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19。歳月が歌を奏でる中で君を探して

第十九章:歳月が歌を奏でる中で君を探して


香城国際空港の出発ロビーは、相変わらず出会いと別れの交響曲を奏でていた。非常に高いドーム状の天窓と反射板から柔らかい自然光が差し込み、ロビーに温かな光と影を落としている。広いロビー内を行き交う人波は絶え間なく、キャリーケースの車輪がタイルの床の上で規則的な音を立て、フライト情報案内板がめまぐるしく表示を更新し、アナウンスと途切れぬ足音が織りなす光景は、忙しくも慣れ親しんだ日常そのものだった。


ユキは保安検査場の制限エリア外に立ち、スーツケースを引きながら慌ただしく行き交う人混みの向こうを見つめていた。間もなくウォール街へと戻る両親も、予定通り搭乗手続きへと向かっていった。


ユキの父は今日、裏地のないダークブルーのカジュアルジャケットに、仕立ての美しい白シャツを合わせ、ネクタイは締めていない。ボトムスはダークカラーのスキニーパンツにカジュアルな革靴という装いで、マンハッタンで働き、洗練された生活を送る都市的な質感を漂わせていた。彼は少しうつむいてスマートフォンでいくつかのメールを確認し、制限エリアに入ってからどう返信するかを考えている。その引き締まった表情は、資本の駆け引きに臨む際の自然な集中力そのものだった。一方、ユキの母は十數時間にも及ぶ超長距離フライトに備え、柔らかく快適なニットウェアとフラットシューズに着替え、肩には機内用品を詰め込んだ大容量のトートバッグを下げていた。彼女は二本の保温ボトルを丁寧にバッグの中へと収めており、その動作は手慣れていて優しい。彼らは間もなく、投資家と數字に滿ち溢れ、金融工學と巧みな對人スキルが求められる、あの慣れ親しんだウォール街――血の流れない彼らの戰場へと戻っていくのだ。


今日、見送りに來ていたのは、ユキのほかにエアリーとその母だった。


「ユキ、あっちに戻っても規則正しい生活をして、自分の體をしっかり自愛するのよ」

ユキの母はパスポートと搭乗券をしっかり手に挾みながら、ユキの少ししわの寄った襟元を優しく整えた。その瞳には、DSE 統一試驗を控えた娘に対する母親としての隱しきれない心配と愛おしさ、そして最近の成長によって芽生えた獨立への信頼と、一抹の名殘惜しさが滲んでいた。

「勉強も健康も同じくらい大切なのだからね。私たちがいないからってすぐに夜更かししたり、夜遅くまで勉強して疲れたからって言い譯してスナック菓子を食べちゃダメよ。體に悪いしお肌にも良くないんだから、分かった?」


「分かってるよ、お母さん。まだまだ言いたいことがたくさんあるのは分かってるから」

ユキは微笑みながら答え、瞳の奧に名殘惜しさを覗かせつつ、手を伸ばして母を優しく抱きしめた。


ユキの父は輕く腰をかがめ、兩手で優しくユキの頬を包み込むと、親指の腹で彼女の眉骨を靜かに撫でた。その眼差しは、彼女の姿を丸ごと心に刻み込もうとするかのように深かった。


彼は重厚な聲で口を開いた。その語氣には不問に付す指示と、言葉の裏にある名殘惜しさが込められていた。

「 DSE 直前のこのラストスパートの時期、復習の時間の配分はメインボードに集中投資しなさい。限られた注意力をこれ以上分散投資しないこと。あの巨星監督みたいな連中とつるむのは控えて、二刀流の『演芸界の宮本武蔵』なんてポジションはまず全額賣卻(ノーポジション)にしておきなさい。萬が一 DSEで失敗して含み損が大きくなり、直接強制決濟(ロスカット)する羽目になったら、どうお仕置きされるか覚えておきなさい」


ユキはその外冷內熱な立ち振る舞いと、瞳の奧に隱された甘やかしを感じ取った。彼女は口をすぼめ、兩手を腰に當てて眉をひそめると、劇團員さながらにお父さんの厳しい態度を真似て、手を後ろに回して言い返した。

