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祓い屋(物理)の日常  作者: とど
三章
46/63

幕間 穏やかな、残酷な夢


 はあっはあっ、と大きく肩で息をしながら子供は走る。


「こないで!」


 まだ小学生にもならない小さな女の子は、その短い足を必死に動かす。 

 夕方――逢魔が時と呼ばれるその時間、周囲に人影は一切なく、ただその子供の影が夕日に照らされて長く伸びている。

 ――ただ、その影に食らいつこうとするように子供を追いかける、血塗れの女を除いて。

「まぁてえぇぇぇぇ」


 間延びした、時と場合が違えば間抜けにも聞こえるその声が子供の背中に迫る。女の子はそれを聞いて走る速度を必死に上げようとするが、疲れと苦しさで逆に速度は徐々に落ちていく。


「やだ、たすけっ、うわ!」


 そしてとうとう、足が縺れた子供は顔面から道路に転んだ。すりむいた頬が痛い、でもそれ以上に逃げなければという気持ちが勝り何とか立ち上がる。


「つーかまーえたー!」

「ひ、」


 しかし立ち上がった所で後ろから足首を掴まれて再び転ぶ。ぞわぞわと悪寒が全身を駆け巡り、子供は振り返りたくなんてないのに振り返らざるを得なかった。


 子供が振り返ったその目と鼻の先、息が掛かるその距離に、血塗れの女がにったりと大きく口を吊り上げていた。


「い、いやあああああっ!!」

「ふふふふふふふふあっは、ははっははっはは」


 子供が叫び、女が狂ったように笑う。大きく目かっ開いた女の血塗れの手が子供の首に絡みつき、その細い子供の首を折ろうとぎりぎり力を込める。


 たすけて。


 息苦しさと恐怖で声も出ない。ぼろぼろと流れる涙が視界を遮り、徐々に目の前が白んでいく。


 死ぬ。




「悪霊退散!」

「ギャアアアアアアア!!」


「……えっ?」


 小さな子供が死を覚悟したところで、不意に首を圧迫していた手が掻き消えた。すぐ目の前で濁った断末魔が響き渡り、白目を剥いた血塗れの女がほんの一瞬で居なくなってしまう。代わりに残されていたのはちりちりと微かに燃える短冊のような紙だけだ。

 何が起こっているのか分からずただただ固まっていることしか出来なかった子供は、女が消えたその先に自分よりもいくらか年上の少女が走ってくるのが目に入った。


「君、大丈夫!?」

「え……っげほ、」

「怖かったでしょ? 大丈夫、もうあれはいなくなったからね?」


 混乱している子供に駆け寄った少女は安心させるようににっこりと笑いかける。頑張ったね、と頭を撫でられると、子供はそこでようやく助かったのだと理解して糸が切れたかのように脱力して大きく泣き喚き始めた。


「うわあああああん、こ、こわ、こわかっ、た……!」

「よしよし、怖いのはお姉さんが倒したからね、もう怖くないよ」


 子供が泣き続ける間、少女は子供の背中を叩き頭を撫で続けた。そして夕日が沈んだ頃にようやく子供が落ち着いて来ると、少女はハンカチで子供の顔を拭いて立ち上がった。


「もう暗いし早く帰らないとね。家まで一緒に行こうか。自分の家の場所、分かる?」

「……」

「どうしたの?」

「……かえりたくない」


 子供の手を握って歩き出そうとした少女だったが、いやいやと首を横に振る子供を見てすぐに足を止める。


「どうして?」

「かえると、みんないじめるもん。おばけだって、ちかづくなっていわれるもん」

「……」

「せんせいたちも、めがきもちわるいっていってた」


 子供が両手で目を覆う。子供が住んでいる家――児童養護施設に、彼女の居場所はなかった。大人からは気味が悪い子供だと遠巻きにされ、そしてそれに習うように子供達も彼女を邪魔者扱いしていた。

