episode 0 飲み込んだ言葉(1)
あの日、全てが変わった。
鬼怒田という名字なったささらは、それから以前とはまったく違う幸せな日々を送っていた。
見えないものを見ていても変だと思われない、むしろ同じものが見える人が傍にいる。気味悪がられていた赤い目を可愛いと言ってくれる人がいる。転んだら心配して手当してくれる人がいる。勉強に頭を悩ませていると、その頭を撫でて優しく教えてくれる人がいる。
幸せだった。大人から遠巻きにされ同じ施設の子供に虐められる日々と比べたらずっと。
「ささら、私これから友達と遊ぶから一緒に行こう?」
けれども、幸せは慣れるしその中で嫌なことだって簡単に生まれてしまう。
「私はいいよ。姉さん一人で行った方がいいって」
「そんなことないよ! 皆だっていいよって言ってくれたし早く行こうよ」
「……」
姉さんが頼めばそりゃあ断ることなんて出来なかっただろうね、なんて言葉をささらは表に出さずに全て飲み込んだ。
ささらはかがりに救われ、鬼怒田家に拾われて幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし――現実は、これでは終わらない。
何の悪気もなく手を差し伸べてくる姉に、ささらを救ってくれた姉にもやもやとした薄暗い感情が芽生えたのはいつからだっただろうか。
家族になった人達から受け入れてもらったからといって、周囲全てがそうなる訳じゃない。ささらを虐めていた施設の子供と同様に、小学校に通っていれば悪口を言われることだってあるし、時折物を隠されることもあった。元来引っ込み思案で大人しい性格だったこともあり、ささらの友達は片手で容易に数えられるほどしかいなかった。
そんなささらを心配してか、かがりは何かとささらを連れ回すようになった。友人と遊ぶ時もささらを連れて行き紹介して交友関係を増やそうとしている。
かがりのその気持ちが悪い訳ではない。だが実際に、七つも年上の初対面の人間と会わされてもささらが親しくなれることなんてほぼない。殆どは最初に多少気を遣って話し掛けてはくれるが、すぐに遊びの邪魔になってしまうだけだ。ささらにとっては針のむしろでしかない。
唯一かがり抜きでも無理なく話せるようになったのは、それこそ妖怪の茶々だけだった。人間とは違うからだろうか、流行なんて全然付いていけないささらのつまらない日常の話を、茶々はのんびりと耳を傾けて相づちを打ってくれる。「この先は危ないですから近付いたら駄目ですからね」と時折教えてくれて、友人というよりかは姉のように思った。
茶々の方がお姉さんだったらよかったのにとは、勿論誰にも言わなかった。
ささらだってかがりのことは好きだ。明るくて優しくて、ささらが虐められていると知るとささらよりも怒ってくれて、いつも気に掛けてくれる。
だけど、誰にも言ったことは無かったけど、嫌いな所も確かにあった。一番はやはり、ささらを連れ出して友人に会わせようとするところだ。妹だと紹介されてささらが恥ずかしい気持ちになっていることなんて、かがりは一生知らないだろうと思う。
鬼怒田かがりと言えば、器量も良く何でも出来る、誰にでも気さくで優しい絵に描いたような完璧な人間というのが周囲の認識だった。実際ささらもそうだと思っている。そんな彼女の妹だと紹介されて真っ先に周囲に向けられるのは“妹なのに似てない”という視線ばかりだった。
見た目は勿論血が繋がっていないのだから似ているはずがない。だが周囲がそんなことを知るはずもなく、そして性格も正反対だ。かがり自身は何も考えることなくそんなささらを前に出して『可愛いでしょ!』なんて自慢するのだから、ささらがどれだけ居たたまれない思いを抱いているかなんて分からないのだろう。
だが、そんなことかがり本人を含めて誰かに言える訳がない。かがり自身は純粋にささらのことを思ってやっていることで、そこに悪意など欠片もない。そして周囲にだって、ささらがそう言えばかがりを嫌っていると認識されることが怖くて口に出せない。
