episode 12 人が消える旅館(3)
「ささら様、こっちです!」
日付も変わった深夜、ささらは先導する茶々を追って街灯もない暗闇の中を走っていた。
鳴宮の荷物を持ってきてもらいそこから彼の匂いを嗅ぎ取った茶々は、すぐさま外に残っていた同じ匂いを辿って掛け出した。本来のタヌキの姿である彼女は人型よりも遙かに素早く走り、迷い無く足を進めていく。
それに続くささらも転ばないように足下に気を付けながら、何とか茶々を見失わずに走る。光源は手元の懐中電灯一つのみだ。今にも周囲の闇に取り込まれてしまいそうな頼りない光を手に、ささらと茶々はひたすら鳴宮を探し続ける。
どれだけ走ったことだろう。息が上がり呼吸が苦しくなってきた頃、ようやく茶々が足を止めた。
「ここは……」
「トンネル、ですね」
暗闇の中に薄らと見えてきたのは大きなトンネルの入り口だった。どうやら元々列車が通っていた場所のようで、所々足下に線路の痕跡や枕木らしきものが残されている。
「そう言えばトンネルで紅葉見たとか言ってたっけ」
「この辺りは昔から紅葉の名所だったと白木様がおっしゃっていましたからそれで訪れたのでしょう」
「……もしかして今までの匂いって観光に来た時のだったりする?」
「いえ。道中に他の方の匂いはありませんでしたし、恐らくバスか何かで移動したんだと思います。ですからここに残っている匂いは今し方鳴宮様が通って来た時のものに違いありません」
都会とは違い人通りなど無に等しいこの場所では他の匂いと紛れないので見つけやすい。ここに鳴宮が来たのは間違いないと断言した茶々は、ふんふんと鼻を鳴らして更に匂いを辿り、そして「このトンネルの中ですね」と言って人型に戻り、両手に札を構えた。
「トンネルというと心霊スポットでもよく聞きますから、用心して参りましょう」
「本当に茶々が助手でよかった」
「それは光栄です」
「……私何もしてないのに、何から何まで助けてもらってごめんね」
「何言ってるんですか、わたくしはあくまでサポートですよ。鳴宮様が居なくなった原因を対処する一番大変な仕事はささら様の出番ですから頑張っていただけなければ」
「が、頑張ります」
「はい。さ、行きますよ」
自分の出来ることの無さに落ち込み掛けていたささらだったが、本当に大変なのはこれからである。茶々の激励に意気込む気持ちと、どんな怪異と対峙するのだろうかという恐れを同時に抱いた彼女は恐る恐る茶々に続いて更に闇の深いトンネルの中へと足を踏み入れた。
――瞬間、ぞわりと背筋に寒気が走った。
「ささら様」
「うん……」
決して気の所為ではない、明らかにがらりと変わった空気に茶々とささらは目を合わせて警戒するように辺りを見回した。
背後を振り返れば、一歩踏み込んだだけだというのにいつの間にか出口が遙か遠くに見える。ざわざわと風の音ではない何かがざわめくような音が微かに聞こえ、ささらは少しずつ前に進みながら懐中電灯で周りを照らした。
「……ん? っひい!」
しかししばらく歩いた所で、トンネルの壁を照らしていたささらが悲鳴を上げた。最初照らした時は分からなかったが、よくよく見てみると崩れかけている壁に何かが埋まっているのが見えたのだ。
そんなささらを見た茶々は臆せずそこに近付くと、まじまじと埋まっている物――人の頭蓋骨らしき骨を観察する。
「随分昔のものみたいですね。恐らく人柱にでもされたんでしょう」
「ひ、人柱ってそんなあっさり」
「昔はよくありましたから珍しいものでもないですよ。ですが……この辺りの空気の淀み具合はこの人柱にされた方々にあるのかもしれません」
「鳴宮さんはここに入っていったんだよね……急がないと、何があるか分からない」
進むに連れてどんどん空気が重たくなってくる。それと比例して足取りも遅くなるが、それでも必死に早足になって鳴宮を追いかけた。
全く出口の見えない長い長いトンネル。どれだけの時間が経ったのかすら分からなくなったその時……不意に、真っ暗闇の中に小さな背中がちらついた。
