5.黒川温泉の温泉卵
真尋は、大自然を感じていた。
見上げる程の苔むした大樹が立ち並び、地面には大小様々な岩の間を清水がサラサラと流れる。
夏の熱さは木々の葉に遮られ、夏の屋外と思えない程に涼やかだ。
思わず深呼吸をしてしまう森。熊本阿蘇の山奥で、真尋は思わず涙を流しかねないほど感激していた。
「空気美味しい!」
「確かによい森じゃが、島とて緑溢れる土地であったろうに」
「沖縄の植生は、ザ・熱帯ですからね。こんな太古の神様が出そうな森は県外に出ないと見ることができません。景色が霧がかって幻想的!」
「わし正真正銘の神じゃけど?」
己の神が納得しかねる顔をしているのを横目に、きゃあきゃあ言いながら写真を撮る。
僅かに白みがかった森の大気は、天然のアロマミストのごとく真尋の肌を艶々にしていく。
遠くに聞こえる滝の音と小鳥の鳴き声も情緒たっぷりでとてつもない贅沢感である。
故郷の島を離れ、船と飛行機に揺られ半日かけて九州に渡り、更に最寄り駅にてレンタカーに切り替え4時間、ここは九州のほぼ中央付近にある黒川温泉である。
昨日は全てを移動に費やし明けの本日、朝一番にハイキングコースを楽しんでいた。
黒川温泉とは、火と水の国と名高い熊本県内でも有数の秘境である。30軒程の温泉宿が寄り集まったこじんまりとした温泉郷だ。都心から遠く離れた自然に囲まれた美しい隠れ里である。
映えある旅のスタート地点としてここを指定したのは、実はミカヨである。ここは、ミカヨが元々祀られていた村の近くなのだ。
真尋としても何も考えていなかったので、よい目的となった神の里帰り。ミカヨが指差した地図付近で適当に宿を取ったのだ。
正直ただの田舎の村だと思っていたのだが、既に期待の5倍は満喫している。
「入湯手形ってのを買えば温泉めぐりが出来るらしいですよ!散歩終わったら是非やります!」
黒川温泉にある殆どの宿は勿論温泉を有している。専用の手形を買えば、温泉郷の湯を複数楽しめるという一体感のある観光が売りだ。
真尋は、温泉街で地産肉たっぷりのメンチカツを食べ歩きしつつ、温泉を巡った。
郷内に温泉が多くある為、観光客がバラけており温泉内はほぼ貸切状態である。
人目を気にせずミカヨとお喋りが出来るのは非常によい。露天風呂で共に湯に浸かると腹の奥からとてつもなく気の抜けた「あーーー」という声が出る。
「そう言えば、ミカヨ様って女の子ですか?なんか、超常現象過ぎて全然気にしてませんでした」
湯に浸かっている身体はツルンとしていて、特に何もついていないようだ。見た目は、5歳くらいの女の子に見える。
「強いて言えばまぁ女かのう。正直なところどちらでも構わないのじゃ。この姿とて慣れているからいちいち変えておらんだけで、別に見た目を男にしようが問題はない」
「まぁ神様ですもんね」
「神話として語られる名の知れた神であれは、多くの人の願いに形を引きづられるやもしれんが、わしは田舎におったゆえな、知名度は下の下よ。それに村でも別に性別を語っておらんかったじゃろ」
確かに、「無闇に入れば祟る」という認識が強すぎた。
祖父に「村の皆を守る神様なんだよ」とぼんやり聞いた気もするが、病祓いの神であることは本人から聞いてはっきりしたくらいだ。
つらつらと披露される豆知識を湯でふやかされながら聞き、3つの温泉を味わってホカホカして宿を出ると、あまりにもよい場所に無人の温泉卵売り場があった。
躊躇う理由などない。隣の貯金箱に硬貨を投入し、卵を1つ取った。
ツルリとした柔らかな身が温泉で若干の塩っけを帯び、シンプルな旨味を引き出している。黄身はとろけ、口に濃厚な後味を残す。単純だからこそ、素材がうまいのがわかる一品だ。
2口で食べきってしまい、次を手に取るか悩んでいたところ、後ろから声がかかった。
「卵頂いて良いですか」
「失礼しました!どうぞ!」
慌てて退く。バッと振り返り、相手の顔を見た真尋は驚愕に固まった。
メガネをかけた背の高い偉丈夫がいた。全体としてゴツゴツした印象を受けるが、顔はそこそこ整っている。
垂れた眉毛が愛嬌を一匙。マスコットになった熊のような男だ。
律儀に会釈していた男も口をあんぐりと開けた。
「た、たた、大河!あんたなんでここに!」
「なんで真尋がここに居る!?」
二人が悲鳴を合唱する。
浮かぶミカヨが冷静に「旅先で知人に会っただけにしては大袈裟だのう」とぷかぷか言った。




