epilogue 「祓い屋ささら」
「次のニュースです。――県で四年前に起こった殺人事件の犯人が自首したという警察の発表がありました。この事件は自宅に強盗が押し入り、当時二十四歳の鬼怒田かがりさんが亡くなって――」
ピ、と音を鳴らしてテレビのチャンネルが切り替わる。次に画面に映ったのは愛らしい野生の狐が走っている映像だ。ささらがそれを見ながら身支度を整えていると、洗濯籠を持って通り過ぎようとした茶々が目を吊り上げて「狐の方が良いって言うんですか!?」と怒って来た。思わず少し面倒臭そうな顔をしてしまった。
むっとした様子の茶々がリモコンを持ってチャンネルを変える。そして映ったのは先ほどのニュース番組で、茶々はそのまますぐにまたチャンネルを変えた。天気予報が映されたところで彼女はリモコンを置く。
「……かなめ様、自首したんですね」
「うん……」
あの事件から一週間ほどが経った。ささらの怪我もある程度ましになり、今日から仕事に復帰する予定だ。
あの後、あの場所に居た全員が様々な怪我を負っており、すぐに病院に運ばれることになった。ささらが一番怪我が酷かった為治療も長く、ようやく落ち着いた頃になってめぐるに「かなめが警察署に行った」という話を聞かされたのだ。
「お前にごめん、ってそれだけ伝えてくれって」
そうして数日経ちテレビであの事件が報道されるようになったのだ。かつて強盗事件だと言われていたのは間違いで、犯人は意識不明になっていたかなめであると。
病院に運ばれる直前に見たかなめは、まるで魂が抜け落ちたように憔悴していた。それでもけじめを付ける為に自首したのは、恐らく冤罪を着せられていたささらへの罪滅ぼしだろう。
犯人が知りたいと言っていた飛鳥はこのニュースを見て一体何を思うだろう。
「……あ、柊さん来たみたい」
「ええ。お気を付けて、力の弱い霊であっても油断してはいけませんよ」
「分かってるよ」
しっかり身支度を終えた所でタイミングよくインターホンが鳴る。ささらは持ち物を軽く確認するとすぐに立ち上がり、入り口の扉を開けた。
「柊さん、おはようございます……って、めぐ兄さん?」
「よーささら。おはよ」
「俺も居るけどな」
扉を開けたささらは目の前に立っていた予想外の人物を見上げて首を傾げた。柊は当然として、彼の隣には紙袋を手にしためぐるが軽く片手を上げていたのだ。
「ちょうどそこで会ってな」
「夜勤終わりでついでに差し入れ持ってきたんだが、これから仕事なんだって?せっかく色々買って来たんだけどお預けだな」
「えぇ……」
「ま、仕事終わりの楽しみが増えただけだろ。ほら、さっさと行くぞ」
「はぁい」
「頑張って来いよー」
ひらひらと手を振るめぐるに見送られて、ささらは柊と共に事務所を出る。そしてめぐるの声が聞こえたのか、事務所の奥から不思議そうな表情を浮かべた茶々がひょっこりと顔を出した。
「めぐる様? いらしてたんですか」
「おう、差し入れ持って来た」
「いつもありがとうございます」
茶々に促されて事務所に入っためぐるはテーブルに紙袋を置くと、ソファの背もたれにどかりと体重を掛けて大きく息を吐いた。疲労がたまる夜勤を終えたこともそうだが、連日警察で事情聴取を受けたり周囲の人間に色々と問い詰められたりで非常に疲れている。
今にも眠りそうになっていると、それを察したように茶々が小さめのブランケットを持って来てめぐるの体に掛けた。
「……あー、寝そう」
「眠っても構いませんよ」
「いや、もったいないから」
「もったいない?」
くぁ、と欠伸をかみ殺しためぐるは茶々の疑問には答えず「ささらのやつ、大丈夫か?」と尋ねた。
「……ええ。思ったより元気です。何処か吹っ切れたような、そんな感じですね」
「なら良いんだが」
「むしろ以前よりも……なんというか、少ししっかりしたように思います。小さなことですが、今日だってわたくしが起こさずとも一人で起きて、時間までに身支度もしっかり終わりましたし」
「ふ、ホントに小さなことだな」
