episode 22 あと一歩の覚悟
ゆっくりと、まるで水の中から浮上していくように意識が覚醒していく。
「……」
ささらが重たい瞼を持ち上げると、そこに見えたのは何の変哲も無い自室の天井だった。今日は特に仕事も入っておらず目覚ましを掛けていないので、部屋の中は静まりかえっている。
「……」
カーテンを閉めた部屋は暗い。ささらは一度体を起こそうとしたが、気の重さに体が動かず寝返りを打って体を横に丸め、再び目を閉じた。
頭の中に過ぎるのは、先日のパーティで再会した父親のあの言葉だった。あの後は頭が真っ白になって、気が付いたら家に戻ってきていた。その間何をしていたのかも思い出せなくて、結局姉に関する情報はちっとも集められなかった。
そしてあれから数日が経った現在、ささらは未だにあの言葉を引き摺って落ち込むばかりだ。
何をしているのだろうと自分に怒りを向けたくなる。結局何の成果も出せなくて、父の一言で簡単に傷ついて。柊の言葉で少しは強くなった気でいたのに、実際はこんなに簡単に崩れてしまっている。
「はあ……」
「辛気臭いため息だな」
「辛気臭くもなりますよ……は?」
突然思考に割り込んできた声に無意識に返事をしてしまったささらだったが、ふと我に返って布団から跳ねるように飛び起きた。
背を向けていた方へと振り返ると、そこにはいつの間にか柊が片膝を立てて座り込んでいるではないか。
「ひ、柊さん!? いつの間に!」
「やっと起きたか。いつまで寝てんだよ」
柊の言葉を聞いて部屋の中を見回すといつの間にか部屋の中は随分と明るくなっている。気が付かない内に二度寝してしまっていたのかと納得したささらは、しかしそれよりも此処にいるはずのない人間の方が気になって布団の上で居住まいを正した。
「それより何で此処にいるんですか」
「事務所に来たらちょうどタヌキの嬢ちゃんにお前を起こせと頼まれてな」
「茶々……!」
ささらが頭を抱えたくなっていると、柊の向こう側にある扉の微かに開いた隙間から丸っこい尻尾のようなものがゆらゆら動いているのが見えた。
「そ、それで柊さんのご用件は? また事故物件ですか?」
「お前、今日仕事無いんだってな」
「はい。なので急ぎの依頼だったらすぐに行けますけど」
仕事があるのなら逃すわけにはいかないとささらが立ち上がると、柊は微かに眉を顰めて息を吐く。そして彼も同じように立ち上がると、ささらに背を向けて部屋から出て行こうとした。
「柊さん?」
「とっとと着替えろ、出かけるぞ」
□ □ □ □ □ □ □
柊の車に乗って一時間半ほど。道中ささらがうっかり眠っているといつの間にか到着していた場所は、彼女の予想とは大きく異なる場所だった。
「……あの、柊さん?」
「何だよ」
わいわいきゃあきゃあ、と子供のはしゃぐ声が飛び交い、明るくファンシーな音楽が流れている。ささらの視界に広がるのはメリーゴーランド、ジェットコースター、観覧車などの様々なアトラクションである。
ささらは思わず、目の前の光景と隣にいる男を交互に凝視した。
「何で急に遊園地に」
「仕事関係の知り合いが此処のリニューアルに関わっててな。それで優待券を貰ってたんだよ」
ほれ、と柊が差し出してきたのはこの遊園地の一日フリーパスと園内の飲食店で使えるクーポン券だった。
「……仕事じゃないんですね」
「今日は一日デートだ。文句あるか?」
「ありませんけど……」
「けど何だよ」
「……似合わないなあ、と」
「お前ホントに俺にはずけずけ言うな」
怒るどころかむしろ呆れたような表情を浮かべた柊と共に園内に入る。早速『大型リニューアル!』と表紙にでかでかと書かれたパンフレットを捲ると、園内マップと様々なアトラクションが紹介されている。
前に遊園地に来た時はバイトでろくにアトラクションなんて乗れなかったな、と考えながら何処から行こうかと思考を巡らせる。すでに午後二時を過ぎているので一日といってもそんなには回れないだろう。
「ささら、立ち止まってないで行くぞ」
「もう何乗るか決めてあるんですか?」
「ああ。お前もきっと気に入る」
するとパンフレットを読んでいたささらの手を取って柊が歩き始める。ちらりと地図を見て迷いなく進んでいるのですでに目的は定まっているらしい。