 他の人間に見えないものを見る赤い目の子供は、いつも一人だった。


「大丈夫だよ」


 しかし少女は優しく子供の手を外すと、その目を覗き込んで微笑んだ。


「うさぎみたいで可愛い目だね」

「うさぎ……」

「私のご先祖様……えっと、ずっと昔のおじいちゃんとかはね、タヌキだったって言われてるんだ。おんなじ動物だね」

「たぬき……おんなじ」

「うさぎは好き?」

「うん、すき。かわいいから」


 白い小動物を思い浮かべたのか自然と笑みを浮かべた子供に、少女は再び子供の手を引くとそのまま歩き始めた。


「外は危ないし、帰るのが嫌なら私の家に行こ?」

「いいの?」

「勿論! 家に帰ったらほっぺの手当してあったかい物でも飲もうね。……あ、そういえば名前聞いてなかったよね。私は鬼怒田かがり、小学四年生だよ。君は?」

「……ささら」

「ささらちゃんね、よろしく」


 それが、ささらと後に姉になる彼女――鬼怒田かがりとの最初の出会いだった。







「あ、かがり何処行ってたんだよ!」

「!」


 鬼怒田家まであと少し、というところで二人の前方から少年が走ってきた。その大きな声が自分をいじめる施設の子供と重なり、ささらはとっさに隣を歩いていたかがりの背中へ隠れた。


「めぐる、ただいま」

「遅いから探しに行くところだったんだぞ。……ん? なんだそいつ」

「ひ……」

「この子はささらちゃん。怪異に襲われてた所を助けたの。ささらちゃん、めぐるはちょっと言葉が乱暴な所あるけど優しいから怖くないよ」

「誰が乱暴だよ」


 少し不機嫌になった少年――めぐるを、ささらはかがり越しに窺う。快活そうな少年はそんなささらの視線に気付いたのか、ずかずかと近寄って来てささらの前に膝を付く。


「怪異に襲われたのか。俺はほとんど見えねえけど、怖かったよな……」

「う、うん……」

「ほっぺ怪我しちゃったからうちで手当しようと思って」

「そっか、じゃあ早く消毒しねえとな」

「ささらちゃん、こう見えてもめぐるは手当が上手なんだよ?」

「それはお前がいっつも怪異相手に怪我してくるからだろうが」


 擦り剥いた頬の傷を確かめためぐるがささらの手を引いて家の前まで連れて行く。そこは自分が暮らす施設以上に大きな一軒家――むしろ屋敷であり、ささらはかがりとめぐるに両手を繋がれながら玄関の石畳へ足を踏み入れた。


「ただいまー」

「随分遅かったな、かがり」

「あ……」


 がらがらと音を立てながら玄関の引き戸を開けると、その先には一人の男が立っていた。三人を見下ろす四十代くらいに見える和服姿の男。厳つい顔も相まって威圧感を覚えたささらが身を竦めていると、手を繋いでいためぐるが途端に顔を歪めてそっぽを向いた。


「お父さんただいま!」


 一方めぐるとは違いかがりは元気よく男――自分達の父親に声を掛ける。


「ああ。……ところで、その子供は……」

「お父さん?」


 不意に、男はささらの正面にやって来ると床に膝を付いてじろじろと観察するようにささらを見始める。やっていることは今し方のめぐると同じだというのにその遠慮のない視線に怯え、ささらは助けを求めるようにかがりを見上げた。


「お父さんどうしたの?」

「……君、うちの養子になりなさい」

「え?」

「はぁ?」


「……ようし?」


 何の脈絡もなく唐突に告げられた言葉に、かがりは驚きめぐるは眉を顰め……そしてささらは、その言葉の意味を知らず首を傾げた。




   □ □ □ □ □ □ □




 初めて見た時に小さな体とは裏腹にそこに内包された圧倒的な霊力に驚愕し、このまま野放しにしておけば危険だという理由で養子を提案したというのは後から聞いた話だった。

 訳が分からないうちにあっという間に手続きが行われあっさりと施設を後にすることになったささらは、何はともあれこの場所から離れられるということだけは分かりそれだけで安堵した。まだ四歳にして、ささらはこの場所が自分を害するものしかないことを知っていたのだから。


