episode 19 執念の清算(1)
「あーもう、寝坊した!」
朝から叫びながらささらは家の中を走り回る。今日はこれから仕事で柊が来るというのに全く準備が出来ていないと、ばたばた足音を立てて身支度を整え始めた。
「また柊様が仲介してくださるんでしたっけ」
「そう。ラップ音とか色々困ってる知り合いの大家さんを紹介してくれるって」
茶々が用意してくれたこんがりと焼けたトーストをかじりながら質問に答える。
ありがたいことに柊はよく怪奇現象に悩んでいる同業者にささらを紹介してくれる。霊能力者自体がインチキも多く、ささらは特に一見しただけでは舐められて偽物扱いされることも多いので、こうして依頼人が増えてくれるのは本当に嬉しい。
「あ、柊様がいらしたようですよ」
「ご馳走様!」
窓の外に車が止まったのを茶々が見つけると、ささらはトーストを牛乳で流し込んで慌てて立ち上がった。すぐに歯を磨いて口を濯いでいると事務所の扉が開く音が聞こえ、茶々と柊が何かを話しているのが微かに耳に入ってくる。
「柊さんおはようございます!」
「ささら、お前寝癖ついてんぞ」
「え!?」
すぐにささらが柊の元へ向かうと呆れた顔で迎えられた。前髪を指で示され、少し恥ずかしい気持ちになりながら前髪を押さえてささらは柊へと駆け寄る。
「ささら様、そんなに急ぐと転んで……あ」
その時、ずるっ、と分かりやすい音を立ててささらが足を滑らせた。そのまま綺麗に顔から床へ倒れ込むと、茶々は「だから言ったんですよ」と柊と同じように呆れた表情を浮かべた。
「仕事の前に怪我してどうするんですか。ほら、立って下さい。出かける前に手当しましょう」
「……」
「ささら様? そんなに痛かったんですか?」
倒れたままささらは動かない。転んだ痛みに悶絶しているのかと首を傾げた茶々がささらに近寄り、助け起こそうと腕を掴む。
「え?」
「おい、どうした?」
その腕は妙に重く、そして触れた瞬間嫌な気配がした。
無理矢理覗き込んだ顔は、きつく目を閉じてもがくように苦悶の表情を浮かべていた。
「ぁ……く……」
「ささら様……? ささら様しっかりして下さい!!」
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「ささらが倒れた……!?」
『そうなんです!』
仕事の合間、たまたま掛かってきた電話を手に取っためぐるは、耳元で酷く混乱しているらしい声を聞いて思わずスマホを取り落としそうになった。
「どっか怪我したのか? それともまた霊力が尽きたのか?」
『いえ、そうではないのですが……』
「どうした?」
妙に言いづらそうに茶々が言葉を濁す。またささらが何かしでかしたのかとめぐるが首を傾げていると、たっぷり十秒ほど経過してからようやく息を吸う音が聞こえてきた。
「……ささら様に、呪詛が掛けられています」
「呪詛、だって?」
「ええ、体中を覆い隠すほどの、悍ましい呪詛です」
突然倒れたかと思ったら、少ししてすぐにささらの体を呪詛が覆い尽くした。普通の人間には何も見えないかもしれないが、黒い縄のような物が彼女の全身を締め付けているような状態になってしまっていた。
それを聞いためぐるはすぐに病院を飛び出して妹の元へと向かいたかった。……しかし、それは出来ない。
「悪い、茶々。これからオペがあるからすぐには向かえない。それに、どっちにしろその手の関係なら俺に出来ることはない」
「……ええ、分かっています。ですが状況だけはお伝えしておきたくて」
「ああ。だが、仕事が終わったらすぐに行くから」
「お願いします。ささら様もめぐる様が来てくださったら安心するでしょうし」
「……どうだかな」
最後の一言を茶々には届かないほど小さな声で呟いて、めぐるは電話を切った。
