5話 青年の願い
「………………」
最初セレストに会った時、青年は思わず目を疑った。
仲間全員の重荷と苦痛を背負うと決めてやっとの思いで辿り着いた先で、次にやるべきことがすぐに見えたから。
だがその方法はできるだけ取りたくない。
どうしても……青年はやりたくなかった。
青年が見てきたものは、戦争がもたらす地獄とこの世界の終焉。
それが言葉通りのものなのか比喩なのかは重要ではない。
彼にとって一番大事なのは、ここに来たからにはやらなければならないことがあることだ。
体験したことをすべて否定し、大切な人の人生を取り戻すために。
そのためにはどうしても、軍学校に潜り込むしかない。
これからそこで起きる事件が、すべての始まりにつながるのだから。
だから青年は、偽りの身分を欲していた。
軍学校に入るためには、自分が国民であることを証明できるものがないといけない。
しかし青年には身分証はおろか、戸籍すらないのだ。
念の為町に行って入学要項を確認したが、やはりその点はなんとかしなければならない。
ただ単に偽名を使って解決するような問題ではないのだ。
でも、今目の前には自分と瓜ふたつな少年がいる。
しかも、軍学校の入学を希望しているときた。
こんな偶然はあるのだろうか?
今、青年が目的を果たすために取れる行動は1つ。
——セレストに成り代わることだ。
彼と入れ替わり軍学校に入れば、自然を装って潜入することができる。
幸いにもセレストは、べらべらと自分の話をしてくれた。
演技さえできれば、恐らく彼になりすますことくらい容易いだろう。
こんなチャンスを、逃すわけにはいかない。
だがそのためには、本人が生きていてはまずい。
こんな願いに対して、おいそれと頷いてくれるはずもないから。
だから青年は……セレストを、殺すしかなかった。
ご飯に入れた薬味用の山菜には、催眠効果がある。
いつもの調子でよく食べてくれたから、恐らくしばらくは目を覚まさないだろう。
今しかない。
今ここで殺さないと、全てが無駄になる。
もう引き返せない。
いくら悩んでも、これ以外に方法はなかった。
だから、彼の命の重荷を背負うしかない。
青年は自分にそう言い聞かせて、寝ているセレストの上に馬乗りになった。
そして少年の細い首にそっと両手を伸ばして、触れる。
無力な少年を殺すことくらい、戦場を駆けてきた青年にとって朝飯前だ。
眠らせてから殺すという面倒な手段をとったのは、セレストが何も知らないまま苦しまず綺麗に死ねるからだ。
これが青年にできる、セレストへの精一杯の感謝だった。
「…………ごめん」
青年は両手に力を入れ、強くセレストの首を握り締めた。
セレストは最初、まるで悪夢を見ているようにうなされていた。
だが呼吸ができないせいでどんどん顔が険しくなり、やがて苦しそうに口を開けた。
「ゔ……ぁ…………」
それでも目を覚まそうとしない。
山菜の効果が、かなり強く出ているようだった。
このまま起きないでくれ。
そう願いながら、青年はさらに手に力を込めた。
——胸が苦しい。
こんなの、間違っている。
そんな気持ちが、握力と反比例して募ってきた。
だがもう止まれない。
彼をここで殺さないと、全部無駄になる。
なのに青年は、この心の痛みを和らげる方法を知らなかった。
まだ目覚めない少年と一緒にそうやって苦しんでいる最中、青年は彼に言われたことを思い出した。
——辛い時こそ、笑う。
青年は無理やり口角を釣り上げ、本心と真反対の感情を顔面に貼り付けた。
その顔は傍から見たら、これまでで一番恐ろしい出来なのだろう。
そう考えながらも、青年はセレストの首から手を離さなかった。
「あ゙……——!! ゔっ、が————」
セレストが起きてしまった。
あまりにも苦しくて、夢から現実に帰ってきてしまったらしい。
最初彼はすごく戸惑っていたが、すぐに本能で暴れ出した。
しかし彼の力は、青年と比べると微々たるものだった。
セレストは振りほどけず、必死に吸えない空気を吸おうとしていた。
「な、ん——で————」
当然の疑問だ。
ここまで仲良くなったのに、こんな仕打ちはないだろう。
だから彼には何も知らないまま死んでほしかった。
青年はさらに口を歪ませて、セレストが息絶える時を待ち続けた。
その時だった。
突然、遠くから茂みを掻き分ける音が聞こえたのだ。
恐らく、動物が近くを通りがかったのだろう。
しかし青年は思わず音の方向に気を取られ、ほんの一瞬だけ手の力を緩めた。
セレストはその隙をついて、青年を後方へと突き飛ばした。
「ゲホッ、ゲホッ——!!」
突然息が吸えるようになり、反射的に彼は咳き込んだ。
だがそれよりも、青年が怖くて仕方ない。
早くここから逃げないと、と本能が警告してきた。
呼吸が整わないまま、セレストは走り始めた。
何度も転びそうになりながら、みっともなく。
持ってきた荷物に目もくれず、とにかく家の方向へ地面を蹴り続けた。
青年はそんな少年を、追いかけることなく呆然と眺めていた。
姿が見えなくなっても、ずっと。