 そうして鬼怒田家に引き取られたささらだったが、養子にすると決めた父親はともかく他の家族はどういう反応だったのか。


「わーい、私に妹ができたー!」


 「お姉ちゃんって呼んでね」と暢気に一番喜んでいたのはかがりだった。そして逆に片割れのめぐるはというと、勝手に養子を決めた父親に反発していた。


「別にささらのこと怒ってるわけじゃないからな!?」


 自分が邪魔者だから、とささらが落ち込んでいると、それに気付いためぐるは慌てて首を横に振って弁解し始める。


「でも……」

「ただ、あの親父が何もかも勝手に決めて自分の思い通りにしてるのが気に食わないだけだ。お前は何も悪くないんだからな」


 父親の話になるとめぐるは決まって不機嫌になる。それをかがりは「反抗期なんだよ」なとど言っていたが、それを知っためぐるは余計に機嫌を悪くしていた。

 しかしささら本人に対してめぐるは優しかった。元来世話焼きな性格であった彼は七つ年下のささらの面倒も良く見て、時々かがりと一緒にささらを外へ連れ出してくれた。



「ささらー、早く宿題やっちゃいなさい」

「はーい」


 そして彼らの母親――正確に言うと血は繋がっていないが――は突然養子に入ったささらに驚いてはいたものの、他の子供の差別することなく優しく、時に厳しく接してくれる。

 小学生になったささらは母親に返事をすると、算数のドリルを手にして早速宿題を始める。……が、すぐに行き詰まって鉛筆を持つ手は止まり、頭を抱えてうんうんと唸り始めた。全然分からない。

 しばらく悩んだ後、これでは一生終わらないと確信したささらはドリルを持って立ち上がるとぱたぱた足音を鳴らしてとある部屋の扉をノックした。


「かなお兄ちゃーん」

「ささら、どうかしたの?」

「宿題が分からなくて……」

「そっか、入っておいで」


 腕を上に伸ばしてドアノブを掴む。ささらには少し重たい扉を開けると、そこには分厚い本を手にしている一人の少年が居た。

 少し色素の薄い、儚げな印象を持つその少年はめぐるとは違うささらのもう一人の兄だ。鬼怒田かなめという名前の彼は、ささらの持つドリルを受け取ると机の上に広げ、そしてささらを抱えて上げて椅子に座った。


「どの問題が分からないの?」

「ぜんぶ……」

「じゃあ最初から一緒に解いてみようか」


 膝の上で難しい顔をしているささらに小さく笑うと、かなめは一問ずつ順番に解き方を教えていく。

 かなめは母親と唯一血縁関係を持つ子供だ。めぐるとかがりの母親が亡くなった後にこの家に来た母親の連れ子で、二人とは逆に父親と血は繋がっていない。

 がかり達の一つ上である彼は非常に穏やかで物静かな少年だ。活発で外で遊ぶことの多いめぐるとかがりとは逆に、かなめは家の中で本を読んでいることが多い。

 ささらはめぐるもかなめもどちらも好きだが、内気で大人しいささらはどちらかというとかなめとゆったり過ごす方が好きだったりする。


「ささら、分かった?」

「う、うん……たぶん」

「分からなかったらまた聞いてもいいからね」


 ささらの頭を撫でたかなめが彼女を膝から下ろす。「おやつの時間だし休憩しようか」というかなめに手を引かれ、ささらはかなめと共にリビングへと向かった。


「お、二人ともちょうどよかった。今呼ぼうと思ってたんだ」

「プリン作ったんだよ。皆で食べよー」


 するとちょうどキッチンの方からめぐるとかがりがやって来る。その手には両手一つずつにプリンが乗った皿があり、ささらはそれを見て思わず赤い目を輝かせた。時々かがりが作るプリンはささらの好物だ。

 かなめの手を離していそいそとソファに座ると、それを見たかがりは笑いながらささらの前にプリンを置く。そしてささらに続いてそれぞれが定位置に座ると、四人は「いただきます」と声を揃えた。


「おいしい!」


 真っ先にプリンを口に入れたささらが顔をとろけさせる。店で売っているものの方が一般的には美味しいのかもしれないが、ささらにとっては食べ慣れたこの味に勝るものはない。

 にこにこ笑うささらを他の三人が微笑ましげに眺め、そして自分達もスプーンを動かし始める。


「お姉ちゃんが作ったプリン大好き!」

「そーかそーか、よかったな」

「ささら、僕の分も食べる?」

「え……だめ! みんなで食べるからおいしいんだもん!」


 横から出されたプリンに一瞬気持ちが揺らぎ掛けるがすぐに首を横に振る。この家に養子に入る前はずっと施設の片隅で一人隠れるように過ごしていたのだ。こうして兄と姉に囲まれて楽しい時間を過ごすなんて、ささらにとっては本当に夢のようだった。


