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祓い屋(物理)の日常  作者: とど
三章
40/63

episode 17 バレンタインと犬屋敷(1)


 その日、祓い屋ささらの事務所ではいつになく甘い匂いが漂っていた。


「ささら様ー、出来ましたよー」


 キッチンで作業をしていた茶々がささらの元へ小皿を持って行く。その皿にはココアパウダーと粉砂糖がかかった丸いトリュフチョコがいくつか乗せられている。早速ささらがわくわくしながらその一つを口に運ぶと、上品な甘い味が口の中に広がった。


「美味しい!」

「よかったです。ささやかですがバレンタインデーのお祝いということで」


 今日は二月十四日、バレンタインデーである。

 茶々は目を輝かせるささらを見て嬉しそうに微笑むと、残っているチョコのラッピングを始める。とは言っても茶々が渡す相手はさほど多くない。費用の問題もあるが、単純に妖怪の中でわざわざバレンタインを楽しむ連中が少ないということもある。あっという間に数個のラッピングを終えると、茶々は最後の一つを名残惜しそうに口に入れているささらを振り返った。


「ささら様はどなたかに差し上げないのですか?」

「兄さんには渡すよ。茶々もでしょ?」

「ええ、珍しく今日来るとあらかじめ言っていましたしね」


 手作りの茶々と違って、ささらは市販のチョコレートの小箱を用意してある。基本的に料理は茶々任せである彼女はそもそも自分で作るという発想がなかった。


「あと柊さんにも……お世話になってるし」

「はいはい、とてもお世話になっていますからね」

「……茶々、なんでそんなに笑顔なの」

「さあ、どうしてでしょうね?」

「……まあいいけど。あと最初は月見さんにもって思ってたんだけど、千紗さんがいるからなーって」

「ささら様からその話を聞いた時は本当に驚きました……」


 まさかさんざん惚気られた彼女の旦那の正体が月見だったとは、と茶々は大きくため息を吐いた。知った後にすぐ本人に確認を取ると何食わぬ顔で「分かっても好きにならないでね」と言われなんとも言えない顔になってしまった。相変わらずの通常運転である。


「今日は仕事があって会えないみたいだから、柊さんはまた今度かな」

「きっと喜ばれますよ」

「そうかなあ……だといいけど」


「たのもー!!」

「え?」


 そもそも緊張してちゃんと渡せるだろうかとささらが不安になったところで唐突に事務所の扉が勢いよく開かれた。大きな声と共に現れたのは小さな人影で、その彼――和泉谷はずかずかと無遠慮に事務所の中へと入ってくる。


「浩君? 今日はどうしたんですか?」


 茶々が少年の姿を見て首を傾げる。和泉谷が唐突に事務所に押しかけてくること自体は大して珍しいことではない。が、今日はどうにもいつもとは様子が違うようだった。

 この時期でも寒くないのかと思う薄手の動きやすい服は余所行きの少々畏まったものとなっており、そして寝癖が付いていても全く気に留めていない髪はワックスでも使ったのか整えられて固められている。

 これから何かのパーティにでも出るのだろうかとささらが考えていると、和泉谷は酷く緊張した様子で、後ろ手に何かを隠しながら茶々に歩み寄った。


「あ……あの、茶々姉ちゃん」

「はい、どうしましたか?」

「きょ、今日、バレンタインだろ?」

「ええ。今トリュフチョコを作ったので浩君にも差し上げますね」

「え!? あ、ありがとう! ……じゃなくて!」

「?」

「俺、テレビで見たんだ。日本では女が男にチョコを贈るけど、外国だとどっちでもよくて、花とかを贈るって」

「そうなんですか。浩君は物知りですね」

「え、そうかな? へへ……そ、それで!」


 和泉谷は背に回していた手を前に出し、透明なフィルムに包まれている一輪の薔薇を茶々に差し出した。


「お、俺! 茶々姉ちゃんのことが好きだ! 俺と付き合って下さい!」


 顔を真っ赤にしてそう言った少年に茶々はきょとんと目を瞬かせ、ささらは思わず小さく「おお!」と感嘆の声を上げてしまった。

 告白現場なんて初めて見てしまったとささらが暢気なことを考えている一方、茶々は次第に困ったような表情を浮かべ、少し悩んだ後に口を開く。


「浩君、あのね」

「た、確かにちょっと年は離れてるけど! 前に茶々姉ちゃんが成人してるって言ってたし……でも! 俺はそんなこと気にしないし十歳差ぐらい大人になったら関係ない!」

「……浩君」


 茶々の言葉を封じるように和泉谷が言い募る。そんな彼に、茶々は少し迷うように視線を彷徨わせる。口は言葉を選ぶように微かに動き、そしてやがて心を決めた様子で和泉谷と視線を合わせた。


