信仰と教義と近衛兵
男がリシェルとの会話を打ち切った。
もう、終わりか。レティシア様は会話が出来る程度までしか、復調されていない。
あと少し何か起爆剤があれば、復活するんだろうが、そんなものが簡単に見つかるわけがない。
レティシア様抜きでやるしかないか。
ハハハハハ、最後まで生きていられるか?
からからに干からびた喉を鳴らし、覚悟を決める。手にした剣を力強く握り締めて、立ち上がった。
ヒルデルカ、リシェルも怪我を庇いながら構える。コーズはまだ回復してないんだろう、ひび割れた宝剣を杖代わりに、何とか二本の足で立っていた。
緊迫感が増す俺達を尻目に、男は背を向けてテント跡の方へ歩き出した。
何をする気だ。
決定的な隙と分かっていながらも、あまりにも無防備で動けない。罠じゃないかと言う疑念が、背を向けられていても負けてしまうのではと言う恐怖が、最初の一歩を躊躇わせる。
そうこうしている内に、男はテントのあった場所まで戻ってしまった。
レティシア様が呟く。
「聖、女様」
男は地面に手を伸ばし、無造作に聖女様を持ち上げた。首をつかまれた聖女様は意識が戻られていないのか、抵抗される事はなかった。半開きの口から苦しげな呻きが漏れている。
レティシア様が力なく手を伸ばしては引っ込める。
「や、やめろ……いや、やめなくても、奴も聖神の御力を、だがしかし、聖女様を無碍に、それは奴も同じ力を」
きっと信仰や教義と現状の矛盾に折り合いがつけられていないんだろう。
男は今、聖神の力を持っている。聖神の力は聖神が認めた聖者にしか与えない、と言われている。男のなす事を止めるのは聖神の御心に反する、と考えられる。
男の力を見た時に、レティシア様が呆然としたのもこれが原因だ。
それに対して、光神教では聖女様は不可侵にして絶対無垢。それを守ることこそが、信徒の役目の一つと言われている。
守るべき聖女様に聖神の力を持った、言い換えれば、聖神の御心に沿った男が乱暴に扱っている。
聖女様を守るべきか、男に賛同すべきが、どちらを選んでも矛盾する事態なのだ。
俺達みたいなテキトーな信徒ならいいが、近衛兵まで上り詰めた信徒の中の信徒にとってはきつい選択肢だ。
とは言え、いつまでも迷われていては、こっちの命どころかレティシア様の命すら危ない。
人間と魔族の全面戦争、それを回避するか細い命綱はレティシア様が握っているんだ。死なれたら、そこで全面戦争突入なんだよ。
気付けになるものはないか?
俺が必死に頭をめぐらせていると、聖女様を持ち上げた男が淀んだ黒い力を魔方陣に流し込んだ。
何が始まるんだ。
固唾を呑んで見つめる中、魔方陣が光だす。
「アアアアアアアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァ゛ァァ゛アァ゛ア゛アア゛アアァ゛ァア゛アア」
聖女様の両目があらん限り開かれ、喉が壊れんばかりの絶叫が搾り出される。
聖女様の体から白い、粉雪の様な力が立ち昇る。暫く揺らいでいた白い力は、吸い込まれるように男へ引き寄せられる。白い力は細かく震え抵抗するが、次第に男の方へ伸びていく。
「聖女様!」
レティシア様が叫ぶが、聖女様は全身を突っ張らせて大音量を奏でるだけだ。
白い力が男と触れる。
男の全身が淡い白で包まれた。男が白くなるに連れて、聖女様のお体から立ち上る力が透明に近づく。最初は雪の様だった力が、今ではうす雲の様に淡い。
「どうやら、あの下に敷いた魔方陣で力を吸い取っているみたいね」
リシェルの言う通り、あれは譲渡や付与じゃない、簒奪いや強奪だ。
そう。あれは強奪だ。
だったら、その現場を見ている今なら、レティシア様を復活させられるかもしれない。
「その時、聖者は仰られました。誰も私から神の神秘を奪う事はできません。あなたが神秘を盗もうとも、神を信じるもの達に神秘は返るでしょう。全ては神の御心のままに」
聖神教の経典、光経典の一節だ。
「レティシア様、あれが聖神の御意思に見えますか? あいつは聖神の力を、その神秘を盗んだんです」
「だが、しかし」
レティシア様の瞳が大きく揺らぐ。それでも立ち上がれないのは、この一節の終わりで神秘を盗んだ男の手から、神秘は自然になくなったからだろう。
これだから信徒は厄介だ。解釈に融通が利かない。だから、言いくるめてやる。
