ご褒美の幸福
「エルピス、仕事だ。だが今回はお前1人で行け」
小さな仕事ばかりこなしてきたある日、そんな命令がエルピスの元に下った。
「私1人ですか? 何故ですか?」
「理由1。1人が適任だし、その人数で十分だ。理由2は……見て分かるな?」
大量に溜まった執務を前に、微笑むディルは今にも人を殺しそうだ。
エルピスは苦笑しつつ「了解しました」と頷いた。ディルは内容を答える。
「今回は以前建設した製鉄工場の視察だ。子どもは大人に逆らえない。何か異常があるか調べてこい」
「ああ、だから女1人と。舐められやすいし、その分、こちらに隙も見せますしね」
「お前にしては理解が早い。異常があったら何があろうと黒のエレメンツを使え。怪我1つする位なら容赦するな」
そして、とディルは手を組みながら言った。隣にはディルがよく呑む頭痛薬がある。
「こんな些末な任務で命を落としたら地獄の果てでも追って殺すからな」
「ハハハ……ご冗談を…………すみません、頑張ります」
機嫌の悪い所に、更に火に油を注ぐところだった。
***
エルピスは用意された作業着を着て工場に辿り着くと、改めてその規模の大きさに驚嘆した。ディルが「有」れと言うだけで、あっと言う間に作ったのだから凄いものである。
この国は「神子」の存在がいるのを認識はされているものの、神子がどんな容姿をしていてどんな年齢をしていて性別が何かも分かっていない。仮に白のエレメンツを見ても、幻で「有」れと言えばたちまち消えるのだ。
エルピスは広い工場内に立ち入ると、早速工場長が出迎えた。屈強な男は無精ひげを生やし、エルピスよりもずっと背が高い。工場長は野太い声でエルピスを見ると「女1人で視察とはな」と眉根を寄せる。女性蔑視なのだろうか。エルピスはよく観察してみた。
従業員の子どもがミスをすると、工場長は怒声を飛ばす。それからミスをした子どものところまで行くと、厳しく指導していた。怒声、厳しい指導、暴力の可能性。虐待。その2文字が過るが確定には至らない。
工場長が他に気を取られている間に、エルピスはこっそり子どもに声をかけてみる。
「ねぇねぇ、工場長さんはどんなひと? 秘密にしてあげるから教えて?」
すると子どもは「んー」な悩みつつ答える。
「工場長さんは怖いけど、あとは何にも無いよ。ジュースくれるし……配るのは副工場長だけど。あ……あと、これは工場長さんには関係ないけど、灰の子がいるの。一部の子が虐めてるんだ」
「灰の子?」
聞き覚えの無い単語だった。子どもはひそひそ声で教えてくれた。
「エレメンツをひとつも持っていない子だよ。神様に祝福されていないって」
「……そっか。それで虐めが」
くらないことだ。けれど、くだらないことで人間を淘汰するのが人間だ。99回でこれまでずっと見てきた。人間は変わらない。とりあえず「灰の子」の問題は工場の問題とは別なので、別件で報告はしておこうと考える。
他に工場に勤務する子どもたいの話しをきいていく内に、奇妙な事にぶつかる。
「……休憩時間中に誰かに触られている気がする?」
人がいるところだと話しにくいから、と私室に呼び出したのはアンジーという13才頃の女子だった。誰も入ってこないようきっちり鍵をかけて、おずおずと話し始めた彼女の話はこんなものだった。
昼間、配給されたジュースを呑むと急に眠気がきて、鍵の事も忘れて仮眠に私室に戻ってしまう。すると暫くすると、誰かが入ってきてアンジーの胸やお尻を触ったりするらしい。眠気がひいた頃には誰もおらず、ただただ不気味さと気味の悪さを感じる、と。
それを聞いたエルピスは、この工場にアンジーに性的な悪戯をしている人間がいるのだと確信した。だが孤児や他の従業員も含め、工場には人が多い。どうしたら絞ることができるだろうと、思っているとアンジーがもうひとつ、付け足した。
「あと、あのね……」
***
最初に尋ねた工場長の次に尋ねたのは、副工場長だった。もうすぐ結婚するらしく婚約指輪が指に光っていた。どうやら自慢の恋人らしい。でれでれと笑う副工場のジョンに、「ここ最近、何か工場で問題がありますか?」と尋ねると難しい顔をした。
「ここ最近というか、どうも工場長と意見がぶつかる事が多くてね……もっと子どもに優しく接した方がいいんじゃないかと思うんだけど、一応彼は僕の上司だし……どうしたものか。特に、なぜだか分からないけど、彼、女の子に対してだけ妙に態度が違うというか……」
溜息を吐くジョンは本当に困っているようだった。余程ストレスなのだろう。デスクには頭痛薬が置いてある。ディルと同じ銘柄だ。
その後、幾人かの子どもたちから話しを聞いてみたが、セクハラにあっているのはアンジー1人いだけのようだった。エルピスはどうしたものかと思う。手っ取り早い方法があるのだが、あまり気が進まない。それをするということは、今までアンジーがそういうことをされてきた、という事実に繋がるからだ。だが、かといってこのままセクハラ犯を野放しにできない。
