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祓い屋(物理)の日常  作者: とど
四章
58/63

episode 24 悲劇の終点(1)


 物音など何も聞こえない、深夜の病院。

 めぐるは起きて来た同僚と交代して仮眠室に入ると、硬いベッドに横になり重たくなってきた瞼に抗うことなく目を閉じた。

 できれば叩き起こされないことを願うばかりだ、と思いながらうとうとと夢の中へ旅立とうとしためぐるは……しかし、何故だか妙な寒気を覚えてそのまま意識を落とすことが出来なかった。


 ……なんだろうか。静寂に包まれていた部屋の中で何かぼそぼそと声が聞こえる気がする。気にせずさっさと寝てしまいたいのにそれがどうにも耳に付いて気になってしまう。


「ったく、一体何だ……?」


 めぐるは少し重みが減った瞼を持ち上げると、不機嫌そうな顔でぐるりと仮眠室の中を見回した。何の変哲も無い、どこにも不審な所などないいつもの仮眠室で――。


「は、」


 そう結論付けようとしたところで、めぐるは部屋の片隅に微かに浮かび上がる人影を見た。カーテンから漏れる月明かりの影になる位置にひっそりと佇む存在感のない男の影。それは僅かに頭を動かしてめぐると目を合わせたかと思うと、すぐに消えてしまう。


「……」


 幽霊なんて、霊力が殆どないめぐるですら割と見慣れている。だが、今の男は。




「……親父?」




   □ □ □ □ □ □ □




 翌日の朝、欠伸をかみ殺して仕事をするめぐるに妹から電話が掛かってきた。


『兄さん……お父さんが』

「……そうか」


 めぐるはなんとなくささらがそう言うであろうとあらかじめ予想していた。父が昨晩死んだ。ならばやはり、あの幽霊は。


「……ささら、大丈夫か?」

『うん……なんていうか、まだ全然実感が湧かなくて』

「俺もだ。正直、殺しても死なないとすら思ってた」

『なんか色々訳が分からないことになってるの。さっき、弁護士って名乗る人がうちに来て……』


 想像よりも取り乱してはいなかったささらだったが、未だに父の死が受け入れられず混乱しているだけだ。めぐるの声を聞いて少しは落ち着くことが出来たささらは、先ほどの会話を思い出して頭を整理するように一つ一つ言葉を並べ始めた。






 つい先ほど弁護士が事務所を訪れ、父が死んだことを告げた。彼は父が個人的に雇っていた人らしく、そしてその手には白い封筒に入った遺言状があった。


「生前、鬼怒田さんは遺言状を残しておられました。すでに開封はされ他の皆様にも内容は伝わっているので、どうぞお読み下さい」

「……」


 ささらは恐る恐る遺言状を受け取る。何が書かれているのか、ごくりと息を呑んでからゆっくりと紙面に目を落とすと、彼女はそこに書かれている内容に思わず顔を上げて弁護しを凝視した。


「あ、あの」

「死後は葬式は一切行わずにすぐに火葬、遺骨は先祖代々伝わる墓の中へ。鬼怒田家の跡継ぎは鬼怒田かなめが。そして……鬼怒田家の遺産の八割をあなたに、残りの二割を奥様と息子二人で三等分して相続するようにと」


 




「遺産の八割を、お前に?」

『あ、あの兄さん! 私嘘吐いてないし、お金欲しさに書き換えた訳じゃないからね!』

「いや流石にそれは分かってるが」


 電話の向こう側で酷く焦って捲し立てる妹にめぐるは少々呆れた。そんなことをするくらいならもっと先にめぐるからがっつり貢がせているだろうし、馬鹿正直なささらにそんな真似が出来るはずもない。めぐるが疑うのなら、それはささらではなくいきなりやってきたという弁護士と名乗る男の方だ。


「しっかし八割ねえ、うちの家で八割って億なんて余裕で越えるぞ」

『お、億!? はあ!?』

「急に金持ちになってよかったな」

『何一つ良くない!』


 茶化すようにめぐるが言うと、割と本気で怒ったような声が返ってきた。……めぐるとて、実の父が死んだのに遺産の話を面白おかしく話すのは不謹慎だと分かっている。やはり、あまりに唐突すぎて実感がなさ過ぎるのだ。涙一つ出てこない。


『ねえ、めぐ兄さん。私ね……少し前に、一度お父さんに会ったの』

「……何だって?」

『その時に、もう鬼怒田には関わるなって言われた。……なのにこんなに遺産を渡すってどういうことなの……? お父さんは何を考えてたの?』

「……」


 めぐるの中で様々な感情や考えが過ぎる。が、しかし彼はそれらを全て頭の中から放り出した。父の思惑などちっとも理解できないし、したくもない。

 彼はひとまず、これから何をするべきかだけを考えることにした。


「ささら、とにかく仕事が終わったらお前の所に行く。状況を知るのなら実家へ行った方がいいが……絶対に一人では行くな。いざ向かうとすれば俺も一緒に行く。いいな」

『分かった』

「それじゃ、もう仕事に戻る。少し寝てから夕方には行くと思う」


 めぐるはそれだけ言って電話を切る。そしてスマホをしまうと、行き場のない気持ちをぶつけるように前髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。



