第32話 俺は王子になれなかった
そして……
美月はずっと気になっていたことを切り出した
「あのさ、怜司君」
「なんだ?」
「言いたくなかったら」
「言わなくてもいいんだけど」
美月は少し迷ってから聞いた
「昔」
「私とお母さんに助けられた時ってさ」
怜司の手が止まる
「なにがあったの?」
二人の間に
沈黙が落ちた
怜司はナイフとフォークを置く
「あまり聞いて楽しい話ではない」
「それでも聞きたいか?」
美月は怜司を見つめる
「聞きたい」
怜司はしばらく美月を見つめ返した
やがて、ゆっくり口を開いた
「物心がついた頃には」
「俺は施設にいた」
美月は黙って聞く
「だが」
「そこもすぐに逃げ出した」
「それからは」
「盗みや恐喝をして生きていた」
美月の胸が少し痛んだ
「その頃に会ったのが達也だ」
「達也さん……」
「あいつも」
「似たような境遇だった」
「二人で悪いことばかりしていた」
怜司は淡々と話す
「そんなことを続けていれば」
「当然、目をつけられる」
「俺は地元の不良グループに制裁を受けた」
「あの日」
「あそこに倒れていたのは、そのせいだ」
美月は黙って怜司を見つめた
「そこを」
「美月と、美月の母親に助けてもらった」
怜司の視線が落ちる
「初めて……」
「暖かい場所を知った」
美月は怜司を見る
「美月の家にある全てのものが」
「空気そのものが、暖かかった」
怜司は一度、言葉を切った
「そして俺は」
「それが、欲しくてたまらなくなった」
「ただ……それだけだ」
怜司は自嘲するように目を伏せる
「美月が好きな物語とは」
「似ても似つかない」
「くだらない」
「ケダモノの話だ」
「なんで……」
「そんな言い方するの?」
そうだ……
そうだよ……
伝えてないのは、私も同じだ
怖いけど……
頑張って……
ちゃんと私の気持ちを
正直に伝えなきゃ……
「私……推せるよ」
「……推せる?」
「うん」
美月は怜司に微笑んで答える
「今の怜司君に繋がってる話だもん」
「それに」
「まだ物語は終わってないでしょ」
怜司は何も言わなかった
「さっきも言ったよね」
「私は……」
「王子ってキャラクターを好きになるわけじゃないの」
「あのね……」
「私ね……」
「怜司君のこと――」
そのとき……
怜司が何かを抑えるような声で口を開いた
「美月……」
「本当の俺は」
「美月が求めるような……王子ではないんだ」
「え?」
美月は首を傾げた
「う、うん」
「怜司君は不動産の王子でしょ」
「アニメの王子じゃないわ」
「最初から違うじゃん」
「違うのか?」
「違うわよ」
美月は呆れたように怜司を見る
「私は怜司君を」
「アニメの王子だと思って見てるわけじゃないんだから」
怜司は目を細めて美月を見つめた
「そうか……」
「そうなのか……」
「ありがとう」
……ありがとう?