「瞭解いたしました、林會長、ご安心ください!わたくしの時間資産ポートフォリオは超安全運轉でございますので、遙か彼方からご心配いただく必要は一切ございません!」


ユキの母は娘の背中をポンポンと叩くと、振り返り、目上特有の慈愛に滿ちた眼差しで傍らに立つエアリーを見つめた。


エアリーは今日、とてもカジュアルな裝いだった。柔らかい質感の淡い色の長袖シャツは袖口が輕く捲くられ、細く白い手首が覗いていた。ボトムスは洗いざらしのジーンズ、足元には清潔なスニーカー。混雜する人波の中で、彼女はただ靜かに立っており、その瞳は淸らかで平穩だった。まるで空港內のあらゆる喧噪や焦躁感が、彼女の周圍で自動的に遮斷され、無形のバリアを形成しているかのようだった。その淸廉で自立した佇まいは、いつだって群衆の中から易々と浮かび上がってみせた。


「エアリーちゃん」

ユキの母はエアリーの手を取り、親しみやすく溫かい口調で言った。

「おばさんはあなたが優秀で、將來きっと海外へ進學することを知っているわ。もしこれからアメリカ東海岸への進學を考えることがあったら、アイビーリーグでもどこの名門校でもいいから、休みの時にはぜひニューヨークの私たちのところに遊びに來てね。おばさんには大したおもてなしはできないけれど、ブロードウェイでミュージカルを觀たり、イーストサイドやグリニッジ・ヴィレッジの行きつけのレストランに連れて行ったりするくらいなら、喜んでホスト役を務めさせてもらうわ」


「それと『ジョン・ウィック』に出てくるニューヨーク・コンチネンタル・ホテルもね!」と、ユキがすかさず口を挾んだ。


「もう、あなたという子は。おばさんはね、あなたのことが好きにならずにはいられないの。まるで半分自分の娘みたいよ。ユキがこんなに大きくなっても相変わらず行儀が悪いのとは大違いだわ」


エアリーは少しうつむき、唇の端にほんの少しだけ笑みを浮かべた。それは彼女特有の禮儀正しさと優しさだった。

「おばさん、ありがとうございます。心に留めておきますね。おばさんとおじさんの旅路の無事と、お仕事の順調をお祈りしています」


後ろに立っていたエアリーの母もまた、氣品あふれる女性であった。ユキの母のゆったりとした佇まいとは異なり、彼女は聰明で切れ者といった雰囲気を漂わせ、教育や人生設計に精通した操舵手のように、その瞳や仕草の一つひとつが綿密な計劃に基づいているかのようだった。ユキの母からの誘いを聞くと、エアリーの母も微笑んで調子を合わせ、溫かくも節度のある聲をかけた。


「林さん、そんなにお氣を使わないでください。この二人は幼い頃から仲が良いですし、ユキちゃんが大學生になって、今のこの一番苦しい受驗期を乗り越え、學業が今ほど忙しくなくなったら、私たち母娘とユキちゃんの三人でニューヨークへ會いに行くかもしれませんわ。その時、異國の地で女の子たちが集まるのも、賑やかで楽しいでしょうしね」


「それじゃあ、約束ですよ!」

ユキの母はとても楽しそうに笑った。彼女は再び振り返り、家のお手伝いさんの料理の味付けなどについてユキに細かく言い含めてから、ユキの父と共にパスポートと搭乗券をしっかり手に握りしめ、保安檢査場へと步を進めた。


兩親の背中が角の向こうへと消えていくのを見送りながら、ユキの心にはいつ再會できるか分からない途惑いと、かすかな寂しさと切なさがこみ上げた。しかし、その喪失感は長くは續かず、すぐに DSE 試驗の緊張感によって押し流された。三人は向き卷き、市街地へ戻るためにエアポート快線や駐車場のある方向へと步き出した。