「浩君。気持ちは嬉しいけど、ごめんなさい」

「な、なんでだ!? 俺が子供だからか? 茶々姉ちゃんに釣り合わないから? もう少ししたら俺だって背も伸びるし、姉ちゃんにかっこいいって言ってもらえるように頑張るから! だから!」

「違いますよ。そういう問題ではないんです。……浩君、どうしてわたくしが祓い屋であるささら様の助手をしていると思いますか?」

「え?」

「茶々、ちょっと」

「答えは……こういうことです」


 茶々のしようとすることを察したささらが声を上げるが、茶々は構わず和泉谷の目の前で両手を合わせた。

 瞬間、目を合わせていたはずの茶々が彼の目の前から消えた。何もなくなった空間に呆然としていた和泉谷は、そのまま視線を下に落とし……そして驚愕に言葉を失った。


 今の今まで茶々が居た場所、そこから彼女の姿は消え――いつの間にか、床に一匹のタヌキが現れていた。

 はくはくと空気だけを吐き出す少年に、そのタヌキは妙に人間臭い表情で苦笑してみせた。


「わたくしは人間ではありません。――タヌキの妖怪です」

「よう、かい」

「ええ。何百年も前に生を受け、この時代まで生きてきたあやかしです。……あなたとは、根本的に違うモノなんですよ」


 再び手を合わせた茶々が人の姿に戻る。その瞬間、和泉谷は顔色を悪くして数歩後ろに後ずさった。


「今まで接してきたものが妖怪だったなんて恐ろしいでしょう? でもごめんなさい、これがわたくしなんです」

「……」


 和泉谷は信じられないものを見る目で茶々を凝視し続ける。


「お、俺は……」


 何を言おうとしたのか。しかしそれが言葉に鳴る前に、和泉谷は耐えきれなくなったようにその場から逃げ出した。


「和泉谷君待って、茶々は――」

「ささら様」


 咄嗟に少年を引き留めようとしたささらを茶々が制する。そしてその間に、あっけなく事務所の扉は閉まり、和泉谷は走り去ってしまった。

 閉ざされた扉を見つめてささらが悲しげに顔を歪める。そんな彼女を振り返り、茶々は静かに首を横に振った。


「……どうして、和泉谷君に正体をばらしたの」

「ああ言えば、諦めてくれるでしょうから」

「でも、だからと言って」

「あの子は本気でした。きっと他にどんな理由を付けても食い下がったでしょう。……なら、きっぱりと言ってしまった方がいいと思ったのです」


 茶々は確かに妖怪だ。人間とは違う生き物だ。それは勿論ささらだって嫌というほど理解している。

 だけどそんな茶々が優しくて温かくて、時に厳しいまるで母親のような存在であることも確かなのだ。ささらは和泉谷にだって、妖怪という種族だけで茶々のことを恐れてほしくなかった。


「わたくしは妖怪です。そして彼は人間。その事実はきちんと受け止めなければいけませんから」

「……茶々は、人間は対象外ってこと? 千紗さんみたいに人間と連れ添おうとか思わないの?」

「あの子はかなりの例外ですよ。月見様の方に理解があって、生きる時間の違う妖怪と連れ添う覚悟がある。そんな人間、中々見つかるものではありません。桔梗を思い出して下さいよ。あの子がどれだけ人間を好きになっても、正体をばらしたら逃げられるか利用しようと考えられるだけです。……勿論そんな人間だけではないと分かっていますが、大半の人間はそうでしょう」