ささらは何処に連れて行かれるのだろうとぼんやりと考えながらも、楽しげに笑っている柊の顔を見て何故か嫌な予感がした。
「……」
「……」
「……あ、あの、柊さん?」
「何だ?」
カタカタ、と音を立てながらレールを辿っていく。しっかりと乗り物に体を固定されたささらは現在地面と水平になっており、若干顔を青くしながら涼しい顔をしている柊の方を見た。
「本当に私が気に入ると思ったんですかこれ」
「おう、悲鳴が出そうなほど喜ぶかと思って」
「それちっとも喜んでなああああいやああああ!?」
瞬間、がくんと体が起こされたかと思うと一瞬にして体が下へ向く。そして僅かな浮遊感と共に一気に加速したかと思うと、乗り物――ジェットコースターはぐるんぐるんと席を回転させながら何メートルも落下した。
ささらの絶叫に柊がほくそ笑んでいるが勿論彼女にそれを見る余裕などありはしない。落下したかと思えばすぐに急上昇し、大きく一回転したかと思えば横方向にも席が回る。
ささらは混乱する頭の中で何故か遠い昔に理科の授業で習った自転と公転が頭を過ぎったが、やはり大層混乱している。
「死ぬ……殺される……」
「もう終わったぞ」
ジェットコースターが止まりようやく地面に足をつけることが出来たささらだったが、未だに振り回されている感覚が抜けずに頭を抱えて蹲った。
「ほら、時間無いんだから次行くぞ」
「え、もうちょっと待ってて下さいよ……」
「どうせ並ぶからその時休んどけ」
再び手を取られたささらは、半ば引き摺られるようにしてとぼとぼと歩き出す。次は一体何だろうか。いきなりあんな凶悪なジェットコースターに乗せられたのだから、案外優しい所のある柊は少なくとも連続できついものには乗せないだろう。
……と、考えていた自分を羽斬で突き刺したくなったのはそのすぐ後だった。
「無理無理無理無理ですこれは無理!」
「いや乗る」
きゃー、ぎゃー、と女性の甲高い声も男性の野太い声も混じって聞こえてくる。目の前にそびえ立つ高いタワーの上から一気に落下しているそれを見て、ささらは乗る前から既に心を折られてしまっていた。
「これフリーフォールってやつでしょ!? 絶対に無理です!」
「さっきのジェットコースター平気だったんだから大丈夫だろ」
「何も平気じゃなかったんですが!」
何とも平然としている柊にささらが必死に訴えるがまるで意に介されない。怖い怖いと首を横に振るささらを柊が適当に宥めていると、周囲の視線が妙に生暖かく感じた。
「あそこのカップル可愛いわねえ」なんて傍のベンチに座る白髪交じりの老夫婦が微笑んでいる。……恋人に見られたのは嬉しいが完全にそれどころではなかった。
そしていやいや期を迎えていたささらが案の定喉が枯れる程の絶叫を出すのはそれから二十分後の話である。
□ □ □ □ □ □ □
「ホントもう……勘弁して下さい」
「ま、時間もねえししょうがねえな」
いっそ殺せと言いたくなったフリーフォールを終えたささらは更にその後お化け屋敷に連れて行かれ、完全にグロッキー状態でふらふらと柊の上着にしがみついた。もう知っている、柊が向かおうとしていた先にはバイキングあることを。
必死に柊を足止めしていると、彼はようやく諦めたらしく今度は逆方向へと歩き出した。
「つうか、未だにお化け屋敷怖いのか? 流石にあの手には慣れただろ。あの蜘蛛屋敷の方がよっぽどやばかったぞ」
「それとこれとは違うんです! 何ていうか、仕事だとある程度切り替えられるというか……そもそも、お化け屋敷と違って現実だとあんな怖いBGM掛かってませんし、第一お化け屋敷の幽霊は除霊できないじゃないですか!」
「まあいつも通り殴りかかってたら警察沙汰だな」
「……というか、これ出口の方向じゃないですよね? 今度は何を企んでるんですか!」
「人聞き悪いこと言うんじゃねえよ。ほれ、前見てみろ」
柊に促されてささらは渋々疲れ切って俯いていた顔を上げる。と、そこには入り口で遠目に見えたカラフルな観覧車がすでに間近に迫っていた。
「か、観覧車……?」
「何だ、まさか今度は高所恐怖症とか言わねえだろうな」
「それは大丈夫ですけど……」
「?」
「これ、ホントにただの観覧車ですか? 乗ったらいきなり高速回転とかしないですか?」
「どれだけ疑り深いんだよ」
