第45話 一緒に育てよう
土曜日の朝
美月はクローゼットから洋服を全部引っ張り出し
ベッドの上に並べていた
今日は怜司に
菜園作りを教えてもらう約束をしている
土で汚れてもいい格好で行かなきゃ駄目よね……
でも私、そういうの持ってないわ
ジャージは大切な部屋着だし……
あとは……
その中に
高校時代の青い学校指定ジャージが紛れていた
美月はそのジャージを着てみる
右胸には『3-A 相沢』のワッペンが貼ってある
さすがにこれは女子として終わってるわ……
怜司君にどう思われるかしら……
仕方ない……
汚れるのを覚悟で普通の服で行くしかないわね
ピンポーン
美月の部屋の呼び鈴が鳴った
そういえば昨日、漫画を注文したっけ
「はーい」
美月は扉を開ける
そして目を見開いた。そこには作業着姿の怜司が立っていた
「れ、怜司君!?」
「美月、良ければ家庭菜園を見に来ないか?」
怜司は美月の姿を見る
その目が少し細くなる
「準備してくれていたのか」
そこで美月ははっとして自分の姿を見る
『3-A 相沢』と書かれた青いジャージ
美月の顔が青ざめる
「こ、これはちがうのよ!」
怜司が少し目を伏せる
「違ったのか……」
「あ、いや、行こうと思ってたよ!」
「準備してたよ!」
「でもこれはちがうのよ!」
「動きやすい長袖長ズボン」
「その服装は最適だ」
「ただ……」
美月がぎこちなく笑う
「ただ?」
怜司は右手に持っていた麦わら帽子を美月にかぶせた
「帽子は必須だ」
「特に美月のような子にはな」
美月は麦わら帽子のつばを両手で持ち上げて怜司を見る
無表情な怜司の目が細くなっている
その顔を見るだけで美月の胸が煩くなる
ずるいわよ……
私、許してないからね……
「下で待っている」
「色々と準備してあるから」
「そのまま来てくれればいい」
「うん、すぐ行くね」
「ああ」
扉が閉められた
少しの間美月は閉められた扉を眺める
「え? そのままって……」
美月は自分の姿を見る
「まじで!?」
しばらく悩んだ後、美月は観念したようにその姿のまま部屋を出る
階段を降りてアパートの庭に向かう
「うわあ、すごい!」
そこには綺麗に整えられた畑が出来上がっていた
その横に怜司が立っている
「怜司君、すごいね、これ一人で?」
「ああ」
「張り切る理由ができたからな」
「頑張った」
「張り切る理由?」
「美月に褒めてもらいたかった」
「え……」
胸が小さく跳ねた
美月は慌てて視線を畑へ戻した
「そ、それで」
「今日は何をするの?」
「ほうれん草の種を植える」
怜司は畑の端に置いてあった小さな袋を手に取った
袋にはほうれん草の写真が印刷されている
「ほうれん草?」
「ああ」
「今からなら育てやすい」
「美月と一緒に育ててみたいと思って買ってきた」
「一緒に……」
また胸が騒ぐ
美月は誤魔化すように麦わら帽子を深くかぶった
「ふ、ふーん」
「いいんじゃない?」
「私もほうれん草……好きだし」
「そうか」
「では始めよう」
怜司は畑の前にしゃがんだ
すでに土は柔らかく耕され、細長く盛り上げられている
「この溝は何?」
美月も怜司の隣にしゃがみ込む
「畝だ」
「水はけを良くするために土を盛ってある」
「うね?」
美月はじっと畝を見る
「これも怜司君が作ったの?」
「ああ」
「綺麗に真っすぐね」
「曲がっている必要がないからな」
「なんか怜司君らしい」
怜司は細い棒を手に取った
「まず種をまく溝を作る」
畝の上へ棒を押し当て、端から端まで真っすぐ線を引いていく
「深さは1センチくらいでいい」
「私にもできそうね」
「やってみるか?」
「やる!」
美月は怜司から棒を受け取る
隣にもう一本の溝を作ろうと、慎重に棒を土へ押し当てた
そのままゆっくりと後ろへ引いていく
「よし……よし……」
半分ほど進んだところで線が大きく曲がった
「あっ」
美月は動きを止める
怜司が横から覗き込んだ
「曲がったな」
「分かってるわよ」
「かなり曲がっている」
「ほうれん草は曲がってたら育たない?」
「育つ」
「じゃあいいかな」
怜司の目が少し細くなった
「美月らしくていい」
「どういう意味よ」
「褒めた」
「絶対褒めてないじゃない」
怜司は小さく笑った
いつものように目を細めるだけではない
ほんの少しだけ、声まで漏れていた
美月は思わず怜司を見る
こんなふうに……
普通に笑えるんだ……
ずるい……
美月は麦わら帽子をさらに深くかぶった