違う。かがりが嫌いなんじゃない。むしろ好きの方がずっと強いのに、どうしても耐えられない部分があるだけなのだ。だが、そこまで説明して理解してもらうのは難しいとささらは口を閉ざした。一言文句を言ってしまえばその後弁解しても完全に理解してもらえないんじゃないか。そう思うと家族にすら……いや、かがりに救われたことを知る家族には余計に言えなかった。
贅沢なのだ。拾ってもらって、いつも気に掛けてもらっているというのにこんなことを思うなんて。ささらはそうやって、何度も自分に言い聞かせた。
そうやって我慢して言葉を飲み込んで、何年が経っただろうか。
その日は本当に、全ての間が悪かった。
ささらが高校二年生になったある日のこと。その日はささらにとって人生で最悪な一日だった。こそこそと悪口を言われるのは毎日のことだが、その日提出するノートに落書きをされて提出できずクラスメイト達の前で怒られた。
「まったく、血が繋がってないとはいえちっとも姉に似てないな。もっと見習え」
「……っ」
皆の前で勝手に家の事情を暴露され、そして何年も前に卒業した姉と比較される。
どうしてこんなことを言われなければならないのだろう。自分が悪いのだろうか。姉のように、もっと何でも出来る人間でなければならなかったのか。
唇を噛んで、そう叫びそうになった言葉を必死に飲み込んだ。
「あ、ささら!」
「!」
とぼとぼと一人で歩く帰り道、背後から掛かった声にささらは思わず身を竦ませた。恐る恐る振り向いた先には案の定かがりが笑顔でささらに手を振っており、どんどん顔が強張っていくのを感じた。
「……姉さん」
「高校まで迎えに行こうと思ってたけどちょうどよかった。これから飛鳥君と会って一緒にご飯食べようと思ってるんだ。ささらも一緒に行かない?」
「……」
いつものように作り笑いを浮かべられない。色々な感情が溢れ出す寸前になって、ささらはそれを必死に留めようと俯いて自分の手を強く握りしめた。
「ささら?」
「……」
「ねえささら、どこか具合が悪」
「うるさいっ!!」
しかし今日ばかりはそれを押さえ込むことなど出来なかった。ささらは自分を気遣うように肩に置かれた手を乱暴に払い、ぎりぎりと歯を噛みしめながらかがりを見上げ強く睨み付けた。その目には、感情がコントロールできずに涙が浮かんだ。
普段泣くことは多くとも怒ったところを見たことがなかった妹のその姿に、かがりは酷く驚いたように目を見開く。
「ささら……?」
「うるさい、うるさいうるさいっ!! もう放っておいてよ! 姉さんはどれだけ私を馬鹿にしたら気が済むの!?」
「馬鹿にって、そんなこと」
「いっつも姉さんと比べられて! 皆に笑われて怒られて! 姉さんの友達に会わせようとするのも私を惨めにしたいだけなんでしょ! 私がどんな気持ちになってるかなんて全然知らない癖に!」
「違う! ささら、話を」
「姉さんなんているから……! こんなことなら拾われなくたって同じだった! 姉さんなんて大っ嫌い!!」
血を吐くように叫んだ瞬間、かがりは酷くショックを受けたように言葉を失った。
ささらはそんな姉を見て一瞬罪悪感を抱いたが、すぐに踵を返して逃げるように走り出した。
走って、走って、ささらはとにかくそこから離れたかった。ささらを知る人間がいる場所から、かがりを知る人間がいる場所から離れ、何処かへ逃げてしまいたかった。
しかしささらの――子供一人が走って辿り着ける場所などたかがしれている。息が切れて足を止めたのは高校の最寄り駅の一つ先の駅で、このまま電車に乗って何処か遠くへ行ってしまおうかと考える。
……しかし、駅に入った所でささらの足は止まった。遠くに行くと言っても、一体どこへ行けばいいというのか。友人など殆ど居ないし、居ても皆かがりを知っている。鬼怒田の家以外ささらに居場所などないというのに、遠くへ行ってどうするつもりなのだ。
