第13話 王妃の領地が儲かりすぎています
第13話 王妃の領地が儲かりすぎています
ルヴェリア公爵領の朝は、共同倉庫の鐘から始まる。まだ畑の上に白い霧が残る午前六時、低く太い鐘が三度鳴ると、荷車を引いた農民たちが村々から集まってきた。倉庫の前には土のついた蕪、赤い林檎、小麦粉の袋、乾燥させた薬草が並び、荷馬車の汗と藁と湿った土の匂いが混ざっていた。
倉庫の受付では、赤毛の青年トーマスが片手で黒パンをかじりながら、運び込まれた荷物を帳面へ記録していた。淡い茶色の仕事着には小麦粉がつき、左の靴紐はほどけかけている。彼は口の中のパンを山羊の乳で流し込むと、蕪を積んできた農婦へ木札を渡した。
「マルタさん、今年は二十三籠ですね。去年より五籠も増えています」
「畑が急に広くなったわけじゃないよ。傷む前に運べるようになったから、捨てる分が減ったのさ」
「昨日の分と合わせて、代金は銀貨十八枚です。明日の午後、村の共同金庫へ振り込みます」
「以前なら半分ももらえなかったよ。形が悪い、葉に虫食いがある、王都では売れないって、仲買人に値切られてね」
マルタは泥のついた前掛けのポケットから、小さな塩漬け卵を取り出した。朝食を食べ損ねたトーマスへ渡すつもりで、家から持ってきたものである。殻には茹でる前についたらしい細いひびがあり、包んでいた布からは微かな燻製の匂いがした。
「これも売り物ですか?」
「それはあんたの朝飯だよ。帳面に夢中になって、また黒パン一枚で済ませるつもりだったろう」
「いただいてよいのですか?」
「銀貨十八枚ももらえるんだ。卵一つくらい食べさせてやるよ」
「では、ありがたくいただきます」
トーマスが笑って卵を受け取ると、倉庫の奥から魔鉱石機関の動き出す音が響いた。青白い光が床に刻まれた輸送陣を走り、木箱に詰められた野菜が次々と別の倉庫へ送られていく。この魔導輸送網が整備される前は、領地の北部から王都まで荷馬車で五日かかり、その間に野菜や果物の三割近くが傷んでいた。
今では共同倉庫で傷みやすい品を選別し、王都、鉱山町、辺境の診療所へ直接送っている。形の整った野菜は市場へ、傷のある果物は果実酒やジャムの工房へ、折れた薬草は乾燥させて回復薬の材料へ回された。以前なら畑の端へ捨てられていた作物にも値段がつき、農民たちの収入は少しずつ増えていた。
「王妃様のおかげだねえ」
マルタが輸送陣の光を眺めながら言うと、トーマスは塩漬け卵の殻をむく手を止めた。以前なら、その言葉へすぐにうなずいていただろう。しかし半年前、視察に来たアイリスから、何でも領主一人の手柄にしてはいけないと注意されたことがある。
「王妃様だけではありませんよ。魔道具を作った工房の人、夜明け前から運んできた皆さん、仕分け係、帳簿係、それから卵をくださるマルタさんのおかげです」
「うまいことを言うようになったね」
「帳簿係ですから、誰の働きも記録から消してはいけません」
「じゃあ、卵一個も書いておくのかい?」
「私への賄賂と記録しておきます」
マルタは大きな声で笑い、荷車を引いて倉庫を出ていった。朝日が霧を薄く溶かし、遠くの小麦畑が黄金色に輝いている。その頃、王都にある財務大臣の屋敷では、ルヴェリア公爵領から届いた一冊の決算書が、静かな朝食の時間を台無しにしていた。
財務大臣ローデリックは、寝間着の上へ臙脂色の室内着を羽織ったまま、食卓で決算書を読んでいた。銀皿には半熟卵と焼いた腸詰め、茸の炒め物が盛られていたが、手をつけられないまま冷え始めている。向かいに座る妻は、林檎の皮を長く切りながら、先ほどから同じ頁を何度も見直す夫を眺めていた。
「あなた。食事中に仕事をするのはやめると、先週約束しませんでしたか?」
「今は食事をしている場合ではない」
「卵は、あなたが食べる場合を待ってはくれませんよ」
「ルヴェリア領の利益率が、王家直轄領を上回った」
「それは、よいことではありませんか?」
