夜明け前から始まり闇夜で終われ
右手の空がうっすらとインクを薄くした色に変わってくる頃、俺とリシェルはそれぞれポンタとジョウゲンを叩き起こした。本来なら、俺がジョウゲン、リシェルがポンタが望ましいんだが、万が一を考えると逆にするしかなかった。
ポンタの首がポロリ、とか色んな意味で面倒くさいことにしかならない。
「よし、目が覚めたら歩くぞ」
俺はジョウゲンとポンタの使っていた厚手の布を片付ける。
「ん、もう、でござるか? そんなに急がなくても魔族は逃げんでござるよ」
「…………」
ジョウゲンが眠気眼を擦りながら欠伸をかみ殺し、ポンタが立ったまま船を漕いでいる。
まぁ、仕方ない。
まだ日の出までは時間がある。いくら旅慣れていても、寝る時間と起きる時間を変えられるのはつらいもんだ。
特に今みたいに、草の香りを楽しめるくらい穏やかなら、なおさらだ。
こんな朝と言うより、夜に起こしたのは理由がある。
「魔族を一歩でも砦から離すためよ。少しでも時間を稼ぎたいんでしょう?」
腰に手を当てたリシェルがしたり顔で理由を語った。
少しでも魔族の軍を砦から離した位置で足止めするには、こっちが距離を詰めればいい。単純な理由だが、それだけに反論は難しい。
ジョウゲンとポンタは文句を言わず、リシェルの後をついて歩き出した。
俺は三人の後ろを歩く。
荷物持ちが先頭に立っていたら、使者としての威厳がない。それに、一番危険な先頭に一番弱い俺が居たら、ヤバイだろ。
俺は嫌だぞ。問答無用で魔族が撃って来た魔法で死ぬなんて。
歩きながら朝食をとり、一度の小休止を挟んだ頃、太陽が地平線の教会から姿を現した。流れる風が強くなり、俺達の髪や服をたなびかせる。
風が弱くなり、太陽が地平線と頭上の中間に来たあたりで、それは聞こえてきた。
金属のこすれあう音。
一糸乱れない長靴の足踏み。
馬の嘶きと軽快な話し声。
時折聞こえる木の軋み鈍い音は、荷物を積みすぎた馬車の悲鳴だろうか。
「来たでござるな」
「……魔族の軍」
地平線の下から、黒い影が這い出してきた。一つの塊として蠢くそれは、巨大な一個の生き物のようだ。
リシェルが額に手をかざして目を細める。
「あの装備と、巨大な荷馬車は魔族の一団ね。砦を攻めようとしている軍でしょうね」
「規模は?」
「たぶん、三百人ぐらいね。隊列が十人一列で、巨大な馬車が六つ。この規模なら基本編成人数は三百よ。多少上下はあるでしょうけど、間違いないわ」
流石、魔族で、今まで忘れていたが、魔王直属の特殊部隊の一員だ。軍関係については、詳しいな。
だが、リシェルよ。そんなことまでバラして良いのか? お前の立場的にまずいんじゃない?
ほら今も、ジョウゲンとポンタが目を丸くしてる。
「詳しいでござるな」
やっぱり疑問に思われたーッ。
ポンタも興味津々と言った感じで、リシェルを見つめてる。
どうすんだよ? これはフォローできんぞ。下手に口出ししたら、逆に疑われる。
「ま、まぁね。昔、魔族の軍を見たことがあるのよ」
「そうでござるか」
苦しい言いわけだが、ジョウゲンは納得したようだ。
と言うより、目の前に現れた魔族の軍で、頭がいっぱいなのかもしれない。まだ、遠くに見えているが、それでも一糸乱れぬ動きには、逃げ出したくなるだけの重圧があった。
「……選択二つ。移動? 停止?」
「進むでござる。ここで待っていても、何の益もないでござるゆえ」
歩き出すジョウゲンを止める奴はいない。
ここで待っていても、進んでも、やる事に変わりがないんだ。だったら少しでも人間側の有利にしたかった。
魔族の軍との距離が縮まり、相手の大きさが小指の先程度になった。魔族の軍から一人、隊列を離れてこっちに向かってくる。
向こうもこっちに気付いたみたいだな。
大方、俺達を追い払うかなにかする為に向かってきているんだろう。
こっちに向かってくる魔族は、あっという間その姿を手のひら程度まで大きくする。このぐらいの距離になると、向こうの姿かたちが俺でも分かった。
全身金属鎧に身を包み、兜は面体を下げられていて顔は見えない。
腰には剣。右手には槍。左手には金属製の盾。完全装備だ。
どれも光を反射しないように、うっすらと傷をつけられていて、歴戦の戦士と同じ雰囲気を醸し出している。
あっという間に、俺達の目の前までやって来た魔族は、手に持った槍を俺達に向けて怒鳴る。
「おい、お前達、人間だな。そこをどけっ!」
魔族は槍を振り、威嚇してくる、普通の奴なら、我先にと逃げ出すだけの迫力があった。