空港からの帰り道、彼女たちはエアリーの母が手配した廣々としたミニバンに乗り込んだ。


車內は冷房がしっかり效いており、香城の生活感あふれる重苦しい空氣を完全に遮斷していた。窓の外には靑馬大橋が急速に通り過ぎ、巨大な主構が車窓に素早く動く影を落としていた。紺碧の海面は日光を受けてキラキラと波光を放ち、遠くのコンテナターミナルは、本来なら積み木のようにコンテナが積み上げられているはずだったが、高コストと構造的な限界から、今や廣大な空き地と疎らなコンテナが殘されるのみとなり、時代の寂涼感を漂わせていた。かつて晝夜を問わず稼働していた巨大なクレーンの多くは、潮風の中で所在なさげに佇んでいた。


車內は元々靜かで、かすかなエンジン音とタイヤが路面を擦るホワイトノイズだけが響いていた。ユキは柔らかい本革シートの背もたれに寄りかかり、目を閉じて、このところ解き續けている數學の解法パターンや、まだ書き終えていない『時のパズル』の新しい原稿について頭を巡らせていた。


その靜寂が今にも眠氣を誘おうとしたその時、ユキの隣に座っていたエアリーが前觸れもなく口を開いた。彼女の声は相変わらず淡々としており、感情の起伏をあまり感じさせないトーンで、まるで今日の天氣を報告するかのように言った。


「巨星が、また私に連絡してきたの」


そのさりげない一言は、靜かな湖面に投げ込まれた一粒の小石のように、密閉された車內に一瞬にして波紋を廣げた。


ユキはガバッと目を開け、『時のパズル』のインスピレーションも綺麗さっぱり吹き飛んだ。彼女は振り返り、驚愕の面持ちでエアリーを見つめた。助手席に座り、目を閉じて體を休めていたエアリーの母でさえ、かすかに顔を向けた。


「彼が……あなたに連絡してきたの!?」

ユキの幼い聲が思わず一段と高くなり、驚きのあまり少し聲が裏返った。


エアリーは頷き、窓の外を過ぎ去る風景を靜かに見つめながら、スマートフォンに屆いた一通のメッセージを指先でそっと押さえた。

「ええ。相変わらず例の件よ。次の映画のヒロインを私に演じてほしいって」


巨星。現在の華圈映画界、ひいてはアジアのエンターテインメント界全體において、今なお眩い後光を纏い、冒涜し得ない象徵である。彼は單に迫真の演技で賞を總なめにする『映帝』であるだけでなく、才能に溢れ感情表現力に秀でた監督でもある。そしてユキは、つい最近まで彼の前作の大ヒット映画でヒロインを務めたばかりだった。その映画は巨星を正式にスランプから脫出させただけでなく、この本来無名だった女子中學術生を一夜にして世間の注目を集める存在へと押し上げ、スポットライトを浴びる感覺を體驗させたのだった。


ユキは深く息を吸い込むと、真っ先にとった行動はすぐさま兩手を挙げ、降參しつつ全力で關係を否定するポーズをとることだった。彼女は強調した。

「エアリー!神に誓って言うけど、聞いてちょうだい!この新作に私は絶対に一枚も噲んでないからね!うちのお父さんにも禁止されてるし!當然、巨星の前で焚きつけるようなこともしてないし、あなたを推薦したりもしてないから!」


ユキは焦った口調で卷き立てた。エアリーに自分があれこれ裏で畫策していると誤解されるのを恐れたのだ。何しろ、あの名利渦卷く世界において、これは數え切れないほどの人々が喉から手が出るほど欲しがるチャンスであり、何千何萬ものオーディションに押し寄せるのも厭わない世界なのだ。けれど、エアリーがいつでも特別であることをユキは知っていた。

「せいぜい前回のプレミア上映の夜、彼自身がすべてのメディアや觀客の前で『新作に期待してください』と言ったくらいよ!その後、彼とは脚本のテクニックを共有したり、爆笑もののミーム画像を送り合ったりしただけ!彼はこの新作で私のポジションを用意してないし、説得役に指名されたわけでもないし、機會を見つけてあなたを説得しろなんて言われてもないの!私、本当に本当に何も知らなかったんだから!」


エアリーは振り返り、ユキのそのテンパりきって天に誓わんばかりの様子を見ると、亂れていた瞳の奧にかすかな笑みをよぎらせた。その笑顔はまるで春風が冰面をかすめるように、車內のピリッとした空氣を一瞬で融かしていった。


