確保と左手と最強
「レティシア様、もう大丈夫だね?」
ヒルデルカが内心まで見透かすような鋭い視線をレティシア様に向ける。レティシア様は真っ向から視線を受けて止めて、頷いた。
「ああ、大丈夫だ。もう、奴を殺す事に躊躇いはない」
「それなら、後方であたい達の回復をお願いするよ。コーズ、あんたはあたいと一緒に、あいつに突っ込むよ」
「「分かった」」
「リシェルは魔法で援護だよ」
「分かってるわ」
リシェルが自分の肩を見て苦々しく頷く。
ヒルデルカの指示だがら揉めるかと思ったが、流石にこの状況とあの怪我で異論を挟むほど、リシェルも馬鹿じゃない。
うん、馬鹿じゃなくて良かった。こいつら、時々、妙な箇所で反発するからな。
「援護するから、ドジ踏まないでね」
て、リシェル。褒めた先から、憎まれ口かよ。
「フン、あんたこそ、その肩言い訳にしないでおくれよ」
ヒルデルカも対抗するな。
いや、これはこれで激励なんだろう。
きっとそうだ。
そうに違いない。
今、確信した。
だから睨みあう二人の間に俺が入っても、全然問題ないんだ。
「と言う事は、俺は聖女様を取り返せばいいのか」
意を決して、俺はリシェルとヒルデルカの間に入る。
聖女様をあのまま男の手の中にあるのは、まずい。幾ら男を弱らせても、聖女様から力を手に入れてパワーアップしやがる。人質にされる可能性もある。
「ああ、頼んだよ」
「当たり前でしょ。絶対成功させなさい。勝敗はあんたにかかってるんだから」
ヒルデルカが肩を叩き、リシェルが拳を握って激励する。隅でレティシア様が不機嫌そうに柳眉を上げているが、反対する気はないようだ。
あの男と戦うのに、前衛が一人は無理だ。普通の紋章持ちなら、十数人。並みの勇者でも、五、六人は必要になる。最強のコーズと戦上手のヒルデルカだからこそ、二人でも何とか持ちこたえられる。
ヒルデルカとコーズは常に万全でなくちゃいけない。怪我を負ったままではあの男の攻撃を凌げないだろう。その為にも、回復役のレティシア様は必須だ。
残りはリシェルと俺だが、リシェルは肩を怪我していて、聖女様を担ぐ事ができない。しかも、力は強いから援護役最適だ。
となれば、消去法で俺が聖女様を助けるしかなかった。
「それじゃ、行くよ」
ヒルデルカの合図と共に、まずはリシェルが動き出した。
両手に力を溜めて、ちからの属性を炎へ。子供が一人すっぽり入る大きさの火球が生み出される。
「はっ」
鋭い声と共に火球が破裂し、巨大な炎が男に向って噴出した。
一瞬で、男の姿が炎の中に消える。
今だっ!
男の視界が防がれた瞬間を狙い、俺は大きく横に飛び、木々の中に身を隠す。
背後からはヒルデルカとコーズの雄たけびが聞こえてくる。
急がないとな。
逸る心を押さえ、音を立てないように慎重に歩を進める。ゆっくりと枝葉を避けて、足元もすり足で前へ。
ヒルデルカとコーズの武器が放つ光が灯りになっているが、それでも昼間の様に見通せているわけじゃない。一歩、一歩、確実に動かないと、いつ見落とした枝を踏むか、獣に吼えられるか。
緊張で喉が渇く。
一つでもミスがあれば、男に気付かれるだろう。そうなれば、終わりだ。もう二度と、聖女様に近づくチャンスはなくなる。
時折聞こえる苦痛の声や悲鳴、叫び声がコーズ達の不利を教えてくる。
慌てるな。コーズ達を信じろ。
ジリジリと胸元から溢れる焦燥感に身を焼かれながらも、漸く、半分まで距離を詰めた。
木々はあるが、茂みの背は高くない。これ以上、立って近づく事は無理だ。相手に気付かれる。
ここからは匍匐前進だな。
地面に跪いた時、右手が剣を握り締めたままだった事に気付いた。
そういや、剣を持ってたんだ。全く使わなかったから、忘れてた。
ミスったな。リシェルに渡しとけば、少しはましになったか。いや、そんな事したら、あいつの事だ。前線に突撃するだろう。
剣を片手に嬉々として突っ込むリシェルを想像して、頬が緩んだ。少しだけ肩から力が抜ける。
右手首と剣をくくりつけていた紐を外し、剣を鞘に戻す。
