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祓い屋(物理)の日常  作者: とど
三章
45/63

episode 18 呼び戻された魂(3)


「警察です。通報者は……」

「た、助けて下さいっ!!」


 幸礼会に潜入して二日後、組対の応援も終えて本業に戻った浦原はとあるアパートで人が死んでいると通報を受けた。すぐに他の警察官と共に現場へ急行すると、酷く取り乱した様子の女性が掴みかからん勢いで彼女に縋り付いて来た。


「こ、この部屋の中、血が、血が……!」

「落ち着いて下さい、ひとまず何処かへ座って」

「昨日から連絡が取れなくて、それで、来てみたら、ドアの隙間から血が、大家さんに頼んで開けてもらったら、ああああ……」


 浦原が落ち着かせようと女性の肩を掴むが、錯乱状態の女性は大きく頭を振ってしゃべるのを止めない。少し強引に女性を花壇の縁の煉瓦の上に座らせると、浦原は女性を他の警察官に任せて現場の扉の前へと近付いた。

 女性の言う通り床には血だまりが出来ている。角部屋でかつ隣も空き家だった為発見が遅れたらしい、黒くこびりついた血は既に乾ききっていた。

 僅かに開いている扉を手袋を付けた手でゆっくりと開く。すぐにむわっと吐き気が込み上げてくる濃い血の匂いが漂って来る。


「! っな……」


 浦原が目にした部屋の中は、まさしく地獄だった。

 玄関から室内、床や壁一面に塗りたくられたような赤。そして玄関のすぐ傍で倒れている、腹を掻っ捌かれて中身があちこちにまき散らされた人間だったもの。


「これは、酷いですね……」


 浦原の後ろに居た鑑識が顔を青くして口を押さえた。硬直していた浦原はその声を聞きながら、その光景――倒れている男の顔から目が離せなかった。


「川名……」

「浦原刑事、被害者をご存じなんですか」

「少し」


 数秒固まっていた浦原は、しかしすぐに刑事の顔に戻って鑑識に指示を出し始める。遺体が霊柩車に乗せられて現場から居なくなっても、浦原の脳内にあの男の恐怖に満ちた顔がこびり付いている。


「死亡推定時刻は一昨日の夜から朝にかけて、か」


 一昨日は幸礼会で川名と会った日だ。つまり彼はその日家に帰ってから何者かに殺害されたことになる。


「浦原さん、やはり部屋の鍵は元々閉まっていたようです。窓も閉め切られていて、指紋も被害者のものしか残っていませんでした」

「つまり……事件当時この部屋は密室だった、と」

「その可能性が高いと思います。……あるいは、鍵を持っていた大家なら犯行が可能ですが」

「……そもそも、それ以前の問題ね」


 確かに合鍵を持っていた大家ならこの部屋に自由に入ることが出来ただろう。しかし、話はそう簡単には行かなかった。

 浦原が現場をぐるりと見回す。おびただしいほど部屋に広がる赤は、床や壁を埋め尽くしており、その中で被害者が倒れていた場所だけが白いテープで人型に囲まれている。


「誰かが被害者を刃物で切り裂いたとして、床の血痕に何一つ痕跡がないのはおかしい」


 これだけの惨状だ、犯人が一滴も血を浴びることなく事を終えたとは考えにくい。だが血を踏んだ形跡がない。まるで宙に浮きながら犯行に及んだとしか思えないのだ。


「ひいいいいっ!」


 推理小説のように何かのトリックでも使ったのかと考えていると、不意に鑑識の一人が悲鳴を上げた。何かあったのだろうかと浦原が彼の方を見ると、カメラを手にしていた鑑識の男がガタガタと震えながら「う、浦原さん!! これ!」と酷く怯えながらそのカメラを差し出して来る。


「それは被害者の持っていたカメラね」

「はい。それで中身を確認してたんですけど……最後の一枚が、し、心霊写真に」

「心霊写真?」


 怯える鑑識に首を傾げながら浦原はカメラを受け取る。実を言うと殺人現場での心霊写真はよくあるとは言わないが珍しいとも言えない。いつもはうわあ、という顔はしてもそこまで怯えることなどないというのに、と訝しげに思いながらその画面を覗き込んだ浦原は――思わず心臓が止まったかとさえ思った。

