炎の壁から始まり問いで終われ
背後から迫る黒い暴力から逃げようと、俺たちは必死に手足を動かした。
しかし悲しいかな。空腹の上、魔族のような身体強化が使えない砦の兵士たちでは遅い。魔族に追いつかれるのも、時間の問題だ。
勇者のポンタ、魔族のリシェルと、もどきの俺、そして謎理論で並走するジョウゲンだけなら、逃げられた。
どうする? 見捨てるか。だが、ここで見捨ててラネージュでの防衛はどうなる?
一人、二人しか兵士が帰ってこなかったら、士気は最悪だろう。だが、それで俺の命を懸けるか? ポンタやジョウゲンを危機にさらすのか? リシェルを魔族と敵対させるかもしれない状況に放り込むのか?
考えがまとまらない。あまりにも想定外すぎる状況に、俺は天秤にかけるものを見極めることができなかった。
「ジャック殿!」
ジョウゲンが背後を振り返り、声を上げた。
振り返ると、片足の男が俺たちに背を向けて、迫りくる魔族の軍勢と対峙していた。
「足を止めるなぁっ」
ジャックの怒声が、頬を撃った。ジャックはその場に跪き、両手の平を大地に付けた。まるで罪人のような格好だ。
ジャックを中心に炎の壁が左右に広がった。炎は魔族の姿を隠すほど、長大な防壁となった。
「時間を稼ぐ。今のうちにラネージュに向かえ。お前たちの力はラネージュでも必要となる」
ジャックが息苦しそうに大きく肩で息をしていた。
誰ともなしに、俺たちはジャックに背を向けて駆け出した。
助けたかった。けど、それは出来ない。
手足の欠損に、満足な食事もできなかったジャックは限界だった。一緒に逃げていたら、逃げきれない。
ジャックもそれを分かっているから、自分の命の限界まで使って、魔族を足止めしようとしているんだ。
それを無碍にできるか!
俺たちの逡巡が、救命を考える一瞬が、ジャックの貴重な命を無意味にする。命を賭した行為を、下らない良心や負い目で無碍にするな。
悔しさで食いしばった歯の間から、抑えきれない感情が漏れた。
「クソッ! 生きろ。死ぬなって、言ってたクセに。自分の命は捨てるのかよ」
「ジャック殿の将としての生き様なのでござろう。部下のために、次の戦のために、命を使い切る覚悟。見事でござる」
「そうね。言い方が悪いと思うけど、自分を含めて味方の良い殺し方を知ってるわね。ラネージュで指揮をとれていれば、どれだけの戦果をもぎ取ったのかしら」
「すまん。意味のない愚痴だった」
両脇を走るジョウゲンとリシェルに謝る。
ジョウゲンやリシェルの言う通りだ。
ジャックは間違ってない。この場で一番多くの兵をラネージュへ帰還させる策をとったんだ。
その策に乗るしかない能なしが、むやみに非難していいわけない。
俺に今できることは、一歩でも前に、少しでも早くラネージュに向かうことだ。それしか、ジャックの行為に答える方法はない。
足に魔族の力を流し込み、速度を上げた。
俺に合わせて、ジョウゲン、ポンタの速度が上がり、リシェルが立ち止った。
「リシェルッ!」
足を怪我したのか?
俺が振り返ると、リシェルは立ち止ったまま片手を上げていた。リシェルの背後には、親指大になった魔族の姿と槍に串刺しにされた肉塊が見えた。
炎の壁は消えていた。
「ちょっと時間稼ぐわ。ここまで連れてきてくれたお礼よ」
食事でも奢るぐらいの気安さで笑うリシェルに、俺たちは足を止めた。
「リシェル殿、諦めてはだめでござる。このまま走れば、逃げ切れる算段はあるでござるよっ!」
「……リシェル、逃げる。残る、駄目」
ジョウゲンとポンタが、リシェルに逃げるように促す。
リシェルは軍の人間じゃない。たまたま、助力に来た民間人だ。その上、走れる体力があり、逃げ切る可能性がある。
片足で満足に走れず、体力も底をつきかけていたジャックとは状況が違いすぎる。
リシェルが魔族だと知らないポンタやジョウゲンが、説得するのも当然だ。
「リシェル、大丈夫なんだな?」
何が、とは言わなかった。ジョウゲンとポンタの前で、今から魔族側に戻っても大丈夫なんだな? とはさすがに聞けない。
俺の意を汲んだのだろう、リシェルは軽く頷いた。
「ま、大丈夫でしょ。わたし、魔族だし、魔王直属の特殊部隊の一員よ。この場に残ったからって、リンチに遭ったりしないわ」
ちょ、リシェルさん? 俺が折角黙ってたこと、なんであっさり言っちゃうんですかぁ?
