8.阿蘇チーズのピザ
「疲れた…」
「腹減った…」
真尋と大河は、二人してしみじみと呟いた。
一行は、大通り沿いの展望台駐車場まで無事戻ってきた。
真尋の体感では、せいぜい2時間程度であったが、異界から帰ってきた時にはすでに日が傾き出していた。
展望台に着いたのは昼前だったから、3時間は時間がとんでいる。
大河は、異常現象から始まり、元カノ(肉体関係なし)の手から直接水を飲むというイベントでトドメを刺され、その精神はボロ雑巾となっている。さもありなん。
それでも肉体の疲労が薄いのは、やはりミカヨの与えた水のおかげかもしれない。
二人の腹から元気にグゥー、という音がなった。
「近くにピザが有名なレストランがある。一緒に食べねぇか?」
真尋もこのまま別れるのはどうかと思ったので、素直に頷く。
ピザに釣られたことは否定しない。
大河が乗ってきたバイクをレンタカーの後ろになんとか積み込み、大河の案内でレストランを目指した。
ミカヨがバイクの隙間に詰め込まれたことをブーブー文句垂れたが、我慢してほしい。
因みに、異界を出てからも大河にはミカヨが引き続き見えているようだ。まだどことなく警戒しているが「なんかもういいや」という諦めが勝っている。
「何も聞かず、逃げて、本当にごめんなさい」
真尋は、ハンドルを握り前を向いたまま大河に謝った。本当は顔を合わせたほうが良いと思ったが、また逃げてしまいそうで運転を言い訳にした。
大河もまた前を向いたまま応じる。
「俺の方こそ、ごめん。言い訳くらいは聞いてほしいって当時は怒りもしたけど。
そこまで傷つけてしまったのは、俺の迂闊だから…本当に悪かったとずっと後悔してる」
静かな声だ。
真尋は、この期に及んで大河が後悔をしていること、真尋を嫌っていないことに喜んでいるのを自覚した。自分が情けない。
大河は、律儀に真尋に断ってから、当時の顛末を説明しだした。
「ことの始まりは、俺が痴情のもつれに巻き込まれたことだ」
…ちょっと意外な話の切り出し方だ。
ミカヨが、好奇心に任せて後部座席から身を乗り出して来たのを無視して大河は続けた。
警察学校の同期に厄介な女がいたらしい。
この女、男が彼女持ちと知るや積極的に粉をかけてくる根性の曲がったやつであった。
大河も彼女がいると知られ、訓練の最中や勉強の合間などにやたら絡まれるようになり、非常に迷惑していたという。
実はこの女、学校に入ってすぐにちゃっかり同期の彼氏を作っており、大河が女を冷たくあしらっている様子は、もちろん女の彼氏にも目撃されていた。
そして、彼氏の怒りの矛先が、何故か大河を向いた。
「なぜじゃ?
他にも色仕掛けされてた男もおったんじゃろ?まして、自身の女に怒らずに、なぜ大河だけ的に?」
「その、俺にもよう分からんです。
俺が問い詰めたら、彼氏の頭ん中では俺が彼女を誘惑したということになってました」
同期の男は、飲み会の席で大河を酔わせた挙句、他の同期も巻き込んで大河を大人のお店に連れ込み、あまつさえその写真を真尋へのメッセージに送付したのだ。
「だが、本当にあの店で女性に触ってない。マジで指一本も。
というか、写真を送られたことに気づいていて酔い吹き飛んで、すぐ店飛び出した」
その後、同期の男を締め上げて吐かせた事情は、何とも馬鹿らしいものだった。
「よく相手を殴らなかったね。私なら我を忘れてお騒がせカップルに復讐したかも」
「実技訓練の時に、少し狙いがズレて竹刀を鳩尾にもろに当てちまったことはある」
「いやぁ、あれは悪かったなぁ」と爽やかな笑顔で言う大河は、結構怖い。
「訳のわからない恨みで、ようやく付き合えた彼女に徹底的に避けられて、一時はほんとに参った」
「本当にごめん。冷静になれなかった。あの時、カーッとなって話し合いもせずに離れちゃったの、後悔してる。
お店もまぁ、付き合いでいくことはあるよね。大人なんだからさ」