そんなことを考えていると、あっという間に頭の中が冷えてくる。そして先ほど姉に叫んだ言葉を思い出してさっと血の気が引いた。
酷いことを言ってしまった。かがりなんているから、なんて彼女に救われたささらが口にしていい言葉ではなかった。拾われなくても同じなんて、あの施設の人間と今の家族を同列に並べてしまった。
大嫌いなんて、大切な姉に傷付ける為の言葉を向けてしまった。
「……謝らないと」
姉に会って、それで謝らないと。そして……ちゃんと、思っていることを言おう。
今になって、はっきりと嫌だと言えなかった自分が悪かったとも思ってしまう。ちゃんと理由を言って断れば、きっとかがりも分かってくれたはずだ。
ささらはふらふらとよろめきながら駅を出た。疲れと逃げたいという気持ちで重たい足を引き摺るように一歩一歩と前へ進み、少しずつ少しずつ家への距離を縮めていく。
もうささらのことなどどうでもいいと見向きもされないかもしれない。優しい姉はきっと許してくれるはずだ。二つの思考がぐるぐると頭を回る中、ささらは日も落ちてかなり薄暗くなった道を歩いてようやく家の前に辿り着いた。
「ただいま……」
重たい扉を開けて消え入りそうな声を出す。かがりはもう帰っているだろうか。いや、そういえば食事に行くと言っていたからまだ帰っていないだろう。
少し心の準備をする時間が出来た、と息を吐いたささらは靴を脱いで廊下をとぼとぼ歩く。家の中は妙に静かで、皆出かけているのだろうかと思いながら自室へと向かう。
その時、不意につんとした匂いが鼻をついた。
「……え」
廊下の奥から血の匂いがする。祓い屋を生業にするこの家で誰かが怪我をしているのはさほど珍しくはないが、それでもこれほど濃い血の匂いは初めてだ。
嫌な予感がした。ささらは荷物を放って急ぎその匂いの先へと向かい、そして自分の部屋の前で誰かが倒れているのが見えた。
「かな兄さん!」
俯せになって動かない兄に近付く。噎せ返るような血の匂いに吐きそうになりながらかなめの傍にしゃがみ込んだささらは、しかしすぐに彼の体からは一切血が流れていないことに気付いた。
だがすぐ傍の床には血だまりが出来ている。ささらは無意識にその血を目で辿り、それが自分の部屋の中へと続いていることに気が付いた。
「――あ、」
ささらの部屋の床は血の海になっていた。中央に置かれたローテーブルにはべったりと血痕が飛び、そこに寄りかかるように倒れる女性が一人。
それは――ささらの唯一の姉の姿だった。
「ねえ、さん……姉さん!」
血だまりを構わず靴下で踏みつけてかがりの前にしゃがみ込む。肩を揺らして必死に呼びかけても彼女の体はぴくりとも動かず、かがりの胸に刃物が深く突き刺さっているのが視界に入った。
その体は、既に冷たくなっていた。
「ねえさん、ねえ、さ……あああああああああっ!!」
その後の事は、殆ど覚えていない。
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放心状態だったささらが我に返った頃には、帰宅した母親によって通報を受けた警察がやって来て現場検証が行われていた。
「鬼怒田ささらさん、重要参考人として署までご同行願います」
「……え」
そして現実に戻ってきたささらに待っていたのは、厳しい表情を浮かべた警官のそんな言葉だった。口を開く前にあっという間に両脇から腕を掴まれたささらは、咄嗟に助けを求めるように傍に居た母親を振り返った。
「おかあさ」
「ささら、どうしてあの子を殺したの……信じてたのに」
俯いたまま告げられた言葉に、ささらは心臓が止まったかのような錯覚に陥った。
「え……ち、違う! お母さん違う! 私は姉さんを殺してなんか――」
「詳しい話は署で聞きます」
必死に声を上げるささらを無理矢理警官が連れて行く。すぐに母親の姿は見えなくなり、近所の人々が集まる中でささらは強引にパトカーに押し込まれた。
「大人しそうな子だったのに、まさか……」
「拾ってもらった恩を忘れて……」
違う、私じゃない!
