第13話 まずは友達になる
それから数日、美月の周りでは特に何も起こらなかった
怜司が突然部屋を訪ねてくることもなければ
真っ赤なポルシェが会社の前へ現れることもない
平穏だった
そして金曜日の夜
美月は両手いっぱいの買い物袋を抱えて、意気揚々とアパートへ帰ってきた
明日からは5連休
予定があるのは、『十二星宮のプリンス』のイベントだけ
それ以外は――
好きなだけオタクライフを満喫できる
「ふっふっふ~」
美月は上機嫌で冷蔵庫へ食料を詰め込んでいく
冷凍食品
チョコレート
炭酸水
そして、途中で買った少し高めのプリン
カップ麺とポテトチップスの用意も抜かりない
「完璧!」
夕食もお風呂も済ませ、美月はいつもの部屋着に着替えた
録画してあったアニメを一本見終わる
「まさかのそっち?」
「てぇてぇしそうなんですけど」
エンディングが終わり、テレビから音が消えた
美月は余韻に浸りながら、次に見る作品を選ぼうとリモコンを操作する
そのときだった
隣の部屋から、かすかに声が聞こえてきた
「だからよ、怜司――」
美月の指が止まる
この声は達也だ
どうやら怜司の部屋へ遊びに来ているらしい
「このアパート壁薄いのよね」
「達也さんって声大きいから」
美月はリモコンを操作して次のアニメを再生しようとする
しかし――
「美月さんに嫌われたんだろ?」
美月の耳がぴくりと動いた
……私?
盗み聞きするつもりなどない
ただ、隣の部屋から私についての話が聞こえてくる
悪いと思いつつ、気になってしまう
美月は少し迷ってから、そっと壁へ耳を寄せた
怜司の声が聞こえる
「嫌われたとは限らない」
「車から降りて帰られたんだろ?」
「『もうこういうことしなくていい』って言われたんだろ?」
「それ普通に嫌われてんじゃねえか」
美月は思う
いや……
嫌いってわけでも……
「気持ちが伝わってねえんだって」
「もっとガンガン行けよ」
「具体的には?」
「壁ドンとかやればいいんじゃねえの?」
美月の眉がぴくりと動いた
壁ドンとか……
リアルでやられたら怖いわよ
「壁ドンとはなんだ?」
「女を壁際まで追い詰めてよ」
「顔の横の壁をドンってやって迫るんだよ」
少し間があった
「なんだそれは」
怜司の声が明らかに冷たくなる
「美月にそんなことをしたら怖がらせるだろう」
「それこそ嫌われる可能性が高い」
「まったく合理的ではない」
「どう考えても悪手だ」
美月は思わず小さくうなずいた
そうよ……そこは分かるのね
「だから、吊り橋効果みたいなもんじゃねえの?」
「ドキドキさせて勘違いさせるんだよ」
「まず男として意識してもらわねえと話にならねえだろ」
「駄目だ」
「なんでだよ」
「マニュアルに載っていそうな手法を美月に使用するのは危険だ」
美月は壁越しに目を細めた
怜司君に私の何が分かるってのよ……
「タワーマンションの最上階で東京タワーとスカイツリーの夜景を見せても駄目だった」
「4000万円のポルシェで迎えに行ったら怒らせた」
「……むしろ逆効果であったと分析している」
「あのポルシェ、美月さん迎えに行くためだけに買ったのかよ」
「買ってすぐに手放して、なにやってんのかと思えば」
「当然だろう」
「俺があんな不合理な乗り物に興味を持つわけがない」
「だから、違う方向からのアプローチが必要だ」
「達也に協力してもらっているのも、そのためだ」
「まあ、俺は楽しんでるから構わないけどよ」
怜司は真剣な声で続ける
「彼女が愛するゲームでもそうだ」
「選択肢を間違えれば、好感度が下がる」
「場合によっては攻略不能になる」
美月は嫌な予感がした
「俺はすでに何度も選択肢を間違えている」
「もはや、これ以上の間違いは取り返しがつかない可能性がある」
私……
ゲームの攻略キャラみたいに扱われてるわね
「まずは、美月の心を開かせる必要がある」
「俺は、出会いイベントから間違えているのだ」
そして怜司は、決意を込めた声で言った
「まずは友達になる」
「そこからかよ!」
達也の声が響いた
美月は壁から離れる
なんなのよ……あの二人
私の隣の部屋で、私の攻略法を相談してるわ
私はゲームの攻略対象とは違うわよ
美月はむっとしながらソファへ戻った
「私じゃドキドキしないくせに」
「つきまとわないでよね……」
リモコンをつかむ
アニメの再生ボタンを押した
画面では、美形の王子様がヒロインへ微笑みかけている
美月はポテトチップスを一枚口へ入れた
「やっぱ王子様は二次元に限るわ」
翌日――
5連休初日の土曜日
美月は予定通り、全力でオタクライフを満喫した
朝起きたらアニメを見て
ゲームをして
お腹が空いたら好きなものを食べる
そして日曜日も、同じように過ごした
途中でコンビニへアイスを買いに行った以外、ほとんど家から出なかった
最高だった
そして月曜日
5連休のちょうど真ん中
この日だけは予定があった
美月は部屋の床へ荷物を並べ、一つずつ指差して確認する
「財布よし」
「スマホよし」
「モバイルバッテリーよし」
「イベントチケットよし」
「サインしてもらうグッズよし」
その全てを鞄へ入れる
「これでよ~し!」
今日は『十二星宮のプリンス』の大型イベントが開催される
会場ではコスプレコンテストのほか
第一王子役の声優によるサイン会も予定されていた
さらにコスプレコンテストの優勝賞品は――
原作者直筆の書き下ろし短編原稿
第一王子と第二王子の若き日の出来事を描いた
世界に一つしか存在しない生原稿だった
当然、美月には喉から手が出るほど欲しい神器だ
だが、美月にはコスプレをして人前に出る勇気はなかった
「優勝する人、いいな~」
そんなことを考えながら、美月は会場へ向かった
会場へ到着すると、すでに大勢のファンで賑わっていた
見渡す限り女性ばかりだ
会場のあちこちには、『十二星宮のプリンス』の登場人物に扮したコスプレイヤーたちがいる
王子たちはもちろん
ヒロインや騎士
ゲーム版にしか登場しないオリキャラまでいた
「うわ~!」
「すごっ!」
美月は辺りを見回しながら目を輝かせる
そのとき、ひときわ大きなものが目に入った
「えっ、待って!」
第七王子が愛用している巨大な杖だった
ゲームでは本人の身長ほどもある武器を、同じ大きさで再現している
杖の先端についた宝石から、細かな装飾まで作り込まれていた
「すごーい!」
「これ全部作ったの!?」
「第二王子に真っ二つに折られちゃう杖よね」
美月は細部まで覗き込む
「こういうの見られるからイベントっていいのよね~」
美月のテンションは一気に上がった
やっぱりイベントはいい
同じものを好きな人間が、これだけ集まっている
それだけで楽しい
やがてコスプレコンテストが始まった
参加者たちが次々とステージへ登場する
美月も拍手を送りながら楽しんでいた
「第三王子かわいい~!」
次の参加者が舞台袖へ消える
司会の女性がマイクを握った
「さあ、続きましては――」
なぜか声が弾んでいる
「今日、一番の注目コンビになりますよ!」
会場がざわついた
「第一王子に扮する怜司さん!」
美月の笑顔が固まった
「そして第二王子に扮する達也さんです!」
今度は、美月の表情そのものが固まった
司会が片手を大きく広げる
「どうぞ~!」
舞台袖から二人の男が現れた




