第42話 帰ってきた王子様
美月は週末、録りためていたアニメを見ていた
いつもの部屋着に大きな丸メガネ
ポテトチップスを頬張りながら
炭酸水を一気に飲む
「ぷあ~、やっぱこれよね~」
「最近ちょっと私らしくなかったわ~」
「恋愛は二次元に限るのよ~」
美月はテーブルの横に置かれた
達也が取ってくれた第二王子のぬいぐるみに目を向けた
「まあ、現実も悪いことばかりじゃないかも」
第二王子の顔をじっと見つめる
「最初から……」
「達也さんに沼ってれば良かったのに」
そう言ってから美月はため息をついた
「私って最低ね……」
気を取り直してゲームを始める
コントローラーを操作しながら、ふと考えた
「なにか達也さんにお礼がしたいわね」
「高いご飯まで奢ってもらっちゃったし」
「達也さんが喜びそうなもの~」
そこで美月の手が止まる
「あ」
思い出した
クッキー
前に達也が、手作りのプレゼントならクッキーがいいと言っていた
「作ったことないけど……」
美月は第二王子のぬいぐるみを見る
「……頑張ってみようかな」
その週末、美月は思う存分アニメを見て、ゲームをして過ごした
久しぶりに、自分の時間を取り戻したような気がした
そして月曜日の朝
美月は会社へ向かうため部屋を出た
朝日を浴びながら、大きく背伸びをする
「んーーー!」
両手を勢いよく下ろす
「私、復活よ!」
その手には、小さな紙袋があった
昨日、初めて焼いたクッキーだ
少し形はいびつになってしまったが
味見をした限りでは
初めてにしては上手くできたと思う
紙袋の中には、短い手紙も入れてある
美月は達也の部屋の前へ行き
紙袋をドアノブへ掛けた
「達也さん、食べてくれるといいな……」
少しだけ満足した気持ちになって
美月は階段を降りた
アパートを出ようとしたところで
ふと足が止まる
以前から作りかけになっていた花壇の前に
背の高い男が立っていた
白いシャツの袖を肘までまくり
その上からカーキ色のゆったりとしたオーバーオールを着ている
足元には茶色のワークブーツを履いている
男はシャベルを手に
黙々と土を掘り起こしていた
美月は首を傾げる
誰だろう、管理の人かな?
そのまま横を通り過ぎようとして
軽く頭を下げた
「おはようございま~す」
男の手が止まった
「美月、おはよう」
美月の足が止まる
「え!?」
ゆっくりと振り返る
シャベルを持った男が
美月を見ていた
「怜司……君……?」
「そうだ」
怜司はシャベルを地面へ置いた
「美月のところへ、帰ってきた」
「帰って……」
美月は言葉に詰まった
突然すぎて、頭が追いつかない
どうしてここにいるのか
どうしてそんな格好をしているのか
聞きたいことはいくらでもあるはずなのに
声が出てこなかった
怜司が美月の前へ立つ
「美月、すまなかった」
「え……」
「俺の誕生日を祝おうとしてくれたと聞いた」
「達也から、プレゼントも受け取った」
美月の胸がぎゅっと締めつけられる
「それから……」
怜司は深々と頭を下げた
「あの日、押し倒してすまなかった」
「困らせることはしないと約束したのに」
「俺はその約束を破った」
「一方的に感情をぶつけて」
「君に怖い思いをさせた」
美月は何も答えなかった
怜司は頭を下げたまま続ける
「もう一度だけ、俺に機会をくれ」
「機会って……なに?」
怜司はゆっくり顔を上げた
「俺はずっと、美月に嫌われるのが怖かった」
「だから王子でいようとした」
「王子でいれば、あの日の約束を守れると思っていた」
「美月のそばにいられると思っていた」
「でも、それは間違っていた」
怜司は美月をまっすぐ見る
「俺はもう、王子のふりをしない」
「え?」
「美月が好きだ」
美月の心臓が大きく跳ねた
一瞬、頭の中が真っ白になる
ずっと聞きたかった言葉だった
何度も言ってほしいと思った
それなのに
今は、その言葉を受け入れたくなかった
「……は?」
「俺は、美月が好きだ」
「いまさら……」
美月の声が震える
「いまさら……やめてよ……」
怜司の口が止まった
「やめてって……」
「やっと落ち着いたのに……」
怜司は何も言わなかった
美月の目に涙が浮かぶ
「やめてよ!」
「もう怜司君とは会いたくないよ!」
「またわけの分からないことして」
「私を振り回す気でしょ!」
「もう私のことは放っておいてよ!」
怜司はその場から動かなかった
美月へ近づこうともしない
しばらくして、静かに口を開いた
「……分かった」
「え……」
「美月が嫌だと言うなら、もう追わない」
怜司は美月から一歩離れた
その言葉を聞いた瞬間
美月の指先が
ほんの少し
痛んだ気がした
また
いなくなるの……?
「ただ、最後にこれだけ言わせてくれ」
「もう、自分を偽りたくないんだ」
美月は唇を噛む
「俺は王子じゃない」
「土をいじるのが好きだし、料理もする」
「自分の気持ちすら、まともに伝えられない」
「短気だし、感情の扱い方も下手だ」
「美月を怖がらせるようなことまでした」
怜司は一度、自分の手を見る
その手は、土で汚れていた
「これが俺だ」
「もう王子のふりをしてまで」
「美月のそばにいようとはしない」
「ただ、本当の俺を」
「美月に知ってほしかった」
美月は俯いて
両手を強く握りしめた
ナイフとフォークの柄が食い込んだ感触と
あの日の鈍い痛みがよみがえる
赤い跡はもう残っていない
それでも
美月の指は
あの痛みと一緒に
怜司を失った夜を覚えていた
「いまさら……」
「そんなこと言われても……」
「私、怖いよ……」
言葉が詰まる
頭の中に、昨日焼いたクッキーが浮かんだ
今朝、達也の部屋のドアノブへ掛けた小さな紙袋
自分を心配して、会社の前で待っていてくれたこと
何も食べられなかった自分を、笑わせてくれたこと
何度もこちらを振り返りながら歩いていた背中
『いつか俺のことも、ちゃんと見てくれよ』
美月は思い切るように顔を上げた
「私、達也さんが好きだから……」
怜司の目がわずかに見開かれる
「怜司君といたら、また私、辛くなるよ」
「達也さんは、そんなことしないもん」
「私が嫌がることしないし」
「一緒にいると楽しいし」
「私を笑わせてくれるもん」
美月の声が震える
「怜司君とは違うもん!」
美月は怜司の横をすり抜けた
怜司は追いかけてこなかった
美月も振り返らない
そのまま駅へ向かって走り出した
怜司は美月の姿が見えなくなっても
しばらく、その場から動かなかった




