episode 24 悲劇の終点(4)
かがりは、自分が殺した。
そう告げた瞬間驚愕のまま固まった妹を見て、かなめは自嘲するように小さく笑った。きっとささらはそんなこと予想もしていなかったのだろう。身内を疑うことなんてまず考えなかったであろうささらの性分は、かなめの知る四年前からちっとも変わっていない。
「う、嘘、だよね? だって、かな兄さんがそんなこと」
「ごめんね、ささら」
けれど、かなめは縋るように見上げる妹に頷くことはできない。全て事実なのだ。かなめが、かがりを殺した。まさかその疑いが妹に掛かるなんてことは想像もしていなかったけれど。
「四年前、僕がかがりを殺した。包丁を向けられて逃げて、咄嗟に近くの部屋に……ささらの部屋に隠れようとしたかがりを何度も刺して殺した」
「やめて!」
「嘘なんかじゃない。結局僕は死ぬ直前のかがりに咄嗟に呪詛を掛けられて、何年も意識不明になっていたけどね」
信じたくないと耳を塞ぐささらの手をやんわりと取る。傷だらけの腕を見て申し訳なさそうに眉を下げたかなめは、再度「ごめん」とささらに謝った。
「ささらに罪を着せたかった訳じゃないんだ。なのにささらだけが疑われて、傷付けられて、家を追い出されて……全部起きてから聞いて、本当に謝りたかった」
「……本当に、兄さんが」
「ああ、そうだよ」
「どうして……どうして姉さんを! なんで、皆仲良かったのに! 喧嘩だって殆どしなかったし、ねえなんで!?」
「……」
ささらがかなめの肩を掴み強く揺さぶる。酷く困惑した様子の妹は何度も何度も問いかけて来るが彼はされるがまま、その口を閉ざしたままだ。
「教えてよ! 本当は姉さんのこと嫌いだったの? だから殺したの!?」
「……」
「お母さんが言うように一番になりたかったの? 自分がお父さんに選ばれて、跡継ぎになりたかったから!?」
「……違う」
「え」
「違うよ。僕は跡継ぎとか父さんの関心とか、別にどうでもよかったんだ。当主になりたいなんて考えたこと、一度だって無いよ」
「じゃあ、なんで」
「……そうだね。ささらにだけは、教えてあげる」
かなめはささらを優しく見つめ返すと、静かに目を伏せた。
誰にも言ったことはなかった。誰にも言うつもりはなかった。誰も、気付きはしなかった。だが、自分の所為で人生を大きく歪めてしまい、そしてこれからもそうしてしまう大事な妹には言ってもいいような気がした。
「僕は、かがりが嫌いだった訳じゃない」
ずっと心の奥底に隠していた想いを。
「――愛していたんだ」
□ □ □ □ □ □ □
「はじめまして! 私かがりって言うの、よろしくね」
彼女と初めて顔を会わせたのは、かなめが小学生の時だった。
怪異――当時はそれがなんなのかこれっぽっちも分かっていなかったが――に襲われたかなめを庇った父が死に、そして母は霊力の強いかなめを守る為に鬼怒田家へ嫁ぐことになった。まだ幼かったかなめにも詳しい事情は分からずともそれが自分の所為だとなんとなく理解していて、突然余所の家に住むことになったことにかなめは申し訳なさと共に酷く萎縮していた。
自分の所為で父は死んだ。母は苦労することになった。全部、かなめの所為で。
そうして鬼怒田家を訪れて、母が父と話をして一人で待っている時に最初に話し掛けてくれたのはかがりだった。「私達のお兄ちゃんになるんだよね? うちの中案内してあげる!」と初めて会ったばかりのかなめの手を引いて人懐っこく話し続けるかがりに、かなめは沈んでいた気持ちが少しずつ浮上して、冷たくなっていた胸が温かくなったような気がした。