ふらふらと左右に揺れる覚束ない足取り、猫背で痩せた背中が見えた瞬間、ささらは纏わり付く重たい空気を振り返って走り出した。
「鳴宮さんっ!」
ゆっくりと歩く背中に追いつくのは容易い。すぐに距離を詰めたささらが彼の腕を掴むと、鳴宮はふっと立ち止まりゆっくりと彼女を振り返った。
「なりみ、」
「あ、ガアアアアアッ」
「え?」
ぐりん、と首だけ振り返った鳴宮は、白目を剥いて勢いよくささらの首に両手を伸ばした。
「ささら様! あぶな」
茶々の悲鳴が響き、鳴宮の手がささらの首に食い込む……直前、本人も無意識のうちにささらの右腕が持ち上がり、そして濁った声を上げる鳴宮の頬に拳を叩き込んでいた。
「あ」
気付いた時にはもう遅い。思い切り殴られた鳴宮は大きく後ろに吹き飛び、そして相変わらず白目を剥いたままぱたりと倒れ伏していた。
「や、やっちゃった」
「ささら様ご無事ですか!?」
「私は平気だけど、鳴宮さんが」
恐る恐る近付いてみるものの、倒れた鳴宮はぴくりとも動かない。先ほどの様子から恐らく何かに取り憑かれていたのだろうが、今の一撃で完全に消滅したらしく霊の気配はしなかった。
「ただ気絶しているだけのようですね。……ですが念のため」
「ちょ、茶々!」
「悪霊退散!」
茶々は一枚の札を持って腕を振りかぶると、バシンと大きな音を立てる勢いで鳴宮の額に札を叩き付けた。
うぐぅ、と小さな呻き声が聞こえる。
「何してるの!? もっと優しく貼ればいいでしょ!」
「未遂とはいえささら様に危害を加えようとしたのですからこれくらい」
「それは鳴宮さんの意思じゃないからね!?」
最近茶々の過保護度が増して来ていないかとささらは頭を抱える。……いや、前からこんな感じだったかもしれない。
「とにかく無事で……まあ無事でよかった。どうにか外に運び出して……」
「待って下さい。何か、聞こえませんか」
何にせよ鳴宮を保護出来たことにささらがほっとしていると、茶々が何かに気付いたように顔を上げて辺りを見回した。
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン――
どこかで聞いたことのあるような音が微かに耳に届き、そしてそれは徐々に大きくなっていく。
そして、不意に暗闇に中で強い光がささら達の目を焼いた。
「! 列車!」
先の見えないトンネルの先に見えたのは、彼女達の方へと走ってくる列車だった。
しかしただの列車ではない。前方のライトに邪魔されて見えにくいがその列車は――数多くの幽霊で作られたものだった。
壁、窓、車輪、どれをとっても人の体の一部が溶け込み、顔を出しているものはこの世を呪うように呪詛を吐いている。幽霊列車なんて簡単な言葉では言い表せないほどの禍々しいその列車は、トンネルのど真ん中にいるささら達を轢き殺そうとスピードを上げて迫ってくる。
その異常な光景と飛び交う怨念に吐き気がこみ上げる。しかし蹲っている時間などは存在せず、あと十秒もしないうちに列車は彼女達の元へと辿り着いてしまうだろう。
ささらは一瞬だけ判断に迷う。しかし、迷ったのはその一瞬だけだった。
「茶々! 札をありったけ投げて!」
「はい!」
言うと同時にささらが走り出す。
逃げるという選択肢は一瞬で潰された。この狭いトンネルの中であの列車を避けきれるかどうか分からないし、そもそもこの短い時間の中で気絶している成人男性を移動させることは二人には不可能だ。
ならば選択肢は一つになってしまう。元々ささらはそう頭が良い人間ではないのだ。逃げることが出来なければ……立ち向かうしか選択肢など存在しない。
茶々が投げた札が風を切って列車に貼り付く。すると僅かに速度が緩み列車が左右にぶれたが、それだけだ。
しかし少しでも勝算が上がれば何でもいい。ささらは二人から離れた所で立ち止まると、意を決して右手を後ろに引いた。列車が迫る。ライトで何も見えなくなる。
