7話 最後のプレゼント
「あ、あぁ……——!」
青年の前で、セレストから大量の鮮血が吹き出した。
その勢いは止まることなく、熊の体を赤く染め上げていた。
セレストはそのままバタッと倒れ込み、血溜まりを作りながらピクリとも動かなくなった。
それを見た熊は、ゆっくりとセレストの方を向いた。
次はお前だと言わんばかりに。
「——うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
青年は言葉にならない叫び声を撒き散らした。
寡黙な彼らしくない激情に駆られた顔をし、彼は怒りのままに刀を構えて前へと走り出した。
熊はしめたと思い、獲物を狩る体勢をとった。
しかし、青年の動きはとても凄まじかった。
彼は目にも留まらぬ速さで相手の手を切り落とし、その後すぐに背中を斬った。
熊は慌てて反撃しようとするも、青年を目で追うことができずただ切り刻まれ続けた。
周囲の木に血が飛び散り、相手が倒れようとも彼は止まらない。
抑えきれない咆哮を上げながら、気が済むまで刀を振り回し続けた。
何度も、何度も。
気づけば熊は無数の深い傷を負いながら地面に突っ伏し、ピクリとも動かなくなっていた。
青年自身も大量の返り血を浴び、金色に輝いているはずの刀身も真っ赤に染まっていた。
「はぁ……はぁ……」
青年は我に返ると、肩を激しく上下させながらすぐに刀を投げ出した。
そしてセレストの方へと駆け出し、思考回路が滅茶苦茶になりながらも彼の容態を確認した。
セレストは何とか生きていた。
だが、致命傷を負っていた。
左頬から喉元にかけて5本の深くて太い線が刻まれ、そこから血がどくどくと流れている。
まだ意識を保っていることが不思議なくらいに。
それに呼吸が上手くできないのか、必死に空気を肺に送ろうとしている。
どう考えても、もう助からなそうだった。
「ダメだ、ダメだダメだ……!」
青年は羽織っているボロボロの軍服を脱いで、セレストの傷口に強く押し当てた。
彼の血は瞬く間に服に吸われ、すぐに黒ずんでいった。
自分の手に血がつくほど布が湿っても、青年は止血をやめなかった。
セレストはその間、必死に重くなった瞼をこじ開けていた。
もう体の感覚はなく、寒気すらない。
自分でも、もう助からないと分かっていた。
「ご、めん……な……さ…………」
「喋るな! 僕が何とかするから、体力を温存してくれ!!」
歪んで靄がかかる視界の奥で、青年は見たことのない険しい顔をしていた。
やはりあの時首を絞められたが、彼は本当にセレストを殺したくなかったのだ。
でなければこんなに無駄な治療をしようとするだろうか?
一体彼が何を抱え込んで、そんな矛盾のある行動をしてしまったのかわからない。
でも、それよりも大事なことがあるのではとセレストは思っていた。
死ぬのは怖い。
だがそれより、青年がこのまま一人で彷徨い続けるほうがいやだ。
今死にかけの彼にできることは、1つしかなかった。
「覚えて……ます、か……?
名前を、つけるって……約束を…………」
「そんなことはどうでもいい!
頼むからもう喋るな!」
「…………セレスト……ヴァスール、って…………どう、ですか……?」
「——っ!?」
青年の腕の力が、少し抜けたのを感じた。
間違いない。
セレストが口にしたのは、セレスト自身の名前だ。
それを渡すということは、自分の人生を相手に全て譲渡するということだ。
確かに青年はセレストに成りすまそうとした。
そのために手を汚す覚悟をし、少年の細い首に手をかけた。
だからと言って、こうなることは望んでいなかった。
自分は許されないことをしたのに、相手は死にかけていても笑顔が消えない。
むしろ、これから残される青年のことを心配している。
こんなにいい子を、どうして死なせないといけない?
何も知らない普通の子供を、本当に巻き込まないといけなかったのか?
どうして一人でずっと抱え込むことができなかったのだろう?
青年の頭には、様々な疑問が浮かんで残り続けた。
自分のやってきたことがどんどん背中に重くのしかかり、つぶれそうになっていた。
そんな彼の頬を、セレストは優しく撫でた。
「酷い顔、ですね……今までで……一番…………
でも……あなたには……幸せに、なって……ほしいんです……
俺の、名前で……あなたを……助けられるなら……俺は…………」
「…………っ」
少年はそれ以上言わなかった。
しかし、何を伝えたいのかは分かった。
青年は彼の要望を受け入れたくなかった。
だが受け入れないと、自分が前に進めない。
やるべきことを果たさないと、ここまで来た意味がない。
だから青年は、本心とは裏腹に唇を強く噛みながら頷くことしかできなかった。
するとセレストだった少年は、温かい笑みを浮かべた。
「えへへ……よかっ、た…………
最後に、あなたの……笑顔を…………」
青年は下を向き、今の気持ちを必死に胸の奥にしまい込んだ。
そしてゆっくりと顔をあげて、少年に精一杯の笑顔を見せてあげた。
しかし、遅かった。
少年の目は虚ろで、もう何も映っていなかった。
さっきまでの優しい顔は消え、無垢の人形のような表情をしている。
どんなに揺さぶっても、身動きを一切しない。
すでに、事切れていた。
「ごめん……本当に、ごめん…………」
青年は太陽が地平線に触れるその時まで、ずっと亡骸に謝り続けた。
そして日が間もなく沈み始める頃、生気のない目で前を見つめた。




