2話 ドッペルゲンガー
山の中は、いつものようにのどかだった。
きれいな緑の世界に美しい虫と鳥の声、そして心地よい葉が擦れる音。
セレストはこの美しい場所が大好きだった。
暇な時間が長い時はこの森に入って読書にふけるほどだ。
(今日は天気もいいし、散策日和だなぁ。
さっさと頼まれたことを終わらせてブラブラしてみよっと)
セレストは散歩気分のまま、意気揚々と竹の群生地へと向かった。
セレストがやるべきことは、簡単そうで難しいことだ。
まずは和傘の材料になり得る竹の目星をつけなくてはならない。
条件は、ちょうどよい硬さと太さを持っていること。
柔らか過ぎたり細すぎれば、加工時に壊れてしまうし脆い傘になってしまう。
逆に固くて太すぎても、加工ができなければ意味がない。
だから適度にしなりやすくて丈夫なものを目で見極めないといけないのだ。
本来は現職の父親がやるべきことだ。
しかしセレストの勘はとても良く、経験年数は浅いが質の良い竹を選定するのが得意だった。
だから父親は息子にこの重大なところを任せていたし、セレストも自信を持って選定していた。
セレストは竹の群生地につくと、いつものようにゆっくりと時間をかけながら質の良いものを探した。
彼がこれだというものを見つけると、専用のノコギリで切り倒す。
そして持ち運べる長さに切って、何本かに束ねる。
その作業をセレストはずっと繰り返していた。
そんな時、突然背後に気配を感じた。
最初野生動物かと思ったが、聞こえてくる足音が何が少し違う。
しかもその気配の主はこちらに気づいて近づいている様子。
獲物を見つけたにしては歩くスピードが遅すぎるし、気配も隠していない。
多分、人だ。
セレストが恐る恐る振り返ると、そこには信じられない姿の人間がいた。
セレストと同じ灰色の瞳と、長いポニーテール。
身長も骨格もそっくりだ。
唯一違うのは、彼が着ているボロボロの軍服と背中にある古い刀。
そんな瓜ふたつな相手は、すごくくたびれた顔で上からセレストを見つめていた。
「あ――」
声が出なかった。
まさか、あの男の子の言っていたことが本当だっただなんて。
ドッペルゲンガーが存在するなんて、想像だにしていなかった。
もしあの子が言っていたことが本当なら、自分は殺されてしまうのだろうか?
そう思うと、セレストは怖くて小刻みに震えて固まることしかできなかった。
相手はそんな彼に対して一切表情を崩さず、消えそうな声で問いかけた。
「…………名前は?」
「せ、セレスト……」
「今は……何年だ……?」
「へっ? 王歴1017年ですけど……」
「……ここは?」
「コマンスマン州のはずれ、ですが……」
「……チュテレールの?」
「は、はい……」
「そうか…………」
セレストにそっくりな青年は、どこか遠くを見たかと思うとその場に座り込んだ。
どうやら危害を加える気はないらしい。
それがわかると、セレストは思わず大きな吐息を漏らしてしまった。
「あの……もしかして脱走兵ですか?」
「……それに……近いと思う」
「どこから来たんですか?」
「……遥か、遠く。
気が遠くなるほど……ずっと先だ…………」
「そう、ですか」
少し言い方が気になる部分はある。
でも嘘をついている気はしなかった。
他人を騙せるほどの気力を、彼からは全く感じなかったからだ。
それに悪意も一切感じない。
だからセレストは警戒しながらも、少しだけ近寄って彼をじっと観察した。
彼は多分20手前くらいだろう。
本当に脱走兵だというなら、セレストと同年代ではない。
目は若干虚ろで、何日徹夜したのかと聞きたくなるくらいくまが酷い。
見た目は全く一緒なのに、彼の雰囲気はセレストと全く違った。
彼に一体何があったのか聞きたくなるくらいに。
「あの、戦地で何を見たんですか?」
「……地獄……この世の、終わり…………」
「それが恐ろしくてここまで?」
「……違う。
僕は……皆を、助けるために…………」
「……? よく分かりませんが、それだけ悲惨な光景だったんですね。
そういえば、あなたの名前は?」
「…………覚えてない」
「えっ?」
こんなことあるのだろうか?
戦場で見てきたものははっきり覚えているのに、自分個人のことを忘れてしまうなんて。
それだけ戦争とは過酷なものだというのか?
セレストは怖くなったが、それよりも好奇心の方が勝ってしまい質問を続けた。
「どこか帰る場所とかないんですか?」
「……思い出せない」
「大切な人は?」
「いる……でも、会えない……今は…………」
「えーっと? 家に帰りたくないんですか?」
「分からない…………」
「うーん?」
全く彼の言っていることが理解できず、セレストは腕を組んで首を傾げた。
青年は淡々と答えてくれているが、彼なりに複雑な事情があるのかもしれない。
噂のドッペルゲンガーみたいに自分の鏡写しのような存在ではないのは確かだ。
彼はたまたま見た目がそっくりな、一人の人間だ。
謎が多すぎるものの、何だか逆にホッとしてしまった。
少なくとも、怯える必要がないのはわかったから。
「俺には難しくて分かりませんが、長い旅の末ここに行き着いたことは何となく分かりました。
これからどうするんですか?」
「……」
青年はゆっくりと上を向いて、竹の葉から漏れる木溢れ日を眺めた。
虚無な表情は一切崩れない。
なのにどこか、その瞳の奥に消えそうな小さな炎が灯っているような気がした。
気のせいかもしれないが。
「しばらく……ここにいようと、思う…………
僕には……行く宛が、ないから……
ここで、やるべきことを……やる…………」
そう囁いた声は、風でかき消されてしまいそうなほど儚かった。
やはり彼の言っていることは理解できない。
でも、なぜだろう?
どうしてか、放っておけなかった。
気持ちを言葉で表現できなかったが、彼に手を差し伸べないと絶対に後悔する。
そう、セレストは思ってしまった。
「あの! 俺にできることはありますか?」
「…………?」
青年はセレストの方を向いた。
相変わらず、蝋人形のような顔をしている。
「俺にできることは限られていますが、何か欲しいものとかあれば言ってください。
俺、この山によく出入りしてるんで」
「……」
青年は考え込んでいるらしく、微動だにしなかった。
その姿が少し不気味でセレストは一瞬ぎょっとした。
だがなんとか相手にバレないよう、その気持ちを必死に隠した。
「……僕が、ここにいることを……内密にしてくれ……」
「それだけでいいんですか?」
彼は何も言わずに頷いた。
気が付くと、日が少し傾き始めていた。
セレストは大慌てで中断していた作業を再開し、竹を背中に背負った。
そして日が暮れる前に家へ帰るために、そそくさとその場を後にした。
そんなセレストを見送る、自分と瓜ふたつな青年を残して。