「ねえねえお姉ちゃん、大きくなったらプリン屋さんにならないの?」

「うーん、ごめんね。お店を出せるほどのプリンは作れないかな」

「えー……おいしいのに」

「ありがと。それに、私は将来祓い屋になるからね」

「あ、そっか」


 霊力が高くコントロールも上手いかがりは将来鬼怒田の当主を継いで祓い屋になることが決まっていると言っても過言ではない。


「ささらは将来何になりたいんだ?」

「……わかんない。めぐお兄ちゃんは?」

「まだ秘密――」

「めぐるはね、お医者さんになりたいんだって」

「かがり! お前言うなって言っただろ!」

「なれなかったらかっこ悪いから言いたくなかったんでしょ? 大丈夫だって、めぐるならきっとなれるって!」

「そうだね。めぐるは頭がいいから良い医者になれるよ」

「お兄ちゃんがんばってね!」


 口々に応援されて怒りかけていためぐるが何も言えなくなって黙り込む。無言でかがりを軽く睨んだ後、気持ちを切り替えるように「じゃあかなめは?」と口を開いた。


「僕も未定かな。祓い屋として当主のかがりのサポートをしていくのもいいけどね」

「かなめも割と霊力あるしな」

「ささらやかがりには遠く及ばないけどね」

「そういえばささら、お前霊力使う訓練はどうなってるんだ? 親父とやってるんだろ?」

「う……」

「……その反応ってことは、あんまり進んでないみたいだな」


 無意識に視線から逃れるように顔を覆ったささらが俯くと、正面に居たかがりが「ささらー、顔上げてー」と隠しきれなかった頬を指でつつく。


「別に誰も怒ってないよ?」

「でも、全然上手くならないから」

「ささらは霊力が大きすぎるから難しいよ。焦らず少しずつ頑張ればいい」

「わたしもお姉ちゃんみたいにお守り作ったり、悪霊から他の人を助けたりできるかな……?」

「うん、きっとできるよ。ささらには私以上の力が備わってるからね」

「じゃあ……わたしも祓い屋になる!」

「え?」

「お姉ちゃんが助けてくれた時みたいに、悪霊退散! ってやっつけるの!」


 かがりとの出会いは幼かったささらでも鮮明に記憶に残っている。恐ろしい怪異に殺されそうになっている所に颯爽と現れ、あっという間にささらを助け出してくれた。

 あの時からずっと、かがりはささらの憧れであり続けている。

 しかしそう言い出したささらに対して、めぐるとかなめは何とも言えない表情で妹を見ていた。


「お前が祓い屋ねえ……幽霊にびびって逃げ回りそうなイメージしかないけどな」

「ささら、僕と一緒にかがりのサポートに回ってもいいんじゃないか?」

「もう、めぐるも兄さんも、ささらが頑張るって言ってるんだからそういうこと言わないの!」

「だってなあ……ま、とりあえず祓い屋になりたかったら今は霊力が制御出来るようにならないとな」

「うう……頑張る」

「偉いねささら」


 隣にいるかなめに頭を撫でられたささらがふにゃりと表情を緩める。それを見て「あ、兄さんずるいっ!」と身を乗り出したかがりが対抗するようにささらの頭に手を伸ばした。その隣でめぐるが呆れている。

 頭を取り合うように撫でる二人に、ささらは何だかおかしくなってしまってくすくす笑った。


 幸せだなあ。



「ささら」


 かがりがささらを呼ぶ。その声に反応して撫でられて下がっていた頭を上げたささらは、目の前に姉の笑顔を見る。


 ――その顔に、次の瞬間赤いひびが入った。



「……え?」


 ぴしり、ぴしり、と小さな音を立てながらかがりの顔に、体にどんどん赤い線が増える。何も出来ずにただ見ていたささらの目の前で――直後、それは決壊した。


 体中のひびが割れて赤い液体が一気に噴き出す。正面に居たささらはそれを頭から被り、目の前が真っ赤になった。

 視界は赤だけ。そして血生臭い匂いだけが鼻につき、他は何も分からない。



「お前が、お前がかがりを――」






「っ!」


 布団から飛び起きた。

 ささらの視界に映るのは赤ではなく、何の変哲も無いいつもの自室だった。


「……ゆめ」


 息が苦しい。汗も酷い。大きく肩を上下させながら、ささらは自分を落ち着かせるように胸に手をやり……無意識のうちにお守りを掴んでいた。


「姉さん」


 昔の夢を見たのは久しぶりのことだった。かがりと出会い、鬼怒田家に拾われて過ごした日々。かがりが居て、めぐるが居て、かなめが居たあの頃が、きっとささらの人生の中で一番穏やかな時間だっただろう。

