防寒外套の発注許可を待ち、厨房は来月の食材購入費が決まらず困っていた。だが重臣たちは、誰の印を押すべきかをめぐって二時間以上言い争った。
「外交案件はバーノン伯爵の担当だ」
「私は昨日、予算書を探した。今日は侯爵がなさるべきだ」
「私は全体の監督者だ。細かい決裁は子爵が行え」
「もし隣国から苦情が来れば、私一人の責任になるではありませんか」
「責任者が責任を負うのは当然だろう」
「それなら、侯爵がお引き受けください」
誰も印章へ手を伸ばさなかった。改革前は、決裁者が曖昧な書類をアイリスの机へ置けば、彼女が関係者へ確認し、必要なら自分の名前で処理していた。しかし今週、その机には花瓶と水差ししか置かれていない。
「王妃が何とかしろ!」
ベルトラン侯爵は、ついに椅子から立ち上がって怒鳴った。前夜も遅くまで酒を飲んでいたのか、目の下は黒く、髭も片側だけ剃り残している。薄茶色の上着には朝食の卵の黄身がつき、乾いて丸い染みになっていた。
「ただいま私は視察担当です。どうぞ皆様でお続けください」
「国政が止まっているのだぞ!」
「皆様が優れていると主張された制度で運営しております」
「下級文官を戻せ。いつも書類を整理している者たちは、どこにいる?」
「休暇中です。ある者は家族と湖へ行き、ある者は家の屋根を修理しています」
「国の危機に休んでいる場合か!」
「本日は水曜日です。国の危機を作ったのは、月曜日から運営を担当している方々ではありませんか?」
会議室の壁際には、二日前から片づけられていない食器が積まれていた。固くなったパン、干からびた林檎の皮、底に茶渋が残った杯から、酸っぱい匂いが漂っている。重臣たちは侍女に片づけさせようとしたが、旧制度に戻すという条件に従い、普段彼らを担当していた侍女たちにも休暇が与えられていた。
「なぜ食器まで我々が片づけねばならんのだ」
「そのままでも構いません。ただし、明日にはさらに匂います」
「エマに片づけさせろ」
「エマは、私の記録補助です」
「先ほどから編み物しかしていないではないか!」
「王妃様の業務へ手を出さないことが、本日の仕事でございます」
エマは編みかけの二足目を持ち上げた。濃緑色の靴下は、今度は左右同じ長さに仕上がりそうだった。アイリスが親指を立てると、エマは小さく頭を下げ、また毛糸へ視線を戻した。
四日目、反対派の重臣たちは午前七時半に全員そろった。前日の混乱で懲りたらしく、ベルトラン侯爵は朝食を持参し、バーノン伯爵は自分で書類箱を用意していた。ウェルズ子爵に至っては、菓子箱を会議室へ持ち込まないと宣言している。
「まず、決裁担当を決める」
侯爵は大きな紙を壁へ貼り、各人の名前を書き始めた。しかし身分順を優先したため、外交も予算も騎士団も、侯爵自身の担当になってしまった。二時間後には机の上へ未処理書類が積み上がり、彼の姿は革表紙の山に隠れた。
「少し、分担を変えた方がよいのでは?」
バーノン伯爵がおそるおそる提案した。彼の髪にはいつもの香油がなく、寝癖が右側へ跳ねている。朝食に持参した干し肉入りのパンも、半分食べたところで机へ置かれていた。
「身分が上の者に重要案件を集めるのが、正しい秩序だと言ったのは誰だ」
「私ですが、これほど集まるとは思いませんでした」
「では、成果に応じて担当を変えるか?」
「それでは、改革案と同じになります」
「今はそんなことを言っている場合ではない!」
昼前には、各人の得意分野に合わせて仕事を分けることになった。計算の速い者が予算を担当し、外国語を話せる者が外交文書を読み、軍歴のある者が騎士団の申請を処理する。身分ではなく能力を基準にした途端、止まっていた書類が少しずつ動き始めた。
「このやり方なら進みますな」
「だが、成果報酬まで認めたわけではない」
「同じ報酬なら、仕事の多い者が納得しないのでは?」
「余計なことを言うな」
ベルトラン侯爵はそう答えたものの、計算を担当する男爵が誰より多くの書類を処理していることは見えていた。彼が小さな間違いを見つけるたび、北部の予算や食材の発注額が修正されていく。一方、伯爵の肩書を持ちながら外国語を読めない者は、封筒を並べる仕事しかできなかった。
五日目の朝、重臣たちは開始時刻の三十分前に会議室へ集まった。机は前夜のうちに自分たちで拭き、食器も厨房へ返してある。窓を開けて空気を入れ替えると、三日間こもっていた香油と冷えた料理の匂いが、秋の冷たい風に押し出された。
「昨日決めた担当表を使う。書類を動かすときは、この記録簿へ名前と時刻を書け」