地面に頬を擦りつけながら、両手の力で体を前に進める。
草や獣の糞の匂いが鼻につく。背の低い枝が頬や耳を引っかき、鋭い痛みに眉をしかめる。
クソ、思ったより、進まない。
少しでも速く進もうと地面に爪を立てるが、大した効果はなかった。爪の間に土と砂が入り、指の皮削れて、鈍い痛みが押し寄せる。
木の根を掴めば指先を休める事が出来たが、代わりに頬や首を木の根で擦られて、血が滲み出てくる。
あと少し、あと少し……着いた。
何とか、聖女様の近くまでたどり着いた俺は、様子を窺う為に茂みの隙間からそっと男の方をのぞく。
「むぐっ!」
思わず叫びそうなった自分の口を手で塞いだ。
男に腹を殴られたヒルデルカがその場に崩れ落ちた。
やばい、リシェルみたいに吹き飛ばされていない。あれじゃ、拳の重さを全部、ヒルデルカの腹が受けたはずだ。
更に魔族の前蹴りがヒルデルカを追撃する。紅の残滓を残して、ヒルデルカが吹き飛ぶ。
吹き飛ぶ先には丁度、ヒルデルカを助けようと走り出していたコーズが居た。
ヒルデルカを受けて体勢を崩したコーズに、男が追撃の拳を放つ。
剣で受けながらも大きく後方へ吹き飛ぶコーズ。腕を大きく開き、木の幹にしがみついて停止する。
予想より、酷いな。
これは一刻の猶予もない。
どうする?
どうやって、男の隙を見つける。
これ以上、時間をかけていたら、ヒルデルカやコーズが持たないぞ。
どうする? どうする?
俺が考えをまとめていると、突如、男が炎に包まれる。リシェルの魔法だろう。
魔族の力。
俺は左手にあると言う、魔族の力を思い出す。
これなら、一撃位は防げるかもしれない。あの男だって、俺と一緒に聖女様を殺すような真似は出来ない。きっと手加減してくるはずだ。
それじゃ駄目だ。
相手に期待してどうする?
とは言え、他に方法はない。ヒルデルカもコーズもさっきのダメージが抜けていないんだろう、動きが鈍い。
リシェルが援護しているが、それもいつまで持つ分からない。
やるしかない。
俺は腰を浮かせると、タイミングを計る。次にヒルデルカかコーズが男とぶつかり合う時が、チャンスだ。その時なら、気付かれても反応が遅れるはず。
今だ!
コーズが男目掛けて剣を振り下ろした瞬間、俺は茂みから飛び出した。
「いつの間にっ!」
驚く男を尻目に、俺は聖女様の元へ駆け寄る。
うん、見たところお怪我はないようだ。急いで運ばないと。
「カール、危ない! コーズ、援護っ!」
リシェルの声に俺は顔を上げた。
男が俺に力を放とうとしていた。コーズが横から男に突っ込んで止めようとしているが、間に合わない。
俺はとっさに腰に下げていた剣を引き抜くと、男に向って投げつける。回転しながら飛んで行く剣を、男は踊るような軽いサイドステップでかわす。
剣は男とコーズの間を抜けて飛び、コーズの動きを邪魔する。
そこまでは予想通りだ。
「ヒルデルカ、頼む!」
「あいよ」
男が剣を避けた時間は僅かだが、ヒルデルカが男と距離をつめるには十分だ。ヒルデルカは小さくまとまった構えから、右のショートアッパーを打つ。
鈍い打撃音と共に、男が宙に浮いた。
ダメージ重視じゃない、体勢を崩す為の技だ。
これで一手、何とか聖女様を抱きかかえる事が出来た。後は肩に担げば、逃げられる。
その為の二手目はもう、投げている。
「リシェル、少しで良い、引き付けてくれ」
「分かってるわ」
俺が投げた剣を持ったリシェルが、男に襲い掛かる。
……予想通り、嬉々として。
これで勇者が二人に、手練れの魔族一人、幾らあの男が強くてもこっちにまで気を回す余裕はないはずだ。
聖女様を肩に担ぎ上げる。
軽い。
まるで羊毛の入った袋の様に聖女様のお体は軽かった。
本当に俺達と同じ、肉と骨で出来ているのか疑わしくなる。
これならすぐ、レティシア様の隣まで離脱できる。
男を大きく迂回しながら、レティシア様目指して走りだす。
「ハアァァァァァアア」
俺が逃げるのを見計らっていたのか、コーズが男から距離を取って宝剣に力を溜めている。
