人間と魔族と左手
暗闇の中、昼間の平野を走る様に森を突っ切るリシェル。俺はその背中で、体を小さく丸めて必死にへばり付いている。
情けない? 冗談じゃない。こっちは一呼吸先だって暗闇で見えないんだ。目の前に枝が、と思ったら、次の瞬間には頬が切られている何て当たり前。
両手はリシェルの首筋に刃を当てていて動かせないし、両足もリシェルの腕でがっちりホールドされている。他に身を守る方法がないんだよ。
俺が迫り来る枝や葉っぱの恐怖と戦っている間、当のリシェルは背後でコーズに背負われているレティシア様と条件詰めに入っていた。
大切な話なのは分かるけど、前は向いてくれ。興奮するたびに後ろ振り向かれると、こっちの寿命が縮むんだ。
「それじゃ、お互いの協力は聖女様を助けて、援軍に引き渡すまで。その際に捕らえた魔族は、全て光神教が扱いを決める。この件を公表するかどうかは、聖女様の預かりとするが、公表しないように進言してもらえる。これで問題ない?」
リシェルが前を向いたまま最終的な条件をまとめる。
条件としてはちょっと不利だが仕方ない。当初の目的、魔族に聖女様を誘拐させない、が失敗したんだ。完璧にこちらの要求通りになるわけがない。
とは言え、十分勝算のある条件だ。聖女様の誘拐を表に出すかどうかは聖女様預かりだが、レティシア様と多分、コーズ、ヒルデルカも誤魔化す方向で依頼してくれるはずだ。
レティシア様の進言だけでは弱いかもしれないが、そこに勇者が二人、特にコーズが追加となれば、ほぼ問題ないだろう。聖女様が誘拐された後、隙をついて聞いたところによると、あの馬鹿が親しくなった子供の御付というのは、聖女様本人だそうだ。
いつもなら、ここで敵だ、死ね、とか思うんだが、今回ばかりはコーズの節操なしに感謝だな。
「それと、貴様かもしくはその背に背負っている男が怪しい動きをするか、援軍が来るまでに聖女様を奪還できなければ、この話はなしだ。貴様達の命もその場で貰い受ける」
レティシア様が条件を追加するが、無茶な話はないみたいだ。
怪しい動きなんてするわけないし、援軍まで魔族と戦ったら今回の巡礼は失敗だ。その後の事なんて、考えても仕様がない。寧ろ、後がなくなったお陰で、無駄に迷わなくてすむ。
「ええ、分かってるわよ」
「取引成立だ」
それっきり、誰も喋らなくなった。
背負われている俺でさえ、疲労と緊張で口を開くのも億劫なんだ。自力で走っているヒルデルカ、リシェル、コーズはもとより、重傷を負ったレティシア様。全員、疲れは俺の比じゃない。
草を掻き分け、枝を折る音、時折、遠くで獣の遠吠えが聞こえる。
眉を難しそうに曲げたリシェルが、顔を俺の顔に近づけてくる。柔らかな銀髪が顔にかかりくすぐった。
何だ、いきなり。
リシェルが小声で話しかけてきた。
「カール、ちょっと迷ってるけど、言っておくわ」
何の話だ?
ここまで来て話すことなんてないだろう。
リシェルは二、三度、唇をまごつかせてから、意を決したように唇を開く。
「あんた、魔族の力が使えてる」
「はいいいいいいッ!?」
何を言ってるんだこの女?
俺が魔族?
冗談にしては悪質すぎるぞ。
リシェルの言葉の真意を捜して、目を白黒させる俺。
「いきなり、奇声を上げてどいうしたんだい?」
怪訝そうな顔をしたヒルデルカが振り向いた。背後からも鋭い視線を感じる。
やべ、ミスった。誤魔化さないと。この場で斬は御免だ。
「いや、なんでもない。ちょっと手元が狂っただけだ」
俺はリシェルの首筋に当てている剣を顎で指す。
「そうかい。それならいいけど、あんまり変な声上げないでくれよ。敵に気付かれるからね」
「ああ、気をつける」
「頼んだよ」
ヒルデルカが前を向きなおす。背中から感じる視線も、若干和らいだ。
とり合えず、誤魔化せたか。
俺は少し前のめりに体を丸めて、顔をリシェルの後頭部に近づける。
「それで、なんだ。さっきの妄言は?」
「妄言? 事実よ。理由は分からないけど、カール、あんたは魔族の力が使える。身に覚えがない? 見えない所が視えたり、いきなり体が軽くなったり。まるで勇者みたいな力が発動した事はない、勇者じゃないカール?」
ある。
例えば、リシェルと訓練していた時、何故か死角にいるはずのリシェルの動きが見えた。
それに昼、魔族が起した一回目の土砂崩れの後、聖女様の元へ駆けつけた時、先行するリシェル達に追いついた。あれも悪路の所為でリシェル達の足が遅くなったんじゃなくて、俺の足が速くなったからか。
さっき、魔族と戦っていた時、俺は木々の奥で発動する魔法や飛び掛る魔族が視えた。どちらも暗闇の中で行われた事なのに、はっきりと視えた。今は先行するヒルデルカの背中を見るだけでも精一杯なのに。
最後、魔族に飛び掛った時もそうだ。俺の脚は、地面を滑っていた。あれじゃその場で転ぶのが精一杯のはずだ。それなのに結果は、飛び掛る魔族をカウンターで吹き飛ばしていた。
「その顔だと、心当たりがある見たいね。勇者じゃないのに勇者みたいな力が発動した。それなら答えは一つでしょ?」
勇者とよく似た力を持っている。そしてそんな力この世で一つ、魔族の力しかない。だから、俺は魔族の力を使える。
嘘だろ?
