第11話 王子様、会社までお迎えに来る
週が明けた月曜日
美月はいつものように会社へ出勤していた
勤め先は、ノートや手帳、ファイルなどを扱う文具メーカーだった
美月の仕事は営業事務
営業担当から回ってきた注文書を確認し、専用のシステムへ入力する
在庫を確認して出荷の手配をし、得意先から問い合わせがあれば納期を調べて回答する
朝から何件もの電話を受け、見積書を作り、営業から頼まれた商品のサンプルを発送する
「相沢さん、この注文なんだけど、今日の便に間に合う?」
「確認しますね」
美月は書類を受け取ると、すぐにパソコンで在庫を確認した
倉庫への締め切り時刻までは、まだ少し余裕がある
「大丈夫です」
「今すぐ入れれば今日の便に乗ります」
「助かる」
「じゃあ、こっちで手配しておきますね」
美月は慣れた手つきで必要な情報を入力していく
昨日までは
アパートを買っただの
フィアンセ候補だのと理解不能な言葉に振り回されていた
けれど会社へ来れば、そんなものは関係ない
注文された商品を間違えないこと
納期を守ること
営業が困らないように必要な書類を用意すること
やるべきことが決まっている世界は、美月にとって心地よかった
午前中の仕事を一通り片づけたところで、昼休みになった
「美月、お昼行こ」
隣の部署から、同期で親友の佐伯真帆が顔を出した
「行く行く」
二人は会社を出ると、裏通りにある小さな喫茶店へ向かった
何年も通っている店だった
ランチタイムには、日替わりのプレートにスープと飲み物がついてくる
値段も手頃で、会社から近い
美月にとって、平日のささやかな楽しみの一つだった
今日は鶏肉のトマト煮と、小さなサラダがついている
注文を終えるなり、真帆が身を乗り出した
「で?」
「なにが?」
「とぼけない」
「朝からずっと聞こうと思ってたんだから」
美月は嫌な予感がして、水の入ったグラスへ手を伸ばした
「例の不動産王子」
「その呼び方やめてよ……」
「だって本当にそう呼ばれてるんでしょ?」
「そうだけど」
真帆は指を一本ずつ立てながら確認していく
「15年前に一晩だけ看病した男の子が、大人になって迎えに来た」
「うん」
「しかもイケメン」
「まあ……」
「お金持ち」
「うん」
「美月と結婚するために不動産王子になった」
「本人はそう言ってる」
「それで美月がアパートを大切だって言ったら、アパートを丸ごと買った」
美月はげんなりしながら額へ手を当てた
「そうなのよ……」
真帆はしばらく黙った
それから、不思議そうに首を傾げる
「……何が嫌なの?」
「全部よ!」
思わず声が大きくなり、美月は慌てて周囲を見回した
真帆は目を丸くしている
「だって、すごくない?」
「そんな漫画みたいなこと、本当にある?」
「当事者になってみなさいよ」
「怖いからね」
「でも美月のためにアパート買ってくれたんでしょ?」
「いい人じゃん」
「それ……いい人っていうの?」
「その前日に15年ぶりに会ったばっかりなのよ」
「絶対におかしいでしょ」
「ああ……」
「たしかに……」
「しかも隣に引っ越してきたのよ」
「は?」
「大家やるんだって言ってた」
真帆は眉をひそめて少し考える
「それはちょっと……」
「てか、かなり怖いわ」
「でしょ!」
ようやく分かってもらえたと、美月はテーブルへ身を乗り出した
「しかもね、怜司君が私の好きなアニメまで調べてコラボカフェに誘ってきたのよ」
「え、かわいいじゃん」
「かわいくない!」
「私、連絡先教えてないのにショートメールで誘ってくるんだからね」
「でも、結局一緒に行ったんでしょ?」
「もう一人と一緒に」
「達也さんだっけ?」
「うん」
「どんな人?」
「茶髪で、ピアスしてて、目つき悪くて」
「いきなり家の扉をドンドン叩いて出てこいとか言った、顔はいい人」
「なにそれ、怖っ」
「イケメンが霞むほど関わりたくないわね」
「でしょ?」
「でも、ちゃんと謝ってくれたんでしょ?」
美月は口を閉じた
「……謝った」
「ご飯も奢ってくれた?」
「……私が払うって言ったのに」
「勝手に払われて逃げられた」
「コースター集めるのも手伝ってくれた?」
「……手伝ってくれた」
「コンプして額に飾ったわ」
「実はいい人?」
「……うん、そう思う」
真帆は少し考え込んだあと、にやりと笑った
「美月、なんだかんだ楽しそうじゃん」
「どこがよ!」
ちょうど料理が運ばれてきた
美月はこれ以上追及される前に、鶏肉を口へ運んだ
柔らかく煮込まれた肉に、少し酸味のあるトマトソースがよく合う
「おいしい」
「あ、話そらした」
「お昼くらい平和に食べさせて」