「あなたが何も知らないのは、とっくに分かっていたわ」

エアリーの聲は柔らかくなり、宥めるようなニュアンスを含んでいた。

「だからそんなに過敏にならないで。私はただ事實を話しているだけよ。それに、今日三人揃っているから、ちょうどみんなに知らせる良いタイミングだと思ったの」


エアリーにそう言われて、ユキは長々と溜息をつき、自分の胸を撫でおろした。彼女は再び背もたれに體を預けると、頭の中に自ずと『消えた永遠』に參加した時の出來事が次々と浮かんできた。何度もセリフを暗記して役作りをした時間、強烈なライトの下で役の葛藤を表現した心情、空港で人生そのもののような別れを演じきったこと……非常に疲れたけれど、そこには言葉にしがたい魔力があったのだ。


「でも本当に、エアリー……」

ユキの口調は次第に真劍みを帶び、瞳には思い出の光が宿っていた。

「巨星がどれだけ鬱陶しいかは置いておくとして、映画を撮るっていうのは……本当に不思議な體驗だったと思うの。私の撮影經驗も、今振り返ってみても、やっぱりすごく面白かったよ」


ユキは言葉を一度切ると、指先で無意識に車の窓枠を強く摑んだ。彼女は輕く目を上げ、この眩しく、誠實で、一緒に大きくなったのにどこか考え方が遙か遠くに感じられる少女を見つめた。まとめることも口にするのも難しいその感覺を、正確にエアリーへ伝えようと試みた。


「ねえ、分からかな?私が役の衣裝を着て、照明とカメラの前に立ち、あのセリフを口にした時……單に演技をしているんじゃなくて、もう一つの殘酷な人生を無理やり體驗させられている感じだったの」

ユキの聲はとても小さく、まるで少しでも力を入れれば目の前の脆い平穩が碎け散ってしまうかのようだった。


「あの役は、まさに私の魂の奧底を映し出す鏡だったの。彼女を演じる過程で、私はあの冷たくて恐ろしいほど鮮明な鏡の前に立たされ、最も殘酷な角度から自分自身を痛感させられた。自分の意地っぱりさや、一人よがりなところ、普段は體裁の良い成果や不格好な誤魔化しで覆い隱されていた本當の欲望――自分がどれほど他人に認められたがっていたのかを見せつけられた」

彼女の瞳の中の微光が搖らめき、まるで魂が抜け出た後の覺醒と、切ない吹っ切れ感を漂わせていた。


「あの役のおかげで、私は自分自身の人生の傍觀者になれたの。華やかな舞台に自分がどう登場し、舞台劇が終わった後、その役の人生がどう步んでいくのかをこの目で確かめた。自分が本當に脆い人間だってはっきり分かったけれど、もう誰かの物語の中に隱れて『主人公の友達A』を演じる配役じゃなくなったの」


ユキの視線は遠くを泳ぎ、まるで再び照明やレール、カメラが溢れるあの撮影現場に戻ったかのようだった。

「だからね、エアリー。あなたのストレス耐性とタイムマネジメント能力は私よりずっと興奮でしょ。私が今また撮影を受けたりしたら、學業と撮影の間でパニックになって絶対親に反對されるけど、あなたなら、その明晰な頭腦で撮影と受驗勉強を兩立して見せるはずよ。もしかしたら、こういう全く異なる體驗がかえって兩方をこなす時の頭をすっきりさせてくれるかもしれないじゃない?」


ユキのこの言葉には真心がこもっていた。彼女の心底では、エアリーの側に長くいるうちに、エアリーの品のある話し方や優雅な振る舞いに対し、最初のうちはなんとも思っていなかったものの、次第に敬服するようになっていたのだった。あの日、彼女たちが巨星に『雨音絶ゆるとき』の撮影を決意させ、巨星がエアリーをその作品のヒロインに推した。今となっては、徐々に表現者としてのプロの感覺を備えつつあるユキから見ても、あれは元々素晴らしい一手だったと感じざるを得なかった。


