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毎日夜9時更新です。
話途中で、三人称視点からヒロイン視点に変わります。
「ハンス! この小娘に何を教えてきたの? 帳簿の数字一つ満足に追えないなんて、辺境伯家の女主人はおろか、侍女ですら務まりやしないわ」
ミレーネの冷ややかな罵声が響き渡る。ハンスさえも青ざめる迫力に、ロゼリッタは震える手で筆を握り直した。ミレーネの教育は、淑女の嗜みなどという生易しいものではなかった。
「鼠のような暮らしをしていたから、数字の概念もないのね。本当に憐れだこと!誰よりもこの地を熟知なさい。無知な女主人は、領民にとって災厄でしかないわ!」
午後のダンスのレッスンでは、さらに苛烈さを極めた。
「姿勢がなっていない!老婆のようだわ!」
ミレーネの扇が、ロゼリッタの背をバシッと叩く。
「もっと堂々となさい! あなたが縮こまれば、シュネーベルクの威厳が損なわれる。……ああ、そうだったわね。高貴な振る舞いなんて、没落した家の血には流れていないものね」
それは晩餐の席でも続いた。
「音がうるさいわ。育ちが出るわね。こんな簡単なこともできないなんて!もっと静かに、優雅に」
ミレーネは心底不愉快そうに溜息をつき、「こうやるのよ」と自ら手本を見せた。
流れるような無駄のない動き、一点の曇りもない完璧な所作。その荘厳なまでの美しさは、隣に座るロゼリッタの拙さを、より一層惨めに際立たせるための演出のようだった。
(……なんて、美しいのかしら……)
その完璧な「辺境伯夫人」の姿に、ロゼリッタは敬意を抱かざるを得なかった。当然、ヴィオレルは黙っていない。
「母上! ロゼリッタを虐めるのはやめてください!これ以上無理をさせるなら、私は……!」
ロゼリッタが憔悴していく姿に、ヴィオレルは殺気を込めた声で抗議する。しかし、ミレーネは冷笑を浮かべ、ロゼリッタに向き直る。
「ふん、甘いわね。いいわ…ロゼリッタに選ばせましょう。一生『無能な飾り物』として生きていく?それとも、私に『教えを乞う』のか…貴方が選びなさい」
「……ヴィオレル様、私が至らないのばかりに…ご心配をおかけして申し訳ございません。私…お義母様に直接教えていただけるなんて、光栄で、有り難いことだと思ってますわ」
鼻で笑うミレーネに、ヴィオレルは絶望的な表情で黙り込むしかなかった。
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夜、自室に戻る頃には、立っているのもやっとというほどヘトヘトになっていた。全身が痛み、覚えの悪い自分に嫌気がさす。
「ロゼリッタ様、お顔の色が……今日はお休みになっては?」
サラが泣きそうな顔で声をかけてくれるけれど、私は首を振る。お母様に「明日までに読みなさい」と与えられた分厚い歴史書。これを読まなければ、明日、また時間だけが過ぎていってしまう。辺境伯夫人になるには、私にあらゆることが足りていないのは紛れもなく事実だった。
けれど、ソファーに座って頁をめくるうち、意識が深く遠のいていく。手から、するりと本が滑り落ちる。
朧げな記憶の中で、私はいつものように扉を開け、愛しい彼の胸へ飛び込んだ。ヴィオレル様の逞しい腕に抱きしめられると、私は目を閉じて、縋るように彼の鼓動に耳を傾ける。あの日から、一日も欠かさずに続けてきた習慣。
「…おやすみなさい……」
ヴィオレル様は、いつも通り、ひどく愛おしそうな顔で私を見つめ、「おやすみ」と答えてくれる。
(……ああ、そうだわ。私は守られるだけじゃなく…私もあの方を守りたい……)
ミレーネ様の言う通り、私には、あの方の隣に立つ資格なんて……。
(……でも、それでも……)
私は、あなたの隣に居たい。
(明日からも、頑張らなきゃ……たとえ、壊れてしまっても……)
夢の中の彼にそう誓いながら、私は心地よい闇の中へと重く沈んでいった。
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