初めてこの家で心を許したのはかがりだった。そう、最初はただそれだけのことだった。それからさほど時間も掛からずめぐるとも親しくなれたし、霊力の訓練も鬼怒田家での生活もあっという間に慣れた。かなめ自身順応性があり人間関係に波風を立てる性格でもなかった為、“鬼怒田かなめ”として生きることに違和感を抱くこともすぐに無くなった。
「兄さん!」
ただ一つ、かがりからそう呼ばれることだけは、いつまで経っても慣れなかった。
かがりと親しくなる度に胸が温かくなる。なのにそれと同時に苦しくもなる。めぐると話す時ともささらと話す時とも違う、相反する二つの感情に振り回されるようになった。
兄さんと呼ばれる度に苦しくなる。彼女に兄として認識されたくないと自覚したのは、ささらが鬼怒田家へやって来てからだった。
かがりとは違い、ささらに「かな兄さん」と呼ばれるとくすぐったい気持ちになった。嬉しいような、少し気恥ずかしいような。そしてその時かなめは初めて妹はこういうものなのだと認識したような気がした。元々かがりが居たのに、彼女を妹として見ていなかった事実をようやく自覚した。
ああそういうことだったのかと、かなめが自分の気持ちを理解したのは小六の時だった。
かがりが好きだ。家族としてではなく、一人の女の子として。
――けれど、かなめはすぐにその気持ちを封じ込めることにした。
当たり前だ。血が繋がっていないとは言えかがりはかなめの妹だ。妹を好きになってはいけないと、もうその頃のかなめはとっくに分かっていた。自身に根付いた倫理観を投げ捨てられるほど吹っ切れてもいなかった。
だから隠した。自分の気持ちを騙して誤魔化して、誰にも知られないように細心の注意を払った。実際、かなめの気持ちに気付いた人など誰もいなかった。父も母も兄弟もかがり本人にだって、誰一人としてかなめの想いを悟らせることはなかった。
かがりと話す時もいつも穏やかに、心を乱さないようにと自分に言い聞かせて完全に心に蓋をした。彼女が家を継ぐのなら、自分はせめてそれを支えていける立場になりたい。そんなささやかな願いだけを抱えて自分の気持ちを押し殺した。
何年も何年も、彼女に恋人が出来ても表面上は一切変わることはなかった。表面上、だけは。
一生報われることがなくてもかがりの幸せだけを願って、自分を殺し続けて。そうして少しずつ蓄積していたものに、かなめはそれが決壊するその時まで気付くことはなかった。
崩れたのは、一瞬だ。
「かなめさん」
「ああ、飛鳥君。かがりのことなんだけど、何かあったか知ってるか? 帰ってすぐ一人にしてって部屋に籠もってしまったんだ」
「実は……妹さん、ささらちゃんと口論になってたみたいで」
「ささらと? ……そうか。あの子も難しい時期だからね、こういうこともあるだろう。お互い頭が冷えれば冷静になるだろうしすぐに仲直り出来るよ。だから今は、少しそっとしておいた方がいい」
「そう、ですかね」
「ささらのことだ。きっとすぐに我に返って、今頃どうやって謝ろうかと考えてる頃だよ。だからきっと明日には元通りだ」
あの日、帰って早々泣きそうな顔で部屋に籠もったかがりを追って、彼女の恋人である飛鳥が家へやって来た。
ささらとかがりが喧嘩をしたなんて初めてのことだが、そんなこともあるだろうとさほど気にしてはいなかった。あの二人ならばそこまで深刻な事態にはならないだろうと考えていた。
かなめがそう言って飛鳥を諭すと、彼は少し表情を明るくして頷き頭を下げる。
「すみません、かがりをよろしくお願いします。……あ、それと」
「?」
「かなめさん……いや、お義兄さん。俺、かがりにプロポーズしたんです。だから、今度改めてご挨拶に伺います」
「プロポーズ……そうか、おめでとう」
「ありがとうございます」
それだけ言って飛鳥が踵を返す。鬼怒田の家から離れていく背中をじっと見つめ、そしてその姿が完全に見えなくなった所でかなめは玄関の扉を閉めた。