ポンタが腰を落とし、ジョウゲンが腰の剣に手をかけるが、リシェルが間に入って止める。
俺はそれを遠巻きに眺めながら、いつでも逃げられるように、煙玉を握りしめる。
「この先にある砦からの使者よ。話したいことがあるの。この軍の責任者に取り次いで貰えないかしら?」
「ん、お前……」
魔族が何かに気付いたようにリシェルの顔を覗き見る。
そういえば、魔族には魔族が分かるんだよな。リシェルは偽装してるって言ってたが、流石に軍にいる魔族を誤魔化せるレベルじゃないみたいだ。
リシェルもそれに気づいたみたいだ。魔族が何か言うより早く、一声付け加える。
「ちょっと特殊な用事なのよ。分かってくれるわよね」
それだけで魔族の方も何かに勘付いたようで、リシェルから視線を外した。
「少し待っていろ、伺うだけ伺ってやる。それで、お前たちの名前は?」
魔族は俺達の名前を聞くと、魔族の軍へと戻っていった。
「思ったより簡単に、話が通ったでござるな」
「……同意。拍子抜け」
ジョウゲンとポンタの肩から力が抜ける。
魔族のリシェルさんがいますからね、とは言えない。適当に誤魔化しておこう。こんなことで変な疑惑を持たれても困る。
「そりゃ、使者と名乗ってるやつを無碍に扱うわけにはいかないからだろう」
「そうね。それより、すごい装備ね」
リシェルが魔族の軍を指す。あからさまな話題転換だが、それを不満に思う奴はいなかった。
魔族の軍の装備は、俺達、人間側の質より二つ三つぐらい上等なものに見えた。
全員がさっきの魔族と同じ、全身鎧に剣と槍、そして盾を身に着けている。どの鎧も同じ工房で作ったように同じ意匠で、個性はない。
それが逆に恐ろしい。
なにせ、魔族にとってはそれだけ当たり前の装備だと言うことになるからだ。
あれだけの装備、俺が揃えようと思ったら、最低、五、六年は遊んで暮らせる金が必要になる。あんなものと戦ったんなら、ジャックの傷も納得できた。
さらに目を凝らすと、両脇を固める巨大な馬車の上には、一抱えもありそうな石材が山のように盛られている。
「あれはっ!」
血の気が引いた。
「……勇者試験のゴーレム」
ポンタの言う通り、あれは勇者試験の最後、俺達を襲った魔族が使っていたゴーレムだ。
いや、あの時のゴーレムは全部勇者達が壊している。これは違うものだ。
だが、あの丸い石は間違いなく、同種のゴーレムの頭だ。
あの時の死の感触が思い出される。抜け落ちそうになる腰を叱咤しながら、必死にあの時の恐怖を振り払おうとする。
今は、そんな事を思い出している場合じゃないんだ。踏ん張れ。
魔族が帰って来た。
「お前達の話を聞くそうだ。ついて来い」
魔族は俺達の返事を待たずに、踵返した。次第に遠ざかる魔族を俺達は慌てて追いかける。
魔族は軍の進路を邪魔しないよう横に迂回しながら、軍の中央部へと俺達を案内した。
周囲を完全武装の魔族に囲まれて正直、生きてる気がしない。
ジョウゲンやポンタも同じなんだろう。二人とも一言も喋らず、油断なく周囲を牽制している。
四方をリネンで込まれれた陣の前で、魔族が止まる。今、準備したんだろう。陣は角に突き立てられた棒だけで支えられた粗末なものだった。
この奥に、この軍の責任者がいるわけか。
唾を飲み込む。
「え、この気配っ!」
突如リシェルの顔色が青くなり、全身から汗を流す。
「リシェル、どうした? 何かまずい事でもあったか?」
ここまで顔色の悪いリシェルは初めてだ。一体、何があった。
リシェルはジョウゲンとポンタを一瞥してから、首を横に振る。
ジョウゲンとポンタの前じゃあ話せない、てことか。と言う事は、魔族関係、それもこの奥にいる奴が原因か。
一体、どんな奴がいるんだ。
「さっさと入れ」
二の足を踏んでいる俺達に、ここまで案内した魔族が苛立たし気にせかす。
もう少し、心の準備がほしんだが……ええい、ここは度胸だ。どうせ進むしかない。
俺はやけくそ気味にリネンをめくり中へ入った。
陣の中にはおっさんが一人立っていた。
冴えないおっさんだ。口元や額にしわが見え、白髪交じりの顔はとても疲れているように見える。安い金で雇われる小作人にでもいそうな男だ。
他にはだれもいない。
あれが軍の責任者か。さえないな。
おっさんは俺達に弱々しく微笑みかけると、握手を求めて手を差し出してきた。
「はじめまして、人間の使者達。僕はラコントルファソン・ドーミネート、セコンソルの王だ。君達風に言うなら魔王だよ」
そう言って、ラコントルファソンは闇夜の海を彷彿とさせる黒い力を全身から吹きだした。