めぐるが駆けつけても、きっと何も変わらない。自分はいつも肝心な時に何の役にも立たないと、彼は酷く重たいため息を吐いた。
代々霊能力者を排出していた鬼怒田の家に生まれても殆ど霊力などなく、優秀な双子の姉に全てを持って行かれたと昔からよく言われて来た。そのことに関してめぐるはあまり気にしたことはなく、むしろそういう陰口を耳にする度に申し訳なさそうな顔をしていたのは、いつもかがりの方だった。
周囲の声は気にしていなかった。だがめぐる自身、常に危険なことに身を置く身内に対して何もできないことをずっと歯痒く思っていた。一般人よりは霊力はあると言っても実際自分に何が出来たというのか。
そして、何も能力だけの問題ではない。あの時だって……かがりが死んだあの事件ですら、めぐるは研修で県外の病院に居て気付いた時には何もかも手遅れだった。かがりが、かなめが、そしてささらが大変な時に限って。
「鬼怒田先生」
「ああ、今行く」
だが、今はそれを後悔している時間はない。とにかく自分に出来ることを成すだけだ。
自分にだって出来ることはある。救えるものだってある。そう医師の鬼怒田めぐるとして気持ちを切り替えて彼は動き出した。
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「これは、結構酷いね」
自室の布団で横になっているささらの様子を見ていた月見が、難しそうな表情を浮かべて右目のモノクルを動かした。
何かと呪いのアイテムに囲まれている彼なら呪詛にも詳しいのではないか。そう思った茶々が月見を呼び、そして彼と共に千紗が付いてきた。柊も険しい顔のままささらの傍に傍に付き、広くない部屋の中はいっぱいいっぱいだ。
そして四人に取り囲まれるように布団に横になっているささらは依然として苦しげに顔を歪め、助けを求めるように布団の上を彷徨っていた手を柊が掴んだ。彼の目にも、微かに黒い物がささらの体を覆っているように見える。
「体の内側から呪詛に食いつかれているね。無理矢理引き剥がすのは無謀だし、下手に斬ろうとすれば術者との縁が切れて相手を探すことも出来なくなる上に呪詛も彼女の体に残ってしまうだろう」
「そんな……月見様、どうすればささら様を助けることができますか」
「一番簡単なのは勿論、術者を見つけ出して止める。もしくは殺すことだ」
「!」
今まできつく閉じられていたささらの目が微かに開かれた。
「この呪詛はとても強力なものだ。殺さずとも、止めたとしても呪詛が返ればどちらにしても結果は同じようなものになるだろうね。そして、何も対処しなければ勿論ささら嬢の方が耐えきれなくなる。彼女は霊力は高いが抵抗力まで強いわけじゃないだろう? 直接霊力をぶつけられれば相殺できるだろうが、自分の内側に入ってきた呪詛まで打ち消せる訳じゃない」
「……そうですね。ささら様は基本的に無意識に霊力を使っていますから、そんなことが出来るのならとっくに呪詛に打ち勝っていると思います」
「だったらさっさとその術者とやらを探さないと。あなた、どうやってそいつを見つけるの?」
「呪詛の痕跡を辿るんだ。これだけの呪詛なら、少なくとも術者は遠くにはいない。それは確証を持って言える」
「月見様、呪詛を辿ることは可能ですか? わたくしは出来ませんし、千紗も……」
「……すまない。僕は基本的に物に頼らないとどうにもならなくてね。これだけ強い呪詛を解析して術者を見つけ出すとなれば専用の道具が必要になるが、取り寄せても何日かかるか」
「そんな……」
「それまでささら嬢が持つかは分からない。それならば他の霊能力者や妖怪を頼った方がいいだろう」
「霊能力者か妖怪、ですか」
茶々が考え込むように目を伏せる。