昼までもうすぐだ。
エルピスはアンジーにジュースを飲むふりだけするように告げると、彼女の作業着を借りて私室に潜り込んだ。髪色などバレないよう、頭の先までタオルケットを被る。聞いて回っても仕方ないのなら、囮になればいい。
それから、暫くしてだろうか。
足音が聞こえた。他に休憩している者たちを裂けるように、静かに。忍び足だった。
来た。
エルピスは身をかたくるする。
半開きだった扉が、パタンと閉まる。ふうふうと興奮した声が聞こえる。男には間違いない。それも成人した男。
男はエルピスの尻や胸に触れ、まさぐる。エルピスとアンジーの体格はそれほど変わらない。
「今日もいい子で待っていたなんて、可愛いねぇ……」
肌にひやりとした金属が触れる。エルピスはこみ上げる笑いと共に、タオルケットをはがした。相手の男と目が合う。
「──ええ、良い子で待ってましたよ。ジョン副工場長」
「なっ、なんで君が……!」
「さーて、何ででしょう? ちょっと眠いのでアンジーに部屋を借りていたんですが、副工場長こそなーんで此処に?」
とぼけたように言うエルピスに、ひきつった笑みを副工場長は浮かべる。
「いや、その、アンジーと約束していね」
「へぇ。胸やお尻を触る約束ですか。随分、新しい種類の約束ですね。婚約者がいる割には」
「ぼ、僕は何もしていない!」
はぁ? と内心エルピスは思う。
ここにきて悪あがきをし始めたジョンに溜息をついてエルピスは言う。
「他の子どもが言っていました。ジュースを配るのはあなただと。アンジーはそのジュースを飲んだあとに眠気に襲われて私室に来ています」
「ぼくが、毒でも盛ったというのか?」
「いえ、薬です。あなの好みのアンジーにだけ」
薬と言われて、どきり、としたような顔をする。
エルピスは副工場長の机の上にあった頭痛薬を思い返しながら言った。
「副作用というやつですね。アンジーはまだ13才。あの薬は15才未満の子に強すぎます。眠気という副作用が出てもおかしくない」
ディルがよく呑んでいる薬だから分かる。
エルピスは更にジョンを追い込む。
「それから……アンジーは冷たい硬いものが触れた、と言ってました。それって、これじゃないんですか?」
エルピスは自分の指へと触れる。丁度、婚約破棄をはめているジョンの指に。
タオルケットを脱ぎ捨てエルピスは立ち上がると、笑顔でジョンを見上げた。
「しかし随分卑怯ですね。ロリコンを隠すための偽装結婚ですか? 少女にしか勃起しないなんて聞いたら、婚約者、泣いちゃうんじゃないですかね。本当に趣味が悪い。あ! でもアンジーを犯さずに触れるだけっていうのは、EDだからですか? だとしたらすみません。勃起しないなんて可哀想なこと聞いちゃいました。EDならお早めに医療機関にかかることをオススメします。別に同情はしていませんよ。ただ可哀想な変態だと思って……」※シスコンは女姉妹に対して強い愛着・執着を持つことです
そこまで言うとエルピスは胸ぐらを掴まれる。ジョンの顔は怒りで真っ赤だった。
「巫山戯るなよクソビッチ! 俺がEDかどうか身をもって知ってもらおうじゃねぇか! 触ってたのだって、ただ単にそのへんのガキじゃ満足できねぇし、犯してピーピー泣かれるのが面倒だっただけなんがからな……ッ! おめぇみたいな女、相手にしてやるよ! 有り難く思えッ!」
「はい」
ピピッ、と音がした。エルピスは小型通信機を手に、にっこりと笑う。
「証言のご協力、ありがとうございました! この通信機は自動で裁判所と王室に送信されます。──それよりなんですか? 相手にしてやるよ……? ですか。それじゃあ、私も相手にして差し上げます。消す、という意味で」
危機を察したのだろう。エルピスから手を離して逃げようとする。そんな男に、エルピスは指を鳴らして言う。
「【黒のエレメンツ】よ、汝の生殖器を痛みを持って【無】にし給え」
「え──っああああああああああ!!!!!」
股間を押さえながら絶叫してのたうつジョンの頭の上に、エルピスは足を置く。外で待っていたアンジーは驚きに目を丸くする。
見上げたジョンは全く何が起こっているのか分かっていないのだろう。ただ痛みで涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。
「……さて、言うことがありますよね? 私とアンジーに」
「あっあ痛いっ、ああ、あ、ぁあ、あ!」
「言うこと」
エルピスは冷酷な目でジョンを見下ろす。
ジョンはエルピスとアンジーを見て、言った。
「す、すみませんでした……! 本当に、ごめんなさい、だからこの僕の生殖器を」
頭から足をひいて、エルピスはあっけらかんとして答えた。