 なんで、どうして。


「こんなにはっきり映ってるのなんて初めて見ましたよ……」


 鑑識の声が遠い。画面の中には憎悪しか存在しない半透明の男が映っている。カメラを持つ人間を殺そうと迫るその男は、浦原が忘れられないその人の顔と同じだった。


「……水城、先輩」




   □ □ □ □ □ □ □




「幸礼会がインチキだって証拠は茶々が掴んでくれたし、後は警察が動くのを待つだけかなー」

「そうすれば依頼人の娘さんも分かって下さいますよね」


 なんとか依頼を完遂出来そうだ、とささらは安堵しながら事務所のソファでのんびりテレビを眺めていた。もう夕方だが今日は依頼人が来る気配もない。依頼があるということはそれだけ困っている人がいる訳で軽率に「依頼来ないかな」などと考えられないが、それはそれとして依頼がなければジリ貧生活である。早いところ警察に動いてもらって報酬を受け取らなければと考えながら、ささらはふと思い出したように傍に居た茶々を振り返る。


「そういえばあの信者の人達が飲んでたっていう水? っていうのはどうなったんだっけ」

「ああ、染みこませたハンカチを浦原様にお渡ししましたけど、詳しいことは教えて頂けなかったんですよね」

「霊力を上げる御神酒とかはあるけど……交霊自体がインチキだったんならそれはないかな」

「ええ、ですが恐らくあれは――」


「ささらちゃん!」


 不意に、事務所の扉が勢いよく開かれた。驚いて小さく悲鳴を上げたささらが入り口を振り返ると、そこには息を切らして大きく肩を上下させた浦原が鬼気迫る表情で立っていた。


「美守さ――」

「ねえ! あの宗教、インチキだったんじゃないの!?」

「え?」

「先輩が……先輩が本当にあの男を殺したの? ねえささらちゃん!」

「浦原様! 落ち着いて下さい!」


 詰め寄ってささらの肩がガタガタと揺らし始めた浦原を見た茶々が慌てて彼女からささらを引き剥がす。そこではっと我に返ったらしい浦原は、しばし呆然としてからくしゃりと今にも泣きそうな表情を浮かべた。


「美守さん、一体何があったんですか」

「……殺されたの」

「殺された? どなたがですか?」

「川名が……自宅で何者かに殺害されていた」

「え?」

「はあ、あの男殺されたんですか。まあ恨みを買ってそうですもんね」


 被害者の名前を聞いた途端固まったささらとは裏腹に茶々の反応は非常にドライだった。茶々からしてみれば川名はささらを怯えさせる男であり、どうせ殺されなくてもあと数十年もすれば死ぬのだからどうでもいいのが本音だ。


「凶器は特定されてない。けど、まるで人の手で力任せに抉ったような傷口だった。そして……被害者のカメラに、これが映ってたの」


 浦原が上着のポケットから一枚の写真を取り出す。二人がそれを覗き込むと、そこには禍々しいほどの憎悪が込められた半透明の男の顔が映されていた。思わずささらが小さく悲鳴を上げる。


「こ、この人は?」

「……水城正みずきただし、私の先輩だった警察官よ。数年前、首を吊って自殺してる」

「え……?」

「この前、幸礼会で彼の両親がいた。息子を交霊するって言って」

「そういえば……」


 ささらの脳裏に依頼人の娘を説得していた時に現れた老夫婦が過ぎった。確か彼らは水城と呼ばれてたはずだ。犯罪者であった息子が、どうしてそんなことをしたのかを尋ねると言っていた。

 

「先輩は、本当は横領なんてしてない。上の人間に濡れ衣を着せられて、それであの男……川名にあること無いこと書かれて世間から汚職警官のレッテルを張られて、家族からも信じてもらえず……自殺した」