美月と怜司は溝を作る作業を終えた
「次は種をまく」
怜司は袋を開け、美月の手のひらへ小さな種を少しだけ落とした
「小さいね」
「ああ」
「この溝へ少しずつまいていく」
「どれくらい?」
「1、2センチくらい間隔を空ければいい」
「分かった」
美月は種を指先でつまみ、一粒ずつ土の溝へ落としていく
「一個……二個……三個……」
怜司も隣の溝へ種をまき始めた
二人並んでしゃがみ込み、黙々と種を落としていく
美月はちらりと怜司を見る
作業着姿で真剣な顔をして、小さな種を一粒ずつ丁寧に並べている
高そうなスーツを着ている姿とはまるで違う
でも不思議と、今の怜司の方が近く感じた
「怜司君ってさ」
「なんだ?」
「本当にこういうの好きなんだね」
「ああ」
怜司は種をまきながら答える
「土を触っていると落ち着く」
「育つものを見るのも好きだ」
「へえ」
「花も野菜も、手を掛けた分だけ変化する」
「ただ、思い通りになるとは限らない」
怜司は少しだけ手を止めた
「そこがいい」
美月は怜司を見る
以前の怜司なら、こんなことを言っただろうか
あの手この手で自分の思い通りにしようとしていた
私との結婚まで当然のように決めていた男だ
「怜司君、少しは成長したかも」
「そうか?」
「少しだけね」
また怜司が小さく笑った
「美月に褒められた」
「だからそういう顔するのやめなさいよ」
「なぜだ?」
「知らない!」
美月は勢いよく種をつまんだ
その瞬間
「あっ」
指先から種がこぼれ落ちた
一か所に十粒ほど固まって落ちる
美月と怜司は同時にそこを見る
「美月」
「それでは多い」
「分かってるよ」
美月は慌てて種を拾おうと指を伸ばした
同じように怜司も手を伸ばし、指先がわずかに触れる
美月は反射的に手を引っ込めた
「わ、私が拾うから!」
「分かった」
怜司は素直に手を引いた
美月はこぼれた種を一粒ずつ拾う
そのあいだ
怜司は何も言わず、隣で待っていた
美月が助けを求めるまで
手を出さないつもりらしい
美月はそっと胸元を押さえた
もう……
なんなのよ……
許してないんだからね……
なんで私ばっかりこんなに意識してるのよ……
種をまき終えると
怜司は手で土を薄くかぶせていく
「最後に、こうして軽く押さえる」
「こう?」
美月も両手を土へ置いた
手のひらでそっと土を押していく
「そうだ」
「なんか気持ちいいね」
「土が?」
「うん」
「ふかふかしてる」
美月は少し楽しそうに何度も土を押した
その姿を怜司がじっと見ている
「何?」
「いや」
「なによ……見てたじゃない」
「美月が楽しそうで良かったと思っただけだ」
「俺にも、美月の笑顔は作れるんだな」
美月の手が止まった
「怜司君って……ずるいからね」
「ずるい?」
「何でもない!」
美月は立ち上がり、近くに置いてあったジョウロを手に取った
「最後は水でしょ!」
「ああ」
「強くかけると種が流れる」
「ゆっくりだ」
「任せてよ!」
美月はジョウロを傾ける
勢いよく水が飛び出した
「あっ!」
土が少しえぐれた
怜司がすぐにジョウロへ手を伸ばす
「手を貸してもいいか?」
「え?」
「う、うん」
怜司の手が美月の手の上に重なる
ドクンと胸が大きく鳴った
ち、近い……
二人でジョウロを持つ形になった
怜司がゆっくり傾きを調整する
重なった手から、怜司の体温が伝わってくる
細かな水が畑へ優しく降り注いだ
「このくらいだ」
「う、うん……」
美月は水の落ちる先だけを見ていた
顔を上げたら駄目だと思った
すぐ横に怜司の顔がある
見たら沼底まで落ちるわ……
今だってもう怪しいのに
次、怜司君が突然消えたら
私……今度こそ死んじゃうわ
やがて畝全体がしっとりと濡れた
怜司が手を離す
「これで終わりだ」
美月はジョウロを置いた
二人で並んで畑を見る
「これで本当に生えてくるの?」
「ああ」
「一週間ほどで芽が出る」
「一週間かあ」
美月はしゃがみ込み、土を眺める
「ちゃんと出てくるかな」
「出てくるように世話をする」
「私もやりたい」
怜司が美月を見る
少しの沈黙のあと、怜司が答えた
「ああ」
「一緒に育てよう」
その言葉にまた胸が騒いだ
美月は麦わら帽子のつばを下げる
「収穫したら、食べさせてくれる?」
「もちろん」
「本当に?」
「ああ」
怜司が美月に向けて、また小さく笑った
美月は麦わら帽子のつばの陰から、横目でその顔を見た
そして少しむっとした顔をする
やっぱり……怜司君はずるいよ……




