妹と男と仲間
リシェル、どう答える?
ここは少しでも時間を稼いで欲しい。体力や力を回復させる為、そしてレティシア様を復活させる為に。
俺達が勝つには、レティシア様の回復魔法が必須だ。と言うか、それがあってようやく奇跡を祈れるかどうか、と言う位、状況は悪い。
腕力、攻撃力、防御力、知覚能力、力の量、どれをとっても、男は俺達を上回っている。その代わり、体つきや動きを見る限り、素の運動能力は低そうだ。
持久戦になれば、活路が見出せるかもしれない。それには相手の攻撃力が高すぎる。たった一合の打ち合いで、こっちは大ダメージを負ってしまうのは見ての通り。
こちらの守りを強化する方法がない以上、レティシア様の回復魔法に頼るしかない。
その肝心のレティシア様は膝を着いて呆然としている。目に力がない。完全に戦う意思が折れていた。
俺はレティシア様のもとへ、相手に気取られないようゆっくりと進む。
その途中で、リシェルの答えが耳に入った。
「お断りします。私の主は、私達の幸せを望んでいました」
おい、いきなりお断りですか。もっと、話を膨らませて下さいよ、リシェルさーん。
それなら仕方ありません、とか言って打ち切られたらどうするんだよ。
「ええ、ええ、ええ、妹は私達が大好きで、そして人間も気に入っていました。私達が死ぬ事も、人間程度が死ぬ事も、あの子は望まないでしょう」
「なら、ここまでにして頂けませんか。幸い、聖女を確保できれば、この一件不問にする、と人間側とは話が付いてます」
「あの子は本当に愛らしくて、可愛らしく、魅力的で、太陽の様な子でした」
何だ、会話がかみ合っていない? と言うか、リシェルの言葉を聴いていないのか。
これはヤバイ。
いつ男が勝手に結論を出して、勝手に話を打ち切っても可笑しくない。
背筋を流れる冷たい汗に押されて、自然と早足でレティシア様の隣へ滑り込んだ。
「当時、私が軟弱で上の兄達から冷遇されていた時、そっと差し入れを持ってきてくれました。その笑顔に何度助けられたでしょう。その優しさに何度癒されたでしょう。あなた達もそうでしょう? あの子の暖かさに救われたのではないですか?」
昔を懐かしむような言い方。
そこから滲み出る愛情は、男が自分の妹をどれだけ大事にしているのか、男に背を向けている俺にも伝わってくる。
「そうでしょう。そうでしょう。妹は天才でした。この子こそが魔王となるべきだ、と私は本気で思っています」
男はリシェルが何も言っていないのに、自分だけで納得していた。
胸の奥で早鐘が鳴る。
本当なら、目の前にいるレティシア様に何か声をかけなくちゃいけないんだが、男の独白が気になって言葉が纏まらない。
くそ、なんでこんなに嫌な予感だけが、膨らんでいくんだ。
「そして、あの子が望むなら人間との和平も我慢できます」
男は苦々しくもはっきりと、和平の一言を述べる。
過激派の頭、こいつが折れれば和平が一気に近づく。その鍵となる魔族の情報を手に入れたのに、喜びは欠片も浮かばなかった。
ただ、ただ、不安と嫌な予感だけが、胸を満たす。
ああ、本当にまずい。
一刻も早くレティシア様の意識を戻さないと。
「レティシア様、レティシア様」
何度か肩を揺すり呼びかけていると、レティシア様の目に光が戻って来た。
周囲の雑音を消し去る程の怒声が背後で発せられた。
「なら、こんな事は止めて下さい!」
振り返って見ると、リシェルが肩を震わせていた。
「あの子は、あの子はきっと……あの子はきっと、こんな事を望みません」
悲しみの混じった叫びが男を襲う。その叫びは男の心まで突き刺さったのか、男の顔色が変わった。
一面、鬼のように怒りに染まる。
「囀るな低脳がっ!」
男の絶叫が大気を振るわせる。葉が震え、肌がひりつく。
耳の中を痛めつける大声量を受けてレティシア様の意識が戻った。
「ハッ、ここは……っ! 裏切り者が、私に触れるな」
肩を掴んでいた俺の手を、レティシア様が払いのける。その上、汚いもにでも触られたように、丹念に手で肩を払らっていらっしゃる。
ひでぇ。俺は汚物か。
その間も男の絶叫は止まらない。
「あの子はこんな事を望まない? 貴女に何が分かるんですか? あの子の何を知っているんですか?