「……」

「ねえたぬちゃん、あの宗教はインチキだったんでしょ。交霊なんて嘘っぱちだったんでしょ?」

「……ええ。あんなもので交霊など出来っこないです」

「じゃあどうして! どうして先輩が此処に映ってるの!?」


 浦原が力任せに壁に手を叩き付ける。何度も何度も、痛みに構わずに壁を叩き続ける。


「現場は人が殺したようには見えなかった! まるで幽霊が祟り殺したみたいに酷い有様だった! っでも、先輩じゃない。先輩がこんなことする訳ない。インチキだったんだから、先輩がいる訳ない!」

「美守さん……」

「どんな相手が悪人でも、絶対に殺人を容認することはあってはならない。そう言ったのは先輩で、ましてや自分で手に掛けるなんて警察官であるあの人がする訳ないのよ!」


 水城は、浦原にとって尊敬出来る先輩だった。憧れだった。そんな彼がいくら恨んでいたって人を殺すはずがない。この写真は何かの間違いで、きっとこの事件は別の幽霊か、何かのトリックを使って人間が行ったに違いない。


「……人は、変わりますよ」

「茶々?」

「絶対なんてありえない。この写真を見るだけでも相当な怨念が伝わって来ます。状況から考えても彼が殺したと見て間違いないでしょう」

「違うっ! 先輩じゃない! だってあれはインチキで――」

「あの儀式がどうだったかはともかく、こうして心霊写真がある以上、この世にこの男性の霊が降りているのは確実です」

「でも、先輩が人を殺すなんてありえない!」

「浦原様はこの方の全てを分かっているとでも言うんですか」


 冷ややかな茶々の言葉に、浦原は言葉を詰まらせた。


「人間、内心で何を考えているかなんて分かりませんよ。ましてや体の枷が無くなってだたの魂となれば、理性の箍が外れるのは当然です。恨みを抱いて死んだ人間は――やがて悪霊になって、生きている人間に害を及ぼす存在になる。どんな人間だってその可能性はあります」

「……」


 そんなはずはない、警察官としての見本のような彼がたとえ亡くなった後でも人を殺すはずがない。そう言い返したいのに、浦原よりもずっと多くの悪霊を見てきたであろう茶々に何も言えずに唇を噛みしめる。


「あ、あの! とりあえずその現場に行ってみませんか?」


 事務所の中が重苦しい沈黙に包まれたその時、それを振り払うようにささらが大きく声を上げた。


「ほら、もしかしたら本当に他の霊がいるかもしれませんし……それに、どの霊がやったにせよ、このまま野放しには出来ません」

「ささらちゃん……」

「祓い屋として、見過ごす訳にはいきませんから。ね、茶々もそう思うでしょ」

「……ええ、そうですね」


 犯人が誰か此処で議論していても仕方が無いし、何にせよ悪霊は除霊する。ささらとしてはそれが彼女の先輩でないことを祈るだけだが……実際の所、その可能性が低いことも分かっている。


「美守さん、案内お願いしてもいいですか」

「分かったわ……あ、ちょっと待って」


 ささらがソファから立ち上がった所で浦原のスマホが着信を知らせた。途端にきりっと警察官の顔になった彼女が部屋の隅でスマホを耳に当てると、電話の向こう側から酷く焦った男の声が聞こえてきた。


『浦原!』

「草薙さん? 何かありましたか」


 この上司が焦るなんて一体どんな非常事態だと考えを巡らせていた浦原は、妙に辿々しく伝えられたその言葉に一瞬思考を停止させた。


「……え?」




   □ □ □ □ □ □ □




「……まったく、最後の最後で嫌な事件に当たったもんだ」


 警察署の一室、そこで手元に資料を広げながら苦い表情を浮かべていたのは浦原の上司である草薙だった。

 彼は今朝発見された遺体――川名の解剖記録や現場写真を睨む。この部署で携わる最後の案件になるだろうその事件は、非常に不可解なものだったからだ。まるで、素手で人の体を引き裂き内蔵を抉り出し、それでいて証拠は一切残っていない。人間がやったとは思えない所行だった。

