限界から始まり肯定で終われ
「この命令を遂行することは不可能だ。この砦は限界だ」
ジャックが手にした命令書を叩きながら、首を横に振る。
「……賛成。補給、有った。でも、兵力、不足」
隣に座るポンタが手を挙げて賛同した。
気持ちは分かる。あのくたびれた兵士達にこの命令をやらせるなんて、死ねと同義だ。
皆、同じ気持ちなんだろう。部屋の中を沈黙が支配する。
この部屋を見たら、砦がどれだけ危うい線上を揺らめいているのか分かる。
家具は書類を入れる櫃が一つ。他にテーブルも椅子もないから、櫃をテーブル代わりに、みんな床に尻をつけて座っている。
他の家具は全てたき火や装備の補修、砦の増強で使ってしまったそうだ。
食べカスすら残っていない床は血のしみ込んだ跡以外、目立った汚れがない。汚れを出せるだけの余力もなかった事が想像できる。
責任者であるジャックの部屋でこれなんだ。砦の状態なんて、考えなくても分かる。
沈黙を破ったのは、斜め向かいに座るジョウゲンだ。
「しかし、此度の書簡通りラネージュが砦化するには後、十四日は必要でござる。これは現場を守備していた拙者から見ても妥当な期日でござる。その間、何とか魔族がラネージュに近づかない様、この砦が必要でござる」
ジョウゲンは補給の他に命令書を渡されていたらしい。
命令の内容は、最低十四日間、砦を堅守し、ラネージュに魔族を近づけるな、だ。
冗談としか思えない。
しかし、やらなければ、無防備なラネージュで魔族と戦うことになる。そうなれば、市街戦は避けられない。つまり、聖域にも戦火の火の粉が舞い落ちる事になる。
そんな事は許されない。
「言いたい事は分かる。だが、この怪我を見て欲しい。これは魔族が西の町を襲撃した際に受けた傷だ。酷いものだろう」
ジャックが左腕と先がなくなった足を掲げて見せる。
改めて見せつけられると、酷く凄惨な姿だ。
思わず唾を飲む。
「西の町は私達がたどり着く前に制圧されていた。分かるか?」
そういえば、ジョウゲンが言っていたな。
この砦は南にあるラネージュと西にある町から補給を受けてる、て。
つまり、補給できる場所が一か所減った、と言う事か。それは確かにまずいな。
だが、それと傷にどんな関係があるんだ?
「私達が西の町へ救援に行った時、奴らはすでに一戦終え、街を制圧する為にバラバラに行動していた。こちらは体力満タン、力は十全、完全装備、陣形も作戦も立て魔族と戦った。それでも、逃げ帰るしかなかった」
静かに語るジャックだが、櫃の上に乗った右の拳は震えていた。
誰も何も語らない。
余りにも圧倒的な戦力差で、悲惨な敗走だ。ジャックにかける言葉が見つからない。
ここで何か言う役目は、俺しかいないんだよなぁ。
ポンタとジョウゲンは、ジャックと親しいから無理だ。こんな時、親しい奴が何を言っても、グダグダにしかならない。
ジャック本人は絶対に駄目だ。この空気の中で自分の恥部を晒し続けさせるなんて、拷問でしかない。
最後にリシェルだが、こいつは論外だ。普段の言動が理由じゃない。魔族であるリシェルが、こんな最前線の人間を助けるわけがない。
まぁ、俺と一緒に居るのだって、魔族側に帰るためだからな。それがもう、はんば達成している現状で、余計な事はしないだろう。
決して、普段の言動を加味しているわけではない。
覚悟を決めた俺は、殊更、明るい表情を作る。
「野戦じゃなくて砦での防衛戦なら、同じ事にはならないんじゃないですか? 城攻めには数倍の戦力差が必要だと聞いたんですけど」
「……力、不足。不可能」
「先ほどカール氏も見られたであろうが、兵の疲弊が著しい。砦を強化する力が足りない。力で補強しない砦など、藁小屋のようなもの。一瞬で蹴散らされるでしょう」
ジャックとポンタ、砦を守っていた二人から、思ってもみない理由でダメ出しを受ける。
そうか、砦を力で強化しないといけないのか。
考えてみれば当然だよな。
コーズ級の破壊力はそうそうないだろうが、それでも攻撃魔法や力で強化され武器を防ぐのに、ただの石じゃあ心もとない。一、二回ぐらいなら問題ないだろう。だが、数十回、数百回受ければ、壊されてしまう。
いや、そうじゃない。
石の巨人が俺の脳裏をよぎる。
勇者試験の最後、俺を殺しかけたあのゴーレムが居たら、石を積み上げただけの壁なんて、藁小屋の様に引き飛ばされてしまう。
あの時受けた痛みと、その後に襲ってきた死を思い出し、俺の体が震えた。真夏の日差しが熱い日なのに、体中が寒くて仕方がない。
考えるな。忘れろ。今は、思い出で震えてる場合じゃない。
「魔族がこの砦を攻めるまで、後どれ位あるでござるか?」
ジョウゲンが尋ねると、ジャックは宙を見ながらゆっくりと答える。
「斥候の情報とこれまでの進軍速度を勘案すると……早くて三日後だな」
「この砦で、十一日間耐えるのは無理でござるな?」
「不可能だ。今回の補給を受け、砦の備蓄はある程度回復した。それでも節約して十日前後が限界だろう。敵と戦うとなれば、それこそ備蓄の出し惜しみはできない。三日か四日、もってそれ位だろう」
俺達が持ってきた食糧は馬車一台分、残り一台はワインと武器関係だ。
この砦の規模で駐留できる人数は、四、五十人、とリシェルが言ってたな。
通常で一人一食、一人当たりの食事量をパン一つとスープと仮定する。
食糧とその消費量を計算してみた。
あ、これ、十日ももたないわ。よくて七、八日だな。
となると、魔族と戦っていたら、一日、二日で飯がなくなる。戦争中は三食が基本だ。それ位食べないと体が保てない。
「……補給、不足。兵力、不足。作戦、挽回可能?」
「何とかして、相手の足を止められれば良いのだが、そんな都合のいい案は……」
ジャックが腕を組んで唸る。
他の皆も難しい顔で押し黙ってしまった。
この状況を打破できる妙案なんて、そうそう簡単には見つからない。それこそ、専門家でもなければ、思いつかないだろう。
全員が唸る中、リシェルが言う。
「あるわよ」
ある? なにがだ?
