14.コーヒーとカクテル
「久しぶりね。真尋」
「うん、久しぶり、賢。元気そうで良かった」
指定された店はレトロな扉に営業終了のプレートが掛けてあり、間違いでないか何度も確認した後、恐る恐る扉を開けた。
店の中に見つけた馴染みの顔を見て、朝に東京に着いて以来ようやくほっとした。
東京は、移動だけで田舎者を疲れさせる。
細身のスラックスと白いシャツに麻のジャケットをさらりと羽織った、姿勢の良い男だった。
さり気ない胸元のブローチがなんとも華やかだ。
男性にしては少し長い髪はよく手入れされていて、まさに都会の男といった風情である。
男は、池宮賢志郎という。物心つく前から共に遊んだ真尋の幼馴染である。
「アンタ、相変わらず適当な服着てるわね。涼しさ優先してんじゃないのよ。もっと自分に合った服買いなさい」
「ほら、賢にもらったスカーフ。髪につけてるよ」
「服に合ってないってば。減点よ」
相変わらずの遠慮のない批評に、懐かしくて笑いが込み上げる。
賢志郎もじゃれ合って満足したのか、ふっと笑い、改めて歓迎した。
「ようこそ、アタシの城に。まだ完成してないけどね」
賢志郎は、高校卒業後すぐに沖縄本島の会計事務所で働き出した。仕事を覚え、バリバリ稼いだかと思うと、すぐに東京の企業へ転職を果たしたバイタリティの塊のような男である。
そして、貯めた貯金を元手に、満を持して自分の店を構えたのだった。
因みに、高校時代の真尋をボードゲーム部に引っ張っていき、大河に引き合わせたのも彼である。
「入院で開業が延びちゃったのよ。丁度いいからメニュー考案に付き合いなさい」
慣れた手つきでエスプレッソマシーンを起動し、チョコレートとミルクを加えた。
大して待たずに、温かいモカが出てきた。
かすかなミルクの甘みとほろ苦いチョコレートに心がほっとする味だ。仄かに香るのはブランデーと思われる。
確か、賢志郎の店のコンセプトは「飲めない日の特別な一杯」。ノンアルコール飲料と珈琲をメインとして売り出すようだったので、少し香り付けに使ったのかも知れない。
甘すぎなくて飲みやすい。
「美味しい。
チョコレートの味がしっかりするのに、しつこくないね。お酒の匂いもいい感じ。
強いていうなら、もう少し珈琲が重めでも良いのかも」
「服装は全然頓着しないくせに、舌は肥えてるのよね」
「いい参考になるわ」と同じものを飲みながら呟く。
左手がぎこちない動きをしているのは、少し前にした怪我の影響らしい。
賢志郎は、東京の企業で会計業務をする傍ら、夜はバーで数時間だけ働き、お酒の勉強をしていた。
開業資金の目処がつき、会計の仕事を辞めた直後、バーでの仕事中、割れたガラスのコップで掌を深く切ってしまったのだ。
怪我は思ったよりも重症で、手術と1ヶ月の入院を余儀なくされ、ようやく1週間前に退院してきたらしい。
退院した日に「手術したけど無事だから。旅行してんならアタシの店も寄りなさいよ」と電話が来て、かなりびっくりした。真尋に心配させない為に退院まで事情を隠していたらしい。変なところで意地っ張りだ。
黒川温泉でこの知らせを受けた真尋は、九州をのんびり1周する予定を切り上げ、熊本から東京まで飛んだ。
しかし、入院等で時間がなかった割には、店内は既に準備万端に見えた。外観は、古き良き昭和の喫茶店の風情であったが、中に入ると印象はガラリと変わり、今流行りの北欧テイストだ。壁はグレーの色調でまとまり、ライトブラウンの北欧家具が並ぶ店内は、シンプルながらも落ち着いて過ごせそうだ。
ぼんやり店内を眺めていると、賢志郎は事情を教えてくれた。
「お世話になった喫茶店の店主が、引退を期に店を格安で譲ってくれたの。内装に少し手を入れるだけで済んだから、会社員時代からちょくちょく工事進めてたのよ」
他人から店を譲られるとは。相変わらずのコミュ力お化けだ。賢志郎は人と話すのを苦に思わない性格で、友達もとても多い。女性のようなしゃべり方も魅力の1つとなっている。
「そっか…掌は、まだ痛む?」
目を凝らすと人の痛みがぼんやり見えるようになった真尋は、賢志郎の掌付近に黒い靄が纏わりついているのが分かった。
この感じ、まだ思ったより痛そうだ。