「それよりさ、今期どう?」
「面白いのあった?」
美月はパンをちぎり、トマトソースにつける
こうして真帆とくだらない話をしながら食べる昼食が好きだった
高級な店でなくていい
珍しい料理でなくてもいい
仕事の合間に美味しいものを食べて、笑って、午後からまた働く
美月にとっては、それで満足だった
午後もいつも通り仕事をした
得意先から届いた注文の数量が合わず、営業へ確認する
急ぎのサンプル品を梱包し、宅配便の集荷へ間に合わせる
夕方には翌日の出荷予定を確認した
そして定時を少し過ぎたところで、ようやくパソコンを閉じた
「お疲れさまでした~」
真帆と一緒に会社を出る
外はすでに薄暗くなっていた
美月は大きく背伸びをする
「ん~~っ、終わった!」
「美月、今日どうする?」
「途中でご飯食べてまっすぐ帰るよ」
「また外食?」
「今日は自炊する気力ないもん」
「駅前の定食屋で、鶏と野菜の黒酢あん食べようかな」
「美月、それ好きだよね」
「週に1回は食べてない?」
「野菜も取れるし、ちゃんとご飯食べた感じするんだもん」
何を食べるか考えていると、それだけで少し幸せな気分になった
そのときだった
低く腹に響くようなエンジン音が、会社の前へ近づいてきた
美月は何気なく道路へ目を向けた
真っ赤なスポーツカーがこちらへ向かってくる
周囲の視線を集めながら減速し、美月たちの目の前で止まった
真帆が呟く
「すごい車……」
「実際に乗ってる人いるのね」
美月も思わず目を細めた
真っ赤なポルシェが、自分たちの目の前で止まっている
運転席の扉が開いた
黒いジャケットを着た男が降りてくる
美月の顔が青ざめた
「……嘘でしょ」
御堂怜司だった
怜司は周囲の視線など気にする様子もなく、まっすぐ美月のところへ歩いてきた
「美月」
真帆が美月の腕をつかんだ
「ちょ、ちょっと」
「なによ」
「さっき言ってた人でしょ、これ」
真帆は怜司を見上げた
鼻筋の通った整った顔立ち
すらりとした長身に、無駄のない細身の体つき
体に合った黒いジャケット姿も、妙に様になっている
真帆は怜司を見上げたまま目を凝らす
そして、一度美月を見る
また怜司を見る
「え!? え!?」
「なにこれ!?」
「どこの世界から来た人!?」
「私も聞きたい」
美月は疲れた目で怜司を見た
「……何してるの?」
「迎えに来た」
「頼んでないんだけど……」
「てか、なんで勤め先まで知ってるの?」
「前の大家から引き継いだ書類に書いてあった」
「それって、こういうことに使っちゃだめな情報じゃないの?」
「美月が好きな第一王子も、ヒロインの住所をいずこからか入手していた」
「王子は頼まれなくても迎えに来るものだ」
「な……なによそれ」
「痛いところ突いてくるわね」
美月はすぐに我に返った
「じゃなくて!」
「会社の前にこんな車で迎えに来られたら迷惑なんだけど」
「目立つでしょ」
周囲を見ると、帰宅途中の社員たちがちらちらとこちらを見ている
窓から覗いている人までいた
怜司も周囲を確認した
「この会社の社長とは友人だ」
そう言われて美月が少し怯んだ
「だ……だから?」
「会社員にそういうこと言うのズルいからね」
「問題があるなら、俺から謝っておく」
「……そういう問題じゃなくて」
美月にそう言われると、怜司は少し考え込んだ
どうやら本当に分かっていないらしい
真帆が美月の耳元へ顔を寄せた
「ねえ美月」
「なによ」
「これの何が嫌なの?」
「全てを乗り越えるレベルの顔面とスタイルじゃない」
「しかもお金持ち」
「あなたまでやめて」
真帆は小声で続ける
「だって、真っ赤なポルシェで会社まで迎えに来る男なんて」
「人生で一回くらい経験してみたくない?」
「私はもう十分だから、代わってあげる」
「あ、それは遠慮しま~す」
「なんなのよ!」
「真帆、私で遊んでない?」
怜司は助手席側へ回ると、扉を開いた
「乗ってくれ」
「なんでよ」
「家まで送る」
「電車で帰れるから」
「知っている」
「だったら――」
「美月」
怜司は真剣な目で美月を見た
「俺は学んでいる」
「……何を?」
「美月の王子としての振る舞いと心を」
美月はしばらく黙った
この人……なに言ってるの?
どうやら拒否しても話が長くなるだけらしい
会社の前でこれ以上注目を集めるのも嫌だった
「もう……」
美月は諦めて助手席へ乗り込んだ
怜司が扉を閉める
窓の向こうでは、真帆が満面の笑みを浮かべていた
そして両手で拳を握る
『頑張れ』
声には出していないが、口の動きではっきり分かった
美月は思いきり眉を寄せた
何を頑張るのよ……