……なによそれ
……頑張って好きって言おうとしたのに
「なんで分からないのよ」
美月は少しむっとしてロールキャベツを一切れ口へ運んだ
味わうように噛んでから飲み込む
「怜司君の作ってくれた料理」
「本当に美味しい」
「本当に……」
「怜司君って……凄いね」
それから、美月の笑みが消えた
……正直に、か……
「あの……さ」
「怜司君」
怜司が美月を見る
「なんだ?」
美月はナイフとフォークを持ったまま
少し俯いた
「子供の頃の体験って」
「美化されちゃうこともあると思うの」
「美化?」
「うん」
美月は視線を落とした
「私って」
「そんなにいいものじゃないよ」
怜司は少し身を乗り出す
「そんなことは――」
「だってさ!」
美月は怜司の言葉を遮った
「怜司君」
「私にドキドキしないって言ってたでしょ」
怜司は小さく目を見開いた
それから慌てたように右手を握り
拳を自分の胸へ押しつけた
「それって……」
美月は少しだけ笑おうとした
「恋愛感情はないってことじゃん」
胸へ押しつけた拳に
さらに力がこもった
「……よせ」
自分に言い聞かせるような声だった
けれど
美月には聞こえなかった
「怜司君、かっこいいからさ」
「私、おかしくなっちゃうよ」
美月は視線を落とした
「だからさ」
美月の声がかすかに震える
「私のこと……」
「女の子として見られないなら」
「もう、やめてほしいかな……」
もう一度
怜司の口から掠れた声が漏れた
「……よせ」
その声も
美月には届かなかった
「これ以上」
「優しくされたり」
「こういうことされたら……」
美月は小さく息を吸う
「取り返しつかないくらい」
「傷ついちゃうから……」
次の瞬間
がたっ
怜司の椅子が大きな音を立てた
「え?」
美月が顔を上げる
いつの間にか
怜司がすぐ目の前に立っていた
美月を見下ろすその顔から
いつもの冷静さが消えていた
「怜司君?」
怜司の手が美月の肩を掴んだ
「えっ」
美月の身体が椅子から
持ち上げられるように引き起こされる
そのまま怜司の強い力に引き寄せられ
状況を理解する間も
抗う間もなく
ソファへ倒れ込む
美月は反射的に目を閉じる
背中がクッションへ沈む
握りしめた手の中へ
何か硬いものが食い込んだ
それから、ゆっくり目を開くと
すぐ目の前に
怜司の顔があった
近すぎる
怜司の身体が美月に重なる
その体温が
服越しに伝わってくる
息を吸おうとしても
喉が詰まり
うまく呼吸ができない
今まで見たことのない目だった
鋭く
熱を帯び
隠していた感情が
剥き出しになったような目
怜司の低い声が響く
「それは……」
「断じて違う」
そのまま、怜司は美月の首筋へ唇を押し当てる
そして、美月を強く抱きしめた
「ちょ! ちょっと!」
「なになになに!」
怜司の腕の力で身動きがとれない
美月は逃れようと身体を捩った
けれど
背中がソファへ沈むだけだった
首筋に触れる唇の感触に
美月の身体が強張る
心臓が壊れそうなほど大きく鳴った
「れ……怜司君!?」
「だめ!」
「やめてよ!」
その言葉に怜司の動きがピタリと止まった
はっと我に返り
すぐに美月から離れる
その拍子に腰が食卓へぶつかった
パリンッ
グラスが床へ落ちて砕けた
自分が何をしたのか理解した瞬間
怜司の表情が凍りついた
その視線が美月の両手へ落ちる
右手にはナイフ
左手にはフォーク
美月は食事をしていたときのまま
その二つを握りしめていた
怜司の肩が落ちる
「……すまない」
美月はソファの上で呆然とし
しばらく動けなかった
やがて
指先に残る鈍い痛みに気づいた
美月はゆっくり手元へ目を落とす
まだナイフとフォークを握ったままだった
美月はその二つを見つめる
強張った指をゆっくり開く
指の内側には
柄が食い込んだ赤い跡が残っていた
それから立ち上がり
何も言わず、ナイフとフォークをテーブルへ置いた
手放しても
指先の痛みは消えなかった
「美月……」
怜司が声をかける
美月は答えなかった
テーブルの上に置いていた自分の荷物を手に取る
「美月」
それでも振り返らない
そのまま玄関へ向かう
「待ってくれ」
美月の足が一瞬だけ止まった
けれど、何も言わなかった
扉を開ける
「……すまない」
後ろから怜司の声が聞こえた
美月は怜司の部屋を出て扉を閉めた
一人になった部屋で
怜司はその場に立ち尽くしていた
床には割れたグラスの破片
テーブルには食べかけのロールキャベツと
美月が作った味噌汁が残されている
『美月が困るようなことは』
『誓ってしない』
ほんの少し前に自分が口にした言葉だった
怜司はゆっくり目を伏せる
「約束を……守れなかった」
怜司は爪が食い込むほど拳を強く握る
「王子?」
「笑わせる……」
「やっぱり……ケダモノだ」