「王妃殿下の領地が、王家より効率よく利益を上げているのだぞ」
ローデリックは決算書を食卓へ置き、額の汗をナプキンで押さえた。昨年の収穫量は例年より一割増えただけなのに、廃棄される農作物は半分以下になり、領民一世帯あたりの所得は二割以上増加している。診療所への助成金や共同倉庫の維持費を支払ったあとでも、領地には前年の三倍近い利益が残っていた。
「王妃殿下が休暇を取られたのは、休むためではなかったのですか?」
「最初の三か月は休んでおられた。四か月目から、使われていない倉庫を調べ始めたらしい」
「それを休暇と呼んでよいのでしょうか」
「王宮にいた頃より睡眠時間は倍になったと報告されている。昼食も椅子へ座って食べているそうだ」
「それなら、以前よりは休暇ですね」
妻は切り終えた林檎を一切れ口へ入れ、残りを夫の皿へ載せた。ローデリックは半熟卵を割ったが、冷えた黄身はねっとりと固まり、パンにつけても伸びない。王妃領の数字と冷えた朝食を交互に見た末、彼は呼び鈴を鳴らそうとした。
「温め直しはなりません。使用人たちも朝食中です」
「まだ何も言っていない」
「結婚して二十六年ですから、その顔をすれば分かります」
「では、冷たいまま食べる」
「そうなさいませ。それから、王妃殿下がお一人で何をなさったのか、王家直轄領でも調べてください」
ローデリックは冷えた卵を食べながら、決算書の次の頁を開いた。そこには共同倉庫で働く者の人数と賃金、魔導輸送網の使用料、修理費、診療所へ送った薬の数まで細かく記されていた。隠された利益を探そうとしても、銅貨一枚まで使い道が書かれている。
だが、その日の午後には、別の報告が財務省へ届いた。古参貴族五名が連名で、王妃による不正蓄財の調査を求めてきたのである。申立書には、王家の権威を使って商人を脅し、ルヴェリア領だけに有利な取引を結ばせた疑いがあると記されていた。
「申し立てたのは誰だ?」
ローデリックが尋ねると、秘書官は書類を一枚ずつ机へ並べた。先頭にはベルトラン侯爵、続いてバーノン伯爵、ウェルズ子爵らの署名がある。いずれも長年、穀物や薬草の流通へ関わってきた家だった。
「王妃領の共同倉庫が市場価格を乱していると主張しております。これまで仲買人を通していた農民が、直接取引へ移ったことも問題だと」
「王妃殿下の利益が不当に多いという証拠は?」
「ございません。ただ、王家直轄領より利益率が高いのは不自然だと」
「王家より優れていることが、不正の証明になるのか?」
「侯爵は、そのようにお考えのようです」
ローデリックは椅子へ深く座り、冷めた香草茶を飲んだ。渋みが強くなった液体が舌へ残り、朝から続いていた胃の重さが増していく。王妃へ嫌疑を伝える役目を誰が担うのか考えたところで、秘書官がそっと視線を逸らした。
「なぜ私を見る」
「財務に関する案件ですので」
「分かっている。だが、嫌なものは嫌だと言ってもよいだろう」
「どうぞ、おっしゃるだけでしたら」
「王宮改革で、部下はずいぶん正直になったな」
翌日、王城では臨時財務審議会が開かれた。磨かれた大理石の会議室には長机が置かれ、古参貴族たちが濃い色の礼装で席を埋めている。ベルトラン侯爵は腹の前で金の鎖を揺らし、隣のバーノン伯爵は柑橘の香油をつけすぎたのか、扉から離れた席にまで匂いを漂わせていた。
アイリスは銀灰色の髪を高くまとめ、藍色の実務用ドレスで入室した。後ろにはエマと二人の文官が続き、それぞれ大きな木箱を抱えている。席についたアイリスが合図すると、木箱から分厚い帳簿が取り出され、机の端から端まで並べられた。
「王妃殿下。これは何ですかな?」
ベルトラン侯爵は、目の前へ積まれた帳簿から体を引いた。革表紙の角は擦れ、ところどころに泥の指跡や小麦粉の白い染みがついている。飾るために作られた帳簿ではなく、倉庫や農場で毎日使われてきたものだった。
