化け物から始まり死で終われ
魔王と名乗った男、ラコントルファソンから吹きだした黒い力は、陣の中を暴風のように暴れまわった。荒れ狂う力が視界を隠し、空を飛ぶ力の風切り音が耳を塞ぐ。
殺さる。
理屈じゃない。圧倒的な力が、心を屈服させる。
とっさに左腕を顔の前に掲げたが、この力を前にどれだけの意味を持つのか疑問だ。
目をつぶって、次に来るであろう衝撃、痛み、苦しみ……そして死に備える。抗うなんて考えられない。
今まで勇者、魔族、それ以上の化け物の力を見てきた。だけど、それとは全く別物だ。
言うならば、今までは巨大な鉄塊を見せつけ、その大きさを誇られていただけだった。
だから、形で、色で、純度で、と別方向から勝ちを見つけることができた。
しかし、魔王ラコントルファソンが放つ力は、刃であり鎧であり盾だった。殺すことだけに特化した力は洗練されていて、他の価値観を持ち込むことを許さない。
化け物だ。聖女様を救った時に戦ったあいつも化け物だけど、こいつはそれとは別種の化け物だ。
「さあ、始めようか」
ラコントルファソンの声に、全身が強張る。
始める。
何を?
勘弁してくれ。こんな奴と戦うなんて、出来るかっ!
「そんなに怖がらなくてもいいよ。使者なんだろう、さあ話し合おう」
殺し合うじゃないのか?
恐る恐る瞼を開けると、辺りを駆け巡っていた黒い力は消え去り、代わりに陣の中央に黒いテーブルと椅子があった。
テーブルは横長の長方形の一枚板で脚がない。時折、風に吹かれたように揺らめていた。
椅子も似たような感じだ。座るところと背もたれはあるが、二つを繋ぐ部品や地につける脚はない。
二つともラコントルファソンが、その力で持って作り出したんだろう。闇夜の海を彷彿とさせる黒色だ。
「大丈夫、君達を害するつもりはないよ」
躊躇する俺達に、ラコントルファソンが微笑みかける。人畜無害そうに見える。
だからって、力で作った椅子に座って大丈夫か? 触った瞬間、コーズの技みたいに消滅させられるんじゃないか?
「これは、丁寧にありがとうございます」
二の足踏む俺をしり目に、リシェルが席に着いた。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。と言うか、殺す気ならさっき殺されてるわ。こんな手の込んだことする必要ないじゃない」
確かに視界を塞いだ時、攻撃されていたら抵抗できず殺されていた。捕まえるにしても同様だ。
話を聞いてから殺すなり、捕まえるにしても、こんな怪しい、見え透いた罠は使わないだろう。
同じ結論に達したのか、ジョウゲンとポンタが恐る恐る席に着く。俺もそれにならった。
「それで、君達の話は何なんだい?」
「単刀直入に言えば、砦への攻撃を中止して頂きたいでござる」
ジョウゲンは行き成り本題に切り込んだ。
小手先の技で様子を見る気はないのか。それとも、魔王を名乗る男を前に、それだけの余裕がないのか。
ここで口を出せない俺達は、黙ってジョウゲンの交渉を見守るしかない。
「それは出来ない」
ラコントルファソンの答えが分かってたんだろう。拒否されたジョウゲンに動揺は見られなかった。
「で、ござろうな。ならば、拙者らは無血開城を望むでござる」
ラコントルファソンは自身の顎を撫でてていた手を止め、わずかに開いた両の瞳でジョウゲンを見つめる。
「ほう、それはまた……いいのかい? あの砦を獲られると言うことは、ラネージュの首に刃を突き立てられたも同然だよ」
「その代わり無傷の兵が残るでござる。そちらの今の兵力で、ラネージュと砦にいる兵、双方を相手取るのは難しいのでござろう?」
なるほど、こういう言外の含みの持たせ方は、やっぱり上手いな。
ジョウゲンは、砦をくれてやるから、それ以上進行するな、と要求している。実際、砦を手に入れるために一戦やらかしたら、ラネージュへの進行はかなり遅れるはずだ。兵の休息、壊れた砦の修復、補給の確保、やらなきゃいけない事は山ほどある。それを全てやり切るには、時間がない。