 もうあの頃には戻れない。かがりは亡くなり、かなめは何年も意識を取り戻しておらず、ささらもぼろぼろに壊れかけた。健在なのはめぐるくらいだ。


 どうして急にあんな夢を見たのか。そう考えてすぐ、ささらの脳裏にあの横断歩道の先に見たあの男の姿が過ぎった。


「っ、」

「ささら様ー、そろそろ起きて下さいよー」


 息が詰まり呼吸が出来なくなった所で、ノックの音と共に部屋の外から茶々の声が聞こえてきた。いつも通りのその声はささらを現実へと引き戻し、徐々に息が吸えるようになっていく。


「ささら様?」

「……ごめん、今起きるから」


 なんとか絞り出した声は普通に聞こえただろうか。ささらはいつの間にか流れていた涙を拭うと、気持ちを切り替えるように強めに頬を叩いた。


「私は、祓い屋ささら」


 昔と同じで札もお守りも作れないままだが、それでも何も出来なかったあの頃とは違う。

 不安を押し殺すように自分に言い聞かせて、ささらは今日も仕事の為に立ち上がった。




   □ □ □ □ □ □ □




「それにしても……この前はとんだ無駄足だったな」


 古めかしくも立派で大きなとある屋敷の中。小さな声で独り言を呟いた、今にも消えてしまいそうな儚げな容姿のその男は、自分に来客があると言われ長い廊下をゆったりと歩いていた。

 交霊を行う宗教団体があると耳にして、一縷の望みを持って訪ねてみたというのに……その実態はただの詐欺集団であり彼が望むものは何一つ得られなかった。


 しかしそのまま何もせずに帰るのも何だかもったいない。騙されていることも知らずに死者に会いたいと強く望んでいる信者達が哀れだ。そう思った彼は、軽い気持ちでその日交霊を行う予定だった死者を親切心で本当に降ろしてやったのだ。

 ずっと会いたがっていた死者に会えたのだ。さぞかし喜ばしいことだっただろう。男がそう思いながら応接室の扉を開けると、そこには一人の痩せた男が俯きながらソファに腰掛けていた。


「君は……」


 その男が顔を上げた瞬間、彼は一瞬だけ動きを止めた。


「お久しぶりです、お義兄さん」

「……飛鳥あすか君」

「体の方は大丈夫ですか。何年も意識がなかったと聞いていましたが」

「ああ、日常生活は問題ないよ」

「そうですか……」


 飛鳥と呼ばれたその痩せた男は、彼を見上げて軽く会釈する。そんな男の前のソファに座った彼は、飛鳥に薄く微笑みを浮かべると「君が此処に来るとは思っていなかった」と小さく溢した。


「俺も……中々来る勇気はありませんでした。此処はあいつの思い出がいっぱいありますから」

「……それでも君はこの家に来た。僕に何の用だったのかな」

「……」


 首を傾げた男に飛鳥はしばし押し黙った。膝に置いた両手を強く握り、やがてソファから立ち上がった彼は、傍の床に正座をすると、そのまま土下座するように頭を下げた。


「お義兄さん、お願いがあります」

「何だい」

「あなたが知っている、一番強い呪詛を俺に教えて下さい」

「呪詛?」

「どんな方法でも構わない。たとえそれが、俺の命を奪うようなものであっても……それでもいいので、教えて下さい!」

「……」


 微かに驚いた雰囲気を見せた男に、飛鳥は頭を上げずに懇願を続ける。そしてそんな彼の頭をじっと見つめ、少し考えるように黙った男はややあってあっさりと言葉を返した。


「うん、いいよ」

「お義兄さん……」

「君の命を削っても構わないんだよね」

「はい。覚悟は決めています」

「そっか」


 がばりと顔を上げた飛鳥を見ながら、男はひたすらに穏やかな表情で静かに頷いた。


「じゃあ教えて上げるよ。僕が知る一番強力な呪いを」




 男は最後まで――ただただ、微笑んでいるだけだった。



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