そう叫んで弁解したいのに無情にもパトカーの扉は閉められ走り出してしまう。どんどん家から離れていく景色に、ささらは泣き出しそうになりながら膝の上で両手を握りしめた。
そして、警察署へ連れて行かれたささらに待ち構えていたのは厳しい取り調べだった。
「鬼怒田かがりさんを殺したのは君だろう」
「違います! 私は姉さんを殺してなんかいないです!」
「さっさと自供した方が君の為だ。お姉さんを殺して、それを目撃したお兄さんまで口封じしようとしたんだろう?」
「ちが……兄さん、かなめ兄さんはどうなって」
「外傷はないが、意識不明で目覚める兆しも無い。君の家は特殊らしいな、警察でも重宝されているとかなんとか。何らかの方法で目覚めなくさせることだって可能だったんじゃないか?」
「私はそんなこと出来ません!」
「出来ないことをどうやって証明するつもりだ」
刑事の言葉に、ささらは何も言い返せずに黙り込んだ。家族なら知っているはずだと主張しても、彼らにも隠していたんだろうと言われればどうしようもない。
「さあ、さっさと全部吐け。私達も忙しいんだ、犯人が分かり切っている事件にかまける時間はない」
「私は犯人じゃないです! なんで、なんで私がやったって思って」
「凶器に君の指紋だけが付いていた」
「え……」
「そもそも最初から君がお姉さんを刺し殺したという通報だったんだ。君のお母さんが言っていたよ、ささらは日頃から姉と比べられて苦しんでた。だからささらだけが悪いわけじゃないんですってね」
「!」
ささらの思考が止まる。通報者は母親だったはずで、そして彼女はささらが犯人だと思い込んでしまっている。
そもそもどうして凶器にささらの指紋が付いているのか。分からない……何もかも、分からないことだらけだ。どうして姉が殺されたのかも、どうして兄が目覚めないのかも、どうして……こんなことになってしまったのかも。
呆然と考え込んでしまっているささらの目の前の机に勢いよく刑事の手が叩き付けられ、思わず肩をびくつかせる。
「とっとと吐け! お前はもう逃げられないんだよ!」
「……っ」
「自白の強要はそこまでにしてもらえますか」
刑事がささらの腕を強く掴んだ所で、不意に取調室の扉が開かれた。痛みに呻いていたささらが顔を上げると、そこに居たのは腕に何枚もの資料を抱えた女性刑事だった。
彼女が睨むようにささらを掴む男性刑事を見ると、彼は渋々ささらを解放する。
「……浦原刑事、取り調べの邪魔をしないでいただきたい」
「私は新たな証拠を持ってきただけですよ」
「証拠?」
浦原と呼ばれた女性はつかつかと靴を鳴らして歩いてくると、手にしていた紙を机の上に広げ始めた。
「死亡推定時刻、被疑者が家から離れた駅の監視カメラに映っていたんですよ」
「何?」
「ここからどれだけ急いで戻っても犯行時刻には間に合わない。被疑者に犯行は不可能ってことです」
「なら、凶器の指紋の件はどう説明するつもりだ!」
「説明も何も、そもそもこの指紋には血がべったりと付いているんですよ。つまり犯行の後に触って付いたものです。この子が第一発見者だったんですからつい触れてしまったんでしょう」
「そんな都合の良いことが……殺した後もう一度握れば同じことだろう!」
「わざわざそんなことをするくらいなら最初から指紋なんて残しませんよ」
「ぐ……」
ぴしゃりと言い返された男が黙る。しかしすぐに気を取り直したかのように浦原を見下ろすと「そもそもこいつにアリバイなど無効だ」と鼻で笑った。
「こいつらの家は警察が認めるような変な力があるんだろう? それを使えば遠くからでも殺すことが可能だった」
「はあ? ……ああ。祓い屋、なんですっけ。だからと言ってそれはただの推論です。何の証拠にもならない」
「証拠が見つからない殺しなら見つからないのは仕方がないだろう」
「あなたはただ、この子が犯人であることが一番楽に収まるからその変な力とやらの所為にしたいだけでしょう?」