「ルヴェリア公爵領の会計記録です。私が王家の威光を利用して私腹を肥やしているとの申し立てがございましたので、一枚残らずお持ちしました」
「領地の帳簿を、この場で公開なさるのですか?」
「疑いを晴らすには、数字を示すのが最も早いでしょう」
「しかし、領主一族の報酬まで記されているのでは?」
「もちろんです。私が受け取った報酬も公開いたします」
会議室に小さなどよめきが起きた。貴族にとって、領地の収入は家の内情そのものであり、通常は詳細を他家へ見せない。だがアイリスは最初の帳簿を開くと、農作物の売上と農民へ支払った代金を読み上げ始めた。
「昨年度の農業部門売上は金貨二万四千八百六十枚。農家へ支払った代金は一万三千二百枚です。共同倉庫の人件費が二千百四十枚、維持費が千八百枚、魔導輸送網の運営費が二千七百枚となります」
「輸送費が高すぎますな」
バーノン伯爵が口を挟むと、アイリスは別の帳簿を開いた。頁の間から、乾燥させた小さな葉が一枚落ちる。エマが拾い上げると、それは診療所へ送られた薬草の見本だった。
「初年度は輸送陣の設置費用が含まれています。来年度からは三割下がる予定です。それでも、荷馬車で五日かけて運ぶより、廃棄量を含めれば安くなります」
「収穫物の廃棄量が半減したという報告も、誇張ではありませんか?」
「昨年度の受入記録と加工工房の納品記録を照合してください。傷のある林檎は果実酒へ、形の悪い蕪は保存食へ回しています」
「農民へ高い代金を払えば、領地の利益が減るでしょう」
「減っておりません。廃棄量が減り、仲買手数料も不要になったためです」
アイリスは、机の上へ二枚の紙を並べた。一枚は共同倉庫ができる前の取引記録、もう一枚は現在の取引記録である。以前は農民から銅貨十枚で買い取られた野菜が、何人もの仲買人を通るたびに値上がりし、王都では銅貨五十枚で売られていた。
「これは正常な商取引です」
ベルトラン侯爵は太い指で机を叩いた。指にはめた緑色の宝石が帳簿へ当たり、硬い音を立てる。アイリスはその指輪へ一度だけ目を向け、次の資料を取り出した。
「では、なぜ農民から銅貨十枚で買い取った品へ、倉庫使用料、通行料、検査料、優先販売料という四つの名目を加えたのです?」
「輸送には費用がかかります」
「その輸送を担った御者には、一日あたり銅貨十二枚しか支払われていません。残りはどこへ消えたのでしょう」
「商会の運営費です」
「こちらが、その商会の年間報告書です。運営費として計上された金貨六千枚のうち、二千枚がベルトラン侯爵家の別荘改修費へ流れています」
会議室から音が消えた。バーノン伯爵が身じろぎし、椅子の脚が床を擦る。柑橘の香油に混じって、誰かの額に浮かんだ汗の匂いが漂った。
「それは、商会から我が家への正当な借入金だ」
「返済記録がありません」
「これから返済する予定だった」
「八年間、一度も?」
「領地経営には、帳簿だけでは分からない事情があるのです」
「ええ。ですから、分かるようにご説明ください」
アイリスは声を荒らげず、ベルトラン侯爵の前へ返済記録の空白欄を差し出した。侯爵は口を開いたが、言葉が出てこない。代わりに、隣のウェルズ子爵が扇子で首元をあおぎながら立ち上がった。
「それよりも、王妃殿下ご自身の報酬をお示しいただきたい。共同倉庫によって、相当な額を受け取っているはずです」
「こちらです」
アイリスは迷わず、自分の報酬が記された頁を開いた。領主報酬、改革顧問料、共同倉庫への出資配当が項目ごとに並んでいる。私的に購入したドレスや食事代は領地経費へ含めず、王家から支給される王妃手当とも明確に分けられていた。
「これだけですか?」
「これだけとは、どの程度を予想していたのです?」
「年間金貨一万枚は受け取っているものと」
「私の領主報酬は金貨千二百枚です。共同倉庫への出資配当を含めても、二千枚を超えません」
「残りの利益は、どこへ?」