俺の父親も母親も人間だ。俺が魔族の分けがない。
だが、言われてみれば心当りが多すぎる。
否定したくても、否定しきれない。
だけどありえるのかそんな事が、人間でありながら魔族になるなんて……
「俺は魔族なのか?」
「いいえ、人間よ。どういう理屈か分からないけど、魔族の力が使える人間。それは間違いないわ」
リシェルの迷いない言い方に、ほっとする。だがそれと同時に、不安も湧き出てくる。
リシェルの言葉は本心なのか? いや、本心だとしても、それは本当に正しいのか? ただの願望を言ってるだけじゃないのか?
「なんで分かるんだよ? 気休めならよしてくれ」
膨れ上がる不安をリシェルに叩きつける。
「分かるわ。カールの魔族の力は左手が基点となって発動しているわ。魔族ならそんな部分じゃなくて、全身から力が溢れるものなの」
そういえば、ときどき左手に違和感があった。あれが魔族の力を使った所為なのか?
「ねぇ、その左手、本当に自前? 魔族の死体からとって移植したとか言われた方が納得出来るんだけど?」
「そんな事出来るわけないだろう。一度取れた腕をつないだって、腐るだけだ。それこそ、伝説レベルの僧侶でもなきゃ、そんな事は無理だ」
俺は力なく首を振る。リシェルの話は可能性としては夢があるが、実際には不可能だ。それが根拠であるなら、何て弱い根拠なんだ。
何なんだ俺は?
人間なのか? 魔族なのか?
「魔族でも四肢の移植は成功例が少ないし、そっちの線はなしか」
「つまり、俺が人間だって言う根拠は崩れたのか」
「ああ、それはないわ。もう一つ理由があるから。そっちの方が大きな理由ね」
それなら先にそっちを話せ。
こっちは今、自分の根幹を揺さぶられてるんだぞ。先に安心させてくれよ。
「魔族はね。力を四六時中使ってるの。生きる為に力を使い続けてるわ。だから同族はすぐに分かる。けど、カールからそんな力の感じ取れない。だから、カールは魔族じゃない、人間よ」
「それの例外は? と言うか、それならリシェルも普段から力を使っているのか? そんな風には見えないんだが」
紋章持ちになると、ある程度、力に敏感になる。そのお陰で、道中の狩りは簡単に獲物や危険すぎる相手を見分ける事ができた。少なくとも、本当に四六時中、力を使っていれば、気付いている。幾ら、不良品の紋章とは言え、それ位は自信がある。
「そりゃ、わたしも含めて外に出る魔族はある程度、少なくとも人間の紋章持ちに察知されない位まで力を抑える訓練をしているからよ。それでも、同じ魔族同士なら分かるの。匂い、て言うかしらね。そんな微かな残り香が鼻につくわけよ」
嫌いな匂いや香水の残り香みたいなものか。
リシェル個人の感覚に頼っていて薄い根拠だが、ないよりマシだ。
俺は、人間だ。
とりあえず、そうしておけ。少なくともこの一件が終わるまでは、そう信じろ。今は余計な事を考えてられる余裕なんてないんだ。
「分かった。リシェルの言う事を信じる。俺は、人間だ」
思ったより落ち着いた声で言えた。
「それで、こんな土壇場で話したのは、どういうつもりだ?」
「少しでも勝率と生存率を上げる為よ。カールの左手の力、それがどれぐらいの強さなのか、わたしには分からない。だけどそこに戦力になる武器があるんだから、教えずにいるわけにもいかないでしょ」
「やっぱり、この後の戦いはそんなに厳しいか……」
「当然、相手は腕利きの魔族一軍、それに人質としての聖女。対してこちらは連戦でつかれきっている上に、元重傷が一人、軽傷が一人、その上時間制限ありで、レティシアの生存が絶対必要なのよ。厳しいなんてもんじゃないわ。奇跡が欲しい位よ」
自分で提案して無茶苦茶すぎるとは思っていたが、人から言われると無理にしか聞こえないな。
少人数で魔族の一軍と戦って、聖女様を助け出して、魔族を殲滅もしくは撤退させなくちゃいけない。しかも、物資は残させたまま。
他に方法がないとは言え、提案した俺が馬鹿でした、と言うレベルの話だ。
今思えば、よく皆賛同してくれたよなぁ。それだけ、状況が切羽詰ってる、て事か。
「だから、その左手の力を躊躇わずに使いなさい。今は猫の手でも借りたいのよ」
「分かった」
突如、先頭のヒルデルカが立ち止まり、手のひらをこちらに向けて突き出してた。
「どうやら、追いついたみたいだよ。もっとも遅かったみたいだけどね」
リシェルの背から降りた俺は、ヒルデルカの横の草陰から顔だけ出すと、目の前に薄汚れたテントがあった。骨組みがしっかりしてるんだろう、塔の先端だけ切ってきたように、上は円錐形で中から下は円筒系の形をしてる。
その周りに、魔族の見張りが数人いた。全員、あの超肉厚の重鎧を着ていて、腰には二本の剣と一本の短剣をさしている。
見張りの間を突っ切り、薄汚れた様子のグリンがテントに入っていく。その背には、意識がないのかぐったりとした様子の聖女様がいらっしゃた。