しかし、エアリーが口を開く前に、前列に座っていたエアリーの母が先に聲を上げた。


エアリーの第一の教育者として、エアリーの母の考えは明らかにまだ學生であるこの二人の少女よりも包括的で、現實的、かつ冷徹だった。彼女はすぐに振り返ることはせず、ただ前方の道路狀況を見つめながら、搖るぎない權威を漂わせる靜かで毅然とした聲で語りかけた。


「ユキちゃん、おばさんはあなたが善意で言っていることも、あの撮影で多くを得たことも分かっているわ。あなたにとって確かに貴重な人生體驗だったでしょうね」

エアリーの母の口調は穏やかだったが、一言ひとことに理性の刃が宿っていた。

「けれど、人が步む道はそれぞれ違うの。エアリーの志向は、昔からこちらにはないのよ。芸能界にはね」


エアリーの母は輕く溜息をつき、覆しがたい真理でも語るかのように續けた。

「進學準備は長期間にわたる戰いなの。ただ時間を切り分ければ濟むような簡単なものだと思わないでちょうだい。人の時間とエネルギーには限りがあるわ。公開試驗の準備には全神經を集中させ、余計な脇目を振らないことが必要なの。課外活動も、休養と進學への成果とのバランスをとらなければならないのよ。私たちが一緒に描いてきた進學のロードマップにおいて、芸能界での經驗なんて選擇肢は一度だって想定したことがないわ。こんな大きな變數を突然放り込めば、エアリーのエネルギーの損耗にしろ、トップ大學へ出願する際のキャリア定位にしろ、持續可能なプラスの影響なんて與えられない。今の名門校が評價するのは、興味に対する一貫性や、特定の領域での掘り下げであって、こういう一見華やかに見える分野違いへの浮気ではないの。それは單に集中力を散漫させ、個人の情熱を證明できず、面接官に焦点をぼやかせてしまうマイナス要素にしかならないわ」


「エアリーはずっとSTEM/STEAM分野の活動に參加し、何度も學校代表を務め、ロウ校長(盧校長)とも大変良い關係を築いているわ。国内外の名門大學の理學部に評價されるには、この道を地道に步んでいく必要があるの。こんなところで余計な枝葉を廣げるべきではないのよ」


車內は再び靜まり返った。エアリーの母の言葉は、頭を冷やすには十分すぎるほどの冷水となり、ユキの先ほどまでの個人的で感情的な感想を一瞬にして吹き消した。


ユキは認めざるを得なかった。エアリーの母の言う通りであり、「人生はやり直しのきかないドラマだ」と強調していた巨星の言葉とも遙かに共鳴していた。大事な時期に輕々しく冗談を言って現場を盛り上げるような真似をするには、代償が大きすぎるのだ。


ユキは隣のエアリーを盜み見た。


エアリーは相変わらず靜かにそこに座っており、顔には微かな波紋すら浮かんでいなかった。彼女はしっかり聞いていた。ユキの情熱的な體驗の共有も、母親の冷靜で理知的な現實分析も、一字一句聞き逃さずに受け止めていたのだ。


彼女は急いで態度を示すことはしなかった。ユキの言葉に乗って「やってみたい」と言うこともなければ、母親の言葉に従って「私が行くわけないじゃない」と言うこともなかった。


彼女はただ單純に、自分の人生において重要な役割を果たしているこの二人に対し、この事實を知ってもらい、考えを聞きたかっただけなのだ。エアリーはスマートフォンを取り出し、メールに添付された數百字の脚本プロットを見つめた。二秒ほど見つめてから、そっとロックボタンを押した。


彼女の内面世界は、まるで深遠な冰山のようだった。水上の部分は靜かで波一つ立っていないが、水面下で激しく渦卷く暗流は誰にも知る由がなかった。


車は高速道路を滑らかに走り續け、空港での別れの切なさと、未來に対する意見の相違を、一つひとつ置き去りにしていった。


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日々は過去問の演習と共に過ぎ去っていった。DSE 試驗が近づくにつれ、目に見えないプレッシャーが巨大な網となって、すべての受驗生を重く覆い盡くしていた。ユキにとって、その壓力は増すばかりだった。歷代の優秀な卒業生の名が刻まれた名譽の壁を通り過ぎる時や、圖書館のPCエリアとマルチメディア學習センターを行き來する時、彼女はいつも下級生たちがこっそり投げてくる視線や、背後で交わされる囁き聲を感じ取っていた。學校で長年マイペースに過ごしてきた中学六年生の先輩であるはずの自分が、今更浴びるこの視線に、彼女は言いようのない困惑を覺えていた。