まぁ、これは兵が万全の状態での話で、現状の飢えきった兵達じゃ、鎧袖一触。文字通り、袖が触れただけで、吹き飛ばされてしまう。
「今すぐはね。だけど、拠点があればそれだけ軍を持ってこれる。ああ、なるほどね。時間稼ぎがしたいんだね」
ラコントルファソンは白々しく手を叩く。正に、今、気付きましたという様子だ。
「その通りでござる。冬の到来まで、後二か月ちょっと。援軍がそれまでに来れるでござるか?」
「この提案を跳ね除ければ、砦で籠城する君達と戦うことになる。その場合、手に入れた砦は半壊、こちらも疲弊していて、ラネージュに手を出せない。そういう狙いか」
「理解が早くて助かるでござる」
ラコントルファソンは口元を手で隠して俯く。受けるか受けないか、どちらが得か計算しているんだろう。
ジョウゲンは顔色一つ変えずに待つ。本当なら受けてもらえるように、言葉を尽くしたいんだろうが耐えている。
長い沈黙の後、ラコントルファソンはゆっくりと頷いた。
「……うん、いいよ。こっちも冬が来る前に一段落したいんだ。簡単に砦が手に入るなら、それに越したことはない」
辺りの空気が少しだけ和らいだ。ジョウゲンの頬も僅かならが緩んでいる。
「それにしても、ずいぶん簡単に頷いたな」
俺は隣に座るリシェルに囁く。
「ラコントルファソン様は穏健派だからね。この戦争の終わらせ方を考えてでしょう」
「つまり、聖域を獲って交渉する気はない、てことか?」
「恐らく」
なるほど、魔族側は、いつでも聖域に攻め込める状況が欲しかったのかか。聖域を獲られるかもしれない、と言う状況なら、光神教からも譲歩を引き出しやすい。聖域を獲ったら、戦争しかないからな。
「それでは、こちらの面子のために一度野戦を行う、と言うことでよろしいでござるか」
おっと、リシェルと話している間に、ジョウゲンとラコントルファソンの交渉は条件詰めに入ったか。
「ああ良いよ。場所は、砦の近くがいいね。その方が、逃げる方向がよく分かる」
逃げた後の奇襲対策か。当然だな。砦に入ろうと言う所で、背後から奇襲されたらたまらない。
「その通りでござるな。詳細について、こちら側も煮詰めたいでござる」
「だろうね。一度、話を持って帰って再度打ち合わせることにしよう」
「忝いでござる」
ジョウゲンが頭を下げた。
どうやら、今日の交渉はここまでのようだ。この調子で一日、二日と時間を稼げれば、ラネージュが砦化するまでの残り十二日、なんとかなるかもしれない。
ラコントルファソンが笑顔で俺とリシェルを指さす。
「その代わり保証として、そこの二人はこっちで預かるよ」
「駄目、絶対拒否」
誰よりも早く反応したのは、ポンタだった。ポンタは席を立ち、俺を引っ張る。
ポンタは両手を広げて、ラコントルファソンから、俺をかばう。
「拙者らを信じて頂けないでござるか?」
席から腰を浮かせたジョウゲンが、鋭い視線でラコントルファソンを射抜く。
「信じてるよ。だけど、君たちの上が信じられるかは別問題だ」
ラコントルファソンは、穏やかな笑みを崩さない。
まずいな。ここで交渉を決裂するわけにはいかない。
それに……
俺は自分の左腕を見る。何の変哲もない腕だが、この腕は魔族の力を持っている。
リシェルは魔族だ。そして、俺が大人しくしている限り、助けてくれるだろう。
「ポンタ、ジョウゲン、やめろ。俺達は残る」
「駄目、駄目、駄目。カール、危険。ポンタちゃん、残る。カール、行く」
ポンタがいやいやと、聞き分けのない子供のように駄々をこねる。
「駄目だね。君、勇者だろう? 勇者に暴れられたら、こっちの被害が大きすぎるよ」
その通りだ。そして、砦の兵も勇者を人質にされたなんて看過できないだろう。
「ジョウゲン、ポンタを連れて帰れ。それが一番だろう。護衛の俺達が戻って、お前が戻らなかったら、この交渉はないものとして扱われかねない」
「そうでござるが……」