ジョウゲン達もよく呑み込めていないのか要領得ない顔で、リシェルを見る。
「ちょうどいい案があるって言ってるの」
「なんと!」
「リシェル氏、それは本当ですかな?」
「聞きたい。続き、要求」
部屋中がにわかに騒がしくなる。
だが、魔族のリシェルがこの段階で言う案が本当にいい案なのか? こっちを全滅させるような気はないだろうが、人間側が丸損する様な案は言いそうだ。
「おい、それ本当にいい案なんだろうな?」
魔族だけが得する話だったら、怒るぞ。
「大丈夫よ。誰も損をしない手よ」
誰も、つまり人間も魔族も損をしない。そんないい手があるのか。どうも信じられない。
ここまで二か月近く一緒に旅してきた仲間だからこそ、俺はリシェルが魔族を第一に考えている事を知っている。そして、口が上手い事も、頭の回転が詐欺師並に早い事もよっっく知っているんだ。
この件に関してだけは、信用できないな。
俺が疑いの目線をリシェルに突き刺す。
リシェルは俺の視線を無視して、軽い調子で提案する。
「ちょっと危険だけど、魔族と交渉してみたらどうかしら?」
はい、リシェルさんの無茶ぶりが来ました。と言うか、これ、その交渉に乗じて、自分が魔族側に帰りたいだけじゃね?
同じような感想を持ったんだろう、ジョウゲンが苦笑いを浮かべる。
「砦を攻撃しない様にでござるか? それは無理でござろう」
「砦を攻撃しない様には無理だけど、数日間、砦攻めを止めさせる事はできるわ。交渉中に相手を攻撃したら、二度と交渉の窓口が開かなくなっちゃうもの」
そりゃ、停戦の交渉に来た相手に戦争しかけたら、だれも魔族と停戦交渉なんてしなくなるよな。なにせ、契約を破棄しただけじゃなくて、そのまま寝首をかく行為だ。最低限の信用すら失ってしなってしまう。
「確かにそうだが、それは交渉ができたらの話だ。現状、私達には相手を交渉のテーブルにつけるだけの材料がない」
ジャックの言う通り、交渉が始まる前に門前払いを食らわされたら、どうしようもない。そのまま魔族は進行して、砦を攻略するだろう。とは言え、砦に駐屯する兵士が出せるものなんて、たかが知れてる。
交渉を成立させるには、それなりに大きいものが必要だぞ。
「この砦を魔族にあげたらいいわ」
「「「なっ!」」」 「……ほー。」
リシェルのとんでもない提案に、俺達は目を剥いて驚く。
「何、驚いてるの? どうせこのままじゃ、やって来た魔族に制圧される砦なんだから、相手にあげても大した問題ないでしょう。その代わり、貴重な数日が手に入るわ。魔族からしたら、砦を無傷で手に入れられる。悪い取引じゃないわ」
そう言われれば、そんなに悪い手じゃない気もしてくる。
どうせ、このままじゃ、数日で砦は落とされる。交渉が成立したら、砦の中の兵士は無傷でラネージュの防備に回れる。その上、交渉に加えて撤退の日数までは魔族を足止めできるんだ。
「……リシェル、同意。賛成」
「ポンタ氏!」
ジャックが腰を浮かす。
そりゃ、割り切れないよな。今まで、空腹に耐えて、怪我に苦しめられながらも、ずっとこの砦を守って来たんだ。
幾らリシェルの案が効率的でも、それを魔族に渡すなんて、簡単に割り切れるもんじゃない。
「ジャック殿、現状ではリシェル殿の策が上策でござる。この策が成れば、少なくとも四日、五日は時が稼げるでござる。例え失敗したとしても、それはそれで砦を防備する事に変わりないでござる」
「それは、その通りなのだが……」
「ここまで守った砦を捨てる口惜しさ、拙者には分からないでござる。しかし我が子を見捨てる親の様な気持ちである事は想像できるでござる。それでも尚、この砦を守る兵士達を見捨てない為に、耐えて下さらぬか? 拙者、殺しは好きでござるが、負け戦はあまりやりとうござらん」
切々と利を説くジョウゲンに、ジャックの顔は次第に苦々しいものに変わっていった。
ジャックは目元を手で覆い、深い懊悩を見せながらも頷く。
「分かった。使者についてだが、私は行けん。私が死ねば、この砦は空中分解する。誰か適当な者に頼むしかないが、現状、砦の兵士を抜き出すわけには……」
