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灰の子


 灰の子。エレメンツを1つも持たない、神エルに祝福されていない子。

 そんな子と出会ったことがあっただろうか、とエルピスは考える。99回の記憶を辿る。見つからない。若しくは気付いていないのかもしれない。いずれにせよエルピスの繰り返された劇場という名の人生で、灰の子なる存在は出てこなかったし、今の今まで知らなかった。

 ディルは今、時間があるだろうか。書斎に向かうとディルは煙草片手に本を読んでいた。エルピスに気付くと「何だ」と言われる。エルピスは問う。


「ディル。灰の子って何?」


 問われたディルは読みかけの本を閉じて、長い溜息を吐き出した。


「地の果てまで馬鹿だとは思っていたが、ここまで馬鹿とはな……」

「失礼ですね。ちゃんとエレメンツを1つも持たない、神に祝福されていない子ってくらいは知っていますよ」


 満月色の瞳が面倒くさそうに細められる。


「そこまで知っているなら問題はない」

「あります。だってそれで虐めが起こっているくらいなんですから」

「虐め、か……」


 ディルの表情が硬いものになる。どうやら小さな問題ではないらいしい。


「灰の子は虐められる、と言ったな。だが問題は、灰の子が人種差別の的になっていることだ。国際的に見ても、灰の子に与えられる仕事は少なく、あっても重労働。人権が無視されるようなものだ。我が国では灰の子を受け入れた店は助成金を与えているが、助成金目当てに一時的に雇っただけで解雇という面も多々見受けられる。勿論、そういった店は処罰されるが」

「そもそもどうして差別されるんですか?」


 エルピスの問いに、ディルは煙草を取り出す。


「人間は自分とは違うものを弾く。この世界の9割がエレメンツ宇持ちで、1割が灰の子なら、その9割が1割を異端扱いするだろう。マジョリティーとマイノリティーの話だ。いずれにせよ、灰の子は恥ずべき子だ、とされているのが世界の認識だ。子どもじみた、くだらない事だ」


 うんざりしたように言うとディルはじっとエルピスを見詰めた。

 その意図が分からない見詰め返していると、


「お前はよく分からない女だ」

 

 と言われたかと思えば「出て行け」と摘まみ出される。相変わらず理不尽だ。摘まみ出されたエルピスは図書館へと足を向けた。広々とした城の図書館の、書架から本を取り出す。「灰の子」についての本だ。

 その本曰わく、「原初はエレメンツを誰も持っていなかった」とあった。そして「ただ弱き人間を憐れんだ神エルが、人々にエレメンツを与えた。ただ与え尽くせぬ存在もあった。それが灰の子である。灰の子は原初の人間なのだが、今や糾弾される存在になっている」と。大体がディルが話していた事と同じだった。けれど目を通していく内に、エルピスの目がとまる。


「ん……なんだろこの言葉」


 見たことも無い文字が出てくる。気になってエルピスは語学事典のあたりをきょろきょろと眺めた。さっぱりどの本か分からない。仕方なくひとつひとつエルピスは見ていった。


「あった」


 ようやく見付けた辞典をじっくりと辿っていく。意味はわかった。「希望」という意味らしい。何て読むのだろうと思って捲ると、現代語訳されたページに辿り着いた。エルピスは、声に出して読む。


「エ、ル、ピス……」


 自分の名前だ。

 エルピスは顔をかあっと赤らめた。

 ディルがつけてくれた名前。エルピスという「希望」を意味する単語。そのディルのあたたかさが染みて、エルピスはもう一度繰り返した。エルピス、と。微笑んでしまう。その単語を指でなぞる。ディルが与えてくれる名前なら何でも嬉しいと思っていた。けれど、こうして意味があるものだと知ってしまったら、たまらない気持ちになって辞典をぎゅっと抱きしめた。


「……何をしている」

「ひえっ!」

 