実を言うと、同業者にも関わらずささらは横の繋がりというものが殆どない。家を飛び出して独自に祓い屋を始めた彼女に人脈やコネはなく、他の霊能力者と共に仕事をするような大がかりな依頼など来たことがないのだ。
だが、一つだけ可能性があるとすれば。
「……鬼怒田の家なら、あるいは」
「借りを返す時が来たようね!」
茶々が呟いたその瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。
跳ね返るほどの強さで開かれた扉に室内に居た面々が同時にそちらを振り返る。そこには、腕を組んで仁王立ちをした桔梗が偉そうにふんぞり返っているところだった。
「は? 桔梗? なんであんたが」
「もー、桔梗来るのが遅いよー」
「千紗に呼ばれたのよ。話は聞かせてもらったわ。その呪詛、私が辿ってやろうじゃないの」
「え?」
「この前の借り、返してやろうって言ってんのよ」
いきなりやって来たかと思うとさっさと話を進める桔梗に茶々が困惑する。借りというのは以前桔梗が浚われた時にささらが手助けしてくれたことだろうが、そもそも……。
「桔梗……あんた呪詛辿るとか出来るの?」
「はん、ポンコツな子狸とは訳が違うのよ」
「何ですって……」
「年期が違うって言ってんのよ。――千年生きた九尾の実力、舐めてもらっちゃ困るわ」
ふっ、と桔梗が妖しげな笑みを浮かべた。茶々と口喧嘩をしている時とはまったく異なる貫禄を醸し出す彼女は、「まったく世話が焼ける子ね」と苦しげに息を吐くささらを見下ろした。
「き、きょう、さ」
「いいからあんたは大人しく寝てなさい。さっさと行ってその元凶とやらをとっちめて来てやるから。……茶々、あんたはどうするの」
「え? わたくしは……」
「“ささら様”に危害を加えた輩を放っておいていいわけ? あんたなら一緒に来るかと思ったんだけど」
「……」
桔梗の言葉に茶々はささらを振り返る。空いていう方の手で縋るように茶々の服を掴んだささらをじっと見つめた彼女は、やがて服を掴む手をやんわりと外して立ち上がった。
「ささら様、少し行ってきます」
「ちゃっ、だめ……あの、人が」
「すぐに戻ります。柊様、月見様、千紗。ささら様をお願いします」
それだけ言って、茶々は自分を引き留めるように見るささらの視線を振り切るように背を向けて桔梗と共に部屋を出て行く。
そのまま事務所から外へと出ると、桔梗は怪訝そうな表情で事務所を振り返った。
「……相手を庇えば自分が死ぬってあの子本当に分かってんの?」
「分かってはいるでしょうね。けど、ささら様は優しいから」
「それにしたってねえ……」
桔梗は呆れた表情を隠さず浮かべる。妖怪である自分達と人間では価値観が違うのは分かっているが、それでも今まさに死にそうになっているというのに元凶を気に掛ける余裕などあるというのかと首を傾げる。
「例えばそいつが大事な人とかだったら分かるけど、自分を殺そうしてるやつだってのに」
「……」
「茶々?」
「何でも無い。一体誰がささら様をこんな目に遭わせたのか考えてただけ」
「呪詛を使うってことはあの子の同業者か、あの子に追い払われて逆恨みした妖怪や怪異ってとこじゃない?」
「そうね」
考え込んで、どこか上の空で返事をする茶々。そんな彼女は不意にはっと我に返ると「こんな無駄話してる場合じゃないわ」と声を張り上げた。
「とにかく桔梗、大見得切ったんだからとっとと呪詛を辿りなさい!」
「自分は出来ない癖に偉そうに。流石にちょっと複雑だから少し待ってなさい」
「はあ? 九尾の実力舐めるなって言ったのあんたでしょうが」
「うるっさいわねホントに! ったく、おちび二人、出番よ!」