 ましてや殺されたのがこの男だ。警察や政治家のスキャンダルばかりを狙うこの男は、警察内では悪い意味で有名だった。草薙とて、川名に恨みの一つや二つあったりする。そう、例えば――自分の部下が上の濡れ衣を着せられた時に書かれた酷い記事の内容であったり。


「……」


 草薙は一度事件の資料から手を離すと、机の中から薄いファイルを取り出した。表紙を捲ったそこには、とあるキャリア警官の情報が記されている。

 水城が自殺して数年、浦原と共に密かに暗躍してようやくあの汚職事件の黒幕を突き止めた草薙だったが……しかし、肝心の証拠は何も得られていなかった。

 どれだけ確信があっても証拠がなければどうにも出来ない。その事実に草薙は歯噛みし、決意を新たにする。


「今に見ていろ、必ず尻尾を掴んでやるからな」


 まもなく草薙は出世し、ようやくこの男に近付くことが出来る。必ず証拠を炙り出してやると草薙が意気込んでいたその時――ふっ、と一瞬目の前が真っ暗になった。


「何だ……?」


 すぐに元に戻った視界に首を傾げていると、再び点滅するように部屋の電灯が付いたり消えたりを繰り返し始める。電気が切れたのかと草薙が首を傾げていると、やがてジジ、と音を立てて部屋中の電気が全て消えた。

 ……いや、消えたはずだった。それなのに、草薙は何故か目の前に何かが浮かび上がるのを目撃し、そしてぼんやりと姿を見せたそれに思わず息を止めた。


「水、城?」


 暗闇の中で浮かび上がった半透明の顔。生気のない青白い色のその顔は、自殺してこの世を去った部下にそっくりだった。

 そんなはずはない。彼は死んだのだ。こんな場所にいるはずがない。草薙が必死に自身にそう言い聞かせても、目の前の存在は変わらずそこにある。

 草薙の脳内に先ほど見た事件の証拠の写真が頭を過ぎる。他人のそら似だ、心霊写真なんて馬鹿馬鹿しい。何か別のものが誤って映り込んだだけだ。そう、自分に言い聞かせたばかりだというのに。

 いくらオカルトを信じない草薙でも、目の前の事実を認めない訳にはいかなかった。


「……ぁ……」

「水城……なのか」


 目の前の幽霊――水城が口を開く。しかしそれは擦れて殆ど声になっておらず、何を言っているのは分からない。


「水城……何か伝えたいことがあるのか」

「……さぁ……い」

「何だ……?」


「ゆ、る……さ、ない」


 その瞬間、突如として草薙の手にしていたファイルが燃え上がった。


「な」


 一気に燃え広がるそれから慌てて手を離すと、そのファイルはあっという間に原型を失い、どろりとした黒い液体状になって床へと落ちる。微かに足を掠めたそれは、禍々しく蠢いた後、すぐに何もなかったかのように消滅したのである。


「っ水城!」


 溶けたファイルに気を取られているうちに、いつの間にか停電は終わり、そして目の前の男も姿を消していた。

 全くもって、何一つ理解出来ない。草薙は俯いて手で顔を覆うと、しかしすぐにはっと我に返って部屋の固定電話から部下に向けて電話を掛けた。


 何も分からないなりに、このことをすぐに伝えなければならないと思ったのだ。そうしなければ……手遅れになるかもしれないと。


「浦原! 水城が――」




   □ □ □ □ □ □ □




 ――、い


 ――るさ、ない

 