「診療所への助成金、農道の修繕、冬季備蓄、学校の運営費へ回しています。残額は災害準備金として共同金庫へ保管しています」
「王妃殿下が、自由に使える金ではないのですか?」
「領地の利益は、領主の財布ではありません」
その言葉に、古参貴族たちの顔がそろって強張った。領地から上がる金を、領主のものとして扱ってきた者は少なくない。ベルトラン侯爵の別荘だけでなく、バーノン伯爵の狩猟場、ウェルズ子爵夫人の宝飾品も、仲買商会から流れた金で購入されていた。
財務大臣ローデリックは、自分の前へ置かれた調査報告書を読みながら、朝から痛み続けている胃を上着の上から押さえた。昼食用に持ってきたチーズ入りのパンは紙袋の中で潰れ、端から黄色い油が染み出している。それでも、今ここで休憩を提案できる空気ではなかった。
「王妃殿下。財務省で事前に照合しましたが、ルヴェリア領の帳簿に大きな不正は見つかりませんでした」
ローデリックは立ち上がり、会議室全体へ聞こえるように報告した。アイリスが提出した数字は、王都の市場記録、魔導輸送局の使用記録、診療所の受領書と一致している。農民へ支払われた代金についても、共同金庫に残る署名まで確認されていた。
「では、なぜ王家直轄領より利益率が高いのだ!」
ベルトラン侯爵が叫ぶと、ローデリックは丸めた報告書で額の汗を拭いた。できることなら自分も誰かに答えを押しつけたかったが、財務大臣の名札が胸についている以上、逃げるわけにはいかない。彼は別の資料を持ち上げ、王家直轄領との違いを読み上げた。
「直轄領では、収穫物の三割が輸送中に廃棄されています。また、仲買商会へ売上の四割近くを手数料として支払っています」
「それが長年の慣例だ」
「ルヴェリア領では、その慣例を廃止しました。その結果、農民への支払いを増やしても、領地へ利益が残っています」
「王妃が我々の商いを奪ったのだ!」
「農民へ別の売り先を選ばれただけではありませんか?」
アイリスの問いに、ベルトラン侯爵は拳を握った。爪が手のひらへ食い込み、指輪の下の皮膚まで赤くなっている。彼はアイリスを睨んだあと、上座に座るレナードへ顔を向けた。
「陛下。王妃殿下は王家の権威を使い、我々の伝統的な権利を侵害しております。王家直轄領より高い利益を上げるなど、王室への敬意にも欠ける行為です」
「利益を上げてはならないという法があるのか?」
レナードは黒い礼装の袖口を整えながら尋ねた。会議が始まってから、彼はほとんど口を挟まず、すべての帳簿へ目を通していた。机の横には冷めた珈琲が置かれ、表面には薄い膜が張っている。
「法ではなく、秩序の問題でございます」
「王家の領地より優れた結果を出した者を罰することが秩序なら、その秩序によって国は衰えるだろう」
「しかし、王妃殿下は王家の一員です。王妃として得た信用を領地経営へ利用しております」
「信用とは、命令で与えられるものではありません」
アイリスは最後の帳簿を開いた。そこには、共同倉庫へ出資した者の名前が記されている。農民、薬師、荷馬車組合、魔道具職人に混じり、アイリス自身の名前もあった。
「私が最初に出資したとき、多くの商人は断りました。王妃の道楽へ付き合えば損をすると言われたこともあります。それでも領民が少額ずつ金を出し、使われていなかった倉庫を自分たちで修理したのです」
「王妃殿下の命令だったのでしょう?」
「参加しなかった農家もあります。その者たちは今も、従来の仲買商会と取引しています」
「ならば、我々に落ち度はない!」
「いいえ。取引を続けた農家に対し、共同倉庫を利用すれば畑を取り上げると脅した記録があります」
エマが一通の手紙を机へ置いた。震えた文字で書かれた農民からの訴えと、仲買商会の印が押された警告書だった。さらに別の文官が、商会から複数の貴族家へ金が渡った記録を並べる。
ベルトラン侯爵は椅子へ座り直し、襟元を緩めた。先ほどまで大きく見えた金鎖は、汗で湿った上着へ張りついている。バーノン伯爵は目の前の香草茶を一息に飲んだが、冷めた茶が気管へ入り、激しくむせた。