相手は列車だ。普通に考えたら生身の人間が正面からぶつかって無事でいられるものではない。けれどこれは列車だが列車の形をした霊の塊だ。――幽霊相手なら、ささらは絶対に負けられない。
なぜなら彼女は、祓い屋だからだ。
「悪霊っ、退散!!」
瞬間、トンネルの中は光で何も見えなくなった。自分も周りも、列車も何も見えなくなったと同時に、鼓膜が破れるほどの断末魔がトンネル中に響き渡る。
何十人もの悲鳴はまるで合唱でもしているかのようにしばらく続き、そしてそれが収まると同時にささらの視界は開けた。
目の前には何もない。そして振り返って見ると、彼女を境に真っ二つに裂けた列車が漂いながら暗闇に消えていく所だった。
それらが全て見えなくなると、纏わり付いていた重い空気が霧散するように体が軽くなった。暗闇も若干明るくなり、本当はさほど長くはなかったらしいトンネルの出口から微かに朝日の光が差し込んできた。
「……除霊、できた」
「ささら様! お怪我は!?」
「大丈夫、だよ……?」
茶々が酷く焦った顔で駆け寄って来る。ささらはそれに応えるようにひらりと片手を上げたが、しかし次の瞬間彼女は何故か地面と体を水平にしていた。
「全然大丈夫じゃないでしょう!?」
「ごめん、なんか、疲れちゃったみたいで……寝る」
「ささら様? え、ちょっと起きて下さい!」
茶々の声があっという間に遠ざかっていく。そしてあっさりと、ささら意識を手放したのだった。
「ちょっと! 鳴宮様いつまで寝てるんですか! さっさと起きてささら様を運んで下さい!」
□ □ □ □ □ □ □
その日の昼頃、ささらは旅館の一室で目を覚ました。
「……んん?」
しばらくぼけっと天井を見上げながら「此処は何処、私は誰」と考えていると部屋の扉が開き女性が入ってくる。
「祓い屋さん! 起きたんですね!」
「あ」
顔を横に向けて現れた女性――白木を見た所でささらはようやく状況を理解する。そして白木が外に声を掛けると、慌てた様子でタヌキ姿の茶々が部屋の中へと入ってきた。
茶々は上半身を起こしたささらに飛びつくと、白木に聞こえないように小声で「心配しました」と言って尻尾を振った。
「祓い屋さん、体調はどうですか」
「ちょっと頭が痛いくらいで、問題ないです」
恐らく一度にあまりに大量の霊力を使った所為で体が追いつかなかったのだろう。普段霊力不足で倒れることなどまずないささらでこの状態だ。あの列車がどれだけ強い力を持っていたのかよく分かる。
「あの、鳴宮さんは無事ですか」
「ええ……ただ何があったのか分からないんですけど顔を強く殴られていたそうで」
びくっとささらの肩が揺れる。
「両方の頬がびっくりするほど腫れ上がっていたので今は病院に行ってます」
「両方……?」
びくっと、今度は茶々が不自然に体を竦ませた。後々聞いた話だが、倒れたささらを運ぶ為に焦った茶々が往復ビンタで気絶していた鳴宮を叩き起こしたのだそうだ。……今度菓子折でも持って行こうとささらは心に決める。
「とにかく祓い屋さん! 無事にお客様を連れ戻して下さってありがとうございました!」
「いえ……ところで白木さん、あのトンネルって何か曰く付きだったりするんですか」
「え? いえ。私は聞いたことはないですけど……でも昔はあそこの紅葉が特に人気だったんですよ。列車と紅葉が一緒に写真に取れるからってこの旅館に泊まる方は大抵行っていたみたいです」
「居なくなった方もですか?」
「分からないですけど……ああでも、大抵この時期に行方不明の方が出ていたとは聞きました。紅葉を見に行って、それで山で遭難したんじゃないかって。それにしては居なくなるのは夜なんですけどね」
「……なるほど」
段々真相が見えてきた。
茶々の見解でもそうだったが、恐らくこの旅館自体は悪いものは関わっていないのだろう。根本の原因はあのトンネルにあり、そしてたまたま一番近いこの旅館に泊まった夜に連れて行かれていたのだろう。鳴宮のように、霊に憑かれやすい人間を選んで。
「トンネルに居た霊は除霊しました。ですから、もう誰かが浚われるということは無くなると思います」