「なんだと――」
「失礼します……浦原さんちょっと」
二人が口論を続ける中、更に後からもう一人の警官が部屋に入って来る。彼は何とも言えない複雑な表情を浮かべたまま浦原を呼ぶと、彼女と共に部屋の外に出てしまう。すぐに彼女は戻って来たが、しかし先ほどの警官と同じように彼女もまた複雑な表情を浮かべていた。
「……この事件は強盗事件です」
「は? いきなり何を」
「強盗事件、犯人は逃走中……しかしろくに犯人の痕跡が見つからず、この事件を早々に打ち切るように、と」
「!」
浦原の言葉に刑事は何かを察したように目を見開き、そして忌々しげにささらを振り返って大きく舌を打った。
「時間稼ぎをしていたってことか」
「え?」
「お前の偉いお父上が揉み消して下さるそうだぞ。良かったなあ、人殺し」
そう言って男は強引にささらを立たせると突き飛ばすように取調室から追い出した。何もかも状況についていけていないささらは目を白黒させていたが、やがて刑事の言葉を反芻してその意味を理解した。
父親が揉み消した。かがりを殺したのは強盗の犯行になった。それは、つまり……父もまた、ささらがかがりを殺したと思い込んでいるということだ。
違うと信じているのならわざわざ揉み消さずにささらじゃないことを証明しようとしてくれるはずだ。父親も母親も、誰もがささらがやったと考えているのだ。
誰にも、信じてもらえない。
いくらささらが叫んでも、違うと言っても。
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「あんたが鬼怒田ささらか」
かがりが死んで数日。家族の誰とも会わずに空き部屋に閉じこもっていたささらは絶望のままふらりと外に出た。
そこに待ち構えていたのは、冷たい視線をささらに向けた茶髪の男だった。ささらが顔を上げると、男は彼女の目の前に開いた雑誌を広げた。
『霊能力者のお家騒動 姉殺しの妹と警察との癒着』
そんな見出しを見せられたささらは停止させていた思考を数日振りに動かして真っ青になった。記事に載せられた写真はかがりとささらが映された物だ。ささらははっきりとは映っていないもののかがりは被害者としっかりと書かれて鮮明に映されている。彼女を知る人間なら、かがりに妹など一人しかいないことなど皆知っている。何しろ、彼女自身がよくささらを連れ回し、様々な人に紹介していたのだから。
言葉を失うささらを見て、男はにたりと笑った。
「自分の実の娘が殺されたっていうのに揉み消したってな。よっぽど養子の方が大事だったのか、それとも殺人鬼の娘がいるっつって家の評判を落としたくなかったのか。……どっちにしろ、俺が全部暴いて世間に晒してやるよ。こうやって、なあ?」
「――っ!」
男が扇ぐように雑誌を持ち上げると、今まで気付かなかった人影がちらほらとささらの元へと近付いて来た。
「……あんたが、かがりを殺したの」
彼らは、かがりに紹介された彼女の友人達だった。
怒りに、憎悪に体を震わせた彼らに、ささらは何も言えずに後ずさった。しかしそれよりも早く、一人の女がささらに掴みかかった。
「許さない……! かがりを返してよ! この人殺し!」
「っ」
「何でもできる完璧なあいつに嫉妬して、妬んでたんだろ。だから、殺したんだろ……何とか言えよ!」
一人が叫んだのを皮切りに何人もの人間がささらに怒りをぶつけ始める。怒鳴り、射殺さんばかりの視線を突き刺し、全ての憎しみで彼女を押しつぶす。
ささらは、何も出来なかった。
「なんであの子が殺されなきゃ行けなかったのよ! あんたが! あんたの方が死ねば良かったのに!」
ささらを掴んでいた女がささらの頬を怒りのままに叩き、アスファルトに頭を打ち付ける。すぐさま続けるように蹴られたかと思えば、今度は拳ほどの石が投げつけられる。
それが間一髪で当たらずに顔の真横に落ちた瞬間、ささらは体中の力を込めて立ち上がり、一目散に家の中まで逃げ込んだ。