 父親のことは正直好きではなかった。霊力がないからと姉と比べられた訳でも、あからさまにないがしろにされていた訳ではない。だが、いつもいつも父親が何を考えているのかちっとも分からなかった。母が死んだ後子供に何も相談せずに再婚したことも、唐突に養子を迎えたことも、あの男はいつも全てを自分で勝手に決めて、考えを誰かに溢すことがなかった。

 だからと言って死んだと聞いて何も思わない訳ではない。しかし自分の今の気持ちが分からない。めぐるはそれらを一旦置いて、ささらを尋ねてきたという弁護士について思考をめぐらせた。


 遺産を八割ささらに受け渡すという話は本当か。父がそんな遺言状を作ったとは正直全く信じられない。別に自分の取り分がどうとかはどうでもいい。めぐるは困窮している訳ではないし、むしろ金は使う暇がないから妹や茶々に貢いでいるようなものだ。

 ならば、例えば霊力の大きさで割り振ったのか。しかしそうなるとめぐるが、かなめや母と同等の配分になっているのが分からなくなる。

 しかも八割も遺産を相続しておいて家を継がせる気がないというのだから本当に意味が分からない。


「……あいつホントに何考えてたんだよくそ」


 死んでも尚引っかき回しやがって、と毒吐く。何はともあれ仕事を終えたらさっさと妹の元へ向かわなければ。そして帰りたくもない実家へ、嫌でも行かなければならない。


 めぐるは一つ舌打ちすると、「鬼怒田先生急患です!」と大きな声で呼ぶ看護師の後ろを小走りで追いかけた。




   □ □ □ □ □ □ □




「はあ……」


 めぐるとの電話の後、気分転換に買い物に行ってもささらの気持ちはまったく晴れない。当たり前だ。急に父が死んだとか、遺産が転がり込んできたなどと言われても気持ちが追いつかない。これで家賃の心配をしなくてもいいなんて暢気に考えることなど勿論できるはずもない。

 父が死んだのはショックだし悲しいはずなのに、どこか現実味がなさ過ぎて涙が出ない。

 だって、この前会った時はなんともなさそうだったのに。


 父の死因は病死、元々祓い屋として何度も呪われたことのあった父の体に追い打ちを掛けるように癌が見つかり、数ヶ月であっという間に亡くなってしまったのだという。ということはささらと会ったあの時も、父はすでに余命幾ばくもない状態だったのだ。


「ささら様、大丈夫ですか」

「うん、多分」


 隣を歩く茶々が心配そうに顔を覗き込んでくる。心配を掛けないようにと笑おうとして見せたのに、茶々の表情はますます曇ってしまう。


「……あのね、茶々」

「はい」

「私、もう少し覚悟が出来たら一度実家へ行こうと思ってたの。お父さんと、ちゃんと話そうって」

「……そうだったんですか」

「うん、怖いなら、柊さんもついてきてくれるって言ってくれた」

「勿論わたくしだってご一緒いたします」

「ありがとう。……でも、もう叶わなくなっちゃった」


 家に行けても、そこで父と話すことが出来なれば意味がない。

 どうしてもっと早く覚悟を決められなかったのか。なりふり構わずにすぐに家へ向かうことが出来たらこんな後悔などしなくてもよかったのに。

 そうやって自分を責める言葉ばかりが頭に思い浮かぶ。父の真意は、もう一生分からないままだ。


「……あ!」

「え、何?」

「すみません。いえ、ちょっと玉葱を買い忘れを思い出してしまって」

「な、なんだ……びっくりした」


 急に茶々が大声を出したかと思えばその内容に脱力する。おかげで一瞬考えていたことが吹き飛んだ。


「さっさとそれだけ買って来るので、ささら様はこのまま事務所へ帰って下さい。すぐに追いつきます」

「分かった。じゃあそっちの荷物も貸して」

「ですが重いのでは」

「平気平気、茶々も身軽な方が早く行けるでしょ」


 ささらは少々渋る茶々を言いくるめるようにそう言って、強引に買い物袋を受け取る。そんなささらに観念したのか、茶々はため息交じりに「すぐに戻ります」と告げて元来た道を逆に走り出す。


「……」


 茶々の姿が見えなくなると、ささらはずっしりとした買い物袋の重さに眉を顰めつつ、軽くよろめきながら歩き出した。

 両手に持つ荷物が揺れてバランスが取りにくい。両腕が重い。だけど、そちらに集中している方が余計なことを考えずに済む。

 荷物に振り回されてよたよたと覚束ない足取りで帰り道を歩く。あまり広くなく人通りも多くはないので車は来ないだろうと高をくくって道の真ん中らへんを歩いていたのだが、不意に前方から白い車がささらの方へ向かって来るのが見えて、慌てて道の脇に寄る。

 狭い道だからか車はあまりスピードを出してはおらず、そのままささらの横をすり抜けて行く……と思ったのだが、車は何故かささらの前方で停止し、そのままエンジンが切られたのが分かった。