ささらが昨晩の状況と共に見解を伝えると、白木は力が抜けたように肩を落として顔を両手で覆った。
「ありがとうございます……本当に、これで両親も安心して眠れると思います」
顔を上げた白木が目を潤ませながら微笑む。それを見たささらは、ちらりと茶々と視線を合わせ、そして同じように彼女に微笑み返した。
この人を救えてよかったと、ささらの方が心が軽くなった。
□ □ □ □ □ □ □
「やっと見つけた」
「随分小さな記事ですね」
後日、ささらは茶々と共に地元の図書館へと足を運んでいた。目的は一つ、あのトンネルで過去に何が起こったのかを知る為だった。
普通にインターネットで検索しても何も出て来ず、信憑性の低そうな噂話しか収穫がなかった。だからこそ図書館に来て過去の新聞や雑誌をチェックしていたのだが、ようやく件のトンネルの記事を見つけることが出来たのだ。
「トンネル工事で多数の犠牲者、および周辺での行方不明者が相次ぐ、か」
「行方不明者の方は人柱にされたのかもしれませんね。いずれにしても、調べてみれば人骨が埋まっているのが確認されると思います」
「白木さんが一応もう一度警察に言ってみてくれるって言ってた。あとから連れて行かれた人達も、見つかるといいよね……」
一体どれだけの人間が犠牲になったのだろうとささらは重たいため息を吐き、そしてあのおぞましい幽霊列車のことを思い出した。
工事で犠牲になって、ろくに捜索もされずずっと放置されて、そして怨念をどんどん強くしてあんなものになり果ててしまった。そんな彼らに非はなかったのだろうが、最早ああなって無関係の人間まで巻き込んでしまったのならもう手の打ちようがない。ささらには、更なる犠牲者を出さないように力尽くで消滅させるしかできないのだ。
姉ならばもっと上手くやっただろうかと、ついそんなことを考えてしまう。
「それにしてもこんな一つの雑誌の小さな記事しかないなんて、普通はこれだけ犠牲者が出たのなら新聞でも報じられるはずでしょうに」
「きっと何か圧力が掛かっていたのかもね……当時走ってた列車は国鉄だったみたいだし、国から何か言われたのかも」
「ホントに政府も警察も腐ってるよなあ。だから俺みたいなジャーナリストが真実を書かないといけない訳だが」
不意に、背後から声が割り込んだ。
「え?」
「久しぶりだな。俺のこと覚えてるか、鬼怒田ささらさん?」
咄嗟に振り返った先に居たのは、四十歳くらいに見える中年の男だった。あまり清潔感のあると言い難い茶髪と探るような楽しげな同色の瞳。それらを視界に入れた途端、ささらは全身が凍り付いたような感覚に陥った。
愕然と男を見るささらに気付いて、茶々は訝しげに彼を見上げる。
「ささら様、お知り合いですか」
「……その」
「ジャーナリストの川名だ。その子とは数年前に会ったきりだな」
「それで、そのジャーナリストがささら様に何の用ですか」
「可愛い顔して冷たいなあ君。いや、何でも最近警察にも顔を売って随分と調子がいいみたいじゃないか。なあ、祓い屋さん?」
「……っ!」
「俺の方にも話は届いてるぞ。あの姉殺しの妹が、とうとう家の名前で媚び売り始めたって」
ささらの呼吸が止まった。そしてそれと同時に、茶々が今にも男に飛びかからんばかりに怒りを露わにして目を釣り上げた。
「それ以上不愉快な言動をするようなら、絶対に許しませんよ」
「君は噂の助手の子かな。随分と忠誠心が強いらしい」
「祟られたくなければ今すぐ目の前から消え失せなさい!」
「おお怖い怖い。じゃあさっさと逃げるとするか。……ただ、最後に一つ」
川名は冷笑を浮かべると怯えるささらに近付き、冷えた視線で彼女を見下ろした。
「お前が家や警察に守られようが、俺はいくらでも探って暴いてやる。覚悟しておけよ」
それだけ言って、川名はさっさと踵を返してささら達から離れて行った。
「何なんですかあの男……!」
「……」
最後までろくに口を聞けなかったささらは、震える手を押さえるように強く握りしめた。