「私どもを、犯罪者のように扱うおつもりですか?」
「調査の結果、不正が認められれば処罰されます。認められなければ、名誉は回復されるでしょう」
「王妃殿下には、貴族の誇りというものが分からないのですか?」
「働いた者へ正当な対価を払わず、その金で別荘を建てることが誇りですか?」
ベルトラン侯爵の顔から血の気が引いた。会議室の窓の外では、昼を知らせる鐘が鳴り、王城の使用人たちが食堂へ向かっている。焼いた肉と香辛料の匂いが廊下から流れ込み、ローデリックの腹が小さく鳴った。
アイリスは時計を確認し、帳簿を閉じた。重い革表紙が机へ落ち、乾いた音が会議室に響く。彼女は古参貴族たちを順番に見渡し、最後にベルトラン侯爵へ目を止めた。
「私が儲けすぎているのではありません」
誰も動かなかった。窓から差し込む光が、積み上げられた帳簿の傷や汚れを照らしている。その一つ一つが、畑で働き、荷を運び、夜まで数字を記録した者たちの生活の跡だった。
「皆様が、働く者から取りすぎていたのです」
審議の結果、古参貴族たちが関係する仲買商会には、王国監査院の調査が入ることになった。農民への脅迫が確認された地域では、商会の営業許可が一時停止され、過剰に徴収した手数料も返還させる。別荘や宝飾品の購入へ流れた金については、財務省が八年分をさかのぼって調べることになった。
「八年分ですか」
会議後、ローデリックは廊下の長椅子へ座り、潰れたチーズパンを紙袋から取り出した。昼食時間は半分ほど過ぎていたが、アイリスは急かさず、その隣へ腰を下ろした。エマから渡された野菜のスープを飲むと、冷えかけてはいたものの、玉葱の甘みが残っていた。
「侯爵家の帳簿は、倉庫三つ分あるそうです」
「財務省の人員を増やします。八年分を大臣一人で調べる必要はありません」
「以前の王妃殿下なら、ご自身でお調べになったでしょうな」
「以前の私なら、あなたの昼食時間にも会議を続けていました」
「改革されて、本当によろしゅうございました」
ローデリックは潰れたパンをかじった。紙袋へ流れ出たチーズが指につき、舐め取ろうとしてから、王妃の隣だったことを思い出して布で拭う。アイリスは何も見なかった顔でスープを飲み、エマは少し離れた場所で肩を揺らしていた。
「王妃殿下。一つだけ、お尋ねしても?」
「何でしょう」
「ルヴェリア領の利益率を、さらに上げるおつもりですか?」
「来年度は、加工工房を二つ増やします。学校を卒業した若者の雇用先にもする予定です」
「王家直轄領との差が、ますます開きますな」
「それなら、直轄領も改善すればよいのです」
「やはり、そうおっしゃいますか」
数日後、王都の市場にはルヴェリア領から届いた赤い林檎が並んだ。傷のないものは果物売り場へ、小さな傷があるものは菓子工房へ運ばれ、熟れすぎたものは果実酒になった。かつて畑へ捨てられていた林檎にも代金が支払われ、その記録は共同倉庫の帳簿へ書き加えられた。
同じ朝、ルヴェリア領の農婦マルタは、新しく買った厚手の靴下を履いて倉庫へやって来た。昨年まで穴の開いた踵を何度も繕っていたが、今年は家族全員の冬着を買うことができた。荷車には蕪と卵の籠が積まれ、その一番上には、帳簿係のトーマスへ渡す朝食用の包みが載っている。
「今日は何ですか?」
「林檎の焼き菓子だよ。少し形が崩れたけど、味は同じさ」
「また賄賂として記録しますよ」
「好きにおし。働いた分をきちんと払ってもらえるなら、焼き菓子くらい何度でも持ってくるよ」
トーマスが包みを開くと、まだ温かい林檎と焦がし砂糖の匂いが立ち上った。彼は一人で食べず、倉庫で働く仲間の人数に合わせて小さく切り分ける。大きさは少しずつ違ったが、誰が一番大きいものを取るかで言い争う者はなく、朝の仕事を終えた者から順番に手を伸ばした。




