情に訴えても無駄ですが、何か?
……が、当然ながら、そんな簡単に出て行けるはずもなかった。
「取り押さえろ!」
父の怒号が、召喚の間に響き渡る。
その瞬間、壁際に控えていたアズラエル家の騎士たちが動いた。
俺は足を止めた。
別に、怖くなったわけではない。
ただ、呆れたのだ。
さっきまで俺を家の恥のように扱っていたくせに、神獣を召喚した途端、今度は力ずくで囲い込むつもりか。
実に貴族らしいーー実に人間らしい。
前世の会社にも、似たような連中はいた。
普段は見向きもしないくせに、利用できると判断した瞬間だけ、笑顔で近寄ってくる連中だ。
ーーああ、気分が悪い。
「何をしている。早くその神獣を――」
父が言いかけた瞬間だった。
ハクが、低く唸った。
<ぐるるるる……>
だが、その一声で、召喚の間の魔石灯が一斉に弾けるように明滅した。
騎士たちの剣先が、かたかたと震え始めた。
「なっ……」
ハクは俺の腕から飛び降り、次の瞬間、巨大な狼へと変貌した。
その大きさは通常の狼の5倍ほどだろうかーー。
まるで雪を纏ったような銀白の毛に、月をそのまま模ったような金色の瞳。額には、聖月紋が淡く光っていた。
その神々しさは、言葉では言い表せないものだった。
(……うわぁ、でっかいなぁ)
俺はハクを呆然と見つめた。
騎士たちは、剣を構えたまま動けなくなった。
兄の紅蓮鳥は、鳥のくせに完全に床へ伏せている。
さっきまで俺を笑っていた貴族の子どもたちは、顔を青ざめさせ、親の後ろへ隠れていた。
ハクは自信たっぷりに、ふん、と鼻を鳴らす。
……おまえ、本当にハクか?
前世では雷が鳴るとテーブルの下に隠れていたくせにーー。
「白銀神狼を拘束しようなどと……」
神官が震える声で言った。
老人はまだ膝をついたままだった。
額には汗が滲んでいる。
「アズラエル公爵。お控えください。神獣は家門の所有物ではありません。ましてや、その主と認めた者から引き離すなど……神殿としても看過できませぬ」
「神官長」
父の声に苛立ちが混じる。
「これは我が家の問題だ」
「いいえ」
神官長は、はっきりと言った。
「神獣が関わった時点で、もはや一公爵家の問題ではありません」
召喚の間が静まり返る。
父の顔が歪んだ。
前世の俺なら、その顔を見て、相手が次に何を言うか読めただろう。
いや、今でも大体は読める。
父は俺を逃がしたくない。
だが、神殿と神獣を敵に回すのは避けたい。
ーーだから、次はきっと情に訴えてくるはずだ。
「レオン」
案の定、父は先ほどとは打って変わって、表情を和らげ声を落とした。
「おまえが我が家でつらい思いをしてきたのは認めよう。だが、それもおまえを思ってのことだった。厳しさは、期待の裏返しだったのだ。わかるだろう?」
期待とは、便利な言葉だ。
ーーおまえのためだ。
ーー成長してほしいからだ。
ーー期待しているからだ。
前世の俺も、何度も同じことを言った。
思い出した瞬間、胸の奥が鈍く痛んだ。
俺は、部下たちに父と同じ顔をしていたのかもしれない、と。
人を傷つける時、人は案外、自分が正しいと思っている。
そして、その独りよがりの正しさは時に凶器だ。
「期待、ですか」
俺は小さく笑った。
「父上の期待は、ずいぶん都合が良いのですね」
「レオン!」
「俺は行きます。この家にいても、ハクは利用される。俺も利用される。だったら、ここに残る理由はありません」
「たかが十二の子どもが、外で生きていけると思っているのか」
「生きていきますよ」
根拠はない。
金もない。
行く当てもない。
この世界の常識だって、十分に知っているとは言いがたい。
だが、そんなことはもはやどうでもいいことだ。ハクに会えたのだからーー。
俺は神官長に目を向ける。
「神官長」
「……はい」
「俺はこの場を出ることは禁じられているのですか?」
神官長は一瞬、父を見て、それから俺を見た。
「いいえ、禁じられておりません。従魔召喚は、主と従魔の契約の儀。契約が成立した以上、その後の同行を妨げる法はありません」
「だそうです」
俺は父に向かって言った。
父の顔が、怒りで赤くなる。
「……レオン、後悔するぞ!」
俺はその言葉を無視して、神殿の扉を押し開けた。
外の光が差し込む。
召喚の間の重い空気から抜け出すと、冬の風が頬を撫でた。
「……まずいな」
俺は呟いた。
ハクが首をかしげる。
体は大きくなっても、その愛らしさは変わらないようだ。
「今になって気づいた。俺は家出に向いていない」
<わふ?>
「そもそも、前世でも会社とマンションを往復していただけだしな……」
<わふっ>
「励ましているのか、馬鹿にしているのか、どっちだ」
ハクは嬉しそうに尻尾を振った。
……まあ、いい。
何もないなら、考えればいい。
まずは行動あるのみだ。
前世で身につけたものが、いつか役に立つだろう。
「……まずは王都を出るか」