「拙者が行くでござるよ。それなりの権限を持っているし、拙者達はただの輜重部隊兵でござる。仮に死んでも、問題ないでござる」
「……自分、行く。勇者、身分高い、保障、なる」
ジャックの言葉をジョウゲンとポンタが遮った。
ポンタとジョウゲンか。妥当なところだな。
ジョウゲンは自身が言った通り、居なくても問題ない。
ポンタは貴重な僧侶だ。本来なら砦にいた方がいいだろう。しかし、この交渉に光神教も噛んでいる様に見せかける為に、勇者であるポンタという証明が必要なんだ。
光神教が噛んでいるというだけで、取引の信頼は跳ね上がるからな。少なくとも、一部の独断である事はばれないだろう。
「いや、しかし、二人だけを危険な目に合わせるわけにはいかない」
「いえ、この砦の兵士は来ない方がいいわ。悪いけど、そんなボロボロの状態で交渉に行ったら、足元見られて終わりよ。最悪、その場で交渉決裂するかもしれないわ」
「う、うううむ」
リシェルの言う通りだな。ここの兵士達は汚れてやつれすぎてる。全員、汗くさいを通り越して、鉄くさい匂いをさせているし、目の下や頬をくぼませた奴しかいなかった。
こんな奴らが、砦をやるからしばらく待て、と言っても、相手にメリットがない。砦を落とすと魔族に被害がある、と魔族側が考えてくれなくちゃ、この交渉は成り立たないんだ。
すぐに体を綺麗にする事も、やつれた顔を艶のあるものに帰る事も出来ない以上、連れていくわけにはいかない。
「二人の護衛としてわたしも同行するから、安心しなさい。二人は必ず、無事に帰すわ」
わー、やっぱりこの魔族、この隙に乗じて魔族側に戻る気だ。
人間は時間を稼げて、魔族は戦力を温存できて、リシェルは魔族側に帰れる。
こいつ、やっぱり頭の回転がおかしいわ。なんで、ほんの少しの時間で、こんな誰も損をしない方法を思いつけるんだ?
「そんな、危険でござる」
「……拒否。危険、大きい」
ジョウゲンとポンタが、心底心配している様だが、そんな心配無用の長物ですよ。だってリシェルは魔族だからな。
「あのねぇ。怪しいKIMONOの男とオークがやって来て、やあやあ我こそは交渉人じゃい、と言ってごらんなさい。誰も信じてくれないわよ。ちゃんとした見た目の奴が、一人は必要なの」
リシェルのもっともな反論に、ジョウゲンとポンタが黙り込む。
「それは、そうであるが、客人である君にそんな危険な事を任せるわけにはいかない」
「乗りかかった船よ。見捨てるわけにはいかないでしょ。それこそ、寝覚めが悪いわ。第一、他に適任者いるの?」
ジャックも黙り込んでしまった。
誰も反論がなくなった隙を見て、俺は手を挙げる。
「俺も一緒に行きます」
「あら、良いの? 危険よ」
リシェルが意外そうに目を丸くする。
「……断固、拒否。それ、だけは、駄目」
隣に座るポンタがオーク面を近づけて、駄目絶対、と繰り返す。
だが、俺はポンタを見捨てられない。ゴーレムにやれて半死半生だった俺の体を治してくれた借りをまだ帰してないからな。
「あのなぁ、お前達三人だけで行かせたら、絶対途中で変なもの食べて体壊すだろう! 仲間の体調管理は荷物持ちの仕事なんだ。俺が行かないでどうする」
「……駄目絶対」
ポンタは一瞬言葉に詰まるが、また同じ言葉を繰り返す。
こいつ、こんな分からず屋だったか? もっと素直だったよな。
と言うか、俺の行先までポンタが決める事じゃないだろう。能力がないなら仕方ないが、危険だから駄目なんて、こいつは俺の母親かっ。
俺とポンタのにらみ合いは、間に入って来たジョウゲンによって中断させられる。
「あい、分かった。それでは魔族側との交渉で時間稼ぎを行う事とするでござる。その交渉役は拙者、ポンタ殿、リシェル殿、カール殿でござる」
これで決定、とジョウゲンが一人ひとりの顔を見渡す。
リシェルは軽い調子で頷く。
ポンタも渋々ながら頷いた。
俺も首を縦に降る。
最後、ジョウゲンがジャックと向き直る。
「よろしく、頼む」
長い時間をかけて、ジャックは言葉少なに了承した。