「無理に決まっているじゃないですか。神子様じゃないですもん」
ほどなくして法務警備隊がやってくる。取り押さえられたジョンにエルピスは言う。
「まぁ神子様に祈ればいいんじゃないですかね。それじゃ牢獄まで良い旅を」
喚きながらジョンは法務警備に捕まって、護送車へと乗っていった。
安心したのだろう。アンジーが泣きながら抱きしめてくる。その頭を撫でていると、工場長が気まずそうにこちらに来た。それからアンジーに「気付かなくてすまなかった」と頭を下げた。
どうやらこの人は女性蔑視の人ではないらしい。
女性とどう接していいか、分からない不器用な人だったらしい。アンジーとエルピスは顔を見合わせて笑った。
それから、
「もっと女子には優しくしてくださいね」
と言った。工場長は難しい顔をして、おう、とぶっきらぼうに答えた。
***
「ちゃんと生きて帰ってこれたか」
てっきり嬉々として迎え入れてくれるものかと思いきや、ディルの機嫌は計り知れないほど悪かった。資料は減っているのにどうしたのだろう。とりあえず今回の事について報告する。事の顛末を聞いたディルは溜息を吐き出す。
「まぁ愚かなお前のことだ。現行犯逮捕しかないだろうと思っていた」
「他に方法が浮かばなくて」
でも、とエルピスは苦笑しつつ言う。
「流石に見知らぬ男性に、胸やお尻を触られるのは嫌でしたね」
ぴくり、とディルの身体が揺れる。
「…………お前の身体に触れた?」
「ディル、どうしたんですか?」
ディルはクレイを呼び出す。ディルの倍は執務をこなしていたクレイはもう限界といった感じだった。そんなクレイにディルは告げる。
「今護送されるいる男だが、今すぐ腕を切り落とせ。法律など面倒だ。税金の無駄でもあるしな」
「兄上……また無茶を言わないでください……」
「そ、そうですよ。それに性器は【無】くしたので、これ以上被害は増えないかと……!」
必死に言ってみるが、何故かディルは譲らない。
「なら首を跳ねろ」
「兄上…………ははっ、ちょっと考えてみますね……」
もう疲労の限界なのかフラフラと執務室を出て行ったクレイは大丈夫なのか。不安に思っていると「エルピス」と呼ばれる。金色の瞳が珍しく、殺意や冷淡さもなくこちらを見ていた。エルピスはディルの前に立つ。だがディルはエルピスにもっと近くに寄れと言う。仕方ないので、エルピスはちょこんとディルの椅子の横に座る。ディルの瞳が柔らかく細められる。
なんだろう。
でもその目に見惚れていると、ディルの唇が寄る。
唇が、合わさる。
あの日したみたいに、触れるような、口づけ。
かっと顔に熱が集まる。けれど嫌じゃ無い。すごく、きもちがいい。ディルはエルピスの頭を撫でながら言う。
「褒美だ。よくやった」
喜びで心が震える。キスの理由なんてもうどうでもいい。
ただ「これ」が嬉しい。幸福にしてくれる。
「ありがとうございます。とても素敵なご褒美です」
なんて自分は単純なのだろう。けれど良い。これが100回目の自由。自由で知った、恋。
エルピスは笑う。花のように綻び、色鮮やかに咲いた。
***
ディルは私室でひとり考えていた。
2度目のキス。拒むと思っていた。それかキスした後、嫌な顔でもするかと思った。試すためのものだった。
それなのにエルピスは心底嬉しそうで、ディルに与えられるものを幸福というように受け取っていた。任務外のエルピスの性格的に、あれは演技ではない。
「……何を考えているんだ」
親鳥から餌を与えられる雛鳥のようなものなのか。
出会った時、ディルに救われたからこそ、ディルを親のように思っているのか。生まれたばかりの雛が、その場にいたものを親と見るように。いずれにせよこれは問題では無い。問題は、ディルだ。
何故、エルピスのことを考えると、感情的になるのか。
何故、エルピスのことを考えると、何よりも優先してしまうのか。
何故──エルピスと唇を合わせると、気分が良い、と感じるのか。
27年間の間で人を好きになったことなど一度もなかった。それどころか、年齢を重ねるにつれ人間が嫌いになっていった。
それなのに、この独占欲は何だろう。
エルピスが嬉しそうにするから、キスをしてしまう。気持ちが良いからキスをしてしまう。幸せすら、感じる。
──馬鹿か、俺は。
ディルにはどうしても果たさなければならない「復讐」がある。
そのために冷酷さを忘れてはいけない。殺意を忘れてはならない。
そういった感情が溶け出してしまうなら、エルピスと距離をとるべきなのだろう。
けれど。
あんなふうに笑うから──。
ディルを救ってしまうのだ。暗澹とした闇の中、光る1つの「希望」のように。
ここまでお読み下さってありがとうございました。
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