ひび割れた宝剣からあふれ出る光は、今日見た中でも一際眩しい。宝剣に溜めている力も、今までの比じゃない。
「なかなか五月蝿いですね」
男が煩わしそうに眉を寄せるも、その場から動けない。
「行かせないよ」
「まずは私達を倒して下さい」
ヒルデルカの拳やリシェルの剣が、男の体勢崩す。
二人の攻撃は効いていない。しかし、当てる事と重心を崩す事だけを狙った攻撃は、男の動きをその場に留めるには十分だった。
今のうちだ。
俺は聖女様を抱えて、跳ねるように走る。いつも背に背負っている荷物に比べれば、何もないに等しい。
「させませんっ!」
初めて男が声を荒げた。
背中を寒気が駆け抜ける。
俺は男の方に両手を掲げた。
男が倒れながらも打ち出した力が俺の両手に直撃する。
「ガアァァ」
両手の力を、紋章の力も魔族の力も全開に、俺を飲み込もうとする力を必死で防ぐ。
両手が熱い。頭が割れそうだ。
力の勢いに負けて、爪が何枚かはじけ飛ぶ。
「負、け、る、かぁぁあぁ」
雄たけびと共に腕を吹き飛ばすぐらいの覚悟で力を込める。
肘から先に幾筋もの亀裂が生まれ、血が弾ける。
「アアァァァァアァァアア」
悲鳴とも咆哮とも付かない声が喉を震わせ、体中がハンマーで殴られたように痛い。
だが、
「防いだぜ」
俺は男に向って勝利の笑みを浮かべる。
途端、胃の中をせり上がって来る熱い塊を感じ、俺は口を覆う。胃液かと思ったら違う。
血だ。
流石に完全な相殺は無理だったんだろう、腹の中を幾らかか痛めたようだ。
「まさか」
「今だ!」
男の驚愕とコーズの始動が重なる。既にリシェルはレティシア様の、ヒルデルカは俺の隣まで退避済みだ。コーズが周囲を気にする必要はない。
「全力全開 ネオスゥゥゥパアアアアアライトニィィィィングコオゥズブレェイドオオオオ」
振り下ろされた宝剣から巨大な光の塊が撃ち出される。瞬く間に襲い掛かる光は、倒れたままの男が回避できる代物ではない。
今日一番、先ほどまでの技とは比べ物にならない威力が感じられる。
それを男はいとも簡単に受け止め、後方へ逸らした。
化け物め。
他に言葉がない。
「コーズの最強の一撃だぞ。あれを無傷で防がれて、どうしたら良いんだ?」
「それでもやるしかないよ」
ポツリと漏れた俺の弱気を、隣まで下がってきたヒルデルカが握りつぶす。
「聖女様!」
駆け足で来たレティシア様が心配そうに聖女様のお顔を覗き込む。
「外傷はなさそうです。意識が戻れば、問題ないと思います」
「そうか」
レティシア様が胸を撫で下ろす。
「今はそれより、あの方をどうやって倒すかよ」
「だね。攻撃がまるで効かないんじゃ、殺しようがないよ」
リシェルのぼやきにヒルデルカが同意する。
とは言え、そうそう妙案なんてない。俺達の持つ最強の一撃が防がれたんだ。後は無防備な所を狙って同じ一撃を放つぐらいしか対策が思いつかない。
俺達は男を睨みつけながら考える。
男は暢気にも服に付いた土を払い落としていた。
クソ、余裕ぶりやがって。
悔しいがチャンスでもある。まだ、男がこちらを嘗めきっている間に、何とか決定的な一撃を当てるんだ。
そうでなきゃ、全滅だ。
「ねぇ皆」
「なんだい、コーズ」
「一つ思いついたんだけど、あれ、真似できないかな?」
コーズが指差す先には男がいた。
「戦ってて思ったんだけど、あいつの強さは聖女様の力と魔王の力、二種類の力を合わせて使うから強いんだ。だったらさ、こっちも勇者の力と魔族の力を掛け合わせた攻撃をしたら、あいつを倒せるんじゃないかな?」
確かにあの魔方陣も、聖女様の力をそのまま手に入れる為のものだ。その狙いは、コーズが言った通りだろう。二つの力を合わせる事が出来れば、爆発的な威力を手に入れられるかもしれない。
だが、そんな事が出来るのか。
二人の力を合わせて一つの技とする。口にするだけなら簡単だが、そんな技、熟練した魔法使い達が何日もかけて準備した儀式の上でしか存在しない。
この場で即興で出来るもんじゃない。
「可能性はあるわね」
リシェル、正気か?