 背後を振り返るとディルが呆れたように立っていた。何故か隠しておかないと、という気持ちになってさりげなく太股の上に置く。


「何故隠す」


 そんな小細工がディルに通じるわけはなかった。ディルはエルピスから辞典を上げる。そして、それを見て全て納得したのだろう。溜息を吐き出して、辞典を机の上に置いた。


「…………理解したようだな」

「はい……すみません」

「謝罪の安売りをするな。しかしお前が古典語に手を出すとは……」


 不覚だった、とディルは不愉快を露わにした。エルピスはおずおずと聞く。


「ディル。何故私にあのような名前をつけてくれたんですか……?」

「直感だ。意味などない」

「そうですか。それでも、嬉しいです。直感でも『希望』と素敵な名を付けてくれたことが」


 ありがとうございます、とエルピスは笑う。

 エルピスを見たディルは、ふんと顔を背けて別の書架に行ってしまった。

 ふと、エルピスは思いついたことがあって席についたディルへと尋ねる。


「あの」

「黙れ」

「ちょっとだけ」

「断る」

「少しでいいので」

「……なんだ?」


 じとりとした目で見上げるディルに、エルピスは尋ねる。


「もしも私が灰の子だったら、お城から追い出していましたか?」

「役に立てば関係ない」

「えっとそれじゃあ、もし大事な人が灰の子だったら、どうしますか? 例えばクレイ様や、キョウ様が……」


 僅かにディルの目が見開かれる。ディルは珍しく少し考えた。けれど結果は同じだった。


「俺は変わらない。追放などありえない。だが……王室で灰の子となると、少々厄介だな。民衆の反感を買うものも出るだろう。王室に相応しくない、とな」

「……嫌な言い方になりますが、灰の子がいたら大変だったでしょうね」

「ああ、そうだな……特に王室はエレメンツの開示があるからな。そこでエレメンツがないとなると嘲笑と非難の的だ」


 それより、とディルの満月色の瞳が、改めて古典辞典へと移る。


「お前、ここに来てから随分読み書きが……いやもうそのレベルではないか。読むことも書くことも人並み以上になった。分からないことは自主的に調べて、お前はよく学んだ。それは賞賛すべきことだ。よくやった」


 褒められた。あのディルに、褒められた。喜びで顔が綻ぶ。ディルはこちらを見なかったけれどエルピスは頭を下げる。


「ありがとうございます。ディルに迷惑をかけないよう勉強して良かったです」

「俺に迷惑?」

「優秀なパートナーでありたいですから……あ」


 エルピスは立ち上がる。時刻はもう三時を過ぎていた。ディルが訝しげにエルピスを見る。


「何だ」

「出かけようと思っていたんです。天気も悪くなってきたし日が暮れる前に」

「なら俺も出る」


 立ち上がろうとするディルをエルピスは制止する。案の定、金の目が睨み付けてくる。


「……お前、俺に逆らおうというのか? いい度胸だ。4つの複合エレメンツの力がそんなに見たいのか」

「そうじゃないです! サプライズでプレゼントを買いに行きたいんです。クレイ様とキョウ様、それとディルに」

「なぜそこにクレイとキョウが出てくる」

「お二人にも時々勉強をみてもらったので。そしてディルは、いつも一番お世話になっているからです」


 そう告げるとディルはどうしてか複雑な表情になる。ディルが溜息をついて「分かった」と言う。


「分かりました。ありがとうございます。それじゃあ行ってきます」

「ああ。……気を付けろよ」


 何気ないその優しさが嬉しくて、エルピスは「はい」と言う。

 傘はきっといらないだろう。降る前に、帰れば良いのだから。





***





「やっぱり傘、持ってくれば良かった……」


 エルピスはぽつ、ぽつ、と小雨が降り出した曇天を見て思った。あれこれ考えながら三人へのプレゼントを考えていたのだが、よくよく考えてみれば大抵のものが城にはある。どうしたものか。いっそ食べ物にしようか。

 その時、小雨だった雨が急に強くなった。エルピスは慌ててベーカリーの軒下に逃げ込んで雨宿りをする。そこに逃げ込むようにもう一人、少年が入ってくる。初等部くらいだろうか。エルピスは少年に向かって話しかけた。


「君も雨宿り? 急にこんな雨が降っちゃうなんて困るよね」


 びくりと少年の身体が震える。話しかけちゃまずかっただろうか。ぐう、と少年のお腹が鳴る。エルピスは笑って、ショップの店員に声をかける。


「すみません、ライ麦パン1つもらえますか?」

「はいはい、ライ麦パン1つね……」


 笑顔だった店主の顔が急に険しいものに変わる。店主は箒を手に店から出ると、エルピスの隣にいた少年を叩いた。エルピスは思わず声を上げる。


「何するんですか!?」


 じろりと店主がエルピスを見る。


「あんた、この子が灰の子って知らないのかい? こんな子がうちの前にいられちゃ不吉だよ!」


 店主が箒を振り上げ、軒下から少年を追い出す。尻餅をついた少年の背後から「お! いたいた!」と悪意のある声が聞こえた。少年は逃げようとする。だがその少年の足をひっかけて転ばすと、同じくらいの年の子が地面に落ちていた石を、少年に向かって投げつけた。少年の背中にあたると、他の子が「顔にあてろよー」とげらげら笑う。