ベルトラン侯爵は、自分で作った業務分担表を壁へ貼った。担当者、決裁者、提出期限が一目で分かるよう、色の違う札まで使われている。机の中央には休憩時間も書かれ、午後には十五分ずつ交代で茶を飲むことになっていた。
「侯爵閣下。これは、改革案とほとんど同じでは?」
「分かっている」
「休憩もございます」
「昨日、休まずに働いた男爵が計算を三度間違えた。休ませた方が早い」
「成果報酬はどうします?」
「……働いた分だけ払う」
午前中の決裁が終わると、ベルトラン侯爵は一枚の書類を取り出した。王宮改革への賛同書だった。署名欄へ名前を書き、印章を押すと、バーノン伯爵へ無言で渡した。
「署名なさるのですか?」
「一週間のうち、三日も国政を止めた。これ以上、意地を張れば本当に国が傾く」
「有給休暇は、怠け者の制度では?」
「昨日、二時間休んだ男爵が一番多く働いた。私も昨夜は八時間眠ったから、今日は頭が動く」
「我々の時代には、休暇などなかったとおっしゃっていましたが」
「なかったのではない。名目がなかっただけで、我々は勝手に狩猟や観劇へ行っていた」
バーノン伯爵は寝癖のついた髪を撫で、署名欄へ名前を書いた。ウェルズ子爵も続き、ほかの重臣たちも一人ずつ印章を押していく。最後にベルトラン侯爵は、十二人分の署名が並んだ書類をアイリスへ差し出した。
「王妃殿下。王宮改革案へ賛同いたします」
「撤回のお申し出ではありませんね?」
「ございません」
「成果報酬も?」
「認めます。ただし、正確な評価基準を作っていただきたい」
「それは皆様の仕事です。改革へ賛成した途端、私へ任せないでください」
「……承知しました」
侯爵は両手で賛同書を持ったまま、深く頭を下げた。五日前には滑らかだった礼服へ皺が寄り、金の鎖も片方が外れかけている。アイリスはすぐには書類を受け取らず、壁に貼られた業務分担表を確認した。
「この担当表は、よくできています。期限と責任者が明確です」
「昨夜、自宅で作りました」
「勤務時間外の作業は禁止です」
「では、いつ作ればよかったのです?」
「昨日の会議を定時で終え、残りを今日の午前中に作ればよかったのです」
「まだ改善の余地があるということですな」
「制度は、作って終わりではありませんから」
アイリスは賛同書を受け取り、視察記録の最後の頁へ結果を書き込んだ。旧制度では三日目に業務が停止し、四日目から業務分担、責任の明確化、休憩時間の設定、能力に応じた配置が自主的に導入された。その下へ、改革反対派全員が新制度へ賛同したと記した。
「ところで、今日の昼食はどうなっている?」
バーノン伯爵伯が尋ねると、ウェルズ子爵が大きな籠を机の下から取り出した。中には妻に作らせたという肉入りのパイ、茹で卵、林檎、固いチーズが人数分入っている。以前なら自分一人で食べていた菓子も、今日は小さく切って全員へ配るつもりだった。
「厨房へ頼まず、自分たちで用意しました。侍女たちも公休日だそうですから」
「よい心がけですね」
「王妃殿下とエマ殿の分もあります」
「では、いただきましょう」
窓から秋の風が入り、肉と香草を包んだ温かいパイの匂いが会議室へ広がった。重臣たちは自分で皿を配り、自分で茶を注ぎ、食べ終わった食器を重ねて籠へ戻した。片づけ方はまだ不器用で、杯を一つ倒し、林檎も二個ほど床へ転がったが、今度は誰も侍女を呼ばなかった。
「侯爵閣下。林檎が足元へ転がりました」
「見えている。今、拾うところだ」
ベルトラン侯爵は窮屈な礼服の腹を押さえながら、机の下へ手を伸ばした。転がった林檎は椅子の脚に挟まり、なかなか取れない。隣の男爵が机を持ち上げ、伯爵が椅子をずらし、三人がかりでようやく拾い上げた。
「林檎一つに、ずいぶん人手がかかりましたね」
アイリスが言うと、ベルトラン侯爵は赤くなった顔を袖で拭った。彼は拾った林檎を自分の上着で磨き、傷のついた側をナイフで切り落とす。それから残りを人数分に切り分け、一番小さな一切れを自分の皿へ置いた。
「今後は、床へ落とさないよう担当者を決めます」
「そこまで担当を決める必要はありません」
「では、落とした本人が拾うことにしましょう」
「それが最も分かりやすいですね」
五日間止まりかけた王宮は、翌週から新しい業務分担表に従って動き始めた。反対派だった重臣たちは、自分の担当書類を記録簿へ記入し、会議の開始時刻にも遅れなくなった。ベルトラン侯爵だけは昼食後に眠くなる癖が直らず、午後一時から十五分間の休憩を予定表へ正式に書き加えた。




