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毎日夜9時更新です。
話途中で、三人称視点から騎士団長ルカ視点に変わります。
シュネーベルク城の主、ヴィオレルの不機嫌さは極点に達していた。
母ミレーネが帰還して以来、至福の習慣が失われたからだ。夜、寝支度を整えたロゼリッタが「おやすみなさい」と愛らしく微笑みに来る――その時間が、苛烈な淑女教育によって奪われていた。
夜が深まり、痺れを切らしたヴィオレルが彼女の私室へ足を運ぶと、そこには本を抱えたままソファーで泥のように眠るロゼリッタの姿がある。
彼は苦い溜息をつき、溶けゆく薄氷を愛でるかのような手つきで彼女を抱き上げる。ベッドへ横たえると、彼女は無意識に彼の体温へ擦り寄った。その無防備な愛らしさに、ヴィオレルは痛むほどの情愛を込め、彼女の頬を撫でて静かな口付けを落とすのが常だった。
この日、領地の巡回から予定より早く帰還した彼は、珍しく上機嫌で執務室でハンスに告げる。
「巡回先で旅人から、髪飾りを買い取った。晩餐の前にロゼリッタを喜ばせたい。ここへ連れてくるように」
主人の弾んだ声を受け、ハンスは即座に書庫へと向かう。しかし、そこにいたのは一人で片付けをしていた侍女のサラだけだった。
「ロゼリッタ様なら、先ほど奥様に呼び出されたと……」
その言葉を境に、ハンスは凍りついた。
ミレーネは呼び出しなど命じていない。
騒然とする城内で、静寂を破ったのは北の城壁近くで響いた、レオの猛々しい咆哮だった。
裏庭のぬかるんだ土には、無残に放り出された一冊の本と、深く刻まれた車輪の跡。その轍は不自然に城外へと続き、城下町の喧騒の中へと消えていた。
「……出陣せよ。私の前に、彼女を連れ戻せ」
ヴィオレルの声は、もはや人のそれではない。凍てついた氷山の断崖を吹き抜ける、鋭く冷酷な風の音のようだった。彼は自ら漆黒の馬に飛び乗り、嵐のごとく城を飛び出した。その背を追い、最強を誇る北の騎士団が地響きを立てて続いた。
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俺は、ヴィオレル様にこの命を捧げた男だ。
かつて行き倒れの孤児として街を彷徨っていた俺を拾い、騎士としての道を与えてくれたのは先代辺境伯だった。以来、俺の存在意義はただ一つ。ヴィオレル様を守る楯となり、敵を貫く矛となること。その一心で、騎士団の頂点まで登り詰めた。
兄のように慕うあの方の背中を、ずっと見続けてきた俺だからこそ分かる。
あのヴィオレル様が、これほどまでに狼狽え、余裕をなくした姿を見せるなど、かつて一度としてなかった。
今回の任務は、ロゼリッタ様の救出。
これは俺の直感が告げている。一国の軍勢を相手にするよりも慎重に、そして一刻の猶予も許されぬほど確実に遂行しなければならない「至上命題」だと。
俺は先陣を切り、夜風となって城下町を駆けた。鼠一匹逃さぬ包囲網を敷き、町の外れで標的を捉える。
賊の仕掛けた罠など、俺たちから見れば児戯に等しい。
坂道を急ぐ台車。それを引く男の背を、俺は馬上から見据えた。限界まで見開いた俺の瞳孔は、夜を吸い込み、奴を鮮明に切り出す。
俺の放つ矢は、外れない。一度狙いを定めれば、それは逃れられぬ死の宣告だ。
強固な弓が鳴る。放たれた一矢は、月光を切り裂く一筋の銀閃となり、寸狂いなく男の腿を貫いた。
「……捕らえろ」
悲鳴と共に男が倒れ、制御を失った台車が坂を転がり落ちる。俺は馬を蹴り、衝突寸前の台車からその身を素早く攫い上げた。
腕の中に収まったのは、薄汚れた袋を被せられた、あまりにも細く小さな身体。
忌々しい覆いを取り払ったその刹那。
現れたのは、たった一輪、奇跡のように咲き零れた乙女だった。
清らかで、それでいて触れれば壊れてしまいそうなほど儚い。月下に揺れる朧げな金色の瞳が、新緑の木漏れ日のように煌めいた。
あの方があれほどまでに狂わされる理由を、俺はその瞬間に理解した。
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