聖女
毎夜、悪夢を見る。
死体。
冷たくなって、真っ赤な血で濡れている。
広がっていくその赤を手に取って、冷たい肌を撫でて、それでも死を実感できない。
なぜ守れなかったのか。
自分には何者も守れる、神子の力があったはずなのに、守れなかった。
腕の中の死を抱きしめながら見上げる。
雨が降る空は、暗闇のように、昏い。※暗礁は海中にかくれていて見えない岩ですよ
殺された者は、もう二度と戻ってこない。
抱きしめていた人間が、変わる。「リョク」ではない。
冷たくなった──エルピスが。
「────ッ!」
飛び起きる。ディルは呼吸を整える。冷たい汗をかいていた。暫くすると現実感が戻ってくる。
大丈夫だ。そうやって呪文のように繰り返す。
あんなことはもう二度と起こらない。
だから、大丈夫だ。
自分が守れば良い。それだけの話だ。
それだけの、話だ。
***
朝から底なしに、酷く不機嫌なのはディルに本日「お見合い」があるからだった。どうやら前々から予定はされていたらしい。
ディルはまだ朝なのに灰皿いっぱいに吸い殻があって、余程「お見合い」が嫌なようだった。
クレイは大きな溜息を吐き出しディルへと言う。
「兄上……いい加減駄々をこねるのは止めて下さい。もう兄上も27才なんですよ。本日、あちらのウィンストン国からいらっしゃる姫君は【聖女】と呼ばれるほど人柄も良く、また美しいと聞いています。ウィンストン国は女性は女性らしく、と教育されていますからね、エレメンツの力も」
「エレメンツの力? ハッ、この神子を超えるというのなら少しは考えてやろう」
「考えるんじゃなく本日いらっしゃるんです」
ディルはまた煙草を口にする。
「そもそも『第一皇子ディルケンス・ノヴァは病で伏せっている』……という設定じゃないのか?」
「先方はそれでも構わないと。それと、病を治す力があるとか。おそらくこんなにあちらが必死になるのは、他国からの侵攻を恐れているせいでしょう」
ディルは鼻で笑う。
「病気を【無】くす力なら、有能なパートナーがここにいる。ウィンストン国など知ったことか」
エルピスを呼ぶとひざまずかせ、ディルは頭を撫でる。何だか愛玩動物になった気分だ。クレイは怪訝そうに眉根を寄せた。
「こら、兄上。エルピスさんに甘えない」
「甘えていない」
「……とりあえず、今日は顔見せくらいしてください」
ディルは考え込むふりをすると、エルピスの耳元で囁く。
「お前が『褒美』を寄越すなら、見合いをしてやらんこともない」
「そ、それは……ディルにとって『褒美』になるんですか……?」
「【はい】か【いいえ】で答えろ」
金の瞳が楽しげにしている。エルピスは複雑な気持ちだった。ディルに少しだけだが、お見合いはしてほしくない。「褒美」はとても欲しい。答えは簡単だった。
「……はい」
「良い答えだ」
我ながら単純なことだ。エルピスは頬を染める。クレイは益々訝しげに眉根を寄せていたが、準備があるのだろう。「兄上も準備をしておいて下さいね」と言って去って行った。準備か、と舌打ちする。
気怠げにディルは衣装室へと行くと、適当に選んでいく。いつものディルの格好だ。果たしてこんなに適当でいいのか。
「ディル、そんなに適当で良いんですか?」
「良いだろう。相手は病弱で使えん第一皇子をご所望のようだしな」
皮肉たっぷりに言うと、ディルは詠唱する。
「我、病に侵された見目の人間で【有】れ」
瞬間、ディルは病的に蒼白くなり、輪郭は痩け、手は骨張る。確かに病弱な雰囲気になったが、元々見目がいい所為か、薄命な美少年といった感じになる。ディルは鏡で確認すると「もう少し痩せぎすにするか」と言って指を鳴らす。目には眼帯。着ていた正装のスーツが、更にぶかぶかになる。それを見てエルピスはふふと笑う。
「何だ」
睨み付けるが白のエレメンツの所為で儚く、むしろ庇護欲がかきたてられる。
「抱きしめてもいいですか?」
「……何を考えているのか知らないが好きにしろ」
「ありがとうございます。……何だかいつもより幼くて可愛く感じます」
でも、とエルピスは言う。
「こんな姿になってもディルは素敵だし、お相手の方も美人みたいだし、並んだら理想的でしょうね」
「俺は見目などどうでもいいと以前言っただろう」
深く溜息を吐く。ディルはまた適当な靴を選ぶ。センスは良いので悪くは無い。悪くないのだが折角来てくれるのに申し訳ないような気分になってきた。エルピスとてお見合いはほんの少しだが嫌だ。でもそれよりも今は、ディルに恋することだけでも十分嬉しい。99回、誰かに恋をしなくて良かった。初恋がディルで良かった。