「掌って神経が集まってて、回復には時間がかかるんですって。神経が混線することもあるから後遺症は覚悟するよう医者に言われたわ。幸い、今は変な動かし方をしなければそんなに痛くないの。
全く、やらかしたわ」
軽く言うが、長年の夢であった店の開店前にケチがつき、結構落ち込んでいるようだ。
猫のようなアーモンド型の瞳は、何処となく沈んでいる。
真尋は、隣に浮かんで真尋のモカを味わうミカヨをチラリと見た。頷きが返る。
「賢、その手、治せるなら治したい?」
「まぁ、そらそうよ。重い荷物は運べないし、カクテルを作るにも工夫がいるわ。
完治も怪しいし…チクチクと痛みが煩わしいのよ」
片眉を上げ、怪訝そうに真尋を見る賢志郎の手を取る。包帯が厳重に巻かれて痛々しい。
「なによ?」と警戒する賢志郎を無視して、黒い靄に意識を集中する。
真尋の掌で、黒い靄ごと賢志郎の掌を包む。
痛みを押さえつけて、握り潰すイメージ。
真尋の掌にジリジリとした静電気のような感覚があり、我慢して5分ほど続けると、ふと楽になった。
集中の為に閉じた目を開けると、黒い靄は消えていた。成功したらしい。
ミカヨも親指を立ててサムズアップしている。この頃うちの神様は、洋画が特にお気に入りだ。
賢志郎は己の手を取り戻して、不審そうな顔で掌を開いたり閉じたりした。そして、何かに気づくと慌てて包帯を解き、今度こそ唖然とした。
目が真ん丸に見開き、いよいよ猫のようだ。
「うそ…治ってる…」
掌には手術痕はあるものの、つい1ヶ月前のものとは思えないほどに薄い。
それに、ここ暫く悩まされた痺れと痛みが綺麗に無くなっている。
この異常現象を引き起こしたと思われる真尋は、神妙な顔で賢志郎を見ていた。
賢志郎は、混乱から立ち直れずに呆然と真尋と自分の掌を見比べた。すると「できれば信じてほしいんだけど」と前置きし、誰よりも親しい友人は、怪談じみた神様との出会いを話し始めたのだった。
「ついに、神様をスケコマシたってこと?」
「賢の中の私って、どんな印象なの?」
神様の慰安旅行への同行が、どうしてそうなるんだ。
「昔から変なのばっかに寄られるわよね」と何やら納得している。
何がだ。大河くらいしか色恋沙汰なかったでしょうよ。
賢志郎は、意外なほどすんなり神様の存在を受け入れた。
「自分の手をこんなに治されれば、信じるしかないじゃない」
「そっか。信じてくれて、ありがとう」
「こっちこそ、本当に感謝しかないわ」
「はい、これ神様に貢ぎ物」と早速全快した手を鮮やかに翻し、ノンアルカクテルを作ってくれた。
爽やかな緑と黄色のグラデーションで、上にミントとレモンが乗っている夏にピッタリの一品だ。
真尋の横の誰も座ってない席にコトンと置くと、ミカヨが嬉しそうに飲み始める。
ぐんぐん嵩の減るカクテルを見て、賢志郎が感心したように頷いている。科学実験を見守る研究者のようだ。
「アンタ、分かってるとは思うけど軽々しくなんでも治したらトラブるわよ。もしこれで旅費稼ごうってんなら、ちゃんとしなさいよ」
「実は、その相談も兼ねて賢のところにきたんだ」
ミカヨは、前々から治療をする際には注意するよう口酸っぱく言っていた。真尋は、自分の人を見る目にあまり自信がなかったので、仲介人を立てるのはどうかと、2人で話し合っていたのだ。
治療を必要とする者と真尋の間に仲介人を置くことを考えたとき、真っ先に思い浮かんだのは賢志郎だった。
人の多い都会に住んでおり、コミュニケーション能力が高く、人をみる目も確かだ。
何より、真尋が家族と同等に信頼している人物である。賢志郎も真尋を大事に思ってくれている自信があった。
今回の治癒も幼馴染が心配だったものあるが、半分は今後の為の賄賂である。
「成る程ね。ふーん、成る程。いいわよ。
真尋と神様には大きな借りもできたもの。
でも仲介料はちゃんと貰うわ」
仲介人を頼まれた賢志郎は、少し長く思考したが、最終的には頷いた。
「まずは、そうね。価格設定、営業形態、治す怪我や病気の範囲の明確化、治療場所くらいは決めときましょう。個人情報保護の制約も必須ね。
あとなんかある?」
「あ、治療の対価に私の体重が消費されるから頻発できないの。1回で大体1キロくらい減るから、1ヶ月は期間あけたい」