「そう言うことだから、わたしに気遣って残らなくていいわよ。仲間の所に戻るだけだもの。時間稼ぎは、ここまで運んでくれた馬鹿な荷物持ちへの恩返し」
ああ、そうか。これ以上は、人間側に与するわけにはいかないのか。
そうだよな。魔族の軍が、人間側の予想だにしない奇襲で被害を受けたんだ。これ以上、俺たちの味方をしたら、魔族側に戻れなくなる。
このあたりが、潮時か。
最後に俺が、リシェルに騙されていたようにフォローするあたり、頭の回転が速いな。
「そうか。だったら、遠慮はいらないな。ジョウゲン、ポンタ、逃げるぞ」
俺は、呆然としているジョウゲンとポンタの手を引いて、逃げ出した。リシェルから背を向けて、振り返らなかった。
走る。
走る。
俺たちは、息を切らしながらも、必死に逃げていた。
他の兵の姿は見あたらない。
逃げ切ったのか。それとも……殺されたのか。確かめる術はない。余裕もない。
ジャックが命を賭け、リシェルが自身の正体を明かして稼いだ時間は、もう殆ど使い切っていた。
背後から聞こえる鎧を揺らす音は、確実に大きくなっていた。追いつかれるのは時間の問題だ。
「ふむ、そろそろ牽制が必要でござるな」
ジョウゲンが足を止めた。堅い金属音が響いた。
振り返ると、ジョウゲンが剣で魔族の槍を受け止めていた。
もう、こんなところまで来ていたのか!
気付けば、四方を魔族に取り囲まれていた。どいつもこいつも、全身鎧に包まれた体を丸めて盾に隠れ、右手に持った槍の穂先を俺たちに向けている。
「……相手、六人。逃げる、無理」
ポンタは、どこからともなく姿を現した緑色の棒を構える。僅かに歪曲した棒の先端は針のようにとがっており、その表面はガラスのように滑らかだ。
あれがポンタの勇者としての武器なんだろう、コーズの白神宝剣やヒルデルカの紅輝武甲と同じプレッシャーを感じた。
「だな。こいつらを何とかしないと、」
俺も腰の剣を抜き、魔族の力を高めた。大した量じゃないが、それでも少しづつ溜めていた力は、もう、ひよっ子と呼ばせないぐらいはあるつもりだ。
俺たちが武器を構えても、魔族の動きは変わらない。少しづつ、包囲を崩さないように息を合わせて、間合いを詰めてきた。
さて、どうする?
時間が経てば経つほど、こっちが不利だ。魔族側は援軍が来るだろうし、包囲網が狭まれば動きづらくなる。少人数の俺たちが、魔族の包囲網を突破するには、隙をついて脇をすり抜けるしかない。
魔族側も分かっているんだろう、動きに隙がなかった。左右に微妙に位置をずらしながら、近づいて来ていた。
クソ、これじゃ、飛び出すタイミングが掴めない。失敗して、穂先に飛び込むなんてのは勘弁だ。
張りつめた空気をのんきな声が、緩ませた。
「六人でござるか。まぁ、逃げる駄賃としては、まずまずでござるな」
ジョウゲンが剣を肩に担いで、包囲する魔族に一人に向かって歩き出した。穂先に自ら貫かれに行くように、真っ直ぐ魔族に向かった。
ジョウゲンの暴挙が、魔族側の連携を僅かに乱した。さっきまでは蟻一匹抜け出せそうになかった陣に、ネズミぐらいなら抜け出せそうな隙が生じた。
俺を含めて、誰もその隙をどうこうしようとしなかった。いや、出来なかった。
ジョウゲンが穂先が胸に当たる位置に着いたからだ。俺からじゃ、ジョウゲンの背中しか見えないが、おそらく槍の先端とジョウゲンの体の間に、拳一つ分の隙間もないだろう。
「ん、突かんでござるか?」
ジョウゲンが首を傾げた。