「大丈夫よ。さっきも言ったけど、殺すつもりなら殺されてるわ。それに、ここでゴネて話をややこしくしたくないでしょう?」
暫く逡巡していたジョウゲンだが、苦いものを飲み込むような顔で頭を下げた。
「すまないでござる」
「ジョウゲン!」
ポンタが信じられないと言った様子で、ジョウゲンを睨み付ける。
「失礼」
ジョウゲンは流れるような動作で椅子から落ちると、地面を滑るように這い、ポンタの背後へ回った。
ジョウゲンの腕が蛇のように蠢き、ポンタの首に巻きつく。ポンタがジョウゲンの腕を掴む時には、すでに首絞めが決まっていた。
「うっ、ウウウウーーー」
太い足を振り回してポンタが暴れる。しかし、ジョウゲンの腕は首から外れない。次第にポンタの動きが鈍くなり、ついにはポンタの腕から力が抜け落ちた。
「お見苦しい所を見せていしまったでござる。拙者とポンタ殿は、砦へ事の次第を伝えに行かせて頂くでござる」
ジョウゲンはポンタを背に担ぐ。小柄なジョウゲンがオークのポンタを担いでいると、腰のみをつけた肉の塊が動いているようにしか見えない。ジョウゲンの顔も、ポンタの太やかな胸肉に埋まり、一体化している。
「ポンタ殿は軽いでござるな。まるで綿が詰まっているようでござる」
そりゃそうだろう。そうでなかったら、あのデブというかブタ体型で飛んだり跳ねたりできるわけがない。
ジョウゲンは軽い足取りで、陣の外へ向かう。
「カール殿、リシェル殿。どうかご無事で」
ジョウゲンは陣を囲むリネンの前で立ち止り、苦渋に満ちた声を絞り出した。
悪い、ジョウゲン。
事実を話すことができれば、あそこまでジョウゲンやポンタに辛い思いをさせなくてよかった。
だが、それはできない。
話せば、二人は責めるだろう。もしかしたら、裏切者と罵られるかもしれない。そうなれば、二度と人として生きていけなくなる。
万が一にもその可能性がある以上、俺は怖くて何も言えなかった。
草を踏みしめる足音が次第に遠ざかる。耳を澄ませても聞こえなくなった頃、リシェルが口を開いた。
「で、ラコントルファソン様、何でこんな所に来られてるんですか?」
「やっぱり説明が必要だよね」
ラコントルファソンは白髪交じりの髪をかきながら、曖昧な笑みを浮かべる。
「僕も君から話を聞きたかった。だから君と、そっちの魔族、カールでいいのかな? 君にも残ってもらったんだ」
「やっぱりそう言うことですか」
話の繋がりが分からない。聖女様の誘拐を阻止したのは、もう二ヶ月も前だ。その情報はすでにラコントルファソンの耳にも入っているだろう。
俺とリシェルは、主にリシェルの所為で、旅の行程が遅れた。そう、リシェルのお蔭で、本来一ヶ月で到着する道のりに、倍の時間を使ったんだ。
リシェルのように、そう、リシェルのように真っ直ぐ目的地へ向かわず、トラブルがあれば顔を突っ込み、トラブルがなければトラブルを生み出す馬鹿でなければ、とっくの昔にこの最前線まで来ているんだ。
つまり、聖女様誘拐阻止の成否については、すでにラコントルファソンも知っていなくてはおかしい。
首をひねっている俺に、リシェルがヤレヤレと言いたげに肩をすくめてみせる。
「あのね、カール。わたしが過激派の計画を阻止してから二ヶ月、何の連絡も取れなかった。そうなれば、事情を知りたいと思うのは当たり前でしょう」
ああ、そう言えば、そうだ。
リシェルが他の奴と連絡なんて取れるわけがないし、魔王へ手紙を届けるような人間はいない。普通に連絡が取れてなかったのか。
「そうだね。過激派はサーキと連絡が取れず混乱中だ。今のうちに手早く停戦準備をしたんだけど、肝心のサーキがどうなったんか分からないんじゃあ、危なくて仕様がない。」
「停戦交渉やってる脇から、サーキ様が人間側を攻撃したら、二度と停戦なんてできなくなりますね」
なるほど、あの事件の顛末はそれだけ重要だったのか。
ん、ちょっと待て、それじゃあリシェルさんはそんな重要な事を連絡せずに、のんびりと遊び歩いてたんですか!
