あたたかさは今夜だけ
家に着いてすぐに部屋の中へ上がろうとしていた彼を見て、私は彼の服の裾を掴み、呼び止めた。
「ちょっと、待って…!」
「……?おねーさん、どーしたの?」
「そのまま上がろうとしないの。……ここで大人しく待ってて」
「……わかった」
状況が理解できていないのかぽかんとしている彼を置いて洗面所へと向かい、タオルを持って玄関へと戻り、大人しく待っている彼の前にタオルを出した。
「ほら、これで髪の毛拭きなさい」
「えーちょっとしか濡れてないから大丈夫───」
「駄目よ。少しでも濡れているんだから、風邪でも引いたら大変でしょう。……ほら、少し屈んで。私が拭くわ」
「…はーい」
少しだけ唇を尖らせてむくれたような顔を見せた彼だったけれど、観念したように屈んだ。
私よりも背の大きい彼が屈むと、気の抜けてしまうような雰囲気も相まって子供みたいと思ってしまう。
そういえば、無邪気な笑顔も子供みたいだったわね。
ふと、泊まることを許可した時の彼の笑顔を思い出した。最初は、少し危ない気がしたけれどそうでもないみたい。きっと、泊まる場所がなくて困ってたから、私に縋ってただけよね。
「あとは自分でやる。それより、おねーさんは?ちょっと濡れてるよ」
「私は平気よ。そこまでじゃないもの」
「えー。……おれはダメでおねーさんはいいの?」
むくれたように頬をふくらませる彼。本当に小さな子みたいね。……でも、彼の言うとおりだわ。
「……わかったわ。私もちゃんと拭くから、あなたはリビングに行っていて」
そう言い残して、一人でタオルを取りに行った。自分で拭こうとしたその時、いつの間にやらついてきていたらしい彼にタオルを取られてしまった。
「おれがやる。……おねーさんがやってくれたから」
少しだけ、いたずらっぽく笑った彼を止める間もなく、タオルが頭にふわりとかかる。
……なんだか、変な感じ…。さっきまでは…彼が子供みたいだったのに。今は、私の方が子供みたい。駄目よ。私がしっかりしないと。そう自分に言い聞かせていると、ぐぅ〜とお腹の鳴る音が聞こえてきた。
「あ……」
「…お腹すいてるの?」
「うん……おなかすいた………」
そう言いながら彼はお腹をさすりしょんぼりとしてしまった。
「もう拭くのは十分よ。ありがとう。……ご飯、すぐ用意するわね」
「…いいの?」
少し目を見開いた彼は
「えぇ。一晩は泊めるって言ったでしょう?」
その言葉を聞いて安心したのか
「……ありがとう。おねーさん」
ほっとしたように笑った。その柔らかい表情に私までほっとした。…少しは、ここにいて落ち着いたってことよね。やっぱり最初の彼は泊まる場所がなくて不安だっただけね。そう思いながら、彼と一緒にリビングへと向かう。私はキッチンで夕飯を作り始め、その間彼は大人しくソファに座って待っていた。
やっぱり、子供みたいだわ。私に弟がいたらこんな感じなのかしら。そんな風に微笑ましい気持ちになりながら調理を進めていき、完成した料理を持って彼のところへ行った。
「できたわよ」
「わーい。ありがとおねーさん」
見上げながらまた、無邪気に笑う彼。どこまでも幼い子供みたいで少し可愛いと思いはじめてしまう。
……弟がいたらなんて思ったからだわ。そんなのだってきっと、今日が疲れてる日だからだもの。
「いただきまーす」
「…口に合うといいんだけど……」
「おねーさん、これおいしーよ」
「…そう。よかったわ」
相当お腹が空いていたみたいで五分も経たないうちに平らげてしまった。
「そんなにお腹空いていたの?」
「うん?それだけじゃないよ。おねーさんの作ったご飯おいしーから。毎日食べたいくらい」
あどけない少年のように彼が笑う。その笑顔に向けて言うのは苦しいけれど、私がしっかりしなくちゃと何度目かの線を引いた。
「……一晩だけって、言ったでしょ」
「………うん。わかってるよ」
しょんぼりとした彼の姿に胸がチクリと痛むけれど、そういう約束で連れてきたのだから仕方ないとその痛みを隠すように黙々とご飯を食べた。隣には彼がいて、ほんの少しだけ嬉しそうに笑っているように見えた。
さっきまで落ち込んでいたのにどうしたのかと疑問が浮かんできたけれど
「おねーさん、ご飯のおかわり…ある?」
その言葉に浮かんだ疑問は上書きされて消えていく。足りなかったのかしら?なんて疑問に。
「少しだけなら残っていると思うけど……」
「ほんと?じゃあ食べる」
そう言って彼はキッチンへと向かった。
自分でご飯をよそってきた彼は、やっぱりどこか嬉しそうで、今度はゆっくり食べ始めた。
……こうして、誰かと一緒にご飯を食べるのなんて何年ぶりかしら。一人暮らしを始めてから一度も無かったはずよね……。ぼんやりと思い出した今までの時間が少し冷たく感じられる。違うわ、今が……温かいのよ。────たまには、こういうのも悪くないわね。