「それでも大きな進歩ですよ。それに今日の仕事だって柊様を介してしっかり依頼人と話し合っておられて……こうやって、ちょっとずつちょっとずつわたくしがやることが減っていくんだなと思うと少し寂しいですね」
「まあなあ。でも人間、少しずつ親離れしていくもんだ」
「そうですね。寂しいですけど、それだけささら様が成長したってことですからね」
「ああ。……ところで、茶々」
「はい?」
めぐるの対面に座ってしみじみとお茶を飲んでいた茶々は、ふと立ち上がって隣に座っためぐるを見上げて首を傾けた。
「どうかなさいました?」
「俺の初恋、実はかがりの友達だったんだ」
「え?」
「その子のことずっと引き摺ってるって言ったと思うけど……その子、すげえ可愛い子だったんだ。俺より年上で、着物を着た三つ編みの、しっかり者で世話焼きな……タヌキの妖怪」
「……ええっ!?」
「前に浩に言ってたよな、今はささらの世話が生きがいだからって。……なあ茶々、子離れが済んだら、そろそろ自分のことも考えてくれないか? 俺もいい加減、初恋を叶えたいんだが?」
ぽかん、と口を開けたまま硬直していた茶々が、じわじわと頬を紅潮させる。そんな彼女の様子を見て少し調子に乗っためぐるは、畳み掛けるようにそっと彼女の髪に触れた。
「この髪飾りも似合ってるな。俺の見立ても中々だと思わないか?」
「も、もしかしてこれ――」
「茶々姉ちゃーん! 遊びに来たぜー!」
ばたーん、と勢いよく入り口の扉が開き元気な声が飛び込んで来たのはそんな時だった。
「え」
「母ちゃんがスイカ持ってけって……は?」
うきうきした様子でスイカが入った網を振り回す少年――和泉谷が見たのは、大好きな茶々と、そしてその傍らで彼女に近付き髪に触れているめぐるの姿。
「……」
「……」
その瞬間、ある意味二人の心は通じ合っていた。
□ □ □ □ □ □ □
「悪霊、退散!」
ささらが叫びながら右手を突き出すと、先ほどまでさんざん逃げ回って悲鳴を上げていた男の霊はあっさりとその姿を消してしまった。
「あああありがとうございます! ホントに、毎日毎日あの声が耳について病院にも掛かってたんです」
「この家に居た霊はこれで最後です。依頼完了でよろしいでしょうか」
「はい! 報酬は後日、約束の金額を振り込みますので」
本当にありがとうございます、と依頼人に涙目で礼を言われたささらは、それに頷きながらやっと終わった、と内心疲労感で肩を落とした。
今回依頼されたボロ……古めかしい屋敷には何人かの幽霊が住み着いていたのだが、それらはどれも悪霊というほどではなかった。ただ……やたらと叫び騒音を発し、そして異様に逃げ足が早かったのだ。捕まえるのも一苦労だった。
「柊さん、お待たせしました」
「ああ。依頼はどうだった」
「ちゃんと片付けましたよ。……ああもう、まだ耳がキンキンする」
ささらと依頼人の仲介を行った後は車で待機していた柊の元に帰ると、彼はささらがシートベルトを締めたのを確認してから車を発進させた。
「……という訳で、すごく煩い幽霊でした」
「なるほどな、依頼人が参るのも分かる。だがやばい悪霊じゃなかっただけよかったな」
「そうですね。もう、姉さんのお守りも無くなっちゃったし」
「……」
「……あ、そうそう! 柊さん、この前のお守り駄目にしちゃったんで、また今度新しいやつ作りますね」
「別にいい。また記憶ぶっ飛んだらどうすんだ」
「ちゃんと程々にやりますって。だって柊さん、なんだかんだ結構危ない目に遭ってるじゃないですか。心配になりますよ」
「それはこっちの台詞だ」
いつもいつも怪我しやがって、と柊はちらりと助手席に座るささらに視線をやる。あの時よりかはずっと良くなったが、それでも絆創膏やガーゼが貼られた場所がちらほらと見えてしまう。
「次にでかい怪我をしたら……そうだな、仕事の後メシ食いに行くのを止める」
「ひぃ、なんて恐ろしいこと言うんですか!」
「無茶しなきゃいいだけだろうが」
「ちなみに今日はどこに行く予定で?」
「カレー」
「三杯は余裕ですね」