「ささら」

「……え、」


 進行方向を塞ぐようにして停められた車の中から一人の男が出てくる。そこそこ背の高い、しかしひょろりとしてどことなく儚い印象を受けるその男性は、ささらを見ると優しく微笑んで彼女の名前を呼んだ。

 しかしささらはただただ彼を凝視するばかりで言葉を失っていた。はくはくと空気だけを吐き出すだけで動かない彼女に、男は優しい表情のままゆっくりと彼女に歩み寄った。


「久しぶり、ささら」

「か……かな兄さん!」


 次の瞬間、硬直が解けたように突然動き出したささらは、勢いよく目の前の男――兄である鬼怒田かなめに抱きついていた。


「兄さん、兄さん!」

「少し見ないうちに大きくなったね」

「目が覚めたんだね。本当に……本当によかった」

「ああ。半年くらい前に起きたんだ」

 

 縋るように抱きついているとささらの背中にも腕が回る。本当に、本物のかなめだ。意識不明だった期間が長すぎた所為か痩せたように見えるが、変わったといえばそれくらいだ。


「元気そうでよかった。めぐると茶々も、まだ相変わらずかな」

「うん、二人とも元気だよ」

「そうか。……ささら」


 ゆっくりと体を離されてささらは名残惜しく思いながら背中に回していた腕を解いて兄を見上げる。


「実は、今日はささらに大事な話があって来たんだ」

「大事な話、」


 ささらはその瞬間、喜びに満ちていた心が急に現実に戻って来たような感覚がした。

 わざわざこのタイミングでささらに会いに来たとすれば、それが何の話か分からない訳がない。


「それは、お父さんのこと……?」

「遠くはないね。……昨日、父さんが病院で息を引き取った。少し前まで平気で動いていたのに、末期癌であっという間に逝ってしまったよ」

「……」

「それで、うちは残った僕が引き継ぐことになったんだけどね。僕もいい年だし、跡継ぎも必要だからって早いところ結婚しなくてはいけなくて」

「そうなんだ……」

「うん。だからね、ささら――僕と、結婚しようか」



 ……え?


 ささらは目の前にいるかなめを見上げた。今までと同じ優しい表情で、柔らかな雰囲気で、何一つ変わることなく平然としていた。

 ありえない。今のは聞き間違いだろうかと本気で自分の耳を疑った。


「に、兄さん。今なんて」

「僕と結婚して、うちに戻って来て欲しいって言ってるんだ。ささらと僕は血が繋がっていないし婚姻は可能だよ。母さんもどうしてもささらが良いって言うし、ちょうどいいと思うんだ」

「お母さんもそんなこと言ってるの!? ね、ねえ兄さん! 冗談だよね、久しぶりに会ったから揶揄ってるだけだよね?」

「僕はめぐると違ってささらを揶揄ったことなんて一度も無いと思うんだけどね。さ、ひとまずこれからうちに……」


「待って下さい!」


 かなめがささらの腕を掴もうと手を伸ばす。しかしその手がささらに触れる前に、彼女を突き飛ばさん勢いで二人の間に割り込んできた人影があった。

 ぜえぜえと息を切らしてささらを背に追いやった彼女は、狼狽えながらも目の前のかなめをキッと睨み付けるように見上げた。


「茶々!」

「遅くなりました。さて、かなめ様お久しぶりです」

「ああ、久しぶりだね。君がささらの傍に居るとは聞いていたんだ。今までこの子のことを守ってくれて、本当にありがとう」

「いえ、ささら様をお守りするのはわたくしの生きがいですから。それより先ほどの話ですが、ささら様にはもう――」

「だけどもう十分だ。これからはささらのことは僕に任せて。君はもう……お役御免だよ」

「え」


 死角からいつの間にか迫っていた札に、茶々はそれが額に貼られるまでまるで気が付かなかった。そして貼られた瞬間、茶々の体からみるみるうちに力が抜け、あっという間に膝から崩れて道路に倒れ込む。

 

「茶々……? 茶々!」

「一応あやかし封じの札を持って来ておいて正解だった」


 突然目の前で倒れた茶々を見てささらはすぐさま彼女を抱き起こす。札を貼られた彼女はまるでただ寝ているかのようにすら見える。

 ささらはすぐに額の札を剥がそうと手を伸ばすが、しかしその前にかなめに腕を掴まれて無理矢理立たされる。


「駄目だよ」

「離して!」

「ごめんねささら。君は今から“家”に帰るんだ。……ゆっくり眠っていて。あっという間に着くからね」


 茶々から引き離されたささらは必死に腕を振り払おうとするが、いくらかなめが細くても年上の男性の力には敵わない。それどころか、掴まれた腕に意識を向けていた所為であっさりと茶々と同じように額に札を貼られてしまった。


「っ、」


 その瞬間、ささらは強烈な眠気を覚えてまともに立っていることすら出来なくなった。

 世界が揺れる、ぶれる、歪む。力が入らなくなって倒れ掛けた体はかなめに受け止められ、ささらはどんどん真っ暗になっていく視界の中で、自由に動かなくなっていく体の中で、最後の力を振り絞った。





「……ごめんね、ささら。でももう、これしか方法が思いつかないんだ」


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