episode 17 バレンタインと犬屋敷(2)
「きゃん!」
白い犬達に先導され、めぐると和泉谷は大きな日本屋敷に足を踏み入れた。
「すげー広い……」
和泉谷が感嘆の声を上げるのにめぐるも同意するように頷いた。中は随分と広々としており、廊下も先が見えない程長い。しかしあちこちの窓や障子から日光が差し込んでいる為全体的に明るく、不気味な雰囲気は一切ない。おまけにあちこちに犬達が転がったり走り回ったりしているので微笑ましいばかりだ。
屋敷の中を少し進んだ所で中庭に面した縁側に出る。いかにも、といいたくなるような絵に描いたような日本庭園だ。花や木々は素人目にも整えられており、池の水も澄んでいる。縁側に外履きが置いてあったので外に出てみると、一緒に来ていた犬達も楽しそうに庭に下りて走り回った。
「……」
めぐるが池を見下ろす。底まで見えそうなほど透き通っているそれをじっと見ていると、白い犬の一匹が小さな野球ボールをくわえて来るのが見えた。
「くぅん!」
「お、ボールか! よーし、取ってこーい!」
犬にボールを差し出された和泉谷が勢いよくボールを投げると、何匹の犬達が我先にとボールを追って走って行く。そして他の犬はというと、いつの間にか同じようにボールをくわえて和泉谷の傍で順番待ちをしている。
次に待っていた犬のボールを投げていると、ボールを一番に取った犬が尻尾をぶんぶん振りながら戻ってきた。和泉谷の前にボールを置いてしきりに「褒めて、褒めて」とねだるように頭を押しつけて来る犬に、思わず和泉谷も笑顔になる。
「わん!」
「きゅうん!」
「分かった分かった、順番だって!」
「少年、大人気だな」
「おっさんあんたもボール投げろよ!」
「めぐるお兄さんと呼べ」
軽口を叩きながら、めぐるも池から離れてボール投げの手伝いをするべく和泉谷の元へ向かった。
□ □ □ □ □ □ □
「はあ……疲れた」
ぜえぜえと息を切らす和泉谷はふらつきながら縁側に腰を掛けて息を整える。対してめぐるは涼しい顔をしており、大きく肩を上下させる少年を見て「本気になりすぎだ」と苦笑した。
「だってあいつら何度も何度もボール持ってきて……むしろなんだあんたは元気なんだよ」
「医者は体力勝負だ……と言いたいところだが程度に休憩を挟んでいただけだ」
「ずりー」
「そうだ、大人はずるいんだよ」
めぐるの返答に和泉谷は渋い顔をして立ち上がる。もう回復したらしい彼が外履きを脱いで縁側に上がると、それに気付いた何匹かの犬が一緒に飛び上がってくる。他の犬はひなたぼっこをして眠っていたり相変わらず庭を駆け回っていたり、着いて来ないようだ。
「……」
「めぐる、早く行くぞ!」
「あ、ああ……って結局呼び捨てに落ち着くのか」
背後で立ち止まっていためぐるに声を掛けた和泉谷は再び屋敷を探検するべく犬達と共にずんずん進んでいく。
一番近くにあった部屋の襖を開けると、そこは文机が置かれ本が棚にぎっしりと詰まった部屋だった。この部屋の主は随分読書家だったのだろう、和泉谷は見ているだけで頭が痛くなりそうだ。
早々に廊下に戻って先へと進む。その後ろでめぐるが同じように部屋を覗き込んだが、何も言わずに襖を閉じた。
「……ん? なんだ?」
風呂場、台所、客間などいくつかの部屋を回ったところで不意に犬達が和泉谷の足を押し、どこかへ誘導し始めた。また連れて行きたい場所でもあるのかと素直に方向転換すると、辿り着いたのは大きな広間だった。
畳が敷かれた和室の中央には大きな机が置かれ、そこには所狭しと様々な和食の御馳走が並んでいる。見ただけで一気に腹が減ってくる。
「すげー!」
「わん!」
「きゃん!」
「これ食べていいのか?」
和泉谷が犬達に尋ねると、肯定するように尻尾をぶんぶん振って彼を部屋の中へと連れて行こうとする。
「――ちょっと待て!」
「うぐっ」