「あの兄さんの差し入れの分も考慮しとけよ」
軽口を叩きながら、ささらはそっと自分の体に目を落とした。未だに少しじくじくと痛む傷は、あの時のことが現実だと分かりやすく教えてくれる。
もうかがりは居ない。本当に、魂すらささらが消してしまった。それを全く後悔していないかと言われれば頷くことは出来ないし、本当は以前に見た平行世界のようにささらではなくかがりが生きた方がよかったのではないかと思うこともある。
でも、ささらの命はかがりが守ってくれたものだ。彼女が望んでくれたものだから、それを粗末にすることは許されないと思う。かがりだけじゃない。茶々やめぐる、そして柊もささらを大事にしてくれて、心配してくれる。
それが少しくすぐったくて、嬉しくてたまらない。
「ねえ柊さん。色々心配してくれて、ありが――」
顔を上げて柊を振り返ったその瞬間、彼女の顔数センチ先にあったのは――舌なめずりをしながらにやにやと笑う、逆さになった半透明のおじさんの顔だった。
「ぎ、ぎゃあああああっ!? 悪霊退散!!」
「っだあ!?」
反射的に、コンマ数秒で振り抜かれた拳はおじさんの顔面を貫き……そしてその後ろに居た柊の頬に見事に直撃した。
なんとか事故は起こさなかったのは幸いであった。
ーーーーーーーー
「はあ、はあっ」
走る、走る……もう足が動かないと思っても、それでも走る。
「透君……」
「ごめん、美代……俺の所為で……っ!」
朽ち果てた墓が並ぶ薄闇の中、手を繋いだ二人の少年少女が息を切らして必死に走っていた。
後ろを振り返ることは出来ない。先ほどから彼らを追いかけるように迫る恐ろしい声がひっきりなしに響いているのだから。
中学校の帰り道、一緒に下校していた二人は突然人気のない道でこの場所に引きずり込まれた。見渡す限りどこまでも見える沢山の墓と、墓地の独特の匂い。元いた場所はどこにも見つからず、二人はこの不気味な空間から出ようと辺りを彷徨い始めた。
しかしどれだけ歩いても景色は変わらない。おまけにいつしか背後から怪しい笑い声が二人を追いかけ始め、彼らは当ても無いままとにかく逃げるしか出来なかった。
「あっ、」
「!」
不意に、少女が躓き少年を巻き添えにして一緒に転んだ。湿った土のような地面に顔を打ち付けた二人はすぐに立ち上がろうとしたが、一度止まってしまった足はもう限界に達して立ち上がることすら難しかった。
しかし、追ってはそんなことなどお構いなしに近付いてくる。最初よりもずっと多い笑い声に二人は身を竦ませ、恐怖でかちかちと歯を鳴らした。近付く声に思わず振り返ってしまうと、そこに居たのは顔が隠れた長い髪の女や頭が牛になっている怪物、そして片方の目が飛び出した大きな犬。どれもこれも楽しげにけたけたと笑いながら二人にどんどん近付いてくる。
「誰か……助け、」
「――悪霊退散!」
笑い声を切り裂くように聞こえたその声は、不意に目の前に二人の目の前に降ってきた。
「……え」
瞬く間に、二人に背を向けるようにして立つ一人の女性が現れた。そしてそれと同時にあれだけ響いていた笑い声が、一瞬にして悲鳴に変わった。
「行くよ、羽斬」
唖然としている二人を置いて、女性は右手に持った短刀を振って化け物達に向かって走り出す。女性に向かって振り下ろされる腕を切り飛ばし、食らいつこうとした牙を折り、身軽に化け物達の攻撃を躱しては短刀を振り抜く。それは、物語の中に放り込まれたような非現実的な光景だった。
と、墓の影から真っ黒な影のようなものが現れて背後から女性に襲いかかる。しかし彼女はまるで振り向きもせずに手首を返して、まるで他に別の目があるかのように正確に影を切り裂いた。
「無茶苦茶な……なんだよ、何なんだお前っ」
次々と仲間が消されていく光景に恐れおののいた牛頭の怪物が思わずと叫ぶ。すると女性は周囲の化け物をあっという間に消滅させてじりじりと後ずさっていた牛頭の前に立ち、その首と胴体をすぱんと切り離した。
少年達に見えない所で、彼女はふっと笑みを浮かべる。
「祓い屋ささら。覚えておいて下さい」
end