「なにをにやついている。お前も同席するんだぞ。さっさと支度してこい」
「え、私もですか?」
「ああ。お前は副医師だ。病弱な世間話役みたいなものだ。俺が暗号を出したら適当に薬を出せ。赤とグレーだな」
以前教えてもらった暗号を思い出してエスピルは渋い顔をする。
「赤って【危険】で暗殺とかテロとかそういう」
「俺にとっては同じようなものだ。【赤】は吸入器、【灰色】は薬を使え。あとは臨機応変にどうにかしろ」
しれっとしてそんなことを言う。
「ほら、お前も準備だ。医務室で1着、医療着と白衣も羽織って来い。薬箱もな。医師長には俺から話しを通しておく」
ひらひらと手を振ってディルは行ってしまう。
今度の「任務」はこれか、と思いながらエルピスは苦笑した。
***
晴天の下、現れたのは西に位置するウィンストン王国の姫、ミスティア・ウィンストンだった。最新鋭の飛行艇に乗って現れたミスティア姫は、ノヴァ王国では珍しい色つき──カラーと呼ばれる髪と瞳を持っていた。
淡いラベンダーの髪に深い紫の瞳は、妖精の国からやってきたような絶世の美女だった。姫を一目見ようとレッドカーペットの両端は新聞記者や一般観覧者が集まっていた。
ミスティアは笑顔でノヴァの民に手を振ると、真っ白な自動車で城へと向かった。
設定上はディルは病人なので、見合いはクリスタルの間ではなく、医療器具も置けるプライベートルームで行われた。車椅子を押して定位置までつかせたエルピスは、部屋の隅で医師長の隣に立つ。
外からノックが聞こえる。ミスティア姫が来たようだ。
扉が開くと、そこには絶世の美女がいた。
同性なのにうっとりしてしまう。上品なのに艶やかだ。
「本日はお招き頂きありがとうございます。ミスティア・ウィンストンと申します。お会いできて光栄です」
「…………ああ」
ディルの瞳は病んだ人そのものだが、眼光が鋭い。その上挨拶なしである。エルピスは頭を抱えたくなった。慌ててフォローを入れる。
「申し訳ございません、ミスティア様。殿下は先日体調が安定したもので、まだお話しするにも万全ではないのです」
小さく舌打ちと、こちらを睨み付ける視線が寄越される。気付かないミスティアは寛容な心で言う。
「まぁ……そうでしたのね。無理をさせてしまってごめんなさい。けれど今日、お会いできたのです。私は嬉しく思います。ディルケンス様は、健やかになった時にやりたいことはありますか? 私は乗馬が好きで、幼い頃からずっと幼馴染みと」
「ゲホッゲホ……ッ!」
急に咳払いしたかと思えば【赤】のサインが出される。吸入器。エルピスは慌ててディルの口元に吸入器をあてて「殿下、ゆっくり呼吸をなさってください」と言う。ミスティアはそんなディルを見て慌てる。
「だ、大丈夫ですか!? ディルケンス様!」
「……っ。は、は」
灰色のサイン。薬だ。エルピスは予めディルが生成した薬を適当にチョイスすると、用意していた水と一緒にディルへと差し出した。
「殿下、こちらをお飲み下さい……いつもの薬です。焦らず、ゆっくりと……」
どうにも罪悪感が募る。けれどディルは全くそんなことを思っていないのだろう。エルピスだけに分かるように笑った。
「ディルケンス様、苦しい思いをされていたのですね……それなのに私とこうして顔を合わせて下さって……」
本当にありがとうございます、とミスティア姫は頭を下げる。微かに、ほんの微かにディルが舌打ちするのが聞こえた。
「…………別に、いい。貴殿も……犠牲を払って来た、のだろう?」
その言葉にミスティア姫は僅かに目を開く。その瞳が一瞬だけ惑うが、すぐにディルを見た。
「いいえ、私は私の意思でノヴァ王国に来ました。ディルケンス様にお会いする為に」
「……そうか」
これ以上は無理だというようにディルの言葉は少ない。そんなに見合いが嫌なのか。ここまで拒む理由がエルピスには分からない。女性関係でトラウマでもあるのだろうか。
ミスティア姫は優しく問う。
「ディルケンス様、たとえ病であろうと、私が支えます。どうか、支えさせてください」
「…………だが、私は……もう長くは無い、だろう……」
ディルは弱々しく声を枯らして言う。流石、普段から諜報で演技しているだけあって、見破りようがない。ディルはもう一度、赤のサインを出す。けほっけほっと咳払いして吸入器を押し当てて、ディルはここぞというばかりに病人アピールする。
だがミスティアはそんなディルに深く同情したのだろう。
「ディルケンス様……お労しいお姿で……私でよければ力になりますわ」