ずるずると、扉に背を預けかなめはそのまま力が抜けたようにしゃがみ込んだ。
「……そうか」
いずれはそうなるだろうと分かっていたはずだ。かがりは飛鳥と結婚してこの家を継ぎ、かなめはそれを傍で見続けながら生きていくのだと、とっくに自分を納得させていたはずだった。
ずっと我慢して来た。耐えて耐えて、自分を殺して殺して殺して殺して――。
――だけどその瞬間、今までずっと耐えられたものが、急に耐えられなくなった。
「かがり」
「兄さん? 今は一人にしてって……!?」
気付けばかなめは、台所から包丁を持ち出してかがりの部屋を訪れていた。了解なく扉を開けた先で驚愕に大きく目を見開いたかがりに、かなめは一歩ゆっくりと近付く。
「な、なに……兄さん何を」
「僕はいつまで我慢すればいいんだ。いつになったら、我慢しなくて済むんだ」
朦朧とする意識の中、かなめはぶつぶつと小声で呟いてかがりに包丁を突き出した。固まっていたかがりは反射的にそれを避け、そして混乱しながらもすれ違うように部屋から逃げ出した。
かなめはそのままかがりの背を追いかける。咄嗟に逃げた所為で玄関とは反対側に走り出してしまったかがりはどんどん家の中へと追い詰められる。そして目の前に飛び込んできた部屋……たまたま扉の開いていたささらの部屋へ逃げ込んだ瞬間、かなめは追いついた彼女の背を強く押した。
「!」
バランスを崩したかがりが前のめりに倒れ込む。そんな彼女を見下ろしながら、かなめは酷く穏やかな声を出した。
「聞いたよ。飛鳥君と結婚するんだって?」
いつも通りの優しい声と表情とは裏腹に、かなめは恐ろしい目で自分を見上げるかがりに、その鋭い切っ先を向けた。
「――ごめんね」
一突き。手に嫌な感触がして、温かいものが掛かった。
「あ、が……」
「もう、見たくないんだよ。君があの男に笑いかけてる所なんてっ、僕に兄さんって呼びかける君なんて、この先っ、一生見たくない! ずっと、ずっと好きだったのに、愛して、いたのにっ!」
何度も何度も、引き抜いては包丁を突き刺す。止まらなかった。衝動のまま、かなめは何度も包丁を振り上げた。
「……、に」
しかしその時、虚ろに光が消えていくだけだったかがりの目にほんの僅かな光が戻った。もはやまだ息をしているのが不思議な彼女は、最後の力を振り絞るようにその手でかなめの腕を掴み、そして目を合わせた。
その瞬間から先を、かなめは覚えていない。
□ □ □ □ □ □ □
目の前でささらが言葉を失っている。それはそうだろう、かなめの気持ちなんて今まで誰も知ることはなかったのだから。
初めて自分の想いを言葉にしてみると、かなめは思いの外気持ちが落ち着いているのに気が付く。押さえ込んでいた気持ちを表に出せるのは、こんなにも楽なことだったのか。……ならば、もしもっと前にささらに、めぐるにこの気持ちを吐き出していたら、あの殺意を押さえることは出来ただろうか。
「……姉さんを」
最早考えるだけ無意味なことを思っていると、不意にずっと黙り込んでいたささらが震える声を口にした。
「姉さんを愛していたから、殺したの……?」
「そうだね……結果的には、そうなってしまった」
あの時、包丁でかがりを刺し殺していたあの瞬間、かなめはかがりに愛情を抱いていただろうか。憎しみでいっぱいになって、もはやそんなもの忘れてしまっていなかっただろうか。
もう思い出せない。それでも。
「それでも、殺してしまったけど……僕は、かがりが好きだったんだ。ずっと愛していたんだ」
「……」
「愛していたじゃない。今だってそれは変わらない。だから――もう一度、会いたくてたまらないんだ」
「え?」
「あともう一度でいい。恨みでも憎しみでもなんでもいいから、もう一度だけあの子の目に映りたい」