「ばっか。早く言いなさいよ。結構カロリー必要じゃない。馬鹿」
店の冷蔵庫から美味しそうなブラウニーが出てきた。律儀に生クリームが添えられている。ついでにアイスコーヒーも出てきた。おいしいです。
学生に戻ったように、やいのやいの言いながら計画を詰めていく。
「場所は、最初はこの店がいいわ。アンタをうちの従業員にする。営業名目は…リラクゼーションかしら。特に資格は不要だったはずよ。
治す範囲は掌サイズ?オーケー分かったわ。ちょっと考える」
賢志郎はスラスラと懸念を炙り出し、計画の穴を埋めていく。流石、小さくても自分の店をもつ経営者だ。
「さて、問題は価格設定よ。多分、安すぎても高すぎても問題が起こるわ」
確かに、参考価格もなくて難しいところだ。
真尋が、長期戦に備えてコーヒーを含んだその時、ズバッと速やかに回答がでる。
「100よ。1回100万円でいきましょう」
ブフッと真尋はコーヒーを吹いた。
「汚いわね」と言われながら口を拭き、なんとか持ち直した。しかし、1回に100万は荒稼ぎ過ぎだろう。暴動が起きる。
「アンタ、この力舐めてるわね。後遺症を治すって現代の医療でも難しいの。まして、病気まで綺麗さっぱり消せるなんて、本当に奇跡だわ。
これでも金額は抑えた方よ」
「いやでも、病気だって全身症状出てるやつなら完治は無理だし、本人の体質を変えられるわけでもないから再発とかも多分あるよ。範囲も狭いのにそんなに高い金額でいいのかな」
賢志郎は、呆れたようにため息をついた。
「痛みって、人を弱らせるの。それを一部とはいえ、直ぐに消してくれるのがどれだけ有難いか。真尋はちゃんと知るべきだわ。
それに、病院の治療でも積もり積もって100万に近い治療費になることも珍しくない。
いいから、取り敢えずこの金額でいく。もし何かあったらまた考えるわ」
「うーん、責任重大」
「アンタよりクライアントを選ぶこっちの方が責任重大よ。
秘密の守れる人で、かつお金をちゃんと出せる人でなきゃ。
まぁ、治るならこれくらいは出すって人は多いでしょう」
治療日は、クライアントとの調整次第だが、原則月初めの1日とした。
治療の報酬は、雇用主として一旦賢志郎が受け取り、仲介費等を差し引いた金額が真尋へ渡されることになった。
「初めは、アタシみたいに後遺症や怪我の治癒がいいわ。分かりやすく治さないと疑って治療費の支払いを渋られるかも。他にも決めなくちゃならないけど、取り敢えずこんなもんよ。
毎月1日に限定したのは、アンタの体重管理の為よ。ちゃんと月末までに太ってらっしゃい」
言い方さぁ、まぁいいけど。何だかだいぶ道筋が見えてきてホッとした。賢志郎様を拝んでおくとするか。
「いいのよ。人選、契約書の作成管理、場所の提供、税金、その他諸々含めて25%貰うから、アンタの受取は75万よ。
お金の分はちゃんと働くわ」
その他諸々の部分は、真尋が想像するよりだいぶ面倒だろう。雇用者契約をするというのも恐らく真尋を守る為。
それを加味すると、25万では安いくらいだ。本当に頭が上がらない。
存外に計画作成が盛り上がり、気づけば日が暮れている。
「もうこんな時間なのね。宿決めてない?
なら家に来なさい。狭いけど、客用布団を敷けるスペースくらいあるわ」
「いや、その、流石に異性の家に泊まるわけには」
「今更アンタとアタシで何が起こるって言うのよ。変な遠慮しないで」
「いや、その。大河とより戻したから、ちゃんとしなきゃって」
しどろもどろに言う真尋に賢志郎の顔が好奇心にきらめく。めちゃくちゃ面白そうだと顔に書いてある。
「狩られるウサギみたいに逃げ回ってたのに、ついに捕まったのね。
意外と長くかかったわ。まぁ結果は分かりきってたけどね」
「そんなに分かりやすかったの?私が大河のこと、まだ好きって」
「アンタらは痴話喧嘩の行き違いだったじゃないの。嫉妬できてるうちは、大好きと同義でしょ。
それに、大河は全然諦めてなかったわ。流石年季が違う。いいヤツだけど、相変わらずアンタにだけ重いわね」
「続きは酒のみながら聞くわ」とニンマリ笑む賢志郎に、真尋の背筋には冷たい汗が一筋流れた。