 ――許さない。




 その男は、気が付けばとある部屋の扉にぼんやりと立っていた。部屋の扉には何処かで聞いた名前が記されており、男はドアノブを開けようとして……その手は扉をすり抜けた。


 ……ああ、そうか。


 自分は死んでいたのだと、男はその時気付いた。気付いてすぐに、生前の真っ黒な感情が一気に体中を支配していく感覚を覚える。

 男はそのまま扉をすり抜けて部屋の中へと入った。すると明かりの無い部屋の中で「急に停電とは何事だ!」と怒っている初老の男が目に入って来る。


 そうか、この男の所為なのかと、男――水城正は確信した。そしてそれと同時に、制御出来ない殺意が込み上げてきた。


「ん? 何だお前――ひっ、」

「ゆ、……さない」


 水城の姿を見た途端固まった男は、次の瞬間には首を掴まれて宙に浮いていた。

 ぎりぎりと水城は男の首を絞める手に力を込める。許しはしない。この男の所為で、自分の人生は全て終わってしまったのだから。


 突然謂われの無い罪を着せられた。同僚達から冷たい目を向けられた。週刊誌で個人情報を暴露された。家族も誰一人、信じてくれなかった。


 全部……ぜんぶぜんぶぜんぶ、この男の所為で。


「っが、」


 水城は男を吊り上げていた手を振り下ろし、床へと叩き付ける。頭を打ち付けた男が白目を剥いて気絶するのに構わず、彼は男を見下ろすと右手を大きく振り上げた。

 ただでは殺さない。苦しんで苦しんで、命が途切れるその最後の一瞬まで苦しませたい。あの記事を書いた男と同じように、全てぐちゃぐちゃに――。



「待って下さいっ!」


 右手を男の腹に振り下ろすその瞬間、水城は嫌な気配を感じて咄嗟に背後へ逃げた。すると直後、今し方彼が居た場所に何かが書かれた紙がびたんと床に貼り付く。

 これに触れてはならないと、水城は直感で理解した。


「先輩!!」


 いつの間にか開かれていた扉の先には三人の女が居た。一人は中学生くらいの着物の少女、そして気弱そうな顔立ちの黒髪赤目の女、もう一人は――。


「……浦原」


 生前、水城が教育係として面倒を見た部下が今にも泣きそうな顔でそこに居た。


「こんなことしては駄目です! 殺すなんて、絶対に駄目です!」

「……はは」

「先輩……?」

「はは、ははは……この男が何をしたのか、お前は知らないんだな。知らないからそんなことが言える」

「違います! この男が先輩に罪を着せたって、ちゃんと分かってます!」

「……なら、何故止めるんだ」

「どんな悪人でも殺すなんてあってはならないって、そう言ったのは先輩じゃないですか!」

「……」


 浦原の叫びを聞いた瞬間、水城は無表情のまま黙り込んだ。そして黙ったまま……浦原に向けて右手を振り上げた。


「美守さん危ない!」


 水城の手が浦原の腹を抉ろうと突き出される。何が起こっているのか理解出来なかった浦原が呆気にとられて反応できずにいると、横から赤目の女――ささらが彼女に飛びついた。

 バランスを崩して二人が床へと倒れ込むと同時にじわりと床に血が広がる。完全には避けられず、浦原は脇腹を傷付けられて血を流していた。


「先輩……?」


 まるで信じられないもの見る目で倒れたまま自分を見上げた浦原を、水城は蔑んだ目で見下ろす。


「そんな言葉、死ぬほど酷い目に遭ったことがないやつしか言えないものだ」

「せん、ぱ」

「こいつを庇うってことは……浦原、お前もグルだったんだろ? 草薙さんも、周りの警官も、俺を嵌めようとしてたんだろ? あっははは!!! そんなことにも気付かずに、俺はまんまとお前らの罠に嵌まった訳だ! ――なら、今度は俺の番だ。こいつも、お前も、家族も、警察全部、あの記者と同じようにはらわたを抉って臓物を引きずり出して、苦しませて苦しませて殺してやるっ!」

「茶々!」


 再び気絶している男に伸びた手を遮るように茶々が札を投げる。水城の手に当たった札はじゅわ、とその手を蒸発させ、途端に部屋中に鼓膜が破れるほどの悲鳴が響き渡った。


「い、痛い……ゆるさ、なああああああああああ!」

「ささらちゃん、お願い! 先輩を……もう、これ以上罪を犯す前に、終わらせて……!」

「……分かりました」


 叫びながら水城が浦原に襲いかかる。めちゃくちゃに腕を振り回して、自分が全てを壊されたのと同じように、誰も彼も全部壊して――。


「――“悪霊”退散」


 その瞬間、全身が何かに吹き飛ばされると同時に、ぷつりと電源が切れたかのように何も見えなくなった。

 体が動かない。まるで四肢をばらばらにされたように、言うことを聞かない。それだけではない。もう、何も聞こえない。


 悪霊――違う、違う! 俺は悪なんかじゃない! 俺を騙したやつらが悪なんだ! だから同じようにやり返しただけだ! 