殺される。
家の外で罵倒が響き、がちゃがちゃと玄関の扉を開けようとする音が聞こえてくる。ささらはすぐさま最低限の荷物を持つと裏口を開けて外へと掛け出した。
走る。後ろから追いかけられたら、という焦りだけが体を支配し、数日前かがりの前から去った時よりもずっと全力で走る。
「お前っ……!」
「!」
走る途中、遠くから男の声が聞こえた。反射的に振り返ってしまったささらがその男の顔を見た瞬間どくん、と心臓が弾けそうなほど大きく脈打った。
かがりに紹介された友人は全員はっきりと覚えている訳ではないが、この男だけは嫌というほどはっきりと覚えている。
古町飛鳥。かがりの、恋人だ。
「待て!」
男の叫んだ声に、ささらは足を壊れそうなほどに動かして逃げた。背後からの声に耳を塞ぎ、自分が何処に居るのか分からなくなりそうになりながら逃げ続ける。
……そうして、ささらはいつの間にかまたあの駅の前に居た。
数日前とは違う。何処に向かえばいいのかなんて考えずに、ささらはICカードを改札に通して行き先も見ずに扉の閉まり掛けた電車に飛び乗った。
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当てなど勿論なかった。今ある手持ちで行ける一番遠くの駅で下車したささらは、ぼろぼろの体を引き摺ってふらふらと知らない町を彷徨った。
体だけではない、心だってぼろぼろだ。誰にも信じてもらえない。違うと反論する暇も与えてはくれない。ささらを助けてくれる人など誰も居ない。
父も母も信じてくれなかった。姉は死んで、兄は目覚めない。不意にささらの脳内にもう一人の兄の姿が過ぎったが、すぐにそれを打ち消す。研修や卒論で忙しくなると言って県外の病院に通う為に家を出て行った兄に迷惑を掛ける訳にはいかない。……嘘だ。本当は、めぐるにも信じてもらえないことが恐ろしくてたまらないだけだ。
どれだけ歩いただろうか。既に日はどっぷりと暮れ、人通りもない道を歩いていたささらは、途中で見つけた寂れた公園で疲れ切った体を休めるようにベンチに座り込んでいた。
辺りは静まりかえっている。何の音も聞こえない。ただ、自分の苦しげな息遣いだけが空気に溶けていくだけだ。
どうして。こんなことになってしまったのか。たった数日前までは、当たり前の日常を過ごしていたのに、どうして――。
ぽつ、とその時頭の上に水滴が落ちて来た。重たい頭を持ち上げれば、すぐに再び何滴もの水滴が顔に当たり、あっという間に増えていく。
雨だ。
降り出した雨はささらの体を容赦なく濡らし、ぼろぼろの体から体温を奪っていく。どんどん惨めな気持ちになって、思考が鈍くなっていく。
『なんであの子が殺されなきゃいけなかったのよ! あんたが! あんたの方が死ねば良かったのに!』
「……」
先ほどの言葉を思い出して、ささらは気が付けば涙を流していた。
こんなに必死になって、殺されそうになって逃げ出したというのに……自分に生きている意味なんてあるのかと心の中で問いかけた。
人気者で誰もに好かれる姉、人付き合いが苦手で挙げ句に自分を心配してくれた姉に八つ当たりをして傷付けた自分。どちらが生きていて価値があるかなんて、考える必要も無い。
体温が下がり、体から力が抜けていく。このまま静かに死んでいった方がいいのかもしれない。どうせささらが死んだところで、喜ぶ人は居ても悲しむ人など居ないだろう。
寂れた公園だ。きっと此処には誰も来ないし、もしかしたら住み着いている悪霊なんかに取り殺されるかもしれない。
けれどもう、何もかもどうでもいい。
「おい、傘も差さないで何やってんだあんた」
頭の上で、ふと雨が止んだ。
急に頭に当たらなくなった雨にささらが緩慢に顔を上げる。すると、目の前に一人の男が立っていた。
そのまま顔を上げ続けると男の顔が見える。そこにいたのは、手にした傘をささらの頭上に差し掛けた、彼女よりも年上の強面の男だった。