 傷が浅いうちに気持ちを消してしまった方が彼の為だ、と茶々は微笑む。そんな彼女に、ささらは何も言えずに黙り込むしかなかった。

 茶々も、過去に人間に裏切られたことがあったのだろうか。……そんなこと、とてもじゃないが尋ねることはできなかった。




   □ □ □ □ □ □ □




 走って走って走って。行く当てもなく走っていた和泉谷は、いつの間にか辿り着いた知らない公園で息を切らしてベンチに腰掛けていた。


「茶々姉ちゃんが……妖怪」


 言葉にしてもその事実が受け止められない。目からは理由が理解できない涙が零れ、目の前の地面にぽたぽたと落ちて消える。

 この涙は一体どうして流れるのか。彼女が恐ろしいからか、騙されていたというショックか、それとも……好きな子に振られたという現実からか。


 和泉谷はお化けが怖い。妖怪だって怪異だって怖い。以前夜の学校で怪奇現象に巻き込まれた時も、強がってはいたが本当は恐ろしくてたまらなかった。

 そしてずっと憧れていた彼女がそういう存在だった。それを理解したくなくて、頭をぶんぶんと振って先ほどのことを全て忘れてしまいたくなる。


「……ん?」


 ごしごしと涙を拭っていた和泉谷は、ふと遠くから犬の鳴き声を耳にした。それだけなら気に留める理由も何もないが……その声は甲高く、どこか悲鳴のようにも聞こえた。

 釣られて顔を上げると同時に少し離れた所にある草の間から小さな薄い茶色の毛並みをした犬が転がるようにして出て来る。それに間を置かず、犬を追いかけるように中学生であろう二人の少年が耳に付く笑い声を発しながら現れた。


「逃げんなよくそ犬」

「ほら、腹減ってんだろ。団子でも食べろよ」


 地面の上に伏した犬を一人の少年が転がすように蹴り、別の少年が砂場で作った泥団子を手に犬に近付く。犬は力なく抵抗するがあっさりと体を足で踏まれて押さえつけられ、無理矢理泥団子を口の中に入れられそうになった。


「止めろ!!」


 和泉谷はそれを見るとすぐに大声を上げながら立ち上がり、弾丸のように彼らに突撃した。背後から急にぶつかられた少年は僅かによろめいたものの、体格の差もあり倒れることはなかった。

 直後、怒りと悪意の込められた二つの視線が和泉谷に向いた。


「あ? なんだこいつ」

「お前らなに犬を虐めてるんだよ!」

「は? 虐める? 邪魔な野良犬を排除してやろうとしてるだけだ」

「そーそー、野良犬なんてゴミは漁るはフンは残すわ菌をまき散らすはろくなもんじゃねえの。だから俺たちがわざわざ殺処分してやろうとしてるってことだ」

「ふざけるな! 命を何だと思ってるんだよ!」

「世の中にはな、生きてた方が邪魔なもんだっているんだよ。保健所だって犬殺してんだろ、そんなこともわかんねえのか」

「ガキはこれだから。そんないい子ちゃんでぶってても偉いでちゅねーって褒めてくれるのは学校の先生だけだぞ?」

「っやめろ!」


 再び少年が犬に向かって足を蹴り上げる。和泉谷は咄嗟に犬を守るように上に覆い被さったが、脇腹に強烈な蹴りを受けて衝撃と痛みに息が止まった。


「いっ……」

「こいつばっかじゃねえの? はっ、こんな汚ない犬を庇うとか」


 げらげらと笑う声を頭上で聞きながら、和泉谷は腕の中にいる犬を見る。ぐったりとしているがまだ生きている。早く助けなければ。

 和泉谷が犬を抱えてじりじりと後ずさる。しかし当然少年二人はそれを見逃してくれる訳もなく、むしろ追い詰めるのを楽しむように下卑た笑みを浮かべてわざとらしくゆっくりと近付いて来る。


「おい、何やってるんだお前達!」


 どうすればいいと犬を抱く腕の力を強くしたその時、唐突に今までになかった声が飛び込んできた。

 反射的に三人が一様に声のした方を振り向く。すると公園の入り口から、二、三十代くらいに見える男が酷く険しい顔で走ってくる所だった。


「やべ」

「逃げるぞ」


 小学生の和泉谷とは違い大人が来たことで流石にまずいと思ったのだろう、少年二人はすぐさま男とは反対方向に走り出し、そしてあっという間に姿が見えなくなってしまった。


「君、大丈夫か!?」


 和泉谷が呆然としている間に男が彼に駆け寄って来る。擦り傷や砂だらけになっている和泉谷と犬を心配そうに見る男は先ほどの中学生とは違い善良な人間のようで、和泉谷は僅かに警戒を解いて腕の中の犬を見下ろした。


