あたたかいただいまと、大きな耳
「ただいま」
昨日までは何も感じなかったその言葉が、いつもより虚しく部屋に響いた気がした。
……まだ、帰ってきてないのね…。彼の仕事を考えれば、会社員と同じ時間に帰ってくるはずないもの。……正直、どんな感じなのかなんて全然想像できないけれど…。そんなことを考えながらキッチンへ向かい夕飯の準備をしていると
「ただいまー」
冴島くんが帰ってきた。
「おかえりなさい」
この言葉も久しぶりに言ったわ。胸の中にじんわりとあたたかい何かが広がった気がして、少しだけ不思議な心地になった。
「……ただいま。…あ、ご飯作ってくれてるの?」
「えぇ。今日はからあげよ」
「わーい。おれ、からあげ大好き!!」
そう言いながら子供みたいに近づいてきた彼を見て、モデルとしての彼を忘れそうになってしまう。
……そうだったわ。普段の彼はこんな感じなのよね。私がちゃんとしないと。
「それはよかったわ。そうだ、冴島くん。連絡先、交換しましょう」
「…!おれも言おうとしてた。今日、マネージャーに怒られたからさ。ちゃんと聞いておきなさいって」
「そうなの?なら交換しましょう。しばらく一緒に暮らすんだから知っておいた方がいいもの」
「うん。………おねーさんさ、イヤだったらちゃんと言ってね」
先ほどまでの明るさが急に消え、突然彼がしおらしくなった。
「え…?」
ただ呆然として気の抜けた声が出てしまう。
「…おれがお願いしたことだけど、おねーさんがやだって思ったら、おれを追い出していいし……」
彼なりに色々気にしているのね。…ふふ、なんだか可愛いわ。頭に耳でも生えてるみたいで。
「あなたを泊めるって言ったのは私よ。しばらくいていいって言ったのもね」
「おねーさん…」
私の言葉を聞いて安心したのか、少しだけしゅんとしていた彼に笑顔が戻ってくる。
「ありがとう…!」
「もちろんあなたができることは手伝ってもらうわよ。いいわね?」
「うん!あ、料理手伝う」
そう言いながらキッチンへ彼が入ってきた。
「その前にあなたの荷物どこかに置かないと。ずいぶん大荷物だけど…」
彼が帰ってきた時からずっと視界に入っていた大きなキャリーケースに大きなリュック。
「あ、これはおねーさんの家に泊まるから必要なものマネージャーがおれの部屋から持ってきてくれて」
「そうなのね」
しばらくここにいるにしても多い気がするけれど…まぁいいわ。
「…まずはあなたの荷物を置く場所ね。それから──────」
私が続けようとした言葉は一つの音によって止められる。彼のお腹の音が部屋に響いた。
「…先にご飯にしましょう。荷物は壁際に置いておいて」
なんだか調子が狂うわ。……駄目よ、私がしっかりして彼の面倒を見るんだから。
「はーい。おねーさん…ありがとう」
「いいのよ。……でも先に連絡先の交換しましょう」
「あ、そうだった」
一気にバタついてしまって危うく忘れそうだった一番大事なことを済ませた私たちは、夕食の準備を進めるためキッチンに並んだ。
隣に誰かがいるなんて大人になってから始めてね。小さい頃はよく手伝っていたけれど、それとは全然違うわ。キッチンが狭いって思ったのなんて初めて。
「えーと、これ切るの?……からあげに野菜ってあったっけ」
彼が野菜を怪訝そうな顔で見ながら、私に問いかけてきた。
「それはサラダ用の野菜。唐揚げだけ食べてたら栄養が偏るわ」
「おー。…おれ、そんなの考えたことなかったなー。おねーさんすごいね」
野菜から私に視線を移した彼が、あどけない表情で笑う。つい可愛いなんて思ってしまい、彼から少しだけ視線を逸らした。
「……このくらい普通よ」
モデルの彼を見たからかしら。昨日よりも、幼く見えるわ。
そんな考えを誤魔化すように私も彼に問いかける。
「……あなたは、普段自分で作らないの?」
「うん。一人暮らしはじめた時にちょっとだけ料理に挑戦したけど上手くできなくて。そうしてるうちに忙しくなって、今は毎日なんか頼んでる」
そう話す彼の横顔はどこか寂しそうに見えた。私も一人暮らしを始めた時は寂しかったのを思い出して、彼も……私と似ているところがあるのね。華やかな世界で活動していたって人間だもの。
「そうなのね。ここにいる間は料理もしてもらうわよ?」
「…おねーさん……。うん!おれ、頑張る」
そう言って無邪気に笑った彼が
「あ!みてみておねーさん!野菜切れた!」
少し大きくカットされた野菜を私に見せた。
「…しっかりできてるわ。ありがとう」
「え!ほんと!?」
「えぇ。あとは…もう少し小さい方が食べやすいと思うわ」
「はーい。おれにまかせてよ、おねーさん」
そう言いながら野菜を切っていく彼を見て、微笑ましいと思っている自分がいた。昨日の夜、彼と出会った時はこうなるなんて思ってもいなかったけれど……弟ができたと思えばいいわよね。