分からん。この女が何を狙って、そんな事をしたのか全く分からん。
「だから、君からの情報を一番で手に入れるため、そして冬の間に嫌戦空気を人間側、魔族側、双方にふりまくため、僕はここにいる」
「ラコントルファソン様が前線に立たれたら、本国はもう戦争どころじゃないです。現状維持が精一杯でしょう。本国の士気は確実に落ちますね」
「そして、人間側も勇者が束になってもかなわない存在があると分かれば、戦争による利益追求は難しいと判断するだろうね」
「ちょっと待った」
俺はリシェルとラコントルファソンの説明を止める。
「戦争で利益って、そんなのあるわけが「あるわよ」
俺の疑問にリシェルがかぶせて否定して来た。
「前線や直接戦っている国は疲弊するわ。だけど、その国を支援する国は戦争をしたらしただけ利益になるわ。戦争で消費される武器、防具、食糧、建材、命、どれも高値で引き取ってくれるはずだから」
ああ、そういう連中には心当たりがある。商人の中でも、あまりに特異な位置にいるせいで、俺も含めて他の商人達からは嫌厭されている。
「死の商人達か」
リシェルとラコントルファソンが頷く。
「今はそれを国や光神教がやってるのが問題なのよね」
「そうだね。だから、なかなか停戦させづらい。大きな岩が転がると止めるのが大変なのと同じで、大きな団体同士が戦うと中々止まらないのさ」
なるほど勉強になるな。大きな団体同士が争うと止まらないか。
だから、でかいギルド達はややこしい契約を何度も結ぶのか。止まらない争いを回避する為に。
あれ、これって結構、重要な話じゃね?
何で俺に聞かせてるの?
まさか、これがいわゆる冥土の土産と言う奴か。
「あの、今更なんですけど、俺にこんな話していいんですか? 一応敵ですよ」
俺が恐る恐る尋ねる。
「だけど魔族だし、人間側でのリシェルの協力者なんだろう。そうでなかったら、君の前でリシェルが色々話すわけがない」
「カールは人間よりだけど、今回の停戦には賛成派でしょ。それにわたしが魔族で、魔王直属の特殊部隊一員だと知ってる。今更隠すことないわ」
随分、のんきな話だ。
それでも隠したほうがいいんじゃないか?
いや、違う。俺程度になら、話しても問題ないんだ。
俺がここでの話を誰かに話したとして、誰がそれを信じる。ポンタ、アースタ、ヒルデルカ、次点でコーズくらいだ。全員勇者だが、大勢を動かす権力はない。
仮にあいつらが上に話しても、情報源が俺じゃあ、上の人間、国王や大司教様が動かれることはないだろう。
だから、こんなにも無防備に話していられるんだ。
悔しいと思うところはある。とは言え、荷物持ちが持つにはちょっと重すぎる話だ。この場に捨てておけるならその方がいいか。
「話を戻しますけど、ラコントルファソン様からの命、聖女誘拐計画の阻止は成功しました」
リシェルは少し言いよどむ。先を話すべきか、迷っているように見えた。だが、一度深く息を吸い込み、淡々とした口調で述べる。
「その中でサーキ様及び、お付の兵は死亡しております」
「そうか、あの子は逝ったか」
ラコントルファソンが悲しげに眼を伏せる。
「良く本を読んでいて頭のいい子だった。その頭の良さで国を豊かにすると言っていたのに、どうしてこうなったんだろうね」
ラコントルファソンは視線を落として、寂しそうにつぶやく。誰に尋ねたのかも分からない問いに、俺もリシェルも何も言えなかった。