あの子が私に向けた笑顔を
あの子が私にくれたプレゼントを
あの子が貰ったプレゼントを
あの子が初めて夜会に出た時の顔を
あの子が初めて踊ったダンスを
あの子の癇癪を
あの子の最初の言葉
あの子の産声を
あの子が母の中にいた時の事を、知っているのか?
知らないだろう?
知らないくせに、
あの時
その時
この時
いつか
いつも
普段
妹が何を考えていたのか、何を思っていたのか、貴様はその全てを共有しているとでも言うのか!
驕るなっ!
何様のつもりだ。何様のつもりで死者の言葉を語る。貴様はそんなにも偉いのかっ?
あの子が何を望んでいるかなんて、そんなものが他人に分かるものかっ!」
嫌な予感は現実となった。
男の妹は死んでいる。
きっと男にとって、何よりも大切で、一生かけて護りたいと思った生きる意味だったんだろう。それを失ったんだ。
もう男は止まらない。
全てを壊しきるまで止まらないだろう。
「ならば、そう言うあなたは何を知っているというのですかっ! こんな事があの子の望みだと思う理由は何なのですか?」
リシェルが対抗するように声を張り上げる。
多分、それは無意味な問いだ。
「これが妹の望みかどうかなんて知りませんよ。ただ、私は許せないだけです。あの子が死んだこの世界が許せないだけです。
あの子は死ぬべき子ではなかった。あの子は太陽だ。太陽のない世界がどこにありますか。ねぇ、教えてくださいよ。どこにそんな世界があるんですか?
ないでしょう。そんな世界はないんですよッ! ならば、太陽が消えた世界なんて、そんなのは世界が間違ってる。世界が可笑しいんです。そんな世界、どうなったていいじゃないですか? 滅茶苦茶にしてやりますよ」
男は狂気に染まった笑みを浮かべる。
「だから、魔族と人間の全面戦争を引き起こしたんですか? この世界を無茶苦茶にする為に」
「それは、少し違います。世界を無茶苦茶に犯す為には、たまたま魔族と人間が全面戦争しなくてはいけなかっただけです。
別に、魔族も人間もどうでもいい。私には等しく無価値なんですよ。
ええ、ですから、この世界を犯しつくし
絶望させ
屈服させ
服従させ
私は世界を修正します。この間違っている世界を正しい姿にさせます」
男がふっと表情を緩める。
「そうしたら、あの子はまた、私に笑いかけてくれるはずですから」
まったくもって、理解できない。
この男は何を言っているんだ。
死者は笑わない。ただ、棺の中で腐るだけだ。
そんな事も分からない位、自分に酔っているのか?
まあ、いい。そのまま時間を稼いでくれよリシェル。
レティシア様の意識は戻ってきたが、まだ戦える位気持ちが回復したわけじゃない。立ち直らせるには、まだまだ、時間と言葉が必要だ。
「理解できない話です」
リシェルが首を横に振る。
「大地を人間と魔族の血で浸し、死体の山を幾千、幾万と作った元凶に、あの子が笑いかける。そんな事はありえない。あの子はいつも私達に、友達の楽しさを、分けることの喜びを、助けることの暖かさを教えてくれていた。そんなあの子が喜ぶなんて、絶対にありえません」
「……残念です。貴女の中の妹はそうなのですね」
男は両目を閉じて、諦観の念を滲ませる。男は目を閉じたまま、グリンに問いかけた。
「グリン……でしたね。貴方も同意見ですか」
「自分には分かりません。ただ、ただ、あの方の死の真相を知りたいだけです」
「そうですか。それも良いでしょう」
男がゆっくり瞼を開け、うっすらと微笑みを浮かべる。
「おしゃべりはここまでです。先ほどの力も馴染んできましたし、始めましょう」