「お願いですから今までの行いを思い出して下さい」
ただの観覧車すら警戒し始めるささらだったが、よく観察してみれば乗っている人々もごく普通に外の景色を楽しんでいる様子に見えたのでようやく安心して――しかし乗り込む時は若干緊張しつつ――観覧車へと乗り込んだ。
「ふ、普通だ……」
「当たり前だろ」
ゆっくりゆっくり、遅いと感じるほどの速度で上昇し始めた観覧車にささらが心底安堵していると、不意にささらの前に腰掛けた柊がじっと自分を見つめていることに気が付いた。
「何ですか?」
「……大声出して、少しはすっきりしたか」
「え……?」
どういうことだ、と聞き返す前にささらは柊の言葉の意味を理解する。そしてそれと同時に、確かに気が付けば朝のどんよりとした気の重さはどこかへ飛んで行ってしまったような感じがした。
「もしかしてその為に。……柊さん、ありがとうございます」
「礼なら嬢ちゃんに言ってやれ。お前がずっと落ち込んでるって連絡してきたのはあの子だからな」
「茶々が……そうだったんですね」
いつも心配を掛けてばかりだが、またやってしまったらしい。ささらは茶々に申し訳なさ半分、そしてもう半分、嬉しさも感じた。
「……あ」
「どうした?」
「いえ……此処」
徐々に上へ上がっていく観覧車に何気なく窓の外を見ていると、不意にささらの脳裏で目の前の景色が昔の記憶と重なった。
この光景を見たのはいつだったか。深く考えずとも、この景色を見ることが出来るのはこの場所しかない。
「私、昔この遊園地来たことがあったんです」
「そうだったのか」
「はい。小さい頃に一度だけ、姉さんと、めぐ兄さんと、かな兄さんの四人で」
まだ小学校に上がる前のささらを連れて、電車を乗り継いで行ったはずだ。リニューアルしたらしいので、他のアトラクションに面影が無くてちっとも気が付かなかった。
「私、まだ小さかったんで全然乗り物に乗れなくて。だから余計に観覧車の景色はよく覚えてたんだと思います。かな兄さんが膝の上に乗せてくれて、家が見えるかなって必死に目を凝らして……」
「ささら?」
ささらの記憶が鮮明になるに連れて、話す声がどんどんしぼんでいく。ガラスの向こう側に目をやっても当然見慣れた家など見つかるはずもないし、たとえ万が一見えたとしてもそこにささらの居場所は残されていない。そして、あの時ささらを抱き上げてくれた兄もその目を閉じたままだ。
「……」
「まーた落ち込んでんのかお前は」
「すみません、せっかく気分転換に連れてきてくれたのに」
「それは別にいいが……」
柊は何か言葉を続けようとしたが、一瞬の間の後一度口を閉じる。しかし数秒後、俯くささらを静かに見ていた柊が、再び閉じていた口を開いた。
「この前のパーティ」
「……」
「あの時に、お前の親父さんと少し話をした」
「……え?」
□ □ □ □ □ □ □
「少し、話をさせて下さい。お願いします」
そう言ってささらの父親を呼び止めたものの、柊はまず何を言うべきか言葉に悩んでいた。言いたいことは沢山ある。ささらについてどう思っているのか。何で家出した娘を探しに来なかったのか。先ほどの言葉の真意は。
しかし悩んだ末に――時間にしてみればほんの数秒だっただろうが――まず口から出たのは、それらのどれでもなかった。
「例の事件……かがりさんが殺された事件、あなたは本当にささらが犯人だと思っているんですか」
「……」
「初対面で不躾なことを聞いているのは承知です。ですがあいつはずっと、両親が自分を犯人だと思っているから事件を揉み消したんだと考えています。どうなんですか」
ささらがずっと気にしていた、あの事件のことだった。彼女が言うには、あの事件が父親によって外部からの強盗事件に書き換えられたのは確からしい。ならば何故彼はそんなことをしたのか。やはりささらが犯人だと思って庇ったのか、それとも他に理由があるのか。
柊が目を逸らさずにじっと答えを待ち続けても男の表情は一切の変化がない。だが答えるつもりはないかと諦め掛けたその時、彼はふと柊の視線から逃れるように足下に視線を落とした。
「……全て、私の責任です」
「は?」
「あの事件は全て、私が何もかも中途半端でいた結果。鬼怒田家の当主としても、父親としても、夫としても。その所為で、ささらには辛い思いばかりをさせてしまいました」