俺達が信じられないものを見るようにすると、リシェルは肩をすくめてヤケ気味に笑う。
「と言うか、その賭けに乗るしかないわ。攻撃が通用しないんじゃ、勝ち目なんてないもの」
確かに。
誰も異論を挟む奴はいなかった。他に案がない以上、コーズの言う無茶苦茶に賭けるしかない。
「それじゃ、決まりだね」
コーズが自分の顔を叩いて気合を入れる。
「ええ、ヒルデルカ、カール。私とコーズが合わせ技を撃つから、技が完成するまで足止めお願い」
そう言って差し出された剣を、俺は受け取った。ずしりと腕に来た重さは、剣の重さだけじゃない。そこに込められた想いや、任せられた役割の重さだ。
「ヘマすんじゃないよ」
「飛び切りの一撃を決めてやるわ」
ヒルデルカのエールにリシェルは笑って答える。
さて、最後の勝負と行きますか。
剣を片手に前へ出ようとする俺の肩をレティシア様が掴む。
「おい、荷物持ち。先ほど血を吐いていた様だが、回復は必要か?」
おお、レティシア様が俺の容態を心配するなんて、明日は槍でも降るんじゃないだろうか?
「いえ、大丈夫です。回復魔法はヒルデルカの為に温存してください」
実際は体中がボロボロだが、ここでレティシア様のお言葉に甘えるわけにはいかない。
「回復魔法は後一回が限度だ。二人揃って、やられるな」
回復魔法は後一回、本当にこの賭けが最後の勝負になるな。
命を賭けても、時間を稼ぐ。
気負う俺の背中をヒルデルカが叩く。
「ある程度はフォローするから、死なない程度に頑張りな。あんた弱いんだからね」
ヒルデルカのあんまりな言葉に、体中から力が抜けそうになる。
畜生、弱いのは分かってるよ。だからって今ここで言わなくてもいいだろう。
絶対活躍して生き残って、ヒルデルカの評価を覆してやる。
「ああ、分かったよ。それじゃ行くぞ」
俺はヒルデルカと一緒に、泰然と構える男目掛けて駆け出した。
「コーズ、力の合成やサポートは私がやるから、あんたは細かい事考えないで、全力の必殺技を撃ちなさい」
「分かった。頼むよリシェル」
背後から、白光と黒耀が男を照らす。
「ぬっ!」
初めて、男の顔色が変わった。今までの何処か余裕ぶった感じがなくなり、初めて危機感を見せている。
あの二人の攻撃なら、何とかなる。
今まで半信半疑だったが、男の様子で確証が持てた。現金なもので、それだけで四肢から力が溢れてくる。
それはヒルデルカも同じなんだろう、今までより更に速く、しなやかに駆ける。
「邪魔です。どきなさい」
正面から突っ込むヒルデルカを男が払い飛ばそうとする。
突如ヒルデルカを見失う。
どこに?
思った頃には、男が何かを避けるように飛び上がり、続いて地面からヒルデルカの足が男の胴目掛けて突き上げられていた。
一瞬で下に潜りこんで、足刈りと後ろ蹴りの二段蹴りか。
男が宙に浮いた体を捻り、ヒルデルカの蹴りをかわす。
だが、ヒルデルカの攻撃は終わりではじゃなかった。
男に背を向けて地面に四つんばいになった状態から、何の予備動作もなく飛び上がり、後方宙返り。天地が逆の姿勢で男と相対し、男の顔面目掛けて右足を蹴りだした。
ヒルデルカの蹴りを受けようと男が腕を伸ばすが、甘い。
三歩遅くなったが、男の横まで近づいた俺が土を蹴り上げる。土は狙い違わず、男の顔目掛けて飛んで行く。
「くっ」
土を避けようと男が顔を逸らす。
いいのか? ヒルデルカから目を逸らして。あいつはあそこからでも、軌道を変えるぞ。
ヒルデルカの膝が曲がり、蹴りの軌道が変化する。大きな円が小さな円へと変わり、右足が男の腕の前を掠める。回転する勢いをそのままに、ヒルデルカは続けて左足での後ろ回し蹴りを放った。
蹴りが男の顔に当る。男の首が勢いよく回るが、崩れ落ちたり、倒れたりすることはない。
やっぱりダメージはないか。
だったら、これでっ。
勢いをつけた体当たり。ヒルデルカやリシェルの様な技術がない俺には、他に男の体勢を崩す方法がない。
肩から男にぶつかる。
まるで鉄にぶつかったような硬さに、顔が歪む。
幸い、重さは鉄程ではなく。俺の体当たりで、男がたたら踏む。
そこにヒルデルカが、さっきと同じショートアッパーを放ち、男の体を浮かせた。
これだけ攻めていているのに、背中からは冷たい汗が吹き出てくる。首先に剣を突きつけられたまま、戦っている感じだ。
いや、事実そうなんだろう。
一瞬でも男に主導権を与えれば、俺達の終わりだ。ヒルデルカがどれだけ強くても、相方が、俺が弱すぎる。リシェルやコーズと比べれば、何枚も落ちる。
だから、攻めるしかない。一手たりとも、間違えるな。全力で正解を選び続けろ。
それでも終わりが確実に近づいている。
どんどん、男の動きが滑らかに、速くなっているのだ。無駄な動きがそぎ落とされていく。子供から農家の親父レベルの動きに変わっただけだが、そこに男の身体能力や力が加われば、それだけで劣勢となる。
まだ、背後から合図はない。
畜生、まだか?