しかしそんな和泉谷の服の襟を、今まで黙って後ろを歩いていためぐるが首が絞まるのもお構いなしに勢いよく引っ張る。たたらを踏みながら廊下まで戻された和泉谷は当然怒りながらめぐるを振り返るが、彼はそれを意に介さず犬達に微笑みかける。
「ごめんな、今そんなにお腹空いてないんだ」
「くーん?」
「何だよ、別にあんただけ食べなきゃ」
「お前も腹一杯だよな? ……そうだよな?」
反論しかけた所で凄むように言葉を強要される。有無を言わせないその迫力に和泉谷が思わず押し黙ると、犬達は少し悲しそうにくんくんと鳴き、そして再びぐいぐいと彼らの足を押し始めた。
向かう先は、どうやら隣の部屋らしい。足下を犬に囲まれて他の道を阻まれた為二人が大人しくその部屋へと向かうと、先に来ていた犬が器用に襖を開けて二人に中を見せてきた。
「な……」
「す、すげ……」
あまり広くない、物置に近いその部屋は――まさしく宝物庫だった。
一匹の犬が僅かに開かれていた金庫の扉を鼻で押し開けると、その中にあったのは薄暗い中でも光を放ついくつもの金塊。開けられている箪笥の引き出しからはどう見ても値が張りそうな着物やアクセサリーが見え隠れしており、壁際には何本もの日本刀が飾ってある。
「きゃん」
包帯を巻いた犬が金庫の中から金塊をくわえて和泉谷達の前に置く。それに習うように、他の犬達も次々と金庫へと殺到しては金塊を彼らの前へと運んで来ては行儀よくおすわりして二人を円らな瞳で見上げて来た。
犬達が何を言いたいのか、流石に言葉が無くとも伝わった。
「……い、いや、流石にこんなの貰えねえよ」
目の前に積み上がった大量に金塊に、和泉谷が戦いて後ずさる。宝の山を見つけた時は思わず目が輝いたが、現実にこんな大金をいきなり受け取れと言われても躊躇する人間も多いだろう。
「受け取って!」と期待に満ちた目をしていた犬達は、和泉谷の言葉がはっきりと伝わったのか途端にしょぼんと耳を垂らす。縋るようにめぐるを見上げた犬達も、和泉谷と同様に首を横に振った彼を見て見るからに落ち込んでしまった。
「ご、ごめんって」
「くーん……」
「そんな目で俺を見るなよー……」
絆されそうになりながらも結局金を手にすることはなかった和泉谷は逃げるように部屋から離れる。そんな彼に続いて無言で廊下に出ためぐるは、しばし考え込むように目を伏せた後、不意に前を歩く和泉谷の腕を掴んだ。
「浩」
「なんだよ。あんたもしかして本当はあれ欲しかったとか?」
「違う」
「なら何だ?」
「……そろそろ帰った方がいい」
「え?」
まだ此処へ来てあまり時間も経っていないのにもう帰るのか。しかし和泉谷が首を傾げたところで、めぐるは掴んだ腕を引っ張って強引に玄関へと向かい始めた。
「な、なんだよ急に! まだいいだろ! あの美味そうなメシだって食ってないし!」
「外出たらお兄さんが何でも奢ってやるから早くしろ」
「マジで? ……って、別にあれ食べればいいだろ! せっかく作ってくれたんだし」
「誰が作ったんだろうな」
「……あ」
めぐるの言葉に和泉谷は言葉を途切れさせた。
誰が作った。二人は台所にも行ってみたがそこで誰かが調理をしている所など一切見なかった。……そもそも、此処へ来てから誰一人として自分達以外の人間を見ていないのだ。
「……犬達が、作った?」
「彼らが? あの手で包丁を持って? 飾り切りまでしたって?」
「……」
「池には魚一匹居なかった。文机や本棚、調理器具。人間が使うものはあるのに人間はいない。庭から家に上がっても床に土も付かない。……お前は忘れてたかもしれないが、此処は普通の空間じゃない。あの犬達に敵意はないが、安全だと断言出来ないのなら早く帰った方が――」
「きゃん!」
玄関から外に出た所で、待ち構えていたように正面におすわりしていた犬が鳴いた。――その瞬間、まるでその声に呼ばれたかのように次々と白い犬達が集まり始め、二人に立ちはだかるように横に並んでいく。
「悪い、俺たちはもう帰」
「わん!」
瞬間、行儀良くおすわりしていた犬達が一斉に二人に飛びかかった。