瞬間、ぎろりとディルの視線が変わる。幸い気付いていない。
「……エレメンツは?」
急に鋭く喋りだしたディルに驚きつつミスティアは答える。
「地のエレメンツです。ディルケンス様は──」
「私のことはどうでもいい」
弱々しかった目に強さが灯る。とても病人とは思えない視線だ。ミスティアもびくりと震える。
「癒やす力があると聞いたが……神子か?」
挑発とも取れる発言でも、ミスティアは穏やかなまま首を振る。
「いえ……ただ私の地のエレメンツで作った果実は、どんな病にも効くのです」
「なるほど」
くつりと邪悪に笑って、初めて興味をもったふりをするディルは、車椅子に座ったままエルピスに言う。
「ならばエルピス。温室に行くぞ」
「今からですか、殿下? お身体のほうは……」
「先の薬で随分落ち着いた。それに万病を治すというミスティア姫のエレメンツをすぐに拝見したい」
行くぞといってディルは楽しげに目を細めた。これはタチの悪い笑顔だ。一体何を考えているのか。執事も戸惑いがちにミスティア姫を案内していたが、ミスティア姫は広い心で受け入れていた。見目だけじゃなく心も綺麗な人だ。
温室に辿り着くと、ディルは木を一本、水の刃で切り落とした。その力に圧倒されながらミスティア姫は嬉しそうに顔を綻ばせる。
「ディルケンス様のエレメンツは水なのですね。力も強大で素晴らしい──」
「御託は良い。早く貴殿のエレメンツを見せろ」
完全にいつものディルと化していたが、ミスティア姫は微笑み、地に祈って美しい樹木を生やした。その葉は瑞々しく、伸びた枝からは赤い林檎のような果実が実っていた。ミスティア姫は果実をひとつ取ると、ディルに渡した。
ディルはそれを眺めたあと、口に含んだ。
咀嚼して、嚥下する。
だが、何も起こらなかった。
ミスティア姫の顔が青ざめる。だが何も起こらないのは当然のことだ。ディルは何の病気にも罹っていないのだから。
ディルはにやりと笑う。
「どうやら何も起こらなかったようだな」
「そんな……」
まるで自分の価値を否定されたようなミスティア姫に、ディルは容赦なく言う。
「癒やす力? そうか。聖女だというが貴殿はただの女のようだな。国のために傀儡になるだけの哀れな女だ。私よりずっと相応しい男がいるのではないか? 少なくとも私には相応しくない」
「そんな、傀儡だなんて……!」
「ほう、私には貴殿は国よりも大事なものがあるように思えるが? 政略結婚ではないものが」
「…………ッ!」
ミスティア姫は言葉を詰まらせる。エルピスが流石にやりすぎだと慌てる。
「殿下……! そのようなことを」
「黙れエルピス。この見合いは無しだ。──だが、面白いものを見せてもらった。礼としてこれをやろう」
そう言うとディルは手の平に球体の、渦巻く水を閉じ込めた。そこには輝く光のような術式が浮かんでいる。
ディルはその、神秘的な輝きを灯す水を閉じ込めた石をミスティアへと渡す。
それを見たミスティアは信じられないといったように口元を抑えた。
「これは……まさか……!」
ミスティアは目を見開き、身体を震わせる。
ディルは淡々と答えた。
「使い方は分かるな? 神水の防護術式だ。とりあえず300カロン以上は詰め込んだから、聖堂に納めれば他国からの攻撃も今度300年以上は完全に耐えよう」
ミスティアがまるで神を見るかのようにディルを見る。ディルは眉根を寄せる。
「何だ。300カロンが信じられないか? 貴殿ほどのエレメンツを持つ者なら分かると思うが」
「い、いえ……! 分かります、ですがこんなに強大な力を……信じられない、まさか、あなたは──」
「黙れ。それを持ってさっさと帰れ。この位の戦利品なら、貴殿の想いも実るだろう」
そう言うとディルはエルピスに指示して車椅子を押した。
ミスティア姫はディルが見えなくなるまで頭を下げ続けた。ミスティア姫の瞳には薄らと涙がはっていた。
二人きりになってエルピスは、ディルに問う。
「……ディル、何がしたかったんですか」
衣装室に戻るとディルは一瞬でいつもの姿に戻り、面倒くさそうに答えた。
「さっさと帰らせた」
「はい。分かります。ですがその理由を」
ディルは溜息を吐き出す。
「あの女には他に好きな男がいる。だが他国の侵攻が危ぶまれ、俺との政略結婚により引き裂かれそうになった」
その言葉にエルピスは目を丸くする。
「えっ、どうしてミスティア姫に好きな男性がいると思ったんですか?」
「目を見れば分かる。あと幼馴染みと乗馬とか言っていた。ウィンストン国は『らしさ』を重要視する国だ。女であれば女らしくあれ、男であれば男らしくあれ。で、あれば女は乗馬などしない。するとしたら男とだ。あの女が好きなのはそいつだろう」