「俺は大丈夫だけど、こいつが」

「この辺りに動物病院は……たしか無かったな。ひとまず傷口を洗って消毒が先だ。歩けるか?」

「平気だ!」


 犬ごと自分を抱えようとした男の手を振り払うように立ち上がる。あと一ヶ月半で六年生になるというのに抱えられるなんて男としてプライドが許さなかった。

 さっさと歩き出す和泉谷を見た男は、その背中を見送りながら小さく笑う。どうやら随分負けん気の強い少年のようだと思いながら、彼に続いて公園の水場まで向かった。




   □ □ □ □ □ □ □




「……よし、思ったより酷い怪我じゃなくてよかった」


 水場に着くと、男は鞄からタオルやガーゼ、消毒液を取り出しててきぱきと犬の手当を始めた。随分と手際が良く、和泉谷がその様子をまじまじと見ているとそれに気付いた男が「人間相手だが、これでも医者なんだ」と告げる。


「くぅ……きゃん!」

「こらこら駄目だぞ、それはお前は食べられないものだ」


 先ほどまでぐったりしていたはずの犬も手当を終えると随分と元気になり、ぶんぶんと尻尾を振って男の荷物に鼻を擦りつけて匂いを嗅いでいる。どうやら食べ物が入っているらしい。

 最初に見た時は茶色の毛並みだと思っていた犬は、実はただ土や砂で汚れていただけのようで水で洗い流した今は全身真っ白になっている。


「さて、次は君の番だな」

「お、俺は別にいいって」

「駄目だ。傷口から菌が入って悪化したら大変だぞ。それに、そんなに泣くほど痛かったんだろ? やせ我慢しなくていい」

「は? あれくらいで泣くわけないだろ!」

「ん? でも、現に涙の跡が残っているが」


 男の指摘に和泉谷はさっと顔を腕で覆って乱暴に再度拭った。


「……別に、あいつらの所為で泣いた訳じゃねえし」

「ふうん……? じゃあ他に何かあったのか」

「おっさんには関係ないだろ!」

「……まだ二十代のお兄さんに向かってなんてこと言うのかねえこの生意気小僧は」

「誰が小僧だ! 俺は和泉谷浩ってかっこいい名前があるんだよ!」

「はいはいそれなら俺はおっさんじゃなくて鬼怒田めぐるっていう名前があるんだよ。ほら、いいからさっさと怪我した所見せろ」

「……鬼怒田?」

「さっそく呼び捨てか」

「いやそうじゃなくて……どっかで聞いたことがあるような」


 首を傾げる和泉谷をベンチに座らせて男――めぐるは傷の手当てを始める。手当が終わるまでうんうんと悩んでいた様子の和泉谷だったが、すぐに「まあいっか」と思い出すことを諦めてしまった。思い出せないのなら仕方が無い。

 めぐるが和泉谷から離れると、それを見計らったように犬が和泉谷に飛びつく。くんくん鳴きながら彼の足に擦り寄った犬は彼が自分を助けてくれたことが分かるのだろう、随分懐いた様子で尻尾を千切れんばかりに振っている。

 和泉谷も「くすぐったいだろ」と言いながらも犬の頭を撫でる。それに更に喜んでいる犬を見つめ、その微笑ましい光景にめぐるは目を細めた。


「しかし……まったく、犬に暴行を加えるなんて何を考えてるんだろうな」

「あ、そうだよ! あいつらどっかに逃げやがって!」


 あんなことをしたやつらを取り逃がしてしまったと和泉谷が怒りに震える。めぐるはそんな彼を宥めるようにぺろぺろ手を舐める犬に目をやりながら、ちらりと先ほど犬が虐められていた辺りを一瞥した。