負い目が舌に絡まり、しどろもどろにフォローを入れる。
それを聞いた大河が、眉根をよせた。
「謝るなよ、きっかけは俺だ。
それに、怒ってる真尋が、少しだけ嬉しかった。嫉妬してくれたんだと思って。
だから、勝手だけど、店入るのを認められる言い方はちょっと辛い」
お前なんかどうでもいい、と言われているようだから。
苦笑いが、真尋の心臓に痛い。
振り切れなかった想いが、過去から追いかけてくる。ぐるぐる回る後悔が、腹を捻じるようだ。
ふと、前方に明かりに照らされたレストランの看板が見えた。
「真尋、もう着くぞ。ピザは何がいい?」
レストランは、赤茶色のレンガと漆喰の外壁でイタリアの田舎の家を参考にしたと思われる。日本では、カフェ等でよく見るデザインだ。
薄暗くなり始めた山の中に、ランタン型のライトで照らされたその店は、童話に出てくるようなメルヘンチックな佇まいだった。
いつの間にか大河が予約してくれていたらしい。
名前を伝えてスマートに案内された席は、少し奥まった部屋で、ゆっくり寛ぐにはうってつけ。
「神様の口にピザが合うか知らないけど、まぁ、席にどうぞ」
大河は、さり気なく小さな丸椅子をテーブルに寄せ、ミカヨに勧めてくれた。
ガサツそうで、こういう気遣いが出来る男であった。
その後のメニュー選びは、実に厳しいものだった。
そもそも二人の胃袋は、すでに空腹の限界を超えて、すぐにでもカロリーを求めていた
しかし、メニュー表に載った写真はどれも美味しそうで、中々注文が決まらない。真尋は26歳にしてよだれをメニューに垂らしてしまう寸前だった。
結局、一人じゃないし、と双方言い訳をしながら3枚のピザとサラダ、サイドメニュー1種を注文をした。2人で食べるにしては驚異の量であるが、これでも厳選したのだ。
新鮮な野菜が散りばめられたサラダを貪るように食べた後、念願のピザが登場した。
1枚目は、王道のマルゲリータ。
サラダを完食してすぐに席に運ばれてきて、お店の心遣いを感じる。多分獣より空腹なのバレてた。
チーズが窯の熱で膨れ、見るからに熱い。上に散らされたバジルは、焼かれてより香ばしく香り立つ。
口に含むとチーズがダイレクトに舌を刺激する約束された美味しさだ。バジルの爽やかな風味がさらにチーズを引き立てる。
生地は、具の乗った部分は薄く端は分厚くされており、しっかり具を味わった後、小麦の味も感じられる仕様となっていた。
2枚目は、クアトロフォルマッジ。
4種のチーズを使用した贅沢なピザだ。熱々のチーズは、相変わらず舌を焼きながら口内に躍る。
マルゲリータにはなかったブルーチーズのクセが、大人の味わいをプラスし咀嚼が止まらない。
次の一口は、横に添えられた蜂蜜をかけて頂く。チーズと蜂蜜の甘さが調和し、甘じょっぱい味が、これが完成品ですと主張する。いくらでも食べられそう。
3枚目は、サイドメニューと一緒に来た。
阿蘇の牧場で作られたソーセージ盛り合わせとキノコのピザだ。
ソーセージは、一口噛めば肉汁が口から溢れる程のジューシーさで、程よい塩っけがマスタードとの相性抜群だ。肉々しい味が腹を強く満足させていく。
ピザは、キノコが何種類あるかもはやわからないくらいいっぱいに山盛りにされており、オリーブオイルと合わさった森の香りが香ばしい。しかし、後味は爽やかで今まで食べたチーズの重みとバランスを取ってくれる。
2人して無言でぱくつき、最後はノンアルワインまで頂き、とても満足して満ち足りた時間を過ごした。
どれも阿蘇のチーズが使われており濃厚な出来であった。カロリーは幸せの味である。
ミカヨは、ここまでチーズ攻めされた経験はなかったので、最後は少し辛そうであったが、ピザへの新鮮な驚きは、真尋と大河を和ませた。
2人は、満腹な腹を抱えて「食べ過ぎた」と笑い合い、ようやく過去のしがらみを解いて向き合えたのだった。