静かにこぼれ落ちた言葉は、明確な返答では無かった。更に疑問が増え、彼が何を考えているのか余計に分からなくなる。
「それは、どういう」
「あの子はこれ以上何もしなくていい。もう鬼怒田とは関わらずに生きていくべきなんです」
「……」
だがその中で少なくとも分かることもある。表情を変えない男の声に、何かを悔やむ色が乗っているのは思いの外分かりやすかった。
「それはつまり、あなたはささらが家に関わらない方があいつにとって幸せになれると考えている。ということですか」
「……」
「沈黙は肯定で受け取りますよ。ですが、それを決めるのはあいつ自身だと俺は思ってます」
何もかも過去を振り切ってしまえるのならとっくにそうしているだろう。しかしささらはずっとあの事件を引き摺って、そして今はようやく真っ正面から過去に立ち向かおうととしている。それに水を差すようなことはしないし、させたくない。
「あなたに、それに鬼怒田の家にどんな事情があるのか俺には分かりませんが、あなたにああ言われたささらがそれでも家に向き合うと言うのなら、俺はそれを止めません。それに、できる限りのことはしてやるつもりです」
「……ささらは」
男がゆっくりと視線を柊に向ける。その表情はまったく変わらない。だというのに、どこか。
「ささらは、いい人と出会えたようだ……」
微かに、笑っているように見えた。
「柊さん、でしたか」
「はい」
「良い名前ですね。“柊”は昔から邪鬼を払うと言われている。ささらを……私の娘のことも、どうか守ってやって下さい。お願いします」
「……勿論です」
□ □ □ □ □ □ □
「……お父さんが、そんなこと」
話を聞き終えたささらが最初に何を思ったのか、自分でもよく分からなかった。
冷たく突き放されたあの光景と、柊の話す父親が上手く重ならない。彼の言葉が本当なのか、素直に受け入れられない。
でも、それが本当なら、それは。
「あの人が結局あの事件について何を知っていて何を考えているのかはよく分からない。だがささらの、自分の娘であるお前の幸せを願っていたのは確かだ」
「……お父さん」
まだささらの事を、血の繋がりなど全くないささらのことを娘だと言ってくれるのか。鼻がつんとしたと思えばいつの間にか目からは涙が溢れ、膝の上に握りしめた手の上にこぼれ落ちた。
「ささら」
「!」
その時、突如座っていた体が前に傾く。柊に肩を掴まれ、そのまま彼の胸に顔をぶつけると背中に体温の低い腕が回されるのが分かった。
抱きしめられ、ささらも縋るように柊の背に手を回す。背中を優しく何度も叩かれ、どちらかと言うとまるで子供を宥めるような素振りだ。だがそのおかげで、緊張よりも余程安堵が勝った。
「お前が家に向き合うつもりなら、改めて親父さんと話をした方が良い。ちゃんと腹を割って話せば、きっと何もかも上手くいく」
「……」
「大丈夫だ。怖えなら俺も付いてってやるよ。俺だけじゃない。嬢ちゃんだってきっとそういうはずだ」
柊の話を聞く限り父はささらの知らない事情を抱えていて、そしてそれはかがりの事件と繋がっている。父親と和解してその真意が分かれば、事件の真相も知ることができるかもしれない。
家に戻って、父と話して。……だが。
「柊さん」
「なんだ」
「もう少し……もう少しだけ、心の準備をさせてもらってもいいですか」
あと一歩が、それでもまだ少し恐ろしい。
あの家に近付くことも、かがりが死んでいた自分の部屋を思い出すのも、冷徹な視線を向けられた父親と改めて向き合うのも、もう少しだけ時間がほしい。
「好きにしろ。お前の決心が付くまでいくらでも待ってやる」
「……ありがとう、ございます」
あともう一歩。それは柊ではなく、自分の力で進まなければ意味がない。
ささらが顔を上げると柊が楽しげに笑う。先ほどの含んだ笑みと同じなのに、今度は酷く頼もしいものに見えた。
「……ところで、柊さん。もうすぐ下に着くんですけど」
「そうだな」
「あの、だから離して下さいって!」
「あ-どうするっかなー……っておいいきなり突き飛ばすな!」
「だって見られたら恥ずかしいじゃないですか!」
「お客様、ゴンドラ内で暴れるのはご遠慮下さい」