桔梗がそう言った瞬間、彼女の足下に小さな白い狐と黒い狐が一匹ずつ現れた。それらは大人しく座って指示を待つように桔梗を見上げている。
「あんた眷属なんて居たの」
「戦えはしないけど手数を増やせるなら十分! 二人とも、呪詛を解析するのを手伝いなさい!」
「「キューン!」」
仲良く声を揃えた二匹はすぐに桔梗の肩に飛び乗って周囲に散らばる呪詛を痕跡を探し始めた。
□ □ □ □ □ □ □
「ささら、大丈夫?」
「……うん、今までよりは」
桔梗と茶々が出て行った後、少しでも呪詛の影響を緩和する為に月見が四隅に塩を盛ったり壁に札を貼ったりと対策を始めた。千紗も月見の手伝いをしたり、ささらの汗を拭ってくれたりと世話を焼いてくれている。その為、多少はまともに会話が出来る程度にまでは回復した。
しかしこれはあくまで一時的なものである。時間が経つに連れて呪詛は強くなっていく。いくら対策を施しても元凶を絶たない限り塩も札もあっという間に効力を無くすだろう。
「なあ、ささら」
「……なんですか」
他の部屋にも対策を、と月見と千紗が退室してすぐ、ずっとささらの手を握って黙り込んでいた柊がようやく口を開いた。緩慢な動きでささらが柊の方を振り向くと、睨み付けるほど鋭い視線とぶつかった。
「お前……自分を呪ってるやつの正体、分かってんだろ」
その瞬間、繋がれた手がぴくりと動いた。
「……柊さん」
「さっき、あの人って言ったよな。つまりお前は誰がこんなことしでかしたか大体想像が付いてる。その上で、お前の為に頑張ろうとしてるあいつらに何も言わなかったんだな」
「……」
「どうなんだ。はっきりしろ」
「……最低、ですよね」
ぽつりと、懺悔するようにささらが呟いた。茶々達は自分を助けようと必死なのに、当の本人は犯人を庇うようなことをしているのだから。
「でも……どうしたらいいのか、分からないんです」
「……」
「私、死にたくないです。苦しいのだって嫌で、この呪詛だって一刻も早く解けたらいいなって思います。けど……そうすると術者に呪詛が返る。その人が死ぬんですよね」
「んなの自業自得だろ。それとも何か? お前はその呪詛を受け入れなきゃならんほどそいつに酷いことをしたって言いたいのか?」
「してません。……けど、向こうはそうだと思っています」
要領を得ない言葉に柊の眉間に皺が刻まれる。苛立つようにひとつ舌を打った彼は、やがて繋がって空いている方の手でささらの首元を掴み上げた。
「話せ。そいつのことも、お前が隠して来たことも全部」
「……」
「ささら、俺はずっとお前の事情には踏み込まないようにして来た。お前が話したくないことをあえて聞くこともないだろうと、最初から何も聞こうとしなかった。だがな、そろそろ限界だ。俺も、お前も」
「……」
「いつまでも一人で抱え込んでんじゃねえよ。助手の嬢ちゃんにだって話してないこともあんだろ。お前はそうやって何もかも……自分を呪い殺す呪詛まで抱え込んで死ぬつもりか」
「死にたく、ないです」
「なら全部ぶちまけろ。どうしたらいいのか分からん? ふざけんなそんなの一人で考えてるからそうなるんだよ。分からねえなら他のやつに聞けばいい。お前の言葉を待ってるやつが、お前の周りには何人もいんだよ」
ささらが目を見開いた。柊を見上げ、思い切り睨まれているというのに目が離せない。
柊の言った言葉が何度も何度もささらの頭の中を回る。ささらの言葉を待っているという、その言葉がぐるぐると回る。
時間にしたらほんの数秒でしかなかった。しかしそのたった数秒で、ささらの心は決まった。
「……柊さん」
「おう」
「少し、話を聞いてくれますか」
「当たり前だろ」
「当たり前、ですか」
その言葉に、苦しげに息を吐いていたささらが少しだけ嬉しそうに笑った。