 俺は――




 その声は、もう誰にも届かない。




   □ □ □ □ □ □ □




 酷く後味の悪い事件だったと、ささらは大きくため息を吐いた。

 あの後浦原はすぐに病院へと搬送されたが、思った以上に怪我が酷く出血も多かった所為で一時生死の境を彷徨った。

 今はようやく容態が安定して意識もあるが、それでも水城のことで酷く心を痛めておりお見舞いに行っても無理矢理作った笑みしか見ていない。

 「だから言ったんです」などと茶々はぶつぶつ言っていたが、それでも浦原のことを心配しているようで、ちょくちょく理由を付けては様子を見に行っている。


 良いことがあったとすれば、幸礼会の教祖や幹部が警察に捕まってささらの依頼人の娘も宗教から足を洗ったことぐらいだろうか。茶々が持ち出したハンカチに染みこんだ水の成分から薬物反応があり、死んだ人間が目の前にいると幻覚を見せていたようだった。少しずつ薬漬けにして依存させ、お布施をどんどん巻き上げようとしていたらしい。


「……けど、結局なんであの人だけ交霊が成功してたんだろう」


 あの後ささら達は改めて警察に同行して交霊がインチキだったかを調べさせられたが、結果は茶々の言う通りまるで霊を呼べる代物ではなかった。だというのにどうして水城だけが降りてきたのだろうか。


 ささらはぼんやりと考えながら一人バイト帰りの道を歩く。疲れた足を休めるように赤信号の横断歩道で立ち止まっていた彼女は、何気なく横断歩道の向こう側で信号待ちをしている人々を眺めた。

 楽しそうに話している女子高生達、両手に買い物袋を握りしめている女性、苛々しながらしきりに信号を見ているサラリーマン、どこかで見たことのある顔の痩せた男――。


「……え」


 信号が青になる。ささらの隣に居た男が横断歩道を渡り、そして向こう側の人々がこちらへとやって来る。

 彼が、来る。


「っ」


 次の瞬間、ささらはひゅっと息を呑んだかと思うと踵を返して走り出していた。

 なりふり構わず、全速力で元来た道を走る。どれだけ息が切れても、どれだけ足が疲れても、それでもささらは走るのを止めない。


「いっ、」

「うわっ!」


 しかし曲がり角にさしかかった所でささらは人にぶつかって思い切り背後にはね飛ばされて尻餅を付いた。痛みに呻いていると、彼女の頭上に大きな影が掛かる。

 追いつかれた、と心臓が嫌な音を立てたその直後、「ささらぁ」と怒ったような男の声が頭の上から降って来た。


「てめえ危ないだろうが! もし俺じゃなくて車だったら今頃大怪我してただろうが!」

「……ひいらぎさん」

「ったく、子供じゃねえんだからもっと落ち着いて行動出来ねえのか……って、は? お前泣いてんのか」

「ちょ、ちょっとぶつかった所が痛いだけです!」


 いきなり突っ込んで来たかと思えばぽろぽろと泣き出したささらに柊がぎょっとする。慌てて首を横に振ったささらは、ようやく呼吸を思い出したかのように苦しげに深呼吸を始め、そして此処が柊のアパートのすぐ近くであることに思い至った。無意識のうちにここまで来ていたらしい。


「おら、いつまで道路に座ってんだ。どうせメシまだだろ、うちで食わせてやるからさっさと立て」

「え、いいんですか……?」

「今更何遠慮してんだ」


 柊に腕を引っ張り上げられて立ち上がる。すぐに早足で歩き始めた柊の背中を慌てて追いかけながら、ささらは一度背後を振り返った。

 誰も居ない。それなのに言い知れぬ不安を抱えた彼女は、それを払拭するかのように柊の元へと走った。


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