こっちは荷物持ち、交渉や契約は日常茶飯事だ。幾ら未熟とは言え、口車の一つや二つは回せる。
「取り返しましょう。聖女様の御力を私達で取り返しましょう。光神教の信徒は、光神教を信じるもの達の為に立ち上がるのでしょう? ならば、神の信じるもの達へ神秘を取り返す。それも信徒の役目ではないですか」
聖女様の絶叫が途絶えた。汗で額に髪を貼り付けぐったりとした聖女様を、男は投げ捨てる。受身すら取れず、聖女様はその御顔から地面に落ちた。
レティシア様の顔に怒りが灯った。目の焦点もしっかりしておられる。
これなら、後一つ、何かしらの起爆剤があれば、立ち上がってくれるはずだ。
男を倒す大義名分はある。
聖女様をお救いするのに理由は要らない。
なら、後は近衛兵のプライドを刺激する。
「守れなくて良いのですか? あの様に聖女様を苦しめるやからを放置する事が、いえ、巡礼の失敗を手助けする事が、近衛兵ひいては聖神信徒兵隊の存在意義なんですか? あなたは聖神より、魔族の姦計を信じるのですか?」
レティシア様が俺の襟首を掴んで引き寄せる。額がつきそうな至近距離で、怒りに染まった瞳がギラギラを輝いていた。
「ふざ、けるなよ、貴様っ。聖女様の、聖神の御力は、この世界をお守りする為、人の世に希望を与える為の神聖にして不可侵な御力だ。それを魔族風情が使うだと、その様な事、聖神がお許しになるはずがない」
俺も目を逸らさずに睨み返す。俺の本気を見せなきゃ、さっきの言葉を本気にとってもらえない。
「なら、立ち上がって下さい。盗まれた聖女様の御力をこれ以上、血で穢させない為に、聖女様を世界をめちゃくちゃにした大罪人の一人としない為に。あなたの力が必要なんです」
「ふん、言われるまでもない」
レティシア様は荒々しく襟首から手を離すと、立ち上がる。背に一本柱を入れたように真っ直ぐな立ち姿は、もう迷いを感じさせなかった。
よし、これで勝機が、多分上がってくれた、と願える。
「力が溢れてきますね」
男が俺達の心が折れそうな事を言う。
自分の力を確かめるように両手を開閉させる男からは、確かに一段と強い力が感じられた。
「これだけでも、あなた達を殺せそうですが、もう少し補充しましょうか」
まだ、聖女様から搾り取る気か。
やらせるか。
次に男が身を屈めたら全力で突っ込む。
四肢に力を入れて、男が身を屈める瞬間を待つ。
男は聖女様を手に取ろうとはしなかった。落ち着いた足取りで魔方陣から出て、男を守る鎧の魔族とグリンの側に立つ。
男は両手を鎌の様に振るい、鎧の魔族とグリンの首を刈った。
血の柱が二本、宙に立つ。
死体となった二人から、力が男の中へ入っていった。
「グリンッ!」
リシェルが飛び出そうとしたが、すぐに留まる。悔しそうに、唇をかんだ。
「あんた、どういうつもりさね? 味方を殺すなんて、血迷ったかい?」
「いえ、保険ですよ。あの二人が、聖女の力を盗まないようにしただけです。あれは私のものですから。それに世界は修正されるのです。今、彼らが死んでも大した意味はありません」
男が血を噴出し続ける首なし死体を吹き飛ばす。死体が木々の隙間を縫って、森の中へと消えていった。遠くから聞こえる枝の折れる音が、死体を吹き飛ばした剛力を嫌でも教えてくれる。
男の体から溢れる二色の力は先ほどの何倍も威圧感を増していた。
黒い汚泥の中にきらめる満月の様な白い力。先ほどまでは星程度だったそれの成長は、男がどれだけの力を聖女様から奪い取ったのか、欠陥紋章持ちの俺にでも分かりやすく見せ付けていた。
感情を押し殺したレティシア様が男の問う。
「魔族、一つだけ問うてやる。……貴様が死ねば、その力はどうなる?」
「さあ? そんな事は知りません。まぁ、予想としては、ただの力として殺した相手が手に入れるのでは?」
聖女様には戻らないのか。くそ、そんな都合よくはいかないか。
取り戻せないとなると、レティシア様の反応が怖い。激昂して襲い掛からないだろうな。
「そうか、それならいい」
俺の心配を裏切り、レティシア様は男へ特攻する事はなかった。
「聖女様を守る、聖神の御力を守る、どちらも貴様を殺せばなせるのだ。
レティシア・イシュタルは誓おう。
貴様の力が人を殺す前に、貴様を殺す。聖女様には指一本触れさせない。聖神の御力を人の血で穢させない」