時間が経って呪詛の力が薄れ、四年ぶりにようやく目を覚ましたかなめが最初に思ったのはそれだった。自分で殺したくせに、もう一度だけ彼女に会いたいと。
本当はあのまま目覚めない方が良かったのだと思う。かがりが最後の抵抗にかなめに向けた呪詛に呑まれて、そのまま死んでいた方が誰にとっても良かったのだろう。けれどかなめは目を覚ましてしまった。そして……もう、彼は我慢というものができなくなっていた。倫理観も自制心も――心だって、とっく壊れてしまっている。
「兄さん……」
ささらが理解できないものを見る目をかなめに向ける。それでいい。理解なんてされなくていい。かなめだって特に大切にしていた妹に、こんな破滅的な思考なんて理解出来てほしくない。
「かがりにもう一度会いたい。たとえ霊でも構わない。もう一度だけいいから、僕を見て欲しい」
「……」
「そう思ってかがりの霊を降ろそうとしたんだ。だけど降霊術は何度やっても失敗した。原因も分からないままだ。方法も間違っていないし、縁になるものも用意してある。他の霊ならほぼ確実に成功したのに、何故かかがりの霊だけが現れない。降霊術の研究の為に胡散臭い宗教に視察にまで行ったけど、成果はゼロだ。何の役にも立たなかった」
「宗教? それってまさか」
「だから思ったんだ。きっと、僕だから駄目なんだって」
かなめはささらの肩に手を置くと、じっと彼女の顔を覗き込んだ。
「あの子を殺してしまった僕じゃ駄目だ。だけどささらなら、かがりが本当に大事にしていたささらが呼んでくれたら、きっとかがりは応えてくれる。あの子は、本当に君のことを愛していたから」
「! もしかして、その為に私をここに」
「ああ。もう、それしか方法が無いんだ」
「……でも、私は降霊術なんてできない。兄さんだってそれは分かってるでしょ……!」
「そうだね。勿論分かってる」
「ならどうして」
ささらは霊力が他の人間とは文字通り桁が違うが、彼女が霊力を制御できないのはそれだけが理由じゃない。努力が足りないとはではなく、もうこれは天性の才能の問題だ。父ですら匙を投げたささらの霊力は、頑張ってどうにかなるようなものではないのだ。
だからささらは降霊が行えない。ならばどうして此処に連れてきたのだと問いかける妹に、かなめは悟りきった穏やかな表情を浮かべてみせた。
「僕は技術的には問題ない。だけどかがりは降りてきてくれない。ささらは降霊術は使えないけど、君ならきっとかがりは応えてくれる。……だからさ、」
瞬間、かなめは掴んでいたささらの肩を押して、そのまま押し倒した。
「え、にいさ」
「君と僕の子だったらきっと……今度こそかがりを降霊できると思わないか」
母がささらとの結婚を持ちかけて来た時、母が言ったのだ。
「あの子の霊力を引き継ぐ子さえ生まれれば、あなたは何の憂いもなく当主としてやって行ける」と。
その時に思ったのだ。ささらとかなめの子供、かがりに愛されたささらの子供が降霊術を使えたら。そうしたら、大切な妹の子の呼びかけになら優しい彼女は応えてくれるんじゃないか。
「い、いや! 兄さん!」
「ごめんねささら。大丈夫、酷いことなんてしないよ」
押し倒した妹を上から押さえつけながら、かなめは安心させるようにささらの頬を撫でた。
「子供が生まれたら用済みだなんて言わないよ。妹でも妻でもこれまでと同じだ、ずっと大事にする」
「やだ、お願い……」
「ごめんね」
ささらが必死で逃げだそうと抵抗する。いつの間にか随分力も強くなったが、それでもかなめには敵わない。
ささらの両手首を纏めて押さえたかなめが空いたもう片方の手で彼女の服に手を掛けた。
「誰か、助けて!!」
――ささらが叫んだ直後、聞いたことのない大きな音と共にかなめの背後にあった重たい鉄の扉が吹き飛んだ。