「うわあっ!?」
反射的に避けようとしても数の暴力に負ける。次々と犬にのしかかられて地面に倒されると、あっという間にずるずると服を引きずって屋敷に中へと連れて行かれる。
それでも抵抗しようとするが、振り払っても振り払ってもすぐに犬達に動きを封じられる。噛まれたり怪我をしたりすることはないのに抵抗できない。そんな状態に追いやられた二人は、先ほど訪れた文机のある部屋へ放り込まれ、そこでようやく犬達が離れていった。
「……な、なんなんだよ」
「どうやら、あいつらは俺達をどうしても帰したくないらしい」
ぱたん、と閉められた襖に唖然としていた和泉谷だったが、徐々に状況を理解し出すとじわじわと不安を表情に出し始める。
失敗したな、とめぐるは僅かに顔を歪めると起き上がって和泉谷に向き合った。
「悪かった。うかつに此処に入る前に止めるべきだった」
「なんであんたが謝るんだよ、最初に飛び込んだのは俺だろ」
「それを止められなくても、この屋敷に入る前にさっさと戻るべきだった。……あの犬達に悪意を感じなかったから、少しくらい大丈夫だろうと甘く見てしまったんだ」
「……結局、あの犬は何なんだよ。それにこの場所は」
「言ったろ、普通の空間じゃない。それに犬もただの犬ではなく……恐らく、妖怪や怪異、幽霊に近いものかもしれない」
「妖怪……」
和泉谷の脳内に、ふっと想い人である三つ編みの少女が過ぎった。彼女も、実は妖怪だった。あの可愛い子犬だって、普通の犬じゃなかった。
もう、何を信じていいのか分からない。
「……めぐるは、そういう妖怪とか普通に信じてるのか」
「信じてるっていうか、昔から身近だったからな」
「は?」
「俺は大した霊感もないけど、うちの家は代々祓い屋家業をしててな。あ、祓い屋って分かるか?」
「馬鹿にすんな、分かるに決まってるだろ!」
「別に馬鹿にした訳じゃないんだが。……まあそういう訳で、結構色々見てきたし巻き込まれたこともあったから、慣れている方ではあるな。……さて」
めぐるは何とか手放さなかった鞄の中からスマホを取り出す。そして画面を確認すると、やっぱり駄目かと少し落胆するように肩を落とした。
「電話、繋がるのか?」
「圏外だな」
「駄目じゃん」
「ああ、駄目だが……完全に駄目とも言えない」
「?」
「こういう時は、繋がる可能性がないとは言えないんだ」
「圏外なのにか?」
「メリーさんって知ってるか?」
「羊?」
「じゃない、都市伝説の方だ」
「あー……電話のやつだよな。『今、あなたの後ろにいるの』ってやつだろ」
「そうだ」
「でもそれって、別に電話が圏外になってる訳じゃないよな?」
「じゃあ聞くが、メリーさんは普通の電話を使って、電話会社の回線や電波を使って電話して来てると思うか?」
「……」
「まあそれは実際に本人に聞いてみなきゃ分からんが。とにかく、電話を介した怪談なんかはいくつかある。死者から掛かって来たものなんかもな。普通の空間じゃない――異界からの電話も、もしかしたら繋がるかもしれない」
「……それ、万が一外と繋がったとしてどうにかなるのか?」
「うちの妹は凄腕の祓い屋なんだよ。頼りになる」
それでも、電話が繋がらなければ意味がない。めぐるが数日行方不明になれば流石にささらも気付くだろうが、その時点で無事かどうかも分からないのだ。
「……分かった。じゃあその間、俺は犬達を引きつけておく」
「大丈夫なのか?」
「多分またボール投げでもやろうって言えば喜んで外に出してくれると思うし、あんたが外に連絡しようとしてるって気付いたらきっと妨害されるだろうからな」
「……出来るだけ急ぐから、頼むから無茶なことだけはするなよ」
「分かってるよ」
少し不安だが遊ぶだけなら、とめぐるが頷くと和泉谷は早速立ち上がって襖を開けると「ボール投げやりたいやつ集合ー!」と大きく声を張り上げた。
「わん!」