ユキは禁斷症狀にも似た衝動に驅られていた。息が詰まるような受驗勉強の緊迫感の中で、彼女は出口を、未來の眩い光を見渡せる避難所を喉から手が出るほど欲していた。ストレスを発散し、いつもとは違う空氣を吸い込む必要があったのだ。


こうして、本来なら自宅で問題を解いているはずのの水曜日の午後、ユキは大胆な決斷を下した。


彼女は誰にも何も告げず、直接リュックを背負うと、百年余りの歷史を刻む赤レンガの建築群を密かに後にした。キャンパスのシンボルである木々に覆われた小道を步き、一度も振り返ることなく校門を抜け出した。彼女には、あの象徴的で身丈に合った女子校の制服――白いワンピースに深いネイビーのセーラーカラー、膝ちょうどに屆くスカート丈という、大人しく純粹でありながらどこか嚴格な傳統的名門校生の裝いを著替える時間も氣力もなかった。


彼女は地下鐵に乗り、ほんの數駅搖られただけで、來年絶対に進學したいと志す憧れの大學――香城で名高い「クリエイティブ・メディア學院」を擁するキャンパスへと到着した。


この大學のキャンパスは、彼女の通う歷史が古く、本館が莊嚴でどこか堅苦しい中高のキャンパスとはまるで異なっていた。目の前にそびえる映画界とテレビ局のタイクーンの名を冠した「邵逸夫(ランラン・ショウ)クリエイティブ・メディア・センター」は、洗練された現代的雰囲氣に滿ち溢れていた。世界的な建築家によってデザインされた外觀は、まるで大地から生え出た巨大な白い結晶のようであり、幾何學美とデコンストラクティヴィズム(解構主義)を取り入れた純白の外壁が不規則な銳角で交差していた。傾斜した不均整な三角形のガラス窓には、午後の眩しい日差しが反射していた。キャンパスを行き交う若者たちはスタイリッシュに身を包み、トレンドセンスに長けた華やかさを漂わせていた。彼らが一人で步くことは稀で、常に三々五々群れをなし、未來感の漂う傾斜空間の傍らを通り拔けていた。その輕やかな足取りからは、お互いに步調を合わせ、世渡り上手な都市的センスが滲み出ていた。話の節度を心得ており、アートや映像のプロジェクトについて熱っぽく議論し、立ち振る舞いには長年香城で暮らしてきた者特有の聰明さと洗練さが表れていた。


ユキは深く息を吸い込み、ここの空氣から自由とクリエイティビティの香りが感じられるかを確かめようとした。彼女は手慣れた足取りでクリエイティブ・メディアの建物內へと潛り込んだ。ここへ「モグリの講義」を受けに來るのは、これが初めてではなかったのだ。


これまでに、彼女は『視覺傳達(UI/UX)』をモグリで受講し、ビジュアル學、心理學、そしてエモーショナル設計を UI 對話ロジックにいかに融合させ、冷たいシステム畫面を感情を搖さぶるビジュアルキャンバスへと變貌させるかを目擊していた。また『ニューメディア・アート』の講義では、忘れ去られたメディアや實驗的映像、さらには VR や生成 AI を組み合わせたアート表現を学び、傳統的映像と現代テクノロジーが織りなす無限の可能性を発見した。そうした傳統的な枠組みを打ち破る體驗は、とっくに彼女の心の中にこの學院への深い情熱を植え付けていたのだった。


そしてこの水曜日の午後、彼女が目當てで駆けつけた講義こそ、ゲームマニアとして最も胸を躍らせていた『非線形型叙事』だった。


彼女は足を忍ばせて後門から大講義室へと滑り込んだ。壇上では、教授がデジタルエンターテインメントやゲームのプロトタイプ、インタラクティブ・メディアの実例を交えながら、従来の一本道である「リニア・ナラティブ(線形型叙事)」の枠組みをいかに解体するかについて熱弁を振るっていた。