意識を背後に向けたのが悪かった。一瞬の意識の隙間、ほんの少しだけヒルデルカのフォローが遅れた。
男はそのミスを見逃さず、拳をねじ込んできた。
しまった、と思った時には、両の手甲を砕かれたヒルデルカが後方へ飛んでいった。
大気を爆発させた大騒音。
それに顔をしかめる隙もなく、俺の左手に男の拳が命中していた。
左手に衝撃が走った。
痛いと感じる間もなく、男との距離が開く。手を伸ばせば届いた相手が、体中伸ばしても届かない遠方へ。
そして音が追ってきた。
吹き飛ぶ俺の耳を壊す位の音量で空気が突き破られる。
二、三度転がって、更に地面を滑って漸く止まる。
急いで戻らないと!
立ち上がろうと、地面に手を付いた瞬間、激痛でのた打ち回る。
声を上げる余裕もない。
涙に滲んだ視界を左手に向けると、手のひらから白いものが出ていた。
俺の骨だ。
左手は平らにつぶれ、手の甲から骨が突き出ていた。幸いと言うべきか何と言うべきか、左手の感覚がなくなっている。これなら、後少しは戦える。
服を切り、左手首に巻きつけ絞る。先ほどまで流れるように出ていた血が止まった。
良し。これでいける。
もう一度、男へ向おうとしたが、それより男の方が早かった。
「これで、終わりです」
先ほどまでとは比べ物にならない力が、男の手のひらに集まっている。溜めて、溜めて、溜めた力が、出口を求めて暴れていた。
あれはコーズの技だ。たった数回見ただけで、真似したのか!
くそ、まずい。あんなの、レティシア様じゃ防ぎきれない。コーズとリシェルの技はまだみたいだ。
無理と知りつつも男に向って走り出す。
畜生、間に合えっ!
願い空しく、男がその力を打ち出した。黒と白で螺旋を描く力の塊が、コーズとリシェルを襲う。
「防ぐっ!」
レティシア様が螺旋の力を防ごうと、自身の力をぶつけているが、焼け石に水だ。濁流に水鉄砲を撃つようなものだ。
レティシア様も理解しているのだろう。額に脂汗を滲ませている。
「諦めるんじゃないよ。コーズに比べれば、まとまりがない。逸らせるよ」
横から飛び出てきたヒルデルカが、黒と白の螺旋の中心に拳を付きたてた。螺旋を描く二つの色はその結び目を解かれたように、ほつれ、爆発する。
その爆風に巻き込まれ、ヒルデルカとレティシア様は吹き飛ぶ。木の葉の様に飛んだ二人は木々の奥に消えた。
「これで、漸くですね」
男が余裕を笑みを浮かべて、もう一度力を溜め始めた。
だが、今度は俺達の方が早い。
「今よっ!」
「スゥゥゥパアアアアアライトニィィィィングコオゥズブレェイドオオオオ」
白光と黒耀が複雑に絡みかあった力が、コーズの宝剣から吹き出てくる。その力は宝剣の刀身自身も粉々にして、男へと迫る。
「この程度でっ!」
男が両手を開いて、迎え撃つ。
まさか、これも受け止めるのか!
一抹の恐怖に襲われるが、それは杞憂だった。
一瞬、光の塊は停滞したように見えたが、すぐに勢いを取り戻し森の彼方まで消えていった。
辺り一面から光が消える。
今が夜であることを思い出したように、暗闇が視界を覆いつくした。
「これで倒したはずだ」
そう自分に言い聞かせながらも、何処か信じることが出来なかった。
あの男が本当に倒せたのか。
安心できない。
駆け足でコーズ達のところへ向う。
「倒せたか!」
コーズは無言で目の前を指差す。
真っ黒な穴があった。穴の奥では星のきらめきが見える。
「倒したよ。山までくり貫く一撃なんだ。あいつが生きてるわけがない」
泥だらけの顔をほころばせるコーズを見た瞬間、俺は漸く終わった事を確信できた。