すると案の定、すぐにたくさんの犬達が和泉谷の前に集まって来た。先ほどとは違いただの犬ではないことを理解している彼は僅かに怯えを見せたものの、ほんの一瞬でそれを振り払い、強気な顔で「ほら、庭行くぞ!」と声を掛けて廊下を走り出した。
「……」
部屋の中から和泉谷に続いてどたどたと掛けていく犬達を見送ると、めぐるはすぐさまスマホを操作して流れるように耳に当てた。
接続を開始する微かな電子音が聞こえた後……ツーツー、と無情な音を立ててスマホは沈黙した。
「駄目か……」
しかしめぐるは落胆する間もなく再度電話を掛ける。駄目でも更に次、そして更に次。一縷の望みを掛けて妹へ届くようにと強く祈る。
ささら、茶々……かがり。
今は亡き双子の姉にまで心の中で助けを請いながら必死に電話を掛け続ける。――そして、十三回目に来た時だった。
突如、電子音しか聞こえていなかった耳に砂嵐のような雑音が混じった。
「め――い、さん?」
「ささら!」
酷いノイズの中、微かに妹の声が聞こえた。届いた、ようやく繋がったのだ。
「ささら頼む、俺は今犬に可笑しな場所に連れていかれて帰れないんだ」
「い、ぬ――にいさ――どこに――」
「お前の所の近くの公園から十分ぐらい歩いたはずだ。鳥居をくぐったら知らない場所に出て、大きな日本屋敷の中に白い犬がたくさんいる」
「公園――とり――やしき――」
めぐる程聞きにくくないのか、電話の向こうの彼女はメモを取るようにめぐるの言うことを繰り返しているようだ。
「俺の他に小学生の男の子もいる。今は危害は加えられていないが、今後どうなるかは分からない」
「分かっ――茶々、すぐ――」
「きゃん!」
「うわっ」
めぐるが必死に状況を伝えていたその時、不意に背後から一匹の犬が思い切りぶつかって来た。死角から飛びつかれ完全に油断していためぐるはそのまま畳に倒れ込み、その隙に犬――包帯を巻いたその犬はめぐるのスマホを口にくわえて奪うとあっという間に部屋から出て行ってしまった。
「しまった……」
流石に和泉谷の元に全ての犬が集まった訳ではなかったらしい。助けた犬に恩を仇で返されたと悔しげに唇を噛んだめぐるだったが、最悪の状況は免れた。
必要なことは伝えられた。だから後は、ささら達を信じるしかない。そして悔やむ前に、今自分がやれることをするべきだ。
めぐるは気持ちを切り替えるように顔を叩くと、何か手がかりはないかと本棚に詰め込まれた大量の書物に向き合った。
□ □ □ □ □ □ □
「兄さん? もしもし、兄さん!」
いきなり声の切れた電話に、ささらは何度も何度も呼びかけたがすぐにぷつりと通話が終了してしまう。
「ささら様、めぐる様はご無事なんですか!?」
「今は大丈夫って言ってたけど……」
不自然に途切れた電話を思うと、そう楽観的に考えてばかりもいられないだろう。
「ひとまず妖怪仲間からその犬の情報を集めます」
「お願い」
「しかし、白い犬だけですと……もう少しどんなものか情報があれば良いのですが」
そう呟きながら早速動き出した茶々に、ささらは古ぼけた携帯に目を落として再び兄へと電話を掛けた。もう一度繋がるかもしれない。そうすればもう少しその場所の情報が掴めるかもしれないと考えて携帯を耳に当てたその時――ささらは思わず携帯を取り落とした。
「ひっ」
わんわんわんわんわわわわんんわわわんわんんわわんんわんわ――
スピーカーにもしていないのに漏れ聞こえる多くの犬の鳴き声。一つ一つ聞けば恐らく可愛らしいそれは、何重にも不協和音を奏で、終わることなくその不気味な合唱を続ける。
妖怪仲間へ電話を掛けようとしていた茶々も動きを止める。しかし彼女はすぐに我に返ると、床に落ちた携帯に近付き狂った鳴き声を発し続けるその携帯を躊躇いなく耳に当てた。
「茶々!?」
「お静かに」
ささらを制した茶々は目を閉じてその鳴き声を聞き続ける。そしてやがて通話が途切れると、茶々は閉じていた目を開き、落ち着いた様子でひとつ頷いた。
「……ひとつ、手がかりが増えました」