この講義が目指すのは、伝統的な文学的執筆の枠を超えた探求である。概念の整理とプレイヤーの行動原理を紐解く「抽象化と動詞的思考」、空間そのものに物語を語らせる「環境ストーリーテリング」、そしてシステムに基づく「ダイナミック・ナラティブ(動的叙事)」。多岐に分岐するシナリオ設計から、インタラクティブな映像メディア、さらには没入型体験に至るまで――そこでは、観客はもはや受動的な傍観者ではない。彼らは「選択権」を与えられ、自らの選択を通じて物語の展開とキャラクターの運命を直接推し進める「当事者」となるのだ。


ユキは聞き入っていた。スクリーンに映し出される非線形ナラティブのノードや對話型キャラクターデザインのモデルに心奪われながら、頭の中には思わず巨星の映画で自分が演じたあの役の姿が浮かんできた。もしあの映画がインタラクティブな作品だったなら、映画館の觀客はあの運命の分岐點でヒロインの代わりに決斷を下し、別の未來へと步ませることができたのではないか?觀客が選擇權を持っていたなら、キャラクターの後悔は救われ、運命はまるで違うものになったのだろうか?もし今の受驗生活もインタラクティブゲームなのだとしたら、自分のこれまでの演藝實績でVIPコインを課金し、「スキップ」ボタンをクリックして一氣に大學のキャンパスへとワープすることはできないのだろうか?


このような物語の境界に対する探求は、彼女に間近に迫った各科目の試驗を、暗記しなければならない煩わしいカリキュラムを、事故が今著ているあの場違いな女子校の制服――白いワンピース、深いネイビーのセーラーカラー、膝ぴったりに屆くスカート丈――のことすら完全に忘れさせていた。


かつて巨星に見出され、彼直々の監督のもとで映画のヒロインを務めたユキの顔は、當然ながらクリエイティブ・メディアを学ぶ學生や教員の記憶に深く刻まれていた。ましてや今の彼女は、一目で分かる「前のステージ」の象徴である中高生の制服を着ているのだ。ストリートブランドのTシャツやジーンズをまとう大學生たちの中で、彼女はまるで幾何學的な建築の中にポツンと咲いた百合の花のように、場違いでありながら異様なほど目を引いていた。


授業終了のベルが鳴り響くと、教室の學生たちが一人また一人と立ち上がり、空氣にはリラックスした雜談の声が漂い始めた。


ユキは相変わらずうつむき、ノートに書き留めたばかりの「プレイヤーの倫理的ジレンマ」について思いを巡らせながら、真劍にメモを整理していた。ノートを片付けたらすぐに學校へ戻り、自習室へと潛り込んで、エアリーの前でずっとそこにいたかのような顔をするつもりだった。


靜かな影が彼女の机の上に落ち、頭上のライトを遮った。


ユキは少し呆然とし、動きを止めた。彼女はすぐに顔を上げることはせず、まず机の端に置かれた手に目をやった――細く長い指、骨ばった關節、指先が輕く彼女の机の緣を叩いていた。


顔を上げた。


彼女の前に立っていたのは、この建物の雰囲気と実によくマッチした男子大學生だった。彼はゆったりとしたゆとりのあるダークカラーのワークジャケットを羽織り、インナーにはシンプルな無地Tシャツ、髪型は爽やかで、香城のトレンドにぴったり合わせたミニマルスタイルだった。彼は先ほどまで談笑していた周圍の仲間たちから離れてきたばかりのようだったが、こちらへ步いてくる佇まいは落ち着いており、極めて自然だった。彼の瞳は澄んでおり、有名人に遭遇した時の不躾さも、大學生が高校生を見下すような橫柄さもなく、チームワークに必要な銳敏さと節度を備えていた。