 エルピスはすぐに少年を庇うように抱きしめる。


「こんな虐めして、何が楽しいの?」


 すると子どもたちはきょとんとしたあと、またげらげらと笑う。


「イジメじゃねーし。神様に愛されていないんだから、当然じゃん」

「そんなくだらない事で──ッ」


 石が投げつけられ、少年の頬にあたる。エルピスはカッとなって黒のエレメンツを使おうとした。けれど、ディルの言葉が頭に過る。


 ──『日常生活では決して使うな』


 確かに、ここで黒のエレメンツを使ったら駄目だ。ディルに迷惑をかけてしまう。大丈夫。痛いのには慣れている。エルピスは少年をぎゅっと抱きしめると、これ以上傷を与えまいとした。子どもたちが不思議そうにする。


「おい、この女。なんで灰の子を庇うんだよ」

「もしかしてこの女も灰の子なんじゃないか?」

「それなら、罰を与えるべきだよな!」


 子ども達が石を投げる。身体中に、石を浴びる。硬い石が額にあたって、赤い血がつうと流れる。子どもに扇動されるように大人達も混ざって「灰の子だ!」と石を投げる。

 大丈夫。痛みなんて大したことはない。けれどこの子を守らなくては。

 おねえちゃん、と少年が泣く。エルピスは「大丈夫」と微笑む。

 人々の投げた石が、エルピスの顔や腕、足、背中に当たる。大丈夫。大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。怒りを人に向けてはいけない。黒のエレメンツがしみ出してしまう。そうでないとまた「魔女」になってしまう。それは──嫌だ。

 やがて投石がやむ。せいせいした、と声がした。

 エルピスは少年を解放すると「早く逃げなさい」と笑顔で言う。少年は涙を流しながら、逃げるように路地へと駆け込んでいった。


 ──そうか、これが現実か。


 エルピスは痛む身体で立つ。幸い、城へは近い。エルピスは足を引きずりながら、雨の中を歩く。痛みの中、歩くのも慣れている。こんな距離なんて大したものじゃない。城の裏門に辿り着き、辿り着くと気が抜けてしまったのか、エルピスはその場に倒れる。良かった。黒のエレメンツは使わずに済んだ。生き抜く。黒のエレメンツもなく生き抜いてみせる。生き抜いてみせた。

 雨に打たれながら、寒いな、とエルピスは思う。


 ──『人間というものは己の為に殺戮をも厭わないのか』。


 かつて99回も考えた事。

 それが今浮かんできて、自嘲した。

 こんなことを、100回目のこの世界では、考えたくなかった。

 エルピスは目を閉じた。雨の音。冷たい。ああ──火刑にあった時も、業火とは裏腹に、心は冷たかった。




***




 目が覚めると白い天井が見えた。医務室か、と思った。

 手を握る感覚。視線をやれば、ディルの満月色の瞳と目が合った。


「すみません」

「謝るのは俺の方だ」


 予期せぬ言葉にエルピスは困惑する。ディルは痛々しく青く晴れたエルピスを診て、言った。


「俺の言葉を守った所為だな」

「いえ……もしも使ったら国中が大変なことになりました。未知のエレメンツに怯えたと思います。だから、ディルの言ったことは正しいです。それに、私には【無】のエレメンツがあるから怪我なんて平気です」

「消せないものもある」

「え?」

 

 ディルは真っ直ぐこちらを見ていた。


「身体以外に負った、お前の傷だ」

「……それだって消せますよ」

「違う。お前が傷を負ったという事実は消せない。【無】にできるのは、そこには痕跡があるからだ」


 エルピスは息を呑む。【無】にする。けれどそれは【有】ったということになる。最初から【無】であるものなどないのだ。それをディルは見抜いていた。

【無】は最強の力だ。

 だが、それは【有】の力には勝らない。

 存在が【有】るものがないと、【無】の力など無意味なのだ。


「……俺はお前と同じだ」

「同じ……?」

「お前は、自分の死よりも、誰かが死ぬことを恐れる。違うか?」


 核心をついた問いにエルピスは息を忘れる。

 そうだ。エルピスは怖い。「自分のせいで」多くの死を見た。

 

「ディルは」


 掠れた声が出た。


「どうして自分の死より、誰かの死が怖いの?」


 あのディルが、こんなことを言うなんて信じられなかった。

 ディルは視線を伏せたあと、答えた。



「──大切な人間を殺されたからだ」


 

 それ以上、ディルは何も言わなかった。




 


ここまでお読み下さってありがとうございました。

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