「つまりディルは最初から分かって追い返すつもりで……」
エルピスがそう言えばディルは舌打ちする。
「そうだ。病弱を装えばさっさと帰ると思ったんだが、うまくいかなくてな。仕方なく適当に貶して嫌われればあちらから破談しただろうと思った。それに加えて術式を渡して帰したんだ。あちらの望みは叶ったも同然。もう二度と我が国に来ないだろう。有り難いことだ」
「癒やしの力は嘘だったんですか?」
「それは本当だ。あの女もそこそこのエレメンツを持っているらしい。まあ、300カロンも神水が入った防護術式なんて持って帰れば、好きな相手との結婚くらい喜んで許すだろう」
こういうことがあるから見合いは嫌なんだ、とディルは悪態をつく。
皇子も大変だなとエルピスは思う。けれど、ディルもこんな騙し方をするのだと思うと、嬉しかった。
「それより」
腰を抱いて引き寄せられる。ディルが意地悪い顔で言う。
「褒美はまだか?」
「……私しか得をしないと思うんですが、それでも良いんですか?」
「ああ」
ディルに頭を優しく撫でられる。金色の瞳が、柔らかい色を灯している。
エルピスは背伸びをして、ディルの唇に触れた。離れていくと共に、ディルの微笑が見える。
「どうだった?」
ディルが聞いてくる。けれどそれは意地悪いものではない。エルピスは幸福に、笑った。
「とても、気持ちが良かったです。ディルに触れると幸せで、もう他に何もいらなくなります。ありがとうございます」
「……そうか」
ディルはエルピスを抱きしめる。そして、エルピスの明るい茶色の髪の毛を撫でる。
エルピスは翠色の瞳を目を細めた。
これ以上は望まない。
もしこの先、ディルが誰かを好きになってもいい。
100回の人生をかけて、ディルに出会えて、恋することができたのだから。
***
酷いことをしている、と思った。
段々と理解してきた。エルピスが自分に寄せる思いは、少なくとも親子や兄弟といったものではない。
救った者、救われた者といった可能性もまだある。
あるのだが──もし違っていた場合。ディルはエルピスに酷いことをしていると思った。本人はそれに全く気付いていないのか、それとも、何故か納得しているのかは分からないが、キスを一方的にされているというのに、いつだって幸せそうにするのだ。
──これ以上は望まないのか?
ディルは分からないまま、中庭の近くを通りかかる。丁度、頭を悩ませていたエルピスが中庭に座り込んでいた。
声が聞こえる。エルピスの声だ。何か──歌を歌っている。
ディルは眉を寄せて中庭へと近づく。幸福そうに歌うエルピスの声は、驚くほど伸びやかで、美しい。こんなにも綺麗な声だったのか、とディルは思った。けれど何を歌っているのだろう。不思議な歌だ。現代語ではない。古典語でもない。なら、何だ?
ディルは耳を澄ませる。
歌うエルピスの声が、美しい織物を編むように、その詩を紡いでいく。
ディルは、目を見開いた。
すぐにエルピスの元へ向かう。気付いたエルピスが笑顔で、ディル、と迎え入れる。だが、そんな場合ではない。
「エルピス。今の歌、どこで知った」
「今の歌? ……分かりません。気付いたらよく、口ずさんでいました」
気付いたら、とディルは眉根を寄せる。エルピスは困ったように首を傾げる。
「すみません。勝手に歌ったりして。歌を歌うことは好きなんですが、上手いかどうかは……」
「……いや、素晴らしい歌だった」
だが、それよりもずっと重要なことがあった。けれどディルはそれを言えなかった。エルピスは嬉しそうに笑った。
「本当ですか! 嬉しいです。また歌わせてください」
「ああ……」
エルピスが歌っていた歌。
それは、ただの歌じゃない。
神子しか知らない筈の「聖句」。
それは神子にしか理解できない神聖文字で綴られた、祈りの言葉なのだ。
──なぜ、それをエルピスが知っている?
エルピスは神子ではない。四大元素と五つ目のエレメンツを持っている訳では無い。
ならば何故、聖句を知っている。
──エルピス、お前は一体、何者なんだ。
知ってきたと思ったのに、また、知らないものが増えていく。
エルピスが怖い。それはエルピスの存在が怖いというわけではない。ただひたすらに──エルピスを手放してしまいそうで、怖いのだ。
このまま、ディルの知らない何処かへ。
ここまでお読み下さってありがとうございました。
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