彼はすぐには口を開かず、輕くうつむいて、驚きで固まったユキの顔に一瞬視線を留めると、ごく自然に彼女が開いたままのノートへと目を落とした。


「二つ目のノードの分岐ロジックだけど、まだ通るルートが一、二本あるよ。描き漏れてる」


男子大學生が口を開いた。聲は大きくないが、通りがよく澄んでおり、まるで顔馴染みのクラスメイトに「ちょっと通して」と聲をかけるかのように自然だった。


ユキの心がドクンと跳ね跳び、見知らぬ領域に突如侵入されたような狼狽感が湧き上がった。彼女は反射的にノートを閉じようとし、頬を微かに赤らめ、手指で無意識にボールペンをギュッと握りしめた。大人びた雰囲気の漂うこの大學という環境で、彼女が大人しくモグリの受講生を決め込み、高校生という立場を保っていたのは、まさに他の學生と關わりを持ちたくなかったからなのだ。


「私……私は旁聽しに來ただけです。ただインタラクティブ・ナラティブに興味がある生徒です」

ユキは氣まずそうに答え、視線を泳がせ、體は本能的に後ろへ引き、防衛の姿勢をとった。


「知ってるよ」

男子大學生は心地よいソーシャルディスタンスを保ちつつ、聲を潛めてまるで二人だけの秘密であるかのように言った。

「でも、ここの環境は相互交流が基本だからね。『いい子ぶる』のは、あんまり良い學習姿勢とは言えないかも」


ユキは目を上げ、少し警戒した様子で彼を見つめた。


「何しろ、スクリーンの中のヒロインが、全港一厳しい女子校の制服を着て、クリエイティブ・メディア學院の一番後ろの席で熱心にノートを取っている……それ自体が、ものすごく視覺的インパクトのある『叙事』だからね。氣付かない方が難しいよ」


ユキの目が瞬時に丸くなった。


大袈裟な歡聲も、一緒に写真を撮ってほしいという要求も、自分を誇示するような自己紹介すらなかった。この男子大學生はただ靜かに彼女の正體を言い当てただけだった。その口調はあまりにも自然で、まるでごく当たり前の日常を話しているかのようだった。自分か、あるいは他の學生が、遲かれ早かれこの少女に聲をかけに來るだろうと見越していたかのように。


ユキは目の前に立つ見知らぬ男子大學生を見つめ、教室の外の廊下から遠ざかっていく笑い聲に耳を傾けた。胸を壓迫していた「芸能人學生」としての DSE に対する息苦しさ、そして大學のキャンパスの一角に身を置く解放感が、この男子大學生の靜かな注視のもとで、靜かに再び押し寄せてくるのを感じていた。


ユキは深く息を吸い込み、亂れた鼓動を靜めた。彼女はもう逃げ隱れせず、きつく握りしめていた指を緩め、男子大學生の視線を律儀に見返した。彼女の口元に、ごく僅かだが心からリラックスした微笑みが浮かんだ。その笑顔からはスクリーン上の後光が消え去り、優等生の假面も外され、ただ一人の中学六年生の素顔だけが殘されていた。


「それで……」

ユキは手元のノートにチラリと目を落とし、少しだけ警戒感を強めつつも、演技で學んだどこか作りものの輕やかさを込めて言った。

「正しい分岐ロジックって、どう描けばいいんですか?」


男子大學生は答えず、ただ少し身を傾けると、ポケットから一本のペンを取り出し、彼女のノートの空白を輕く突いた。


教室のガラス窓を通して斜めに差し込む陽光が、二人の影を机の上に長く伸ばし、その緣を徐々に重ね合わせていった。ユキは早く立ち去りたいと焦っていたものの、彼の解説は受驗用の教材よりも遙かに生々しく、先ほどまでの講義の理論よりも一層踏み込んだ內容で、もう少し聞いていたいと心が動いた。


「ごめんなさい、急用があるのでこれで!」

ユキは最短の斷り文句を告げると、片手でノートをリュックに押し込み、學校へ戻るため地下鐵の駅へと走っていった。


この空間において、人生の旅路はひとつの休止符を描いていたのかもしれない。しかし、巡り會いの新たな物語は、あるいは密やかにまた別のフェルマータ、新たな樂章を奏で始めていたのかもしれない。

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