「あー、浩だったか? そんなに怒らなくても大丈夫だぞ」

「なんでだよ!」

「あの辺り、見てみろよ」


 めぐるが指し示した方向を和泉谷が苛立ちながら睨む。するとそこには、街灯に紛れるように密かに監視カメラが設置されているのが見えた。


「あ」

「あの位置ならしっかり映ってるだろ。後で警察に連絡すればいい。あの見た目なら多分一年ではない……となれば受験がどうなるかは知ったことではないが、まあ自業自得だ」

「ざまあみろ」


 和泉谷は少し溜飲が下がったらしく、ふんと鼻を鳴らして怒りを収める。


「きゃんきゃん!」

「お前、さっきまでぐったりしてたのにホントに元気になったな。まあとりあえず病院に連れて行くのは決定だ。その子貸してくれるか?」

「……連れてった後はどうするんだ? こいつ野良犬だろ?」

「そうだなあ。里親を探して……最悪見つからなかったら俺が飼おうか。犬は結構好きだし、最近は自動で餌をやれる機械もあるしな。ちなみにお前はどうなんだ?」

「俺は飼いたいけど……うちの母ちゃん、動物の毛とかアレルギーなんだ」

「そうか。ならちゃんと毛を落としてから帰らないとな」

「きゃん!」


 少々名残惜しそうに和泉谷が犬を抱えてめぐるに渡そうとする。しかし受け取る直前、突然犬が抵抗するように暴れ始め、和泉谷の手から地面へと落ちる。


「あ、こら待て!」


 そのまま逃げるのか、公園の入り口の方へと走っていく犬をめぐるが追いかけるが、すぐに走っていた足を止めて背後を振り返る。そうしてまためぐるが捕まえようとすると、またもや犬は素早く身を翻してその手から逃れ、またしばらく走った所で足を止めてめぐるの方を振り返った。


「なんだ?」

「なんか……着いて来いって言ってるみたいだな」


 追いかけて来た和泉谷がそう言うと、まるで言葉が通じているかのように犬は大きく頷いて走り出した。足取りも怪我をしたとは思えないほど軽い。それに違和感を覚えながら、めぐるは和泉谷と共に犬の後を追いかけていく。

 走って、止まって、走って、止まって。そうしてどれほど進んだだろうか。ようやく犬に追いついた時、目の前にあったのは大きな注連縄の掛けられた朱色の鳥居とその鳥居の奥に続く木々の深い森のような場所だった。


「ここは……」


 この辺りにこんなに大きな神社などあったか。病院関係は把握しているもののそれ以外には疎いめぐるには分からない。だが、そこそこ都会であるこの辺りにこんなに緑があって果たして見落とすだろうか。


 めぐるが考え込んでいるうちに犬が鳥居をくぐり中へ入っていってしまう。そして当たり前のようにそれに続いた和泉谷を、めぐるは咄嗟に止めようと彼の腕へ手を伸ばした。


「此処に何かあるんだな!」

「おい、待つんだ!」


 しかし手はぎりぎりで腕を掴み損ね、和泉谷は鳥居の中へと走って行く。


「な!?」


 しかし和泉谷が鳥居をくぐった瞬間、めぐるの目の前で不自然にその姿が緑の中へと溶けていく。驚愕に一瞬思考を止めた彼は、けれどもその一瞬で迷いを振り切って和泉谷を追いかけて鳥居をくぐった。


 途端に、木々の緑しか見えなかった視界が開けた。


 めぐるの目の前に広がったのは青い空と大きく成長した木々、そして立派な日本屋敷だった。あちこちに何匹もの白い犬が楽しそうに走り回り、そして先にやって来た和泉谷はその犬達に囲まれ、大歓迎されるようにじゃれつかれている。


「わ、分かったから、落ち着け!」

「くーん!」

「わふ!」


 そんな和泉谷の姿を見て思わずめぐるの肩から力が抜けた。彼の姿が消えた時は一気に血の気が引いたが無事で何よりだ。


「きゃん!」

「……ん? お前は」


 と、めぐるの目の前に一匹の白い犬が行儀良くおすわりをして彼を見上げる。その犬の前足には包帯が巻かれており、先ほど出会った犬であることが分かった。

 めぐるが犬を見下ろすと、すぐに立ち上がって屋敷の方へと歩き出す。途中で足を止めて振り返る様子は、また着いて来いと言っているのだろう。


「わ、押すなって!」


 そうこうしているうちに和泉谷が犬達に足を押されるように屋敷へ向かっていく。随分と可愛らしいその光景に、めぐるはつい顔を綻ばせながら自分を待つ犬を追いかけて屋敷の中へと足を踏み入れた。


 犬を助けて、彼らの住処らしき場所へと連れて行かれて歓迎される。

 そこまで考えて、めぐるはぽつりと小さく独り言を呟いた。



「……まるで、浦島太